香春 蘇葉
2020-09-24 18:32:06
2590文字
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【隣のあの子】

ルシサン。高校生のル様の隣の安寧、サンちゃんの話。今と昔。

十七歳、高校二年生。ルシフェルは放課後、早々に下校する。とは言え生徒会長の座にいるため、すぐに帰れる日は週のうち三回ほど。決まった部活にも入らず、たまに助っ人に入るのみ。親が彼に家庭教師をつけているため、夜遅くまで塾に詰めることもない。だと言うのに生徒会の集まりのない、週のうち三日、ルシフェルは誰も伴わずに一人で早々に帰ってしまうのだ。寄り道もせずに、友人と遊ぶこともない。では放課後、一体彼は何をしているのだろう。よくも悪くも目立つルシフェルの放課後には、様々な憶測がついて回った。
そんな人の目もなんのその。その日もルシフェルは終業の鐘が鳴ると同時に手早く荷物をまとめて教室の外へ繰り出した。時刻はもうすぐ十六時になろうかという頃。いかな季節であっても、放課後の予定がまるっと空いている男子高校生が急いで帰るような時間ではない。
周りの生徒たちがかけてくる声に、軽く会釈や手を挙げることで返しながら、昇降口まで降りて、一片の曇りなく黒々と光っているローファーを履き、引き止められるような隙を見せずに校門から校外へ出て行く。
彼の家は高校から徒歩二十分程離れた場所にある閑静な住宅街の中にある。彼が生まれるより前、再開発により高級住宅街として売り出された一帯ではあるが、今なお価値は変わらず、海外勤めをしている父親のいる家族や、はたまた何百年も続く家柄の家族が建てた別荘が窮屈にならない程度の感覚で並んでいた。子どもはいるが、家同士が離れていたり、広い家の中で遊んでいたりと、なかなかその声を聞くことはない。静かな、住宅街なのである。ただ一箇所、住宅街に入ってすぐの道脇にある幼稚園を除いては。
放課後、そそくさと帰路についたルシフェルの目的地はまさにそこであった。広い園の門を躊躇いなく、慣れたように潜れば、建物の中から園児達がはしゃぐ声が聞こえてくる。

「こんにちは。サンダルフォンの迎えに来ました」

「ああ、ルシフェルさん。こんにちは、すぐに呼びますからちょっと待ってくださいね。サンダルフォンくーん!お兄ちゃんのお迎えですよ〜!」

身を捻って背後の教室に呼びかける女性を避けるようにして、ひょっこりと部屋の中を覗き込めば、視線の先では丁度小さな背中が立ち上がるところだった。ああ、後ろ姿まで愛らしい。ルシフェルがうっとりと目を細めていると、すでに黄色い指定鞄と帽子を手にして準備万端の様相をしていた彼がはしゃいだように駆けてくる。

「ルシフェルさま!がっこうおつかれさまでした!」

「うん、ありがとう。君は今日も、いい子にしていたかな」

「はい!あ!きょうはいいものがあるんです!はやくかえりましょう!」

自分の両手をそのもみじのような掌で必死に握って、ぴょんぴょんと跳ねるサンダルフォンと身を屈めて視線を合わせつつ、ルシフェルは蕩けるような笑顔を浮かべた。そう、これが放課後、ルシフェルが早々に学校からいなくなる理由である。隣の家の子どもで、五歳のサンダルフォン。そのお迎えを自ら買って出た結果の行動であった。親同士の仲がいいこともあり、サンダルフォンはルシフェルに懐いていたし、ルシフェル自身も生まれたばかりのサンダルフォンを目にした瞬間、その愛らしさに電撃のような衝撃を受けて、以来ドロドロに甘やかして、可愛がっている。
じゃあサンダルフォンくんのお母さんによろしくね。彼のクラスの先生から、連絡帳とお便り類を受け取って、二人しっかり手を繋ぎ、帰路につく。小さな体は、まるでルシフェルのそばにいることが嬉しくて堪らないと言わんばかりに、新しく買って貰ったという小さな靴で子ウサギのように跳ねながら隣を歩いていた。

「今日は何をして遊んだのだろうか」

「きょうはおりがみをしました!」

「折り紙で何を作ったのかな」

「ひみつです!ルシフェルさまのおうちについたら、おしえてあげますね」

黄色い鞄のファスナーの端から、赤いサテン地のリボンのようなものが覗いている。ルシフェルはそっと笑みを深めると、見なかったことにして視線を逸らしつつ、彼の小さな手を握る力を微かに強くした。

「それは楽しみだね。私も早く帰りたくなってしまった」

「はい!きょうのおやつなんでしょうね!」

小さな足がぱたぱたと地面を叩く音が耳に心地よい。ゆっくりと朱く染まる夕日が、二人の後ろに影を伸ばした。ルシフェルは目線だけでそれを振り返ると、蒼い瞳を幸せそうに眇めた。





「またそれ、見てるんですか」

腰掛けた事務椅子の背側から、するりとこちらの首を抱きこむようにして、手元を覗き込んできた相手の頭を、ポンポンと撫でる。そうすると束の間、悔しそうに唸る声がしたかと思えば、やおら肩にぐりぐりと額が押し付けられた。くすぐったいよ。喉の奥を揺らして笑いながら指先に毛束を絡めると、前髪の隙間からうらめしそうに赤い瞳がこちらを睨む。

「君から貰ったものだ。大切にして、時折眺めるくらいは許してほしい」

「へぇ……どうやら貴方は今の俺よりもあの頃の素直な俺の方がお好きらしい……そうでしょう?ルシフェル先生」

「そういう挑発は高校を卒業してからにしなさい」

でないと、卒業まで我慢出来なくなってしまうからね。首に抱きつく腕をさりげなく解きながら椅子から腰を上げて、手にしていた小さな木製の箱に伏せた目線を落とす。大切に収められていたそれは、銀色の折り紙で作られたメダルで、中央に辿々しいひらがなでだいすき、と書かれていた。もう十数年も前のことだが、今もルシフェルの中に燦然と残る愛おしい記憶のひとつだ。
昔はあんなに優しかったのに。不意に後ろで不満げな声が響く。思わず苦笑して肩越しに振り向けば、なんですか、と唇を尖らせた彼がじとりとこちらを睨んだ。

「あんまり素っ気ないと、他の人のところに行ってしまいますからね」

「それはないだろう。君は昔から私のことが大好きだからね」

あの日と変わらぬ夕日が準備室の窓から差し込む。あと半年もすれば、この子はこの学校を卒業して、生徒と教師の関係は終わるだろう。優しげなくなったのではない。素っ気なくなったのではない。我慢をしているのだ。あと半年もすれば、彼はその身を持って思い知るに違いない。