香春 蘇葉
2020-09-27 12:39:16
2454文字
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【フラッシュバック】

ルシサンワンライ:抱き上げる

あの人の、手が好きだ。

中庭にいた頃から、事あるごとに彼はサンダルフォンを抱き上げていた。今思えば幼体の時期もなく、創られこの世に生まれ落ちた瞬間からこの体なのだから、全くよくやったものだと呆れ半分羞恥半分に思う。あの頃の自分の世界は、ルシフェルと自分と、時折訪れるその他者でしか構成されていなかったので、羞恥を感じなくとも当たり前と言えばそうなのだが。
とにかく、あの頃のルシフェルはよくサンダルフォンを抱き上げた。宝物に触れるように、こちらの胸板へとぴたりと頬を寄せてコアの脈動を確かめるように。任務から帰ってきた折に、はたまた転んでしまった時に、あてがわれた部屋のベッドへ送り届ける時に。とにかくことあるごとに、恐縮したサンダルフォンが必要ないと断っても、まるで体全体で大切だと伝えるかのように抱き上げて、慈しんだ。
では、一度失われて、再顕現した今はどうかと言うと。

「はわ……ごめんなさい、ルシフェルさん。運んでもらって……

「足を挫いてしまったのだから、仕方ない。こうして運ぶならば特異点の方がよかったのだろう。しかし艇に帰還するまで、彼はすぐに動ける状態でいる方が望ましい」

故に少しの間、我慢して欲しいのだが。続けて言うルシフェルに、ルリアが恐縮しきった様子で首を横に振る。まるであの頃の自分たちのようだ。サンダルフォンはグランと並んで歩くその肩越しに振り返ってそっと微笑んだ。
再顕現した今はと言えば、ルシフェルが今、ルリアにしているような方法で、サンダルフォンを抱き上げるようなことはなくなった。たまに戦闘後、麻痺などが残り、サンダルフォンが歩けない状態になったりすると、ルシフェルは他の団員達にするように担ぎ上げて運ぶ。別に、寂しいわけでもない。ルリアにしているような運び方が羨ましいわけではない。ただ、あの頃当たり前のように与えられた体温が、急になくなってしまったことが不思議でならなかった。周りからなんと言われようが、誤っていると感じた時以外はルシフェルが己の習慣や言動を変えることはない。正しいと思ったこと、良かれと思ったことならば尚更だ。ならば何故、ルシフェルが急にサンダルフォンを抱き上げなくなったのか。再顕現して始めの頃はよくあの頃のようにしていたというのに。きっと彼の中で何かしら変化があったのだろう。別段、困ることではないので機会があればそれとなく訊ねてみよう。振り返っていた視線を元に戻しながら、その時サンダルフォンは軽い気持ちでそう思っていた。





「ルシフェル様、俺をあの頃のように抱き上げてはくれませんか」

濡れていた床に足を取られて転んだ時、サンダルフォンは今ではないか、と思った。今ならば、自然と、ルシフェルの言動に変化が起きた理由を探れるのではないか、と。
悪戯っぽく笑いながら、ねだるように両手を伸ばせば、一息の間を置いて、ルシフェルの視線が横に逸れる。あ、困っているな。もしかしたら、自分が何かをしてしまって、それで今までのように抱き上げてはくれなくなってしまったのかもしれない。そう思うと胸が束の間つきりと痛んだ。

……すみません、変なことを言いました」

受け入れてもらえると信じて疑わずに突き出した手を収めるのはなんとも気まずい。気まずくて、恥ずかしくて、居た堪れない。顔を真っ赤にして、内心羞恥で泣きそうになりながら、サンダルフォンは伸ばした両腕を下げようとした。

「サンダルフォン、手を」

「へ?うわっ」

下げようとした瞬間に、強く手首を引かれて、脇の下から支えられるようにして体がふわりと浮いた。そのまま、尻の下に腕を置くようにしっかりと抱えられる。なんだ、言えばやってくれるのか。胸を過った不安を一瞬で拭われてサンダルフォンはほっと胸を撫で下ろす。しかしそれも束の間、また次の違和感が襲ってきて、サンダルフォンは今し方消えたばかりの皺を再び眉間へ刻む羽目になった。

「ルシフェル様……?何故こちらを見て下さらないんですか?」

……それだけは、許して欲しい」 

「理由も聞かずにはい分かりました、なんて言えるはずないでしょう!俺に落ち度があるのなら、直しますから……!」

「君に落ち度があるわけではない」

ならば何故?自らの胸元にずっと埋められたままになっている、ルシフェルの顔を見下ろして、サンダルフォンは顔を歪めた。自分が乞うたから、仕方なくこうしているというならば、すぐにやめて欲しい。やめて、自分に謝らせて欲しい。意にそぐわない行為をさせてしまってすみません、と。
サンダルフォンは両手でルシフェルの頬をそっと包むと、弱い力で上向かせた。蒼い瞳が、前髪と烟るような睫毛の間から覗く。ああ、ようやく目線が合った。サンダルフォンが安堵の吐息をついたその瞬間、彼の目の前でルシフェルの頬がどんどん紅潮してゆき、その眉間が切なげに皺を刻んだ。呆気に取られて動きを止めたサンダルフォンの耳に、すまない、と消え入りそうな声が滑り込む。

「君に落ち度があるわけではない。ただ……

「ただ?」

「この角度だと、君の夜の姿を思い出してしまって……

堪らなくなってしまう、と掠れる声で彼が続けて言う。そういえば初めての夜もそうだったが、ルシフェルと対面となるようにして体を重ねる夜が多い。確かにあの時の光景と、抱き上げられた今の視界はよく似ているが。
そうだと気付かされた瞬間、サンダルフォンの頬も釣られて真っ赤になる。なんてことだ。もっと深くて込み入った理由があると思っていたのに、予想外だった。これでは、不意に抱き上げられる度にルシフェルの言葉が過って、夜の光景を思い出してしまうではないか。
情緒が育ちすぎるのも考えものだな。その日、こちらを見るルシフェルの顔を覆い隠すようにしてその頭を抱きしめながら、サンダルフォンは軽率に抱き上げてもらえない理由へ踏み入ったことを後悔した。