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香春 蘇葉
2020-11-07 23:37:37
2427文字
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【休日のあなた】
ルシサンワンライ:読書/食欲/運動
本の虫は蒼い空の夢を見るか。
あの人が、本を読んでいる姿が堪らなく好きだ。
本来読書の時間はひとり物語に沈み込む静かな時間である。自分がこれと決めた時間、文節、あるいは物語の区切りたる章までただひたすら文字を追い、食らう。サンダルフォンにとってそれは、全身の力を抜いて水に身を任せる時の感覚に似ていた。全てを受け入れて、身を浸す感覚をひたすらに飲み込む。文字の海に沈んでいるようだ、と新しい本を読み込むたびに思うのだ。
しかし同じ時間、同じ場所で彼とあの人と二人静かに読書をする時は違う。一行を追うたびに、ページを一枚めくるたびに、あの人は一体どんな顔をしているのだろう、と気になって顔を上げてしまう。あの人が本を読んでいる姿はサンダルフォンの目を釘付けにするほどに綺麗で。近頃のサンダルフォンは本の先を気にしながらも、しばらくして我に帰るまで、しばらく見入ってしまうようになっていた。これは、今までなかったことだ。サンダルフォンにとって、本は自分の世界そのものだった。例え同級生に話を振られようが、遊びに誘われようが、文字を追うことをやめて、本の世界から浮上するには至らない。だというのに、あの人は、ただ本を読むというそれだけのことで、読書中のサンダルフォンの意識を束の間本から逸らすというある種の偉業を成し遂げたのだ。昔からサンダルフォンを知る者に話せば、きっと飛び上がって驚くに違いない。
あの人の本を読む姿が好きだ。いつしかそれはサンダルフォンの中でも否定しようもない大きな自覚となっていた。もうここまでくればヤケだ、と開き直りあの人が気がつくまで眺めていることもある。今日だってそうだ。いつも通りの休日の午前、本を数冊片手にあの人の部屋を訪れて、日が暮れるまで二人、本を読む。
もうすぐ昼になるけど、今日は一体どのくらいであの人はこちらを向くだろう。窓際に座った彼の、伏せ気味の長い睫毛が落とす影を見つめながら、サンダルフォンがぼんやりと思った瞬間、突如として静かな部屋に獣が唸りを上げるような音が盛大に鳴り響いた。いきなりのことで、サンダルフォンも束の間固まる。言葉を口にすることもできなくて、ひたすらあの人を見つめていると、不意に蒼い瞳が遠慮がちにこちらを向いて、柳眉が申し訳なさそうに下側を向いた。
「
……
ルシフェルさん。もしかして、お腹が空いてしまいましたか?」
「恐らく
……
そのようだ」
「えっと俺
……
何か作りましょうか?」
読んでいた本を閉じて、近くのコーヒーテーブルの上に置きつつ立ち上がれば、ルシフェルもまた、窓際に本を置いて慌てたように立ち上がる。
「君にそんなことをさせるわけには
……
」
「俺も丁度、一休みしようと思ってたところなので。それに、そんなにお腹が空いていては、流石にルシフェルさんでも集中できないのでは?」
慣れたように書斎を出てキッチンに向かいつつ、戸惑ったように後をついてくるルシフェルを肩越しに振り返る。普段はあれほどしっかりしていて、近寄りがたい雰囲気さえあるというのに、今のルシフェルときたら、どこか大きな犬がしょんぼりとついてきているような風情さえあった。それがまた新鮮で可愛らしくて、思わず後ろ手に彼の手を握りながら、サンダルフォンは鼻歌でも歌い出したい気分でキッチンへと入る。
冷蔵庫の中身を吟味して、卵とチーズ、それから牛乳と乾燥パスタがあるのを確認してから、サンダルフォンはキッチンの入り口でいまだに心許なさそうにこちらを見ているルシフェルへ、大きめな鍋を持ち上げながら首を傾げて見せた。
「いっぱい食べますか?」
「
……
!できれば、二人前程
……
」
「ふふ、食欲旺盛ですね。少し時間がかかるので、ダイニングで待っていてください」
そう言うと、先程までの所在なさげな様子はどこへやら、ルシフェルはパッとその表情を華やがせると、軽い足取りでダイニングへと向かっていく。その背中をすっかり見送ってしまうと、サンダルフォンは鍋を水で満たしにかかった。
*
一人前の物と、二人前を山盛り。ふたつの皿をそれぞれあるべきところに並べると、二人手を合わせて今自分が読んでいる本の話と、午前中に読み終えてしまったものの話を交わしながら、半熟卵を崩して、サンダルフォンがあっという間に作ったカルボナーラの攻略をする。二人視線を外さずとも器用にカトラリーを操り、束の間話を中断すると、その度に同じタイミングでフォークに絡めたものを口に入れ、咀嚼し、嚥下する。まるで鏡合わせのように、二人の食事中のリズムは同じで、ほどなくしてほとんど同時に話していた本の内容も、皿の中身も空になってしまった。
「驚いた。君は料理も得意なんだね」
「そんなまさか。なるべく本を読む時間を減らさないようにすぐにできる料理が上達しただけですよ」
「だとしても、私は美味しいと感じた。こんなに美味しいものを食べてしまって、折角君といるのに読書だけしているのでは、罰が当たってしまいそうだ」
ごく自然に、テーブルの向こうからルシフェルの指先が伸びてくる。手の甲をくすぐったそれは、サンダルフォンの拒絶がないことを知ると、小指から徐々に指を絡め、すっかり手を握りこんでしまった。自分よりもやや高い体温に束の間跳ねた鼓動を自覚しながら、上目で彼の方を見やると、蒼い瞳はどこまでも穏やかに、愛おしげにこちらを見つめていた。そういえば、と今更ながら自分たちが友人となったきっかけを思い出す。
「君さえよければ、これから食後の運動がてら散歩を一緒にどうだろうか」
これまでのサンダルフォンならば確実に断っていただろう。しかし、自らの変化を自覚した今となっては、その手を取る他選択肢はないように思えた。
不意に本を読むルシフェルの姿を思い出す。本を読んでいる時だけではない。きっと自分は、二人でいる時の彼がたまらなく好きなのだ。
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