香春 蘇葉
2020-11-16 23:15:30
3864文字
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【犬神のよめ!】

ルシサンワンライ:和風
神社に引き取られたサンちゃんと犬神ル様の和風ファンタジー。

本来体色とは違い、血の色の透けるような白い姿で現れる動物を、極東の国々では古くから神々の遣いとして敬い、崇めてきた。白い狐、白い鹿、白い蛇。現代ではアルビノ種ではないかとされるそれらは、やはり何万分の一で生まれてくるその希少さから神々の遣いとして昇華されてきたのだろうか。はたまたその神秘的な姿形から、ありがたがられるようになったのだろうか。
どちらでもいいが、と内心で独り言ちる。サンダルフォンは軽く体を揺することでリュックを背負い直すと、自らの足元からまん丸とした蒼い瞳でこちらを見上げ、尻尾を激しく振る、白い子犬のような動物を見下ろした。白い犬は、恐らく神秘的なものではない。そう結論づけて子犬を踏まないように気をつけながら再び歩き出す。
サンダルフォンが歩き出すと子犬はキャンキャンと鳴きながら、跳ねるように駆けてくる。視界の端でそれを捉えながら、勘弁してくれ、とため息をついた。何せ、サンダルフォン自身も居候の御身分なのだ。捨て犬か迷子犬かは知らないが、愛らしさに負けて連れ帰ったところで、飼いたいなどと言い出せるはずがない。
半年前、唯一の身寄りであった母親が儚くなった。父親は極東のとある国の出で、海外から留学してきた母親と恋に落ち、親の反対を振り切り駆け落ちをして、そしてサンダルフォンが生まれた。父親はサンダルフォンが生まれて数年で事故に遭い死別してしまったので、声はおろか顔も覚えてはいない。
覚えていないほど昔に父親はいなくなってしまったので、その実家とはすっかり縁が絶たれていたと思っていた。故に母親を亡くして天涯孤独の身となった自分へ最初に来た連絡がまさにその実家からのものだったことに、ひどく驚いたことをサンダルフォンはよく覚えている。費用も全部こちらで出すから、うちに来い。電話口で響いた不機嫌そうな低音に、行くところがないサンダルフォンは一も二もなく飛びついた。
そうして極東のこの国の土を踏んだサンダルフォンは、父親の実家であるとある神社に身を寄せることになったのだが。この家の主と言うのが、何とも曲者であった。

……キミ、まだついてくるのか?」

立ち止まり、子犬の前に蹲みこめば、サンダルフォンにぶつかるようにして止まったそいつは相変わらず愛らしい顔をして、サンダルフォンの問いに応えるようにひとつ鳴いた。

……仕方ないな」

ため息を吐きながら子犬を抱き上げると、サンダルフォンは今の自分の住処である神社へと歩いて行く。本来の持ち主である宮司亡き後、ひょっこりと現れてその籍を継いだ養父、ルシファーの待つ神社。全国的に見ても珍しい犬神を祀るその神社が、〝血縁者を全て亡くした〟今のサンダルフォンの家であった。





「俺は面倒を見ないからな」

「は?」

子犬を抱えて帰ってきたサンダルフォンを何とも複雑そうな顔で一瞥したルシファーの第一声はそれだった。正直一ヶ月毎朝境内と神殿の掃除をさせられるくらいのことを予想していたサンダルフォンは、あまりにあっさりした返事に拍子抜けして浅葱色の袴姿が社務所の中に消えていくまで固まっていた。
きゃん、と子犬が一声鳴くその音で我に返ったサンダルフォンは、いまだに混乱する頭でぐるぐると考える。自分は面倒を見ないと明言したからには、飼っていいということだろうか。てっきり返してこいと言われるとばかり思っていたがこれは嬉しい誤算だった。サンダルフォンはもう、自分と同じく孤独な子犬に情が移ってしまっている。今更元のところに、と言われると少し困ってしまう。
もし拒否したいのならばとっくにサンダルフォンに怒号を飛ばして、はっきりとそう言っているだろう。ルシファーとはそう言う男だ。彼の言葉を飼っていい、という許可として、サンダルフォンは子犬を家に招き入れた。
子犬は実に賢かった。まず朝は境内の掃除と、朝食の準備の時間となる前にサンダルフォンを起こしてくれる。掃除をしている間もおとなしくそばに控えているし、食事の準備をしている間匂いに興奮もしない。他の犬に目もくれず散歩も実にスムーズであったし、粗相もせず、食事の様子も実に美しかった。こんなにも手のかからない子犬がいていいのだろうか。わずかな薄気味の悪さを感じはしたが、それよりも子犬が孤独を埋めてくれる、今の生活がひどく温かくて、ささくれた心に沁みて、サンダルフォンは子犬を心の底から可愛がった。ルシファーと色合いが似ていることから、子犬にはルシフェルという名が与えられた。
そんな、子犬のいる幸福な毎日が続いたある日であった。その日も朝、境内の掃除をしていたサンダルフォンは、ふといつもならばそばにちょこんと座っているルシフェルの姿がないことに気がついた。鳥居を抜けて、道路に出ていてはまずい、と竹箒を放り投げ一心に探すが、その姿はなかなか見つからない。そうこう夢中で探しているうちに、鎮守の森にまで入り込んだサンダルフォンは、普段からルシファーに近づくなときつく言われている祠が視界に入ったところではっと我に返った。まずい、バレたらあの恐ろしい声音で叱責される。慌てて踵を返して駆け出そうとしたところで、突如として〝それ〟はサンダルフォンの目の前に現れた。黒い、大きな九本の尾。国語の便覧や歴史の教科書で見たことがある、平安時代の装束、それから頭の上でピクリと揺れる三角の耳に、こちらを妖しく見つめる赤い瞳。

