別にイベント事は嫌いではない。一歩引いたところからならば年相応に馬鹿騒ぎを好むところもある。しかし、晩秋のとあるイベント事はどうにも好きにはなれないのだ。理由はわからない。何かきっかけがあったのだろうか、と思い出そうとしても、頭にモヤがかかったようでほとんど何も思い出せない。街中にかぼちゃの装飾を見る機会が増えていく度に、はたまた郊外の大型ショッピングモールの催事場で仮装のための道具を売っているところを見かける度に、何故か心臓の底の方がざわついて、背筋がひやりと冷えていく。誰にも明かしたことはないが。
サンダルフォンが通う高校は、この時期になると有志の生徒たちが自主的に教員から許可をとって、イベント当日に騒ぐような珍しいクラスがある。何を隠そう、サンダルフォンがいるクラスこそがそれである。音頭を取っている生徒全員が去年も同じクラスだったので、もうイベントに向けた準備はなれたものである。その様子をただ遠巻きに見ている今でさえ、そわそわとして落ち着かないのだ。
「サンちゃんは、今年も参加しないのですか」
不意にサンダルフォンが壁に背を預けるその隣に、誰かが同じようにしてのんびりと体重を預ける。そもそもここまで唐突に自分へ声をかけてくる相手など限られているので、その正体を確認するまでもなく、視線をちらとも向けないままサンダルフォンは深々とため息をついた。
「わかりきったことをわざわざ聞いてくるな」
「それでも、もしかしたら今年こそは、サンちゃんの仮装が見られるかと少し期待してみたのですが」
「……?なんだ?参加したいのなら俺に付き合わずにさっさと混ざってこい。見てみろ、女子達が期待した目でキミを見ているぞ」
行ってこい、ルシオ。ようやくちらと視線を向けて、隣で壁に寄りかかる長身を見やれば、サンダルフォンの視線を受けた途端に整ったかんばせがぱっと華やいだ。わざわざ指まで指して見てみろと促したというのに、こちらを熱のこもった眼差しで見つめる女子生徒達に一瞥もやらない。まるで飼い主に名前を呼ばれた忠犬のようだ。彼に想いを寄せる女子生徒達も報われないものだな、と少しだけ同情していると、今度は少し拗ねたような声音が鼓膜を突く。
「私一人で混ざっても意味はありません。サンちゃんがいなくては、全く楽しくありませんから……サンちゃん、本当に参加しないのですか?シャレムなんて、今年もお家の人の方が張り切ってるんですよ?」
「シャレムは……その、毎年のことだろう」
「サンちゃんがハロウィンを苦手としているのは知っていますが……もうそろそろ、克服してくれていると思っていました……」
ここでサンダルフォンは首を傾げた。ハロウィンを苦手としているなどと、昔馴染みの面々にさえ一言も言った覚えはないのに、何故ルシオは知っているのだろうか。サンダルフォンはひとつ瞬きをすると、疑惑をこめてルシオを睥睨した。
「何故キミがそのことを知っている……」
「……え。知ってるも何も、私が原因では?」
「ん?ちょっと待て。話が見えん」
「確か年中さんの時のハロウィンで……あれ?サンちゃん、もしかして覚えていないとか……」
眉を顰めるサンダルフォンを前に、ルシオの目尻が微かに引きつる。墓穴を掘った。他の誰にもわからない、昔馴染みのサンダルフォンだけが知る癖が、雄弁にそう語る。ルシオは昔から、自分が不利だと見た瞬間に目尻が微かに引きつるのだ。他人から見れば変わらぬ笑顔を浮かべているようにしか見えないほど、微かに。
「今洗いざらい吐けば、許してやらないこともない」
「言い訳のようですが、サンちゃんがハロウィン嫌いになったのはほとんどルシファーのせいですからね」
珍しくそう前置くと、ルシオはどこか常よりはっきりとしない口ぶりで話し始めた。
*
「おいチビ。聞いたぞ……一丁前に園のハロウィン行事をあの雛と二人で回りたいと言ったらしいな」
「む……ルシフェルさんにダメっていわれたから、ほごしゃはどーはん?ですけど、ルシファーにとめられても、いきますからね」
