彼が騎空団の面々に親しまれている姿を見かけた時は、素直に喜ばしいし、今まで彼が積み重ねてきたものを垣間見ることができたようで嬉しい。だけど少しだけ。ほんの、少しだけ。ルシフェルは己の心に過ぎる不思議な感情があることに気がついていた。それが何なのかはいまだ答えは出ない。ただ、あまり良くはない感情なのだと思っている。
「なぁ〜に熱心に番のこと見つめてんだよ。四六時中一緒にいるくせにお熱いこった」
その日、ハロウィンの街中へ繰り出そうとしている仮装をした面々に、取り囲まれている彼を甲板の隅からぼんやりと眺めていたルシフェルは、不意に声をかけられてひとつ瞬きをした。声がした方へと視線を向けると、錬金術の開祖たる少女がしたり顔をしてこちらを見上げている。
「彼は別段、私の番というわけではない」
「やることやってるくせに何を言ってんだか。おい、元天司長サマよ、最近マンネリ化とかで困っちゃいねぇか?」
「……?特に困ってはいないが」
「まぁまぁ、そう言うなよ。ハロウィンの夜にぴったりなジョークグッズを持ってきてやったんだからよ」
ルシフェルの返答を無視した少女は、手にした小さなバスケットをに手を突き入れると、指先で小さなキャンディの包みを摘んでこちらに差し出してきた。愛らしい包装に包まれたそれを受け取ろうとして、ルシフェルが両手を差し出すと、すかさず少女がおっと、と差し出したキャンディを一度引っ込める。
「今日お菓子が欲しいならぁ……特別な呪文があるでしょお?」
「トリック・オア・トリート……だろうか」
「クク……上出来だぜ!そら受け取れ!オレ様特製のいたずらキャンディだ!」
いたずら?首を傾げながら少女が掌に落としたキャンディを握り込むと、得意げに胸を逸らした少女が聞いてもいないのに効能を語りだす。
ルシフェルが受け取ったキャンディにはいたずら程度の呪術が込められているという。呪術はキャンディが人から人に渡り、さらにそれを受け取った者が食べることで成立するそうで。食べた者の衣服を、渡した者が〝今一番着てもらいたい衣装〟に変化させるという本当に害のない呪術なのだと、少女は自慢げに締め括った。
「なるほど、それで私たち星晶獣にも効果があるか試したかった、と?」
「ぐっ……単なる好奇心だ。悪く思わないでくれ。仮に害のない呪術ならば、あの天司長サマにも効くのかどうかっていう事前確認にもなる」
彼の抗命スキルの性能が、どこまで及ぶのかという確認ができるのと、ルシフェルが今一番着て欲しい衣服を彼に着せることができる。一石二鳥だと言う少女の言葉には悪意のない純粋な探究心以外何ものも感じられなかったので、ルシフェルはとりあえず、大人しくキャンディを受け取ることにした。
彼が素直に人の慣例に従うとも思えなかったので、受け取ったキャンディは使われることのないまま仕舞いこむことになるだろう。その時、ルシフェルはそう思っていた。しかしこの艇ではいつだって予測のつかないことが起きるものである。
「ルシフェル様、トリック・オア・トリートです」
お菓子はお持ちでないでしょう?とサンダルフォンが意味深な顔でにやりと笑う。ああ、彼はここまで人の営みに溶け込んでいるのだな、感心しつつもどこか胸の中に穴が空いたような感覚を覚えながら、ルシフェルは先程少女にもらったキャンディを彼の掌に落とした。予想外だったのか、どこか残念そうな顔をしつつキャンディを握り込んだ彼は、ありがとうございます、と小さく唸るように言いながら、前髪の間から恨めしげにルシフェルを見上げる。
「いつも貴方に翻弄されてばかりなので、今日くらいは、と思ったのですが……」
「ふふ、それはすまない」
「見たことがないキャンディですね。今食べて見ても?」
赤い瞳が好奇心と共にきらりと輝く。ルシフェルの脳裏に一瞬、キャンディの製作者の顔がチラついたが、今更言い出してしまうのも憚られたので、ルシフェルは何があっても応えられるように心の内で構えながらひとつこくりと頷いた。
サンダルフォンの綺麗な指が包装を解いて、その薄い唇がキャンディをくわえ、口内に招き入れる。そうして彼が二三度口を動かしたところで、変化は訪れた。シュワシュワと白い煙のようなものが彼を取り巻いて、束の間二人の視界を覆う。くぐもった悲鳴を上げるサンダルフォンへ咄嗟に手を伸ばすも、指先に触れたのは魔力を孕んだ空気だけだった。
そうこうもがいている内、徐々に煙が晴れてくる。完全に視界が開けた時、そろりと目蓋を開いたルシフェルの視界に映ったのは、普段とは違う装束姿のサンダルフォンであった。既視感どころではない。彼のまとう装束は、正しく中庭にいたころの彼のそれだったので、キャンディの効能と相まってルシフェルは束の間息を飲み、動きを止めた。
「何だったんだ……?ん?装束が……」
「すまない、サンダルフォン……別段あの頃の君がよかったと言うわけではない。ただ、私は……」
キャンディの効能を思い出す。きっとこの頃、ルシフェルの胸をよぎっていたのは寂しさだったのだろう。サンダルフォンが空の民に親しまれる傍ら、置いていかれてしまうような寂しさを無意識に感じていて、サンダルフォンがまだルシフェルしか知らなかった頃を懐かしんでしまった。
羞恥にやや染まった頬をサンダルフォンに見せないように、顔を逸らしながら一連の流れを説明したルシフェルは、最後にちらとサンダルフォンを見やりながら、もうひとつすまない、と口にした。
「……別に謝らなくてもいいですよ。ルシフェル様は、もう一度、俺のこの姿が見たいと思っていただけですよね」
「そうなるのだろうか……」
そうだと思いますよ。そう言うサンダルフォンの手が不意にルシフェルの小指を握る。はっとして彼の方を向けば、自分よりもよほど真っ赤にした顔を俯かせて、上目に赤い瞳がこちらを見つめていた。
「あの、部屋……戻りますか」
「サンダルフォン?」
「貴方にもらったキャンディはいたずらだったので、俺はまだ貴方にお菓子を頂いてません」
だから、部屋で悪戯をさせてください。いつの間にか小指に触れていた手が、内側からルシフェルの掌を握り込んでいた。ルシフェルはひとつ息を飲んで、サンダルフォンへと視線を据える。姿は確かに中庭にいた頃の彼だと言うのに、悪戯をさせろとねだるその瞳は、あの頃には明らかになかった、とろりとした艶を湛えていた。
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