枕を抱きしめ、頬を埋めるその横顔に差し出されたペットボトルの水が、薄く開いたカーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされて、青白く透き通る。束の間、ペットボトルの中で揺れるミネラルウォーターを眺めたサンダルフォンは、微かに汗ばんだ顔を顰めると、ペットボトルの底から順繰りに辿るようにして、水を差し出すその相手を見上げた。赤く染まった目尻を僅かに吊り上げると、こちらを見下ろす蒼い瞳が不思議そうに瞬く。次いでゆっくりと身をかがめたそいつは、サンダルフォンがうつ伏せに寝転ぶベッドの、空いているスペースへ無遠慮に腰を下ろす。そうしてもう一度サンダルフォンの方へとペットボトルを差し出して、余韻で未だ赤く染まる頬に冷えたボトルの底を押し付けてきた。冷たッ、と反射的に叫ぶと満足げにそいつの目が弓形に眇められる。
「喉は乾いていませんか?」
「聞かなくてもわかるだろう。ストローは?」
「もちろん、こちらに。しかし、シーツはどうせ洗ってしまうのですから、多少水を溢しても問題ないのでは?」
相変わらず呆れるほどに準備がいいやつだな。愚図る子供のように、枕へ額を押し付けて軽く唸っていると、ぱき、とペットボトルの蓋を捻る音がして、しばらくすると頬をストローの先で突かれた。にこにこと笑うその顔を一度横目でじとりと見上げた後に、大人しく顔を上げてストローを口に含む。軽く吸い込むと、カラカラに乾いた喉に冷えた水が染みて心地よい。
「……ん。それとこれとは話が別だと思うが」
「シーツですか?」
「それ以外何があるんだ」
ほら、くだらないことを言ってないで、もう寝るぞ。自分の横のスペースを開けてやりながらそう言うと、いつもならば嬉々として潜り込んでくるというのに、一向に動かない。サンダルフォンはかけていた薄手の毛布を広げていた手を下ろして、訝しげに顔を上げた。何だその顔は。見上げた先で不思議な顔をしたそいつがこちらをじっと見つめているので、サンダルフォンはそっと顔を顰める。
「……サンちゃん」
「何だ。もう今日はしないぞ」
風呂から上がって何時間好きにさせていたと思ってる。心の内でそっとため息を吐きながら、先手を打つ。しかしサンダルフォンを呼んだその意図とは違っていたようで、睨み付ける視線の先で端正なかんばせがそっと瞑目してゆるゆると首を横に振られた。
「お腹が、減ったのですが」
「生憎と今日は袋麺は、ッ待て!何故持ち上げる!」
「先程遠くの方でチャルメラが鳴りましたから一緒に如何かと」
「如何といいつつ俺に服を着せているのは何なんだ……」
はい、頭通してくださいね。問答無用でTシャツを被せられて、些か雑に頭を通される。そのまま手際良く両腕まで通されて、脇の下から持ち上げるようにしてベッドのふちに座らされたところで、サンダルフォンは持ち上げた脚にスキニーパンツを通そうとするそいつのつむじを、せめてもの抵抗とばかりに思い切り人差し指で押した。
「ルシオ、太るぞ」
「そうしたら、サンちゃんが食事管理をしてくれるのでしょう。それもまた、楽しみです」
押されたつむじも何のその。顔を上げて満面の笑顔を湛えつつルシオが言う。まぁ、太ったらその時は毎日蒸し野菜だな。前科アリのルシオは前回のダイエットでサンダルフォンが出した食事にすっかり味をしめたらしい。そう簡単に思い通りになると思うなよ。そっとほくそ笑むも、結局ラーメンの件と同じように食事もいつの間にか絆されてきっとルシオの思い通りになるのだ。
諦め混じりのため息をついて、壁掛けの時計を見上げる。時刻は零時を三十分ほどすぎたくらいで、身支度をすっかり整えられてしまったサンダルフォンは、財布の中身を思い出しつつそっとベッドから腰を上げた。
*
「はい、そっちの顔のいい兄ちゃんはとんこつチャーシュー麺大盛。顔がキツイネェちゃんは塩ラーメンハーフね」
そう言うと、簡易的なカウンターの向こう側から、体格のいい壮年の店主がラーメンどんぶりを二人の前に置いた。ネェちゃん!?咄嗟に反論しようとしたサンダルフォンだったが、ここで騒ぐほどの体力も気力も自分には残っていないことを思い出して渋々と腰を下ろす。帰路の途中でルシオに背負われるなど死んでもごめんだ。
と、言うより。サンダルフォンは横目で、ルシオが箸を突き入れたどんぶりを見やった。白濁色をしたスープの表面を、胸焼けしそうな量のチャーシューが覆っている。あれだけ動いて、更にこんな時間で、自分より歳を食っているというのに、これだけ食べられるとは何事なのだろうか。こちらはすでに満身創痍で息も絶え絶えだと言うのに。
「サンちゃん、それだけで足りますか」
「後は寝るだけだからな」
「おや、そうとは限りませんよ。何せ、明日はお休みですから」
特別に、チャーシューを分けてあげますね。特別って何だと半目になりながら、数枚のチャーシューが自分の小さなどんぶりに移住してくるのをぼんやりと眺める。
「ほら、サンちゃんも食べてください」
「……キミ、まさかとは思うが」
味をしめていないだろうな。いつかの夜を思い出しながら続けて言おうとした矢先、タイミング良く響いた麺を啜る音に最初の音を打ち消される。
「はて、何のことだか。あくまでも例え話ですよ」
安心してください、別に取って食べたりはしません。口の端にゴマをつけてルシオが笑う。ため息混じりにそれを指先で取ってやりながら、サンダルフォンは暖簾の向こうで湯気に揺らめく細い月を見つめて、そっと息をついた。数ヶ月振りとなる今夜は、きっと長い夜になるだろう。
・
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.