甲板に複数の気配が降り立ったのを感じたサンダルフォンは、喫茶室のカウンターを飛び出して、食堂を抜け、廊下を駆けて、甲板へと上がる階段を跳ぶように踏んだ。そうして甲板に上がったサンダルフォンのエプロンを、荒々しい風がどこからか攫われてきた砂と共に巻き上げる。咄嗟に目を眇めて、そっと目を凝らせば、土混じりの朧げな風の向こうに今日依頼で出ていた団員たちの姿が見えた。皆特に目立った外傷もなく、戦利品や武器片手に朗らかな様子を見せている。
それでもサンダルフォンの眉間の皺は刻まれたままだった。彼の視線はひたすらに、団員達の中心にいて、周りを囲まれるようにこちらへ向かってくる者を睨みつけている。
「あ。サンダルフォンただいま……え?怖い顔してるけど、どうしたの?」
サンダルフォンの姿に気がついたグランが小走りに寄ってくるも、その顔のあまりの険しさに気圧されてたじろいだ。それでもなお、グランに取り合うことなく、赤い瞳はたった一人を見つめ続ける。疑惑を帯びたような、訝しそうな、そんな瞳で。
「グラン、依頼で負傷したり状態異常を持ったままの者はいるか?」
「ううん?今回は皆無事だったと思うけど」
グランの返答に、そうか、と溜息混じりに応えてサンダルフォンはずっと睨みつけていた相手の元へとつかつかと寄っていく。彼らが甲板に降り立った瞬間に感じた違和感、その原因。
ルシオの目の前でぴたりと立ち止まったサンダルフォンは、やおら手を伸ばすと彼の両頬をそっと両の掌で包み込んだ。それから右を向かせ、左を向かせ、上を向かせ、何やらを確認し終えたサンダルフォンは、小さなため息と共にルシオの顔を解放する。
「ルシオ、キミ目が見えていないな?」
「え!?そうなの!?」
「……まさかバレてしまうとは、思っていませんでした」
どこか気の抜けた笑みを浮かべてルシオが諸手を挙げるのを呆れたように睥睨しながら、サンダルフォンは隠せるわけがないだろう、と低い声で唸った。何せ甲板に上がってから一度も、彼の視線がこちらを向かなかった。いつもならば視線のみで喧しいと感じるほどだというのに。
本人からしたら青天の霹靂だったのか、鈍い光を弾く瞳をまんまるにして、ルシオが顔だけをこちらに向ける。
「え?私そんなにサンちゃんのこと見てますか?」
「無意識だったのか?その内穴が開いてしまうかと思っていたが」
肩を竦めたサンダルフォンの一言で、ルシオの顔がわかりにくく、ほんのり染まる。
それでも彼の蒼い瞳は一度たりともサンダルフォンに焦点が合わないのだから、言葉通り本当に目が見えていないのだろう。二人の様子を傍から見ていたグランは、納得したようにひとつ頷くと、そろそろと二人のそばまで寄って行って、ルシオの不調に気がつけなかったことを申し訳なく思いながら、あのう、と声をかけた。
「魔法とか、薬や道具で何とかなりそう?」
「ふむ……恐らく、無理かと。艇に帰る前にみな一応、クリアオールをかけて貰いましたよね?あれが効かなかったということは、何か解呪条件のあるまじないや呪術の類なのでしょう」
そしてそれが、条件の他に時間経過でも解呪されるものであったなら、魔法や薬、道具を使ったとて結局はリソースの無駄遣いになってしまう可能性が高い。術をかけたものがあるなら、要はその力が弱くなるまで待てばいいのだ。仮にそれによって解呪できるようなものではなかったとしても、まず一時様子を見てみる、という過程を経ることが得策だろう。
ほんのりと染まったままの顔を引き締めて、当事者とはとても思えない落ち着いた様子のルシオがそこまで話し終えると、グランは重々しくひとつ頷いた。
「しばらく様子を見るとなると……まずはルシオがどれくらい見えてるのか詳しく診ないとね」
「……?それは、どうして?」
「どうしてって……今ルシオがどの程度見えてるのか確認しておかないと、生活するのに手伝ってくれる人が必要なのか、そうじゃないのかわからないじゃないか……」
そこでゴホン、と咳払いがひとつ割り込む。音した方を見やれば、ここまで二人の話を大人しく聞いていたサンダルフォンがなんとも言えない顔でこちらを見ていた。
「その……何だ。その男が言いたいことはな、」
「艇内ではいつも、サンちゃんと行動を共にしていますので、外に出ない限りは問題はないかと」
「ッ!正直に話す奴があるかこの大馬鹿者!!」
ああ、そういう。傍から見ても弱い力で頭を叩かれるルシオの、嬉しそうな顔を見て納得する。どうやらいつの間にか惚気に巻き込まれていたようだ。そう思うと心配していた自分が急に馬鹿馬鹿しくなって、グランは騒ぐ二人をその場に置いて、他の団員を伴い艇内へと降りて行った。
*
夕食も摂り、入浴も難なく終えて、後は寝るだけとなり着々と準備が進むサンダルフォンの部屋、そのベッドの上に仰向けで寝転がったルシオは気配だけを頼りに彼の方へと顔を向けると、サンちゃん、と半ば眠りに落ちたような声で呼んだ。
しばらくすると、明暗とシルエットくらいしかわからない視界の中、部屋の明かりが消える気配がして、ぎしりとベッドの天板が軋む。
「ふふ、私今日は何だかすごくねむ、ヴッ」
恐らく彼がいるであろう方向に両手を広げて受け入れる準備万端でいると、不意に軽い勢いと共にルシオの胸へ重みが乗る。堪らず見えない目を見開けば、くつくつと楽しそうな笑い声が鼓膜を打って、胸板同士をぴったりとくっつけるような体勢で彼がのしかかってくる気配がした。抗議の意味も込めて再び彼を呼ぼうとしたが、一音を口にするより先に唇へ人差し指を押しつけられて制される。
「俺にされるがままになっているキミも、たまにはいい」
鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌さで、彼が言う。
「私も、サンちゃんに甘やかして貰っているようで、気分が良かったですよ」
「そうか。それはよかったな」
素っ気ない言葉とは裏腹に、鼓膜を透かす声は緩やかで優しい。髪を梳き、頬を撫で、顎を擽る彼の細い指先に、されるがままになっていると、不意に唇へ指先とは違う感触の何かが触れた。しっとりとしていて、柔らかく、温かい。その感触をよく知っているルシオは、存外可愛いことをするものだ、とこみあがる笑みを噛み殺した。
「……サンちゃん」
「っ……うん?何だ」
「キスなら見えるときにしてください」
貴方の顔が見えないのは、少し寂しい。重ねて言えば、彼の体温がにわかに上がる気配がして、ついで悔しげに唸る声が聞こえてくる。
「見えないからしているんだが」
「おや、それは失敬」
ですが、可愛らしくて。こみ上げる笑みに体を揺らせば、サンダルフォンが羞恥に負けて突っ伏したのか、顎の下に頭が潜り込んでくる。覚えていろよ。唸るその体をゆるく抱きしめながら、溶け合う対応に抗えなくなったルシオは、束の間輝きをなくしたその瞳を、健やかに瞼の奥へ仕舞い込んだ。
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