香春 蘇葉
2020-10-01 02:15:47
3174文字
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【愛について。】

復活時空のルシサン。両片想いの二人。サンダルフォンの愛情は自分が彼に向けるものとは似て非なるものだと、突き放すルシフェル。

「いい加減に、してください……!」

彼の声がか細く揺れている。窓から差し込む昼下がりの柔らかな陽光に透かされた長い睫毛が涙袋に影を落として、瞳を覆った涙の膜が光を弾き、きらきらと瞬いていた。
ただ、綺麗だと思った。明らかにこの場で思うことではない。それでも、自分を思って涙を浮かべる彼を前にして、声をかけることを忘れ魅入ってしまう。惚けたように束の間、彼をじっと見つめていると、くしゃりと顔を歪めた彼が、耐えかねたように椅子から立った。サンダルフォン、と彼の名前が口を突くが、時すでに遅く。最後に肩越しの泣いた顔だけを残して、彼はルシフェルと日々を過ごす部屋を飛び出していってしまった。
それから数週間が経つが、艇内で時折すれ違うものの、彼が部屋に帰ってくる様子はない。どころか一瞬でも顔が、視線が合ってしまうと、まるで視界にも入れたくはないと言うかのように、彼は慌てて顔を背けるのだ。
ルシフェルはわからなかった。何故彼があれほどまで怒りを露わにしたのか。自分の心の内でならば言ってしまえるが、ルシフェルはずっと彼を、サンダルフォンのことを愛していた。それは人の子でいう、親子の間のものではない。自らとは違う存在と手を取り合って睦み合い、ひたすらに与えて、与えられたい。ルシフェルが彼に抱いていたのはそういった類の愛情であった。端的に言えば、己の決めた番に対する愛である。だがルシフェルはそうであっても、彼はどうだろうか。ルシフェルは考えた。彼の気持ちを理解しようともせずに、このまま愛する彼を自分という存在に縛り付けていてもいいのだろうか、と。あの中庭での日々の中でも、彼は自分に心を尽くしてくれた。それは単に親子鳥に対する敬愛だったのかもしれない。今もその延長やも。ならば自分に縛り付けておくわけにはいかない。彼とルシフェルの愛情に差異があるのならば、尚更だった。

「私には、いまだ……彼が何故あのように怒りを露わにしたのか、理解できていないのだが」

「ねぇ、それ……本気で言ってる?」

ぱたん、と分厚くなった帳簿を閉じる音がして、ルシフェルは俯かせていた顔を上げた。食堂の窓際に置かれたテーブルの、ルシフェルが座る反対側の席では、呆れたような顔で頬杖をつき、こちらをじとりと睨め付ける少年がひとり。ルシフェルとサンダルフォンが仲違いをしていることを知り、なおかつ事のあらましを把握している数少ない存在、この騎空団の団長のグランである。
再顕現してこの方、日々ルシフェルの身の回りの世話を嫌な顔ひとつせずにくるくるとこなして、片時もそばをはなれようとはしないサンダルフォンに、君はそんなことをしなくていい、と伝えた。私のような、既にほとんど役に立たない親鳥などに縛られずに、自由にしていなさい、と。直後、目に涙をいっぱい溜めた彼に頬を張飛ばされた。怒りを露わにした彼に、いい加減にしろ、と震える声で言い放たれたが、ルシフェルは本当に、彼が何故怒りを露わにしたのか今でもわからないのである。

「私が冗談を言っているとでも?」

「毛ほども冗談言ってるように見えないから頭抱えてるんだよ……ねぇ、ルシフェル。サンダルフォンが君を愛しているから、そばにいるんだとは思わないの?」

僕はまだ愛だとかはよくわからないけど、サンダルフォンが君を愛していることだけはわかるよ。全てを見透かされてしまいそうなほどに、澄んだ瞳が瞬きを忘れたかの如くじい、とルシフェルを見つめる。まるで非難でもされているようだ。ほんの少し胸をよぎったざわめきに、ルシフェルは微かに苦笑を浮かべた。