五歳だったルシオはその日、決意に満ち溢れていた。兄同士の仲がいいのと、家が近いという理由で赤子の頃からの付き合いであるサンダルフォンと、他の友だちを交えず二人で、回れることになっていたから。勇気を出して誘ってよかった。上二人の兄と比べると引っ込み思案なところがあるルシオだったが、そういう時は例え駄目でも誘ってみるといい、という二番目の兄の後押しもあって、当日二日前にしてようやくサンダルフォンに二人で遊ぼうと言うことができたのだ。当日は熱が出ても行く。絶対に行くったら行く。そう心に決めて、今までにないほどの気迫を湛え幼稚園から帰ってきたルシオであったが、帰ってきたところで次の問題に行き当たってしまった。
サンダルフォンを誘うのに必死で、ハロウィン行事に着ていく衣装を考えていなかったのだ。彼と共に回れるのなら、他の子よりももっと凝った素敵な衣装を身につけた姿を見せたい。かといって今から考えても幼いルシオの頭では妙案が出てこない。そうしてうんうんと唸っているところに、ひょいと顔を出したのがルシオの一番上の兄、ルシファーである。懐いているルシフェルとは違い、普段なら頼ることなどしないが、藁にも縋る想いだったルシオは思い切ってルシファーに何かいい案はないかと訊ねることにした。
一拍の間。ルシファーらしくないそれに、不安になって顔を覗き込めば、彼はにんまりとその顔に笑顔を浮かべている。ルシオは幼心に、ぞくりとした悪寒を感じた。
「いいだろう。興が乗った……俺に全て任せておけ」
くつくつと喉の奥で笑う兄を前にして、ルシオその時相談相手を間違えたようだと、強く強く思った。
*
「それでサンちゃんのロリータワンピースに私の牙に仕込んでいたトマトジュースが飛んでしまって、サンちゃんが怖いって泣き叫んだので、その日はお開きになったんですよ」
「……思い出した」
そんなこともあった、とサンダルフォンは深々とため息をつきながら思う。恐らく血のような物が大量に服へ付着したショックで今の今まで忘れていたのだろう。そういえば、そうだった。あの日ルシオはやけに凝った吸血鬼の衣装を着ていたし、幼くも整ったかんばせに青白く見えるメイクを施されていた。そうでなくとも幼い頃のサンダルフォンは怖がりだったのだ。ルシファーの手によって完璧に小さな吸血鬼となっていた彼の牙からトマトジュースとは言え赤い液体が出てきたらトラウマにもなる。しかし、思い出してしまえば今の成長したサンダルフォンにとっては何と言うこともなく、得体の知れない苦手意識の源も突き止めたのだから、あれだけ忌避していたハロウィンも楽しげなイベントに見えた。
「ところで、やはりハロウィンには参加しないのですか?」
私、サンちゃんのゾンビナースが見たいです。またどこぞの悪い影響を受けてきたらしい。ちゃっかりと衣装のリクエストもしながら、サンダルフォンのトラウマがほどけたことを察したルシオが、こちらの手を握りながら畳み掛けてくる。
「……今年はよしておく。今からでは衣装も凝ったものは用意できないからな。その代わり、」
「その代わり?」
「安っぽい衣装でいいのなら、キミのリクエストには応えてやろう。で?ナース服でいいんだな?」
そっちの家で五歳の時の仕切り直しだ。罪悪感なのか、はたまた好奇心なのか。なんとも言えない笑みを口角だけに浮かべたサンダルフォンを、ルシオがはたと見下ろす。
「……!!いたずらしてもいいんですか?」
「馬鹿者、調子に乗るな。あくまで着るだけだ」
帰りにコンビニで菓子を買って帰るぞ。ハロウィンの準備をする同級生達を背に、サンダルフォンは荷物を持ってあっさりと教室を後にする。準備を作業で賑わう教室にサンちゃん待って!と慌てた声だけを残して、ルシオも小走りにその背中を追いかけて行った。
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