ぱち、と焚き木が爆ぜる音で目が覚めた。緩慢に上体を起こして、ほんのりと眠りの余韻が残る寝惚け眼を瞬かせ、大きな天幕の中をのんびり見回す。野営だと言うのに誰も彼もが慣れたように深い眠りに落ちていて、天幕の中はもうすぐ燃え尽きるであろう焚き木の音と、木々から聞こえる虫の音以外は健やかな寝息と心地よい静寂に包まれていた。
まなこを和ませながら一通り視線を這わせたルシフェルは、そうして最後に己のすぐ隣へ目を落としたところではたと動きを止める。寝入る前は確かに隣にいた彼が、毛布一枚だけを残して姿を消していた。束の間ふむ、と考えこんだルシフェルであったが、すぐに会得のいった顔で頷くと、周りの団員を起こさないようにゆっくりと、天幕の下から抜け出した。
やおら立ち上がり、真っ先に夜空を振り仰げば月はすでに空の中程を過ぎていて、夜もとっぷりと更けた時間である。こんな時間に、一人で何故。心の内で首を傾げつつも、サンダルフォンが結界を張った野営地を出て、森の中に入っていった。焚き木はもうすぐ燃え尽きるだろうが、現天司長が張った結界がある。余程狂った魔物でない限りは野営地を襲うどころか、結界の気配に怯えて近寄ってくることさえもできない。ひとまずは自分と彼、二人がいなくとも天幕で健やかに眠る人の子の眠りは妨げられないだろう。
野営地から姿を消した彼に行き先を聞いたわけでもないのに、森の中に分け入ったルシフェルの歩みには迷いがない。気配を感知して、ということでもなく、単純に勘によるものである。弱体化している今となっては、恐らく気配を消しているであろう彼を感知するなど器用な芸当はできやしない。それでも、ルシフェルは己の向かう先には彼がいると確信していた。
草木や木々が道を覆い、ルシフェルの進む道は徐々に狭くなってゆく。この先は綺麗な水が湛えられた湖がある。野営地を決めた時に確認したので、例え辺りが月明かりだけが頼りとなる淡墨に覆われていようとも、間違えようがない。きっとそこに、彼はいるのだろう。胸がそわそわと騒ぎ出す、この感覚こそが証左だ。
せせこましい小道を抜けると、今度は一転して広く開けた場所に出た。水の匂いが鼻腔をくすぐるままに、烟る睫毛を押し上げて目の前の風景を眼下に収めてみれば、そこは月明かりに照らされてしめやかに輝くみなもを湛えた大きな湖が飛び込んでくる。風でわずかに波打つ水の、その波紋を追うようにして視線を走らせると、湖の中央に何やら浮かんでいるものが見えた。考えるまでもなくその正体を察したルシフェルは小さくため息をつくと、濡れてしまうのも厭わずにザブザブと湖に入っていく。大して深くもないので難なく浮かんだ何かの、そのつむじの上までやってきたルシフェルは、月に照らされて沈み込むように光る赤い瞳を頭の天辺から覗き込むように見つめた。
「……どうしてここがわかったんですか?」
「私は、君のことならば何でもわかるよ」
はは、嘘つき。悪戯っぽく釣り上がった口の端ごと食らいついてしまうように、彼の顔をそっと両手で包んで、唇を重ねる。いつからここにいたのか、彼のそれはすっかり冷え切ってしまっていた。また、この子は。最後にひとつ唇同士をすり合わせてから体を離したルシフェルは、やや険しい顔で彼を見下ろす。咎めるような視線を向けられた方はと言えば、悪びれもなく四肢の力を抜いてしたり顔で笑いながらみなもに浮いていた。水に揺られた腰布がまるで貴婦人のドレスのように靡いている。
「私に言いたいことがある度に、このようなことをするのはそろそろやめてくれないだろうか」
彼を創ったその始めの頃は、拗ねる度に、文句を言う代わりとして中庭にある泉に行っては今のようにぼんやりとしながら浮かんでいた。年月を重ねるごとに少なくなっていったが、まだその癖が抜けていなかったらしい。にわかに昼間のことが蘇る。不意を突かれた彼に魔物の爪が伸びたところを、間に入って防いだ。恐らく、今回はそのことに大して何かしら言いたいことがあるのだろう。しかし自分が悪いことも知っているので、面と向かって文句を言うこともできず、夜中にこっそり抜け出した、と。
納得したように頷いていると、下から冷えた手が伸びてきて、ルシフェルの小指をそっと握る。手の先から腕を辿り、彼の顔を見やればどこか嬉しそうに淡い笑みを浮かべていた。
「冷えたところで身体機能には影響がないのに、毎回迎えに来てくれるのは貴方でしょう?」
「身体機能に影響はなくとも、君の体が冷え切ってしまうことを私が許容できないことを君は知っているはずだ。どこでそんな狡い手を覚えたのだろうか」
両手を伸ばされるままにみなもから彼を抱き上げると、冷えた腕が首に抱きついてきて、彼がきゅうと身を寄せてくる。このまま帰ると皆が心配するから、乾くまで二人でいようか。ざぶざぶと湖の中を進みながら、ルシフェルも頬を寄せれば、くすくすと楽しげに彼が笑った。
「エーテルで乾かせるのに、ですか?」
「うん。エーテルで乾かせるのに、だね」
ナンセンスだなぁ、と彼の濡れた髪が顎下にすり寄ってきた。火も起こして、それから話をしよう。みなもから上がりながら、ルシフェルは心の内でそっと笑う。あの頃はすぐに彼の体をエーテルで乾かしてしまっていたが、今はこの無駄が堪らないほど愛おしく感じる。
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