「彼が、私を?それはおそらく敬愛の類だろう。私が彼に抱くような性愛とは、似て非なるものだ」

「じゃあ聞くけど、敬愛を向けていたとして、別にそばにいなくていいよって言われたぐらいで毎日甲板の隅で膝を抱えてこっそり泣いたりするかな」

「彼が?」

「うん。多分今もそうだろうね」

泣いている。ルシフェルはその言葉のみを唇の先で微かに繰り返すと、次の瞬間には勢いよく席を立った。そのまま何も言わないグランを残して食堂を走り出る。
昼下がりであるせいか、人のいない廊下を駆け抜けて、甲板へと上がった。視線を巡らせれば、確かに船首にほど近い甲板の片隅に、抱えた膝へ顔を埋め、縮こまるサンダルフォンの背を見つけた。束の間上がった息を落ち着け、脈動を激しくしたコアを宥めながら、静かに近寄っていく。そうして一度も彼に振り向かれることもなく、背後に佇んだルシフェルは、そっと身を屈めると、彼が膝を抱える腕の、その片側を柔い力で握って引いた。彼の憂いを帯びたかんばせが勢いよくこちらを振り仰いで、ルシフェルをみとめたその赤い瞳が一瞬で歪む。

「離してください。何もあなたの意図を理解できなかったからこんな……あんまりだ」

「すまない。君に話を聞くまでは決して離すことはできない」

こちらを、向いて。腕を支点に抱きかかえるようにしてサンダルフォンの体を自らの腕の中に収めたルシフェルは、つい今し方まで涙を流していたであろう彼の目尻に唇を寄せた。しとりと押し付けた唇を離すその刹那に、舌先で擽れば、赤い瞳が驚いたようにこちらを見る。まじまじと注がれる久方ぶりの視線の中、小さく肩を竦めたルシフェルは、これが私の君に対する愛情だよ、と囁くと、彼の体を抱きしめる腕の力を、ほんの少しだけ、強くした。

「君が泣いていると聞いて、いても立ってもいられなくなってしまった。サンダルフォン、君はどうして泣いて?」

……貴方が、俺の愛する人を役に立たないと仰るから。俺は片時も離れずに、そばにいたいほど愛しているのに、好きにしていい、と貴方が突き放すから」

彼の額が弱々しくルシフェルの胸板を擦った。しばらく鼻をすする音が聞こえてきて、彼がまたあの美しい涙を流しているのだと思った。ルシフェルのことを思って涙する彼は、きっとこの空の何よりも綺麗で、そして何よりも切ない。
不意に伸びてきた指先が、あの日弱い力で叩かれたルシフェルの頬に伸びる。迎えにいくようにしてすり、と頬を寄せ、眇めた蒼い視線を彼に向ければ、涙の膜で覆われた赤い瞳がこちらを見上げて、揺れていた。

「俺は、貴方と手を取り合って睦み合いたいから、貴方に思いを傾けて貴方にも傾けてほしいから、貴方のそばにいたいんです。今更好きに生きろと言われても、唯一無二だ、と貴方を愛しているんだから、できっこない」

ああ、綺麗だ。ルシフェルはこちらを見上げて淡く微笑むサンダルフォンのかんばせを見下ろして思う。あの涙よりも、よほど綺麗だ。自分を思って泣いている顔よりも、ひたすら思いを傾けて微笑む顔の方が遥かにいい。どうして今までこの眼差しに気が付かなかったのだろう。彼のことをなんでも知っていると慢心していながら、結局のところ自分よりも遥かにわずかな時しか生きていない人の子に気づかされるのだから、全く情けないにもほどがある。
しかし、今ならわかる。きっと彼は自分が情けなくとも、役に立たずともそばにいたいと思ってくれるほどにルシフェルを愛してくれている。それは、ルシフェルがサンダルフォンに注ぐ愛情と何ら変わりはない。美しい、性愛に似た何かなのである。

「サンダルフォン」

「はい」

「サンダルフォン、愛しているよ」

君も、そうなのだろう。重ねて言う。
離れて行ってもいいなど偽りだ。片時も離したくはない。いっそみっともないほどの執着を口にする代わりに、彼の掌を控えめに握り込めば、ややあって細い指が手の甲を擽って、同じくらいの熱量がルシフェルの掌を握り返してきた。

「やっと気づいてくれましたか」