昔からの習慣からか、どれだけゆっくり寝ていてもいいと言われようとも決まった時間に起きてしまう。今日も例外ではなかったようで、目が覚めた瞬間に、視界に入る逞しい腕を見つめながら、こんな日くらいは起きなくてもいいのに、と自らの体内時計を憎々しく思った。昨晩は大きな仕事を終えたご褒美に、と久々にじっくりと時間をかけて、この人に抱かれたというのに。
自分の体を背中から抱き込むその人を、起こさないように苦心しながら腕の中で体の向きを変えて、規則正しい寝息を立てる、人形じみた美しいかんばせに触れる。衝動のままに抱かれた翌朝に、この人の寝顔を眺めているこの時間こそが、サンダルフォンの生き甲斐であった。
本音を言うのであれば、このままずっと彼の寝顔を眺めていたい。しかし、自分が体内時計で起きたこととは別に、今日は朝からこの人を起こして向かわせなければならない会合がある。全く、いつもならば酒の席も併せて夕方から開くというのに、何故今日に限って朝方から会合があるのだろう。それもまた、殊更憎々しく感じた。
「お父様……ルシフェル様、朝ですよ。起きてください。今日は朝から会合ですよ」
「ん……あと、五分程猶予をくれないだろうか」
「ダメですよ。この間はそう言って結局一時間寝ていたじゃないですか」
ほら、腕を退けてください。努めて呆れ混じりの声を装いながら、体の両脇に回る彼の逞しい腕をぐいぐいと押す。しかしルシフェルはサンダルフォンの肩口にぐりぐりと額を押し付けて唸るばかりで一向に腕を解こうとはしない。幼い頃は神様みたいに完璧な人だと思っていたが、年を追うごとに段々と素の姿を見せるようになった義父だが、それで幻滅するだとか、呆れるだとかは決してなかった。サンダルフォンにとっては今も昔も、自分を拾い上げて、全てを与えてくれて、今いる世界をつくってくれた、紛うことなき神様である。
「お父様、そんなにゆっくりと床を共にしてくれる相手が欲しいんでしたら、今晩それ用の女を手配しておきますから」
「共寝の女性は必要ない……サンダルフォン、君はいっそ、清々しいくらいに私の望むように成長してくれたね」
「勿体ないお言葉、大変嬉しいですお父様。ところで、珈琲を淹れたいのですが、俺を放して頂いても?」
「君の望む通りに。珈琲を淹れながらでいいから、今日のスケジュールと付随する業務の進捗状況を」
ぱっと見ただけでは分かりにくいが、寝起きから一気に不機嫌な状態でスタートを切ったルシフェルの腕から解放されて、サンダルフォンはベッドの外に出つつ肩越しにルシフェルを見下ろすと、そっと首を傾げた。
「ああ、もしかして。共寝の相手がいたら、お仕事の開始が遅れることを心配されていますか?安心してください。貴方が例えプレイの最中でも、俺は仕事となれば構わず入りますから」
「サンダルフォン」
「いっそ共寝の相手もできる秘書の替えを作っておきますか?こんな世界です。俺もいついなくなるかわかりませんから。替えは多い方がいいですからね」
「サンダルフォン!」
突然、ルシフェルの声が大きくなった。怒鳴るわけではなく、ただ彼がいつも出す声にしては大きいだけのそれではあったが、サンダルフォンの鼓膜を重く苦しく通り過ぎて行って、思わず身がすくむ。あの、とドリップポットを手に取ったそのままの姿で動きを止めると、視界の先でルシフェルが顔を覆いながら溜息をついていた。
「サンダルフォン、君は、自らが代えの利く存在であると思っているのかい」
「え……?お父様、質問の意図がよくわかりません……俺は、いつだって使い捨てが利く存在として貴方にお仕えしてきました……俺の替えは、いくらでもいます……」
変なことを仰いますね。困ったように笑いながら、彼は肩をすくめる。心の底から、そう思っている、とでも言わんばかりの澄んだ瞳を見つめて、束の間苦しげな表情をしたルシフェルは、ややあって珈琲の準備をするサンダルフォンの動きを追うようにして視線を彷徨わせると、爪が食い込み、血が滲むほどに強く、拳を握り締めた。
*
「なぁ、サンディ。一体ルシフェルに何を言ったんだい?」
御伽噺に出てくる大きなタヌキのように、丸々と肥え太った壮年の男の腹から降りて、滑るように床へと爪先をつけた瞬間に、開口一番苦虫を噛み潰したような表情でそう言ったベリアルを、サンダルフォンは不可解そうに首を傾げて見上げた。
「別に、朝早く起こして差し上げただけだが?」
「それだけじゃあ、あの不機嫌さは説明つかないんだよなぁ……頼むよサンディ。ファーさんと同じく、ルシフェルも表面は分かりにくくても不機嫌だとヤバイ。キミしかどうにかできないんだ。代わりになるヤツはそうそういない」
上等なカーペットを爪先で踊るように進み、カーテンを開けたそのままの状態で。ぴくりと肩を揺らして、サンダルフォンはベリアルを振り返った。
「代わり?」
「そう。あのルシフェルがあれだけ懐に入れて可愛がるヤツなんて見たことがない。キミは特別だ、サンディ。だから早く帰って、パパの機嫌を治しておくれよ」
大して困ってもいないような顔と声で、形だけの懇願をするベリアルに、サンダルフォンは盛大に鼻を鳴らして目を眇めると、月明かりの中でそれはそれは綺麗に微笑んで見せた。
「まさか。俺の替えは履いて捨てるほどいるよ」
でもまぁ、帰って珈琲でも淹れて差し上げるかな。小さくくすくすと笑いながら、サンダルフォンが言う。あ。多分これが原因だ。確かなことも何もあったものではなかったが、ベリアルは直感でそうと感じ取る。全く、面倒な親子だ。いつかこじれることがないといいのだが。
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