香春 蘇葉
2020-08-15 23:55:26
2827文字
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【彼の言い訳】

現パロルシサン【本の虫】シリーズ。
ワンライ:眼鏡

もしかしたら、彼は目が悪いのかもしれない。サンダルフォンがそうと気が付いたのは、眼鏡を外した彼が、自分と話をする時に、瞬きをしていないのではないかと心配になるほど熱心に、こちらの顔を見つめてくるということに気がついた折である。
サンダルフォンと彼は、去年の春先にひょんなことからであった、友人同士である。体調を崩しているという彼の家に、サンダルフォンが通う大学の図書館の本を返却するように催促をしに訪れたのがその始まり。ただそれだけだったと言うのに、彼のどんな感性に触れたのはわからないが、気が付けばサンダルフォンは彼に抱きしめられていた。地元が近かった彼は、サンダルフォンが通っていた図書館の、同じく常連であり、自分が借りる本を再度また借りると、必ず自分の後の欄に名前が書かれているサンダルフォンのことが気になっていたらしい。この状況が、仮にサンダルフォンが女性であったのならば、運命だと無邪気にはしゃげていただろう。しかし二人は同性であるし、もっと言うならば、彼は立場ある大学の教員である。いくら恋人を前提に友人関係をもちかけられたところで、よろしくお願いします、とあっさり受け入れることなどできない。もっと言うならば、出会った当初、彼こそサンダルフォンを意識していたものの、サンダルフォンにとっては、いきなり抱き着いてきた知らない男性である。まず関係と信頼の構築からであるし、いくら趣味や話が合うからと言って、おいそれと警戒心を解くことなどできない。
だと、思っていた。しかし度重なる彼からのアプローチや、二人で過ごす時間が徐々に多くなるにつれて、そんなサンダルフォンの警戒心や、彼の一方的な恋心へのわずかな拒絶も淡く溶けていった。有り体に言えば、彼を意識するようになったのである。以前よりも、彼の仕草に見入るようになった。彼が話を始めれば、例え長らく読みたいと願っていた本を読んでいる最中であろうとも、一度視線を彼に向けて、話をするようになった。彼と出かける頻度も多くなったし、距離感も近くなったと思う。サンダルフォンは明らかに、彼に興味を惹かれるようになった。そうすると、今まで気にしていなかったことも、にわかに気になって来るし、気づきもしなかったことに気づくようになる。人間とは、そういうものだ。
さて、冒頭に戻るが、サンダルフォンは最近いくつか気づきを得た。まずは彼が眼鏡をしているということ。そんなものは最初に気づくだろうという話しだが、本当の本当に、サンダルフォンは今まで気づきもしなかったのだ。彼との読書談義や、珈琲の話に夢中になりすぎていたというのもある。単に彼自身にそこまで興味がなかったということもある。何せサンダルフォンは、彼の隣がずっと変わらずに居心地がよければ、それでよかったのだ。彼が眼鏡をつけたり外したりしているというところも大きい。基本的に眼鏡を外している時間の方が多いので、ついこの間まではPC眼鏡等の類の、度が入っていないものだろうと思っていたくらいである。しかし、そうだとすると、もうひとつサンダルフォンが気が付いた、彼の癖に説明がつかないのだ。彼が使う眼鏡に度が入っていないのであれば、サンダルフォンと話している時に、あれほど熱心に見つめる、その説明がつかない。彼は目が悪いのだろうか。だとすれば、眼鏡をかけていないときは、友人として何かしら手助けをしてあげなければならなかったのではないだろうか。友人が少ないサンダルフォンはそうだと考えだすと止まらなかった。そうして数日間、悩みになやんだサンダルフォンはとある行動に出たのだ。

それはいつも通り彼と、彼が見つけてきた珈琲の美味しい喫茶店に出かけた時であった。彼が手洗いに立つと同時に、彼の手元に置いてあった眼鏡を手に取る。そうして、光に透かすようにして、自分の視界に入れたサンダルフォンは、そこで答えを得た。度が、全く入っていない。本の虫で暇さえあれば活字に目を落としているにしては、サンダルフォンの視力は人よりもいい。その視界と、彼の眼鏡を通した時の視界が、全くもって変わらないのだ。では、何故。サンダルフォンは急に不安に駆られた。目が悪くないというのならば、何故彼はあれほど熱心に自分を見つめてくるのだろう、と。もしかしたら、友人としての役割を果たせておらず、サンダルフォンに何か言いたいことがあるのかもしれない。恋人を前提に。そう言ったというのに、何一つ変わらないサンダルフォンに、嫌気がさしたのやも。悪い考えは坂道を転がり落ちる様に膨らんでいって、サンダルフォンは全身から、さっと血の気が引いていくのを感じた。彼との友人関係は今まで生きてきた決して長くはない人生の中で一番と言っていい程に楽しかったのだ。それを、失ってしまうと思うと、途端に怖くなった


……サンダルフォン?顔色が悪いようだが、何かあったのかい」

「ルシフェルさん……あの、」

言い淀んで、言葉尻を切ったサンダルフォンを、元の席に腰を下ろしながら視線を向けたルシフェルが、手元の眼鏡を見とめて、微かに瞠目した。

「君は、気が付いてしまったのだろうか」

「貴方の目が、悪くないということに、ですか?」

「うん。視力はいい方だ。今まで聞かれなかったから、答えなかったが、誤解をさせてすまない」

しかし、とルシフェルはやや照れたように微笑みながら、続けた。彼の視力が悪くないという事実に、既に自分の憶測が確定事項だと言わんばかりに落ち込んでしまったサンダルフォンは、あまりよろしくはない顔色をしながら、彼の方へと視線をやる。

「君のことを時間が許す限り見ていたいと思った。私が何の理由もなく君を見つめていれば、君は恥ずかしがってしまうだろう?」

……え」

「さすがに大人げないとは思ったのだが、今回は私の欲の方が勝ってしまった。私が眼鏡をかけている時に見つめると、恥ずかしがって視線を逸らしてしまうが、眼鏡を外すと、君は私の目をよく見てくれていたから」

騙していたようで、本当に申し訳なかったと思う。大学に通う生徒達の間では、美しいが人形のようだ、と評されるかんばせを、羞恥で赤らめながら、ルシフェルが視線を逸らしながら言う。
ずっと見ていたのか。ルシフェルの視力が悪いのだと勘違いして、それならばあの綺麗な顔を眺めてやろうと見つめていた自分を。束の間、口を開くのもためらわれるような甘酸っぱい雰囲気に包まれる。しばらくぽかんと口を開けていたサンダルフォンは、しばらくしてはっと正気に戻ると慌てて自分の顔を隠すように、持っていたルシフェルの眼鏡をかけて、前髪を目元にかかるように散らした。視界に入る自分の手元は、歪みもぶれもなく、どこまでもクリアで。サンダルフォンは改めてルシフェルの最初の言葉の意味を思い知らされて、じんわりと頬の温度を上げた。