『やぁ、ハジメマシテ。最近ファーさんが会いにキてくれないとは思っていたが、こんなにも美味しそうなヴァージンを隠していたとはね』

キミ、贄だろう?重ねてそう言って、一歩近づいてきた明らかに人ではない存在を身を固くして睨みつけると、さも嬉しそうにそれはクスクスと笑う。

「ワルイ、ワルイ。怖がらせるつもりじゃあなかったんだ。ホラ、仲直りしよう。キミとオレとの出逢いに、握手で祝福だ」

差し出された手を見つめて、サンダルフォンは硬く唾を飲む。この手を取ったが最後、何か取り返しのつかないことになるような気がした。かと言って逃げるには、先程からねっとりと身に絡む空気によって足が竦んで動けない。誰か、助けを。近づいてくるそれの手を前に、〝神にも縋る思い〟でぎゅっと固く瞑目した。その、瞬間だった。
ふわり、と清廉な空気がサンダルフォンを取り巻いた。あんなにも地面に縫い付けられたようだった足が軽くなり、〝それ〟の気配が遠くなる。

「彼から、離れてもらおうか」

ひどく聞き覚えがあるようで、その実全く別物のような、そんな声だった。声質自体はルシファーのものとよく似ている。ただその響きは澱んだ空気を一気に払拭するような清廉ながあり、空気を引き締める精悍さがあった。恐る恐る目を開けば、まずは大きな白銀の尾と、白い平安装束、それから白銀の髪から除く同じ色の耳がまず飛び込んできた。〝あれ〟との間に割って入るように、美しく真っ直ぐに伸びた背がある。
誰、と無意識に口に出せば、肩越しに蒼い瞳がこちらを振り返って、ついでその身ごと美丈夫がこちらに向き直る。不意に手を取られた。身構えていなかったサンダルフォンは容易に引き寄せられる。あっという間に腕の中へ閉じ込められたかと思えば、顎下を救われる。その瞬間は一瞬にも、永遠にも思えた。重なった唇が何度も角度を変えてサンダルフォンのそれを食む。差し入れられた舌先で絡め取られて、時に舐められ、時に強く吸われた。激しい口付けにサンダルフォンの腰が砕けたところで、美丈夫は満足げに目を眇めて、サンダルフォンを解放した。美しい顔をぼう、と見つめていると、彼は〝あれ〟に向き直って、剣呑な声で言う。

「私に捧げられた、私の番に手を出そうとは……ベリアル、容赦はしない」

番?誰が?真っ赤な顔でぼうっと事を眺めているサンダルフォンの前で、眩いほどの光が一気に集まり、そして収束する。次の瞬間には痛いほどの静寂が満たす鎮守の森の中を、轟音が駆け抜けた。





は?神様?ルシファーの言葉にサンダルフォンは素っ頓狂な声を上げた。慌てて隣に座る美丈夫に視線を向けると、淡い微笑みと共に蒼い瞳が帰ってくる。

「本来ならば、そいつは犬神どころの話ではない。だが、諸事情で今は犬神の器に封じられている。お前は本来ならば、そいつを器から解き放つための贄だ。しかし何の冗談か、それはお前を番としたいらしい」

拾ってきたなら、最後まで面倒を見ろ。ため息混じりの言葉にはっとする。そういえば、まだ子犬の姿を見ていない。恐る恐る美丈夫の方へ視線を向けて、ルシフェル?と消え入りそうな声で囁けば、彼の後ろに見える大きな尾が目に見えて嬉しそうに揺れた。こちらを向くその美しい顔は柔らかいまでも無表情だというのに、器用なものである。

「私が君を番と決めたからには、これから君には多くの妖魔が襲いかかるだろう」

しかし、案ずることはないよ。両手を取られてサンダルフォンは身を固くする。

「君に降りかかる災厄は全て私が打ち払おう。故に……私とめおとの契りを交わしてほしい」

状況は全く理解できないが、それでもサンダルフォンにはひとつだけ言えることがある。白い動物は神の遣いどころか、神そのものではないかということ。ただそれだけが、今言える全てのことだ。
こうして天涯孤独の身であったサンダルフォンはひょんなことから犬神の番となった。