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香春 蘇葉
2020-08-02 17:31:10
2394文字
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【君の声で聞かせて。】
ルシサン。サンダルフォンの口からとある言葉を聞きたいルシフェルさまの話。
ルシフェルには彼の口から聞きたい言葉がある。
それは甘やかな言葉だ。耳にするだけで心を、理性を、かんばせを蕩してしまうほどに。それは安らぎを与えてくれる言葉だ。この先も彼が隣にいてくれると言う根拠のない確信が湧き出でて来るほどには。情事の時、ルシフェルの背中に震える掌を滑らせて、脚を絡みつかせて、彼は子犬のように愛らしく声をあげながら何度もその言葉を口にするのだ。ルシフェルは彼の口からそれが聞きたい。
しかしどんなに乞えども、彼は絶対にルシフェルの欲しい言葉を正気のさなか、口にはしてくれない。好きです。貴方が大切なんです。お慕いしています。欲しい言葉によく似たそれらは、彼の口から事あるごとに踊り出る。擽ったそうに、嬉しそうに、ルシフェルの手を柔くとりながら、噛み締めるように伝えてくれるのだ。それは、嬉しい。彼から貰える好意的な言葉はルシフェルの心をにわかに華やがせ、ともすれば軽やかに跳ねてしまいそうなほどに染み渡る。それでも、ルシフェルの欲しい言葉は貰えない。たったそれだけのことでも、今まであまり深く悩むことのなかったルシフェルの気分をほんの少し、重くした。
「サンダルフォン、どうしても駄目だろうか」
「またそのお話ですか?嫌です」
ルシフェルの言葉をあっさりと一刀両断して、サンダルフォンが洗い立てのシーツをパンと張った。微かな飛沫が日の光を受けて七色に輝く。それに重なった彼の赤い瞳も、常にはあまり目にしないような色を弾いて、ルシフェルはまたひとつ、感嘆の息を吐いた。
それはそれとして、再顕現してからこちら、大概の願いは聞いてくれていたサンダルフォンも、ついにルシフェルのおねだりに耐性がついてしまったらしい。また彼に些細な願いを聞いて貰うための策を考える必要があるようだ。
「
……
サンダルフォン」
「いくら貴方にお願いされても、それだけは嫌です。そもそも、何故その言葉にこだわるんですか?」
俺は精一杯、俺の言葉で貴方にお伝えしています。それでもまだ、俺の気持ちを信じられませんか。サンダルフォンがどこか不安げに揺らした瞳をこちらに向けて、眉を顰めた。
それだけは違う。サンダルフォンが精一杯、自分自身の言葉で想いを伝えようとしてくれていることは肌で感じている。だとしても、幸福で胸が張り裂けそうになる彼との情事のさなかで、舌足らずに彼が繰り返し口にするあの言葉がどうしても欲しい。いつから自分はこんなにも欲深くなったのだろう。本来ならば、再顕現を果たして、毎日彼の隣にいられるだけで満足すべきだというのに。どうしても、サンダルフォンが絡むとそう簡単にはいかなくなってしまうのだ。
ルシフェルは抱えていた武器手入れの道具を箱ごと甲板に置くと、控えめに指先を伸ばして、洗濯物を干す作業に戻ったサンダルフォンの腰布をつい、と引っ張った。
「情事の折には、何度も言ってくれるというのに
……
」
「
……
?俺が?え
……
言ってますか?」
はた、とルシフェルは動きを止めた。これは、まさか。彼には情事の時に何度もルシフェルが欲しい言葉を口にしている自覚がないのだろうか。その証拠に、サンダルフォンは洗濯物をロープにかけたそのままの姿勢でこちらに真っ赤な顔を向けて、固まっている。これは、もう少し食い下がれば正気の彼からあの言葉を聞けるのかもしれない。
そうと踏んでからのルシフェルは早かった。腰布をつかんでいた指先にぐっと力を込めて、力の全く入っていない体を引っ張り、自らの胸板で受け止める。そのまま腕をしっかりと体に絡めて、ぎゅうと抱き込めば、ようやく自分が逃げ場を失ったことを察したサンダルフォンが小さく体を戦慄かせて、持っていた洗濯物を取り落とした。ぱさ、と布地が虚しく甲板に落ちる音を聞きながら、ルシフェルは白昼のさなかにそぐわぬ、欲の滲んだ濃い色でその瞳を染めると、抱き込んだ体の背後から、真っ赤に染まった耳元に口を寄せる。
「サンダルフォン、私の小さな願いと思って、聞き入れてはくれないだろうか」
「ぁ
……
うぁ
……
あの
……
俺、いつも気持ち良くて、幸せだから、あの時の記憶は本当に朧気で
……
」
「うん。いつも愛らしい顔をしているね」
「だからその
……
自分がそんなこと、言ってるなんて全然覚えてなくて
……
」
覚えていないこと自体が恥ずかしい。震えながら肩越しに振り返ったサンダルフォンが、今にも火を噴いてしまいそうな真っ赤顔でそう言う。あまりに予想外の返事だったので、ルシフェル自身も束の間動きを止めて、ゆるゆると上体を起こしながら彼の瞳に見入ってしまった。
「サンダルフォン」
「はい
……
?」
「では、君が自然に言えるようになるまで、私が君の代わりに何度でも伝えよう」
「え?それはどういうこ、っ!?」
言葉の途中で腕の力を強くすると、束の間サンダルフォンの呼吸が飛んだ。頬を柔らかな毛束にすり寄せて、耳の先に唇を落とせば、悲鳴とも感嘆ともつかぬ声が、彼の口から漏れて、あまりの微笑ましさにルシフェルは小さく笑ってしまう。
何故言ってくれないのか悩んでいた時もあったが、実のところ快楽に流されて朦朧とした中で、彼が必死に伝えてくれた言葉であったから、惜しくも記憶には残っていなかったようで。ならば正気の時に乞われてもよくわからず、自分には言えないと思うの当然か。常ならば恐らく、気恥ずかしくて口には出せないと思っているのだろう。
「サンダルフォン、愛しているよ」
何度も、何度も彼の分まで言葉にし続ければ、いつか彼が自然と自分も口にしたいと思う日がくるのだろうか。震える体を大切に抱き込んで、日の光を浴びながら瞑目するルシフェルは、愛しています、と彼が微笑みながら伝えてくれる日を思って、そっと幸福のため息をついた。
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