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香春 蘇葉
2020-10-02 00:22:35
2440文字
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【ふたりの朝】
現パロルシサン。眼鏡、ネクタイ、珈琲、醤油の日
一緒に生活をし始めて最初に思ったことは、案外この人も駄目なところがあるんだな、ということだった。
サンダルフォンの朝は早い。何せ最近一緒に暮らし始めた歳上の恋人が、思いの外寝起きが悪かったので、それを起こすことに結構な時間を使うからである。普通に互いの家を行き来したり、ホテルの部屋で眠ったその次の朝などはすっきり起きていたというのに、一体どこにこの寝汚なさを隠していたのか、と真摯に問いたいほどに、起き出すまで時間がかかるのだ。しかし、それはサンダルフォンにとって苦ではない。一緒に暮らし始める前はあれほど完璧だった恋人が、素の姿を見せてくれる。普段、我を通すことが滅多にない彼が自分に甘えてくれる、数少ない機会のひとつなのだ。愛おしく思えど、面倒に思うようなものではない。
目覚ましの音にほんの少しだけ唸りをあげて、あとは起きる気配を見せずに、再び健やかな寝息を立て始めた彼の腕から抜けて、カーテンから溢れ入る朝日に惜しげもなく裸体を晒しながらベッドから出る。一二度、ぐっと背伸びをして、それから床に一枚だけ落ちていた彼のワイシャツを拾い上げると、サンダルフォンは手早くそれだけを身につけ、足音を潜めつつ寝室を出た。
キッチンに入ると、昨晩のうちに用意しておいたエプロンを、一回りほど大きなワイシャツの上から身につける。次いでサンダルフォンは冷蔵庫から皿に盛るだけだったり、はたまた温めてたり、火を加えるのみで完成する状態に仕込んでいる料理の入った、タッパーウェアを出した。タラモサラダとほうれん草のマリネ、それから冷製スープ。タッパーウェアの何個かの中身を皿に盛ると、今度は卵とチーズを冷蔵庫から取り出して、まずはボウルに卵を割り入れる。滑らかになるまで解きほぐしたあとに、軽く塩と胡椒で下味をつけて、あらかじめバターを入れて熱しておいたフライパンに流し込んだ。しばらく様子を眺めていて、ふわりと厚く、全体に火が通ったことを確認すると、フライパンの中の半分にチーズを落として、丁寧に折りたたむ。しばらく熱を加えて両面美味しそうな焼き色がついたところで、タラモサラダとマリネが乗る皿にそっと下ろすと、出来上がった皿の上の様子に満足げに微笑んで、ようやくサンダルフォンは寝室の方向に視線を向けた。そろそろ起こさなければ遅刻してしまう。
出てくる時には潜めていた足音を、今度はぱたぱたと鳴るスリッパの音に変えて、寝室に戻ったサンダルフォンは、枕を抱きしめるようにして横向きで眠る、恋人の端正な寝顔と視線を合わせるようにして蹲み込んだ。
「ルシフェルさん、朝ですよ」
「ん゙
……
あと、五分程許してはくれないだろうか
……
」
「駄目です、お寝坊さん。今日は少し早くでなければいけないんでしょう?」
「ちーず
……
おむれつ
……
」
「昨日貴方が食べたいと言っていたから、ちゃんと焼きましたよ。だから、ほら。早く起きてください」
ん゙。もうひとつ唸るように彼が返事をしたかと思えば、烟るような睫毛の下から、トロトロとまだ寝ぼけ眼の、蒼い瞳が覗く。視線が合った瞬間に、抑えきれなかった笑みをその顔に湛えると、サンダルフォンはルシフェルの高い鼻梁に唇を押しつけて、そのまま甘えるように彼の額へ自分のそれを擦り合わせた。
「今日はこの間二人ででかけた時に買った珈琲豆で淹れますから」
「うん。それは楽しみだね。おはようサンダルフォン」
「はい、おはようございます。ルシフェルさん」
朝の挨拶を交わし、先にダイニングに戻って朝食の支度を整えていると、丁度それが終わるくらいになって、ある程度身なりを整えた状態のルシフェルが入ってくる。あとは二人、毎朝と同じようにとりとめのない会話をして食事と珈琲を楽しむと、ようやく完全に目が覚めたらしいルシフェルが、もう行かなくては、と洗面所に消えていった。
戻ってきたルシフェルはほのかにミントの香りがして、サンダルフォンの頬は思わず緩む。一緒に暮らしているのだと、実感できる瞬間のひとつだ。軽く背伸びをして彼のワイシャツの襟にネクタイを通すと、サンダルフォンは慣れた手つきでそれ締める。次いでテーブルの上に用意していた眼鏡ケースを手に取って、中から銀縁のシャープなシルエットをした眼鏡を取り出すと、ルシフェルの端正な顔に加えた。
「うん。今日も男前ですね。そんな男前に頼みたいことがあるんですが」
「男前にしてもらったお礼に何でも聞こう」
「ふふ、ありがとうございます。では帰りに薄口醤油を買ってきてください。前みたいにだし醤油は買っちゃ駄目ですよ」
「だし醤油では駄目か
……
肝に銘じておこう」
荷物を渡されながら、ルシフェルが神妙な顔をして頷くと、小さく噴き出したサンダルフォンがその背側に回り込んで、後ろから玄関ホールへと柔くルシフェルの背を押しつつ、続けて言う。
「あと
……
ルシフェルさん、今日は遅いですか」
「
……
?今日は残業もなく、いつもより少し早く帰宅できるよ」
「そうですか。じゃあ、準備をして待ってますね」
何を。問う前にいってらっしゃいと部屋の外へと押し出され、意味を聴けないままにがしゃんと音を立てて部屋の扉が閉まる。準備、準備。一体何のことだろうか。夕食の準備はルシフェルの仕事なので、料理を、ということではないだろう。では、何を。ルシフェルは考えた。考えながらエレベーターに向かって歩いていって、そうしてその道程の中ほどに至ったところで彼の意図に思い当たる。最近、二人共忙しく、夜眠る時に素肌を合わせて眠るくらいしか互いの体温を感じることはない。ルシフェル自身も彼の体温が、匂いが、その艶やかな肢体が。恋しいとは思っていたが、どうやらそれは彼も同じようだったそうで。
なるほど、なるほど。ルシフェルは納得した風情でひとつ頷くと、その口元を微かに緩めた。今なら空だって飛べてしまいそうだ。
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