香春 蘇葉
2020-09-30 01:20:31
2168文字
Public
 

【ワンカップ・メモリー】

現パロシオサン。できてる二人が深夜突発的に海へ行く話。

遮光カーテンを引いた真っ暗な部屋で青白い光がちかちかと瞬く。目を刺すようなそれに細く眇めた視線で、画面の中に揺れるどこまでも青い海を束の間見つめ、後ろからしっかりと自分を抱き込む逞しい腕へむずかったような声を上げて鼻先を埋めた。

「サンちゃん?」

「そういえば今年は夏の間に海に行かなかったと思ってな」

毛布の中で絡めた、素肌の脚同士を擦り合わせながら言うと、言われてみればそうでしたね、とのんびり口にしながら、彼がサンダルフォンのつむじに顎先を落とした。痛い、と文句を言えば、くすくすと喉の奥を揺らした彼が、すみません何だか愛らしくて、と悪びれもせずに言う。

「今年はあれこれ忙しかったのもありましたけど、サンちゃんの夏風邪が長引いてしまいましたからね」

……おい、何だそれは。俺のせいとでも言いたいのか」

生意気な奴だな。自分を抱き込む素肌の腕をそっと抓る。された方はと言えば、大したダメージではないらしく、お返しとばかりに腕の力を強めて、殊更強い力で顎先をつむじに押しつけてきた。束の間無言のまま攻防が続く。しかしややあって、日付が変わるまで行為に耽っていた体の疲労と、適度な眠気によって、馬鹿らしい、とどちらからともなく攻撃をやめた。とりとめもない応酬のいとまに、毛布から出てしまっていた体が冷えていたので、もそもそと体の向きを変えて、嫌味なほどに厚い胸板に顔を埋めるようにして体を寄せる。もうこの気怠くあっても、決して悪い気にはならない不思議な疲労感に任せて寝てしまおう。二人の間にそんな雰囲気が流れて、しばらくの間、テレビの音が微かに響くだけの暗い部屋に、眠りの淵をゆらゆらと歩いているような呼吸が溶け込んだ。もうあとはこのまま。彼の体温の心地よさも相まって、半分眠りかけていたサンダルフォンだったが。
不意にあっ!と何かを思い出したかのような声が鼓膜を突いて、サンダルフォンは慌てて眠りの世界から這い上がってくる羽目になった。目をぱちぱちとさせながら視線を持ち上げれば、テレビのほのかに明るい光を反射した、蒼い瞳がキラキラと輝きながらこちらを見下ろしている。はて、何か彼の琴線に触れるようなものがあっただろうか。一瞬の覚醒の後はまた元のようにのろのろと落ち始めた瞼を、必死に押し上げながら、彼の次の言葉を待つ。

「海にいきましょう」

……今からか?」

何もできないぞ、と続けて言い終わるか否かのタイミングで彼の腕が離れていく。ぎしりと天板を軋ませて、フローリングに爪先をつけた彼は、ベッドの周りに散らばった自らの服を拾い上げながら、肩越しにこちらを振り返って薄く笑った。

「波の音を聞きながら朝日を待つのも、なかなかいいものですよ」

ね、行きましょう、サンちゃん。始めから返事を聞くつもりもないのだろう。すっかり衣服を身につけて、ベッドサイドの小物入れから軽自動車のキーをつまみ上げつつ彼が言う。

「嫌と言っても無理矢理連れていくんだろうが」

ため息まじりに体を起こして、ベッドからゆらりと立ち上がりながらそう言うと、こちらを見ていた蒼い瞳が一度ぱちりと不思議そうに瞬いて、次いで蕩けてしまったかのように弓形に垂れ下がった。





未明の高速道路は静かでどこか落ち着きがある。助手席側の窓越しに流れる光を、頬杖をつきつつ眺めるサンダルフォンを横目に車を走らせること一時間と少し。嫌がってあまり彼が乗ってくれないスポーツカーから鞍替えされた、可愛らしい軽自動車は、大の大人の男二人を乗せて、海と砂浜の境界さえわからない真っ暗な海の脇に停車した。到着する直前にコンビニで買っておいた温かい珈琲のカップを手渡すと、小さく礼を口にしながら、彼が両手で包んで受け取る。あともう少しですかねぇ。ラジオも曲も、何もかけていない車内には、窓越しに遠くから聞こえてくる潮騒の音だけが反響していた。そうだな、と眠たそうな声が返ってきたので、ちらと横をみれば、今にも眠気に負けてしまいそうな様子の彼が微かに艇を漕いでいる。慌ててその手からカップを取り上げて、自らの胸板で頬を受け止めるようにして彼を引き寄せた。

「サンちゃん、寝ちゃうんですか」

「ルシオ……うるさい」

「朝日、もうすぐですよ」

「うん…………ん」

ああ、眠ってしまった。しかし日付が変わってしばらく経ってからも、彼には無体を強いてしまったので、その疲労を考えると致し方ないだろう。
ルシオは片手で持ち上げたカップの飲み口に息を吹きかけて、ずず、と一口中の珈琲を飲み下した。最近は美味しくなってきた、とはよく言われるがそれでも少し、何かが足りない。帰りはどこかで朝食を買って、家で二人、彼が淹れてくれた珈琲を口にしつつ、食べようか。半ば無理やり連れてきたようなものだが、眠りの世界におちた彼に、一人置いて行かれたのだから、これくらいのわがままは許してくれるだろう。
ルシオは健やかな寝息を立てる彼の頭にすり、と頬を寄せて目を眇めた。視線を向ける先では水平線に沿って白く細い光が弧を描いている。相変わらず起きる気配のない彼にこつんとひとつ恨みがましく頭をぶつけて、ルシオはにわかに破顔した。たまには、こういうのもいい。