香春 蘇葉
2020-10-23 00:04:00
2894文字
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【あなたが夢を見るのなら。】

お題のシオサン。夢見が悪かったとかで珍しくルシオに甘えるサンちゃん。

「すみません、ホットミルクを一杯頂いても?」

「あら!ここに来るなんて、珍しいこともあるのねぇ、色男さん」

依頼で出払っている者も多い上、見張りに立っている者もいるため、今夜はこの隠れ家の常連達の姿を見ることはない。そんな夜であった。グランサイファー副料理室に根差すラードゥガ、その管理を任されている彼(女)は今まで一度も顔を見せたことがない者の来店に目を丸くした。驚きはするものの、ここは誰もが寛ぎのひとときを求めて訪れる場所。カウンターにのんびりと腰をかけた彼を前に大して驚いた様子も見せず、ファスティバは小首を傾げてみせた。

「でも、本当にホットミルクでいいのかしら?近頃はみんなが色々なお酒を置いて行ってくれるから、もしかするとアナタのお口に合うものもあるかもしれないわ」

「それはまた、今度の機会に。この後喫茶室を片付けたサンちゃんと合流しますので、お酒は遠慮しておきます」

俺を差し置いて飲んでいたのかと怒られてしまいますからね。それはそれは嬉しそうに続けてそう言った彼に、ファスティバは束の間目を丸くする。あまり交流がないのと、他人とやりとりしている姿を遠目からしか見たことがないのでどこか冷たい印象もあった彼だが、こんな顔ができるのか。なるほど、団長達から話を聞いたことがあるが、本当にあの夏の一件から距離を縮めて懇ろな仲になったらしい。見ているこちらまで嬉しくなってしまいそうな柔らかな笑顔に、ファスティバは双眸を崩すと、食材をしまっている小さな氷室の中から牛乳の詰まった瓶を取り出して、加熱器具へと魔力を通した。

「でもお酒が目当てでないのなら、どうしてここに来てくれたのかしら?」

「少々、あなたに助言を頂きたいと思いまして」

助言?と繰り返し口にすると、彼は小さく頷いた。ミルクパンに牛乳を注ぎ入れながら、話してみて頂戴、とファスティバは先を促す。彼の様子を見るに、これは正面から都度相槌を打ちながら聞くのではなく、作業の片手間に聞いて欲しいというような気配を感じた。ならば、とわざと加熱の勢いを弱めてミルクパンの様子に目を落としながら話へ耳を傾ける。
時折、掌に誰かの指が触れる感覚で目が覚めると言う。そしてそれは、決まって夜明け間近の暁時らしい。薄らと瞼を押し上げて、掌から伸びる指、手、腕を辿ると、窓から差し込む薄明の中、無表情でただはらはらと涙を流す想い人がいる。赤い瞳は見開かれて、ここではないどこかを見るように虚空に据えられて。見える限りの表情はどうしようもないほどに悲しそうなのだ。彼は、想い人のその姿を美しいと思うと同時にどうにかして頬を伝い落ちる涙を止めたいと思う。しかし彼が涙を流す数少ない理由など考えるまでもなくわかるのだ。今、この顔をした己が彼を慰める事など許されない。気づかなかったふりをして無理やり睫毛を伏せることしかできないのだ。

「ならばせめて、どうすれば夢を見なくて済むのかと考えたのですが、如何せん私はその辺りの知識には疎く……

……その子は、必ず貴方の掌に触れているのよね?」

彼が話している間にすっかり温まってしまった牛乳を厚手のマグカップに流し込み差し出しながら、ファスティバは確認するように言う。

「そうですね、私が覚えている限りは、いつも」

「なら、すぐに解決しちゃうかもしれないわ」

知ってるかしら。彼がマグカップを受け取ったのを確認すると、ファスティバ自身も随分と中の氷が溶けたカクテルで唇を潤しながら話を続ける。

「夢って深く眠っちゃえば見ないものなのよ。ねぇ、深く眠るにはどうすればいいと思う?」

彼がゆっくりと首を振った。色男だとは思ったが、存外本命相手ではうまくいかないらしい。小さく口元を笑ませると、ファスティバはやおら彼の胸元を指さした。

「好きな人に抱きしめられて眠るだけでも、安心して眠れちゃうものだわ。フフ、愛!ね」





その朝もふわりと掌に何かが触れる感覚で目が覚めた。にわかに浮上した意識に任せて瞼を押し開けば、昨晩自分の腕を枕にしていた彼の重みがない。起き抜け特有の瞼の重みとどこかぼやけた視界の中、のろのろと視線を巡らせれば、暁時の薄らとした光の中で彼が虚空を眺め、拭う様子も見せずにただ涙を流していた。束の間、息が詰まった。掌へ控えめに触れている指先は、それ以上全く動く気配をみせずに、時折嗚咽に合わせて力なく揺れている。まるで抜け殻のようだ。心中でぽつりと思うと同時に、彼の夢が幸せだろうが、そうでなかろうが、ただ夢の中にいるだけで彼の全てを奪ってしまえる彼の創造主が、堪らなく羨ましく、そして妬ましく感じた。
不意に昨晩、ラードゥガの主人が言っていたことを思い出す。抱きしめられて眠るだけでも安心できる。彼もそうだろうか。そうであったら、嬉しい。この掌に触れる指先が、抱きしめてほしい、と。その気持ちの表れであったのなら、どんなに嬉しいか。一握の希望を抱いて、震える声でサンちゃん、と彼の名前を呼ぶ。

「どうか、しましたか」

まだ起きる時間ではありませんよ。重ねて言えば、虚空に据えられていた瞳がすいとこちらを見て、目を覚ます度に見てきた無表情なかんばせがくしゃりと歪んだ。ルシオ、と彼が絞り出すようにこちらの名前を呼ぶ。掌で時折揺れるだけだった爪の先が、控えめに滑り出して、そうしてルシオの小指を強く握った。
瞬間、堪らなくなった。握られた小指を支点に彼の手を引っ張ると、力なくその抜け殻のような体が傾ぐ。ベッドの上に落ちてきた彼を搔き抱けば、胸板にすり寄ってきた頭がすん、と鼻を鳴らす音を立てた。背中に手が回ったことを確認して、ルシオはほっと胸を撫で下ろす。拒絶されるかもしれない、という考えは少なからずあった。ルシオはルシオで、ルシフェルはルシフェル。明確な違いはあるが、涙を流すような夢見の後にほとんど同じ要素を持つ者に慰められても辛さが募るだろう、と。しかし結果として、最初に掌の感触で目が覚めた時から、彼はルシオを求めていた。
甘えるように額をすり寄せてくる彼のつむじに唇を押しつけて、ルシオは彼を抱く腕の力を強くする。

「サンちゃん、痛くありませんか」

「ん。いいからこのまま……

「できれば顔も見せてくれると嬉しいのですが」

「見せたらキスするだろう」

「間違いなくしますね」

「キスはいらん。このまま俺と二度寝してくれ」

それだけで、いい。先程よりどこか眠たげになった声音がルシオの胸を淡く震わせる。つれないですねぇ、そう言いつつもルシオの口ぶりはどこか嬉しそうだった。
彼の夢の話は聞かなくていい。聞かずともわかるから。下手な慰めもいらない。彼は不要と断ずるから。自分にできることは彼が甘えるままに応えること、ただそれだけ。なんだ、こんなに簡単だったのか。ひとつ吐息をつきながらルシオは破顔する。どこか甘い匂いがする彼の巻き毛に鼻先を埋めながら、ルシオは瞑目したその目尻を蕩かせた。