香春 蘇葉
2020-10-06 01:38:43
2504文字
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【ひとりのベッド】

ルシサン。初夜を迎えた次の日の朝の話

長く抱えた想いを通わせ、素肌を重ねて熱を交わらせて。昨晩、ルシフェルは長年想いを注いでいた己の愛し子と初めて情を交わした。二人それぞれ育み続けた感情と、今までキス止まりだった関係のその先に対する期待と、絡ませた指の熱さと。まるで溶けてひとつになってしまうのではないかと思うほどに心地よく、安堵に包まれた。二人でどろどろに蕩けてしまうまで、互いを求め貪った。そうして心地よい疲労に身を任せて、ひとまわり小さな彼の体を抱き込んで眠ったその次の朝。
窓から差し込む朝日に誘われて、ルシフェルは目を覚ました。起き抜けのぼんやりと重い瞼を一二度緩慢に瞬かせて、そうして焦点の合った先の光景に半ば跳ねるように上体を起こす。昨晩しっかり抱き込んで眠りについた、愛し子の姿がベッドルームのどこにもない。気づくと同時にルシフェルは、人の営みに混ざるのであれば、と身につけ始めた下着一枚のみの姿で、寝室を飛び出した。
初めての夜を迎えるのではあれば誰にも気を使わずに済む方がいい。二人でひそやかに決めて、艇が停泊した島にある、一番上等な宿の、最もいい部屋を取り、こっそり艇を抜け出して宿泊しているため、二人が今滞在している部屋は、客室そのものと寝室が分かれているのみならず、簡易的なキッチンやバルコニーもついていた。有り体に言えば広いのである。到着当初は今の空の世界にはこんな宿もあるのかと二人して感心したものだが、今となってはその広さが煩わしいことこの上ない。焦燥に駆られる体を努めて冷静に留めながら、いくつかある部屋を順繰りに覗き込んでいく。バスルーム、レストルーム、キッチンに、バルコニー。そのいずれにも彼の姿は見当たらない。
そこまで見つからないとなると、さすがのルシフェルも不安に襲われた。もしかすると、昨晩を望んでいたのは、自分だけかもしれない、だとか、はたまた二人で身も心も溶け合うほどに心地よかったと思っていたのは自分だけで、単なる独り善がりの勘違いだったのかもしれない、だとか。とにかく悪い連想だけが次々と積み重なっていく。こんなことならば、昨晩眠る前にもっと彼と話をしておけばよかった。かしりと奥歯を噛み締めた。
そうこうしているうちに探すところもなくなってきて、残るところ客室一部屋を残すのみとなった。柱にそっと手をかけて、恐る恐るといった体で廊下側から中を覗き込んだルシフェルは、視線の先で見つけた愛し子の姿に束の間目を奪われてしまった。
大きな出窓の窓台で、膝を抱えるようにして、彼はちょこんと座り込んでいる。気怠げで、それでいて情事の余韻が残る艶のある表情で。窓の外を物憂げに見つめる彼の髪が、朝日を受けて美しく透き通っていて、前髪の影が落ちるその目元は、昨晩の情事で涙を流したことで、微かに赤く腫れていた。
サンダルフォン、常よりやや小さな声で呼び掛ければ、彼のまとうシーツの、衣擦れの音がして、逆光の中で、未だ眠りの世界にいるかのような、ぼんやりとした表情がこちらを向いた。向いて、ルシフェルを見とめた瞬間に、彼はそのかんばせを真っ赤に染めた。内心首を傾げながらもぱたぱたとスリッパを鳴らして近づいていくと、逃げ場を探して慌てふためいたサンダルフォンが顔を四方八方に向けた後に、ふと思い立ったかのように窓台から降りようとして、爪先を床につけた瞬間にバランスを崩し、ルシフェルの目の前で崩れ落ちる。

「サンダルフォン……!」

「大丈夫……大丈夫ですから……お願いします、ルシフェル様……そこで止まってください」

消えいりそうな声の中に、微かな拒絶を感じて、ルシフェルは立ち止まった。見下ろす先では、床にぺたんと腰を下ろしたままの状態のサンダルフォンが居住まいを正してこちらを見ている。君は、と絞り出すように口にすると、サンダルフォンがどこかバツが悪そうに笑った。

「君は、昨晩のことを後悔しているのだろうか」

「っ違います……ただ……俺、」

恥ずかしくて。シーツを抱き込むように身を縮こまらせながら、サンダルフォンは俯き加減に上目でこちらを見ながら言った。考え始めると悪い方へと傾きがちな彼のことだ。てっきり他の理由があって、自分の腕から抜け出したのだと思い込んでいたルシフェルは、あまりにも単純な理由に束の間呆気に取られた。

「貴方の顔を見ているだけで、昨晩の自分の痴態と貴方の精悍な顔を思い出して、恥ずかしくなってしまって……

だから抜け出してしまったのだ、とサンダルフォンは申し訳なさそうに言った。拍子抜けしたルシフェルは、肺の底からたっぷりと息を吐き出すと、彼との残りの距離を詰めて行って、自らの体を抱きしめるように小さくなっている彼をぎゅうと抱き込む。

「君が、昨晩のことを後悔しているのではないかと思ったら、気が気ではなかった……

「ぁ……う、それは本当に申し訳なく……すみません、あともう少しだけ離れてくださ……

震える声での願いを黙殺して、ルシフェルはサンダルフォンの肩口に額を押し当てると、深々と安堵のため息をついた。昔からわかっていたことだが、彼は思いつめると突拍子のない言動にいきつくのだ。いくら恥ずかしいからと言って、ベッドの中で朝の挨拶を交わさずに抜け出していくとは。もう今日一日は、恥ずかしがった彼にどれだけ乞われようが、離れずにいよう。
帰りもできれば五歩ほど離れて歩いていいですか。真っ赤な顔で絞り出された声音ごと噛みつくように唇を重ねて言葉の先を制すると、ルシフェルは突き入れた舌先で彼の舌を捉えて、歯列を辿り、上顎を擽る。たっぷりと翻弄して、唾液の糸を引きつつ唇を離した時、サンダルフォンはすでに許容量の限界と言った体で、真っ赤な顔をして戦慄くことしかできなくなっていた。ルシフェルはそっと烟るようなまつげを伏せて、唾液で濡れた唇をちろりとひと舐めすると、淡く微笑を浮かべながら軽く首を横に振る。

「その願いは聞けないよ。サンダルフォン」

温もりの失せたシーツを前に、肝を冷やした自分の気持ちを少しばかり知ればいい。