普段ならば雨に濡れるなどごめんだ。何せ後始末が面倒な上に、自分の住む部屋に戻るまでに公共の場所を濡らしてしまう可能性がある。そうなると後始末ついでにその場所の掃除にこなければならない。つまり二重に面倒なのである。これが彼の住む超高級高層マンションであったならば、話は違ったのだろうが、かと言って自分が歩いた後を濡らしたままにしていて平気かと問われたら、答えは否である。あとで管理人が掃除に来ると言えど、自分が汚した場所をそのままにしておくなど、サンダルフォンの質では不可能だ。
雨に濡れるのは嫌いだ。しかし今ばかりは何故か足取りも軽く。彼が広げてくれたジャケットの下に頭を抱えて潜り込み、常よりはるかにはしゃいだ声を上げ、ただひたすらに夜道を走る。水溜りを躊躇いなく、軽やかに踏んで、雨のその湿度に匂い立つ、彼の匂いに胸を高鳴らせながら。
日曜日である今日は朝からひどい雨で、ベッドで二人、目が覚めた瞬間から一日のんびりするのだと額をくっつけて合って決めた。彼の腕にしっかり包まれて、素肌同士を隙間なく合わせて。結局、睡眠のとりすぎと、荒天によって重たくなった頭を抱えて二人が起き出したのは、正午をやや過ぎた辺りだった。怠惰ですね。悪いことをした気分だね。笑いあいながら昨晩脱ぎ散らかした衣服を適当にまとって起き出すと、まずは少し遅めのブランチの準備にとりかかった。といっても今日はゆっくりすると決めた二人は、冷凍庫から保存しておいた食パンを取り出して、マヨネーズの土手に卵を落としたものを焼いた、なんともハイカロリーなものを食しただけだが。それは、常日頃から健康だ体型維持だと言って栄養バランスのとれたものを食べている二人にしては珍しい光景であった。ただ珈琲だけは妥協しきれずに、しっかりいつもの淹れ方で淹れて、美味しい珈琲にありついた。
それから半日も、起きたてと大差ないのんびりとした時間が流れた。つかず離れず各々好きなことをして、夕方になれば、冷凍のピザを温め、動画配信サービスで評価があまり高くない映画を探して眺めた。そうこうしていて、時刻も午後九時に差し掛かった頃、不意に彼がカーテンに覆われます窓に視線を向けて言ったのだ。雨が止んでいるようだから、氷菓を買いに行きがてら共に散歩をしようか、と。何と素敵な提案だ、と思った。何せ横殴りの強い雨のあとで、雨が止もうが歩いている人は疎である。加えてすっかり日は落ちて闇で覆われ、いつもならば微かに差す星灯も、月明かりも、全て全て遮ってしまう分厚い雨雲も相まって、辺りはすれ違う相手の判別もできないほどに暗い。コンビニまでの道で彼と手を繋いで歩けるかもしれない。そう考えると嬉しくて、はにかんだように笑いながらサンダルフォンの返事待つ彼に、一も二もなく行きます、と。そう答えた。
というわけで、怠惰な二人の怠惰な日曜日のビッグイベント、コンビニへの手繋ぎデートと相成ったわけである。行きは雨粒ひとつ落ちてこなかったので、問題なく肩を寄せてゆっくりと歩けた。しかしコンビニでアイスクリームと雑貨を少し買い、帰り道も半ばに差し掛かったところで、突如としてバケツをひっくり返したような雨に襲われたのだ。束の間顔を合わせて、二人して全力疾走を始めて。その数分後のサンダルフォンの心持ちが冒頭のものである。
こうして、雨に全身濡れそぼった状態で、彼の高級高層マンションの入り口にたどり着いた二人は、なるべく水滴が落ちないように細心の注意を払いながらホールを横切って、エレベーターへと乗り込んだ。
「ルシフェルさんは、本当にその氷菓でよかったんですか?」
「うん。去年君に貰ってから私はあの氷菓が一等好きだ」
ぽたり、ぽたり。話している間にも、二人の毛先から、服の裾から、一定の間隔で滴が落ちている。ほんのりと上気している濡れた首筋が見えて、サンダルフォン、と常より少し低い声で名前を呼んだ。呼ばれてこちらを見上げた彼の顔にかかる、毛束を人差し指に絡ませるように払うと、ルシフェルは身をかがめて、ぼうっとこちらを見上げるサンダルフォン唇へ己のそれを重ねた。重ねるだけのキスと、束の間の沈黙。時折エレベーターの駆動音が微かに騒いだ。サンダルフォンが口にすべき言葉をなくして目を瞬かせていると、しばらくして最後にちろりと舌先で唇を舐めてから、ルシフェルが身を起こす。
「冷えているね。帰ったら氷菓はしまって、まずはお風呂に入ろうか」
「ふふ、いいですね。二人で入りましょう」
それと、ルシフェルさん。サンダルフォンがゆるく繋いだ手を支点にして、背伸びをすると、ルシフェルの耳元に伸び上がってくる。明日は、祝日ですからね。彼がそう言う声と、かさりとビニール袋の音が耳を突く。視線だけで音がした方を見やれば、ルシフェルが持つ袋の中で、氷菓に紛れてひっそりとしているスキンの箱を、彼の綺麗な指先がビニール袋越しに突いていた。
エレベーターが該当階に着いた音が響いて、彼が軽やかな足取りで身を翻し、開いたドアから出てゆく。呆気にとられて、しばらくその背を見つめていたルシフェルは、はっと我に返ると、慌てて速足でサンダルフォンを追いかけていった。
籠に入れた瞬間は見られていない。会計の時も、彼は見ていなかった。一体いつ、ルシフェルが追加のスキンを籠に入れたことがバレたのだろうか。
・
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.