香春 蘇葉
2020-07-31 00:19:44
2395文字
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【ダメな日】

ヴェラン。ランスロット団長の何をやってもダメな日。

「ああ〜……今日やっぱりダメな日だったかぁ」

ヴェインはそう言うと、徐に蹲み込んだ。
時刻は天井に差し掛かりつつある深夜。騎士団の団員に与えられたフラットの廊下が、時間帯の割にひどく騒がしいと部屋から出てみれば、お願いします、というメモと共に仮にも騎士団長であるランスロットが、すっかり眠り込んだ状態で打ち捨てられていた。そういえば今日は、同期連中と飲んでくると、終業早々城から出て行き、複数人と共に城下の酒場へ繰り出していたような気がする。大方、今日の業務中に積み重なった小さなミスを肴にして、同期連中相手ということもあって、半ばヤケ酒のようにハメを外してしまったのだろう。
ランスロットにはごく稀に、ダメな日があるのだ。昔から眉目秀麗、何をしても要領良くこなし、周囲への気遣いも忘れない皆の人気者。そんな彼だが、時折人気者の自分に疲れてしまったかのように、体調面にも精神面にも何ら問題がないというのに、何をしても上手くいかない日がある。そういう日があるのだと、周囲に話したとて、そんなのは誰にでもある、と一蹴されてしまうが、ランスロットのそれは少々質が違う。普段が生活面以外完璧であるため、その皺寄せが来たかのように、“ダメな日”に集中砲火されるのである。
前回は部下との警邏のさなか、噴水に突っ込んでしまい、そのまま風邪をひいてしまったのだったか。では今回はと言えば、遡ること今朝からの話になる。まずは盛大な寝坊をした。幸い家から出る直前に弁当を渡そうと、お隣を訪ねたヴェインが気がつき、叩き起こしたことでことなきを得た。いつもよりも奔放に跳ねた毛先を揺らしながら駆けていくランスロットの背中を、昼からの登城であったヴェインは、はらはらしながら見送ったのだ。ちなみに渡した弁当は見事に置き去りにされていた。
次に昼下がり、騎士団の食堂勤務のご婦人方から渡された軽食と、ヴェイン自身が淹れた紅茶を持って執務室に顔を出してみると、朝食をろくに摂らなかった弊害か、お腹を空かせたランスロットが青い顔をして気分の悪さに耐えていた。慌てて軽食と紅茶を出せば、今度はティーカップをひっかけて、そこそこ重要な書類と軽食のサンドウィッチを紅茶浸しにしてしまった。あの時のランスロットの顔と言ったら、思い出すだけでも胸が痛む。結局、紅茶に染まったのはごく一部、職印を押す前のものだったので、予備の用紙を使って書き直し、事態は終息した。紅茶浸しになったサンドウィッチは、なくなく処分して、代わりに朝方ランスロットが忘れていった弁当を出すと、思いの外お腹と心に来ていたのか、ほんのりと涙目になって弁当に食らいついていた。その後も順当に小さなミスを重ねていき、極め付けがこれである。
ヴェインは苦笑を浮かべると、気持ちが良さそうな顔でむにゃむにゃと何事かを口にしながら眠るランスロットの、頬を突いた。

「ラーンちゃん、こんなとこで寝たらまた風邪引いちまうぜ」

うん。夢現の間にいるのだろうが、ヴェインの声は聞こえたらしい。目を閉じたそのままの顔でほにゃ、と笑って返事なのか寝言なのかよくわからない声を彼が乾いた唇から漏らした。その後も何度か声をかけたが、一向に返事は変わらずふわふわとした声だけがヴェインの耳朶を打つ。これは、埒があかないな。心の内でそっとため息をついたヴェインは、ランスロットの両の脇下にそっと手を差し入れると、蹲み込んだその腿を、すらりと細い彼の脚で跨がせるようにして抱きかかえた。よいしょ、と軽く口にしながら立ち上がると、完全に力の抜けた腕が、だらんと肩から背側にぶら下がる。前に抱きかかえた時よりも軽いな。いや、自分の筋力が鍛えられたせいかもしれない。そんなことをつらつらと考えながら、自分の部屋に難なく体を押し込み、軽く飛び跳ねてランスロットの体を抱え直しながら、後ろ手で鍵を締める。そうしてゆらゆらと体を揺らしながら、寝る間際で燭台ひとつの微かな光に包まれただけの、薄暗い寝室へと入っていった。

……ヴェイン?」

いざランスロットをベッドの上へ下ろそうとした時、不意に笑みまじりの声がもみあげを擽って、ぎゅう、としがみつくようにしてランスロットの手脚が体に絡まった。

「わは、こら、ランちゃん。擽ったいって」

「ん〜……う。いい匂いだな。寝るとこだったのか?」

「あ〜ランスロット団長?現在時刻、ご存知でしょうか?」

もそり。笑みまじりの声で問えば、抱きかかえた体が身動いで、ちゃり、と鎖の音がしたかと思えば、やや酒焼けした声でランスロットがこんな時間か、と唸る。

「なぁ、ヴェイン。今日一日、俺はダメだった」

「知ってるよ。だって一日中ランちゃんといたもん」

「で、ものは相談なんだが……俺をもっとダメにする気はないか?」

明日午前休取ったんだ。耳の薄い皮膚にランスロットの頬がそっと触れて、溶けてしまいそうな程に熱くなったその温度が脳に染みた。ぎゅう、と抱きしめてくる体を身を最大限屈めることでベッドへ接地させてから、のしり、とのしかかるようにして肩口に額を押し付ける。相手は酔っ払いだとか、午前休だけで間に合うのかだとか。言いたいことはたくさんあったが、久しくなかったお誘いに、正直一気に頭に昇った血と共に、理性さえも弾き飛ばされて、抗う術が見当たらない。勘弁してくれ。小刻みに震えながら額をぐりぐりと肩口に擦り付ければ、一拍をおいて常より少し高い温度の掌が、柔らかな金の毛をかき回すようにして、ヴェインの頭を抱きしめてきた。なぁ、ヴェイン、頼むよ。甘やかして、とことんダメにしてくれ。ランスロットの声は甘く揺れていて、この声には滅法弱い、と観念する。ランちゃんはずるい。小さくそう唸りながら、ヴェインは酒臭い唇にむしゃぶりついた。