香春 蘇葉
2020-07-29 21:40:49
2539文字
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【恋慕】

シオサン♀【芽吹き】の続き。

“少女は愛する人に抱きついて涙した。ああ、どうして私の恋心を汲んではくれないのですか。私は、貴方をこんなにも愛しているというのに。”

「恋……か」

パタン。読んでいた本を閉じて、サンダルフォンはどこかぼんやりと呟いた。最近ジータが夢中になって読んでいるというシリーズ物の恋愛小説を、非番の日の暇つぶしの手段として一冊借りてみたが、どうにもピンとこない。恋とは、一体どういった感情なのだろうか。例えば小さく、愛くるしい生き物を目にした時の胸の高鳴りとは違うのだろうか。あるいは、敬愛する存在を前にした時のような自らの存在全てを許されるような気持ちとは違うのだろうか。ひとつひとつ自分が持ちうる感情と、恋愛小説の主人公が胸の内で語る感情とを重ね合わせるが、そのどれもがぴたりと合致することなく、サンダルフォンの疑問は時間を追うごとに根を張り葉を広げて成長するのだ。恋とは、一体何なのだろう。愛は知っている。創造主から惜しげなく注がれた愛情を、どうして知らぬと言えようか。しかし愛とも違うような気がするのだ。この、恋という感情は。愛よりもまだ稚拙で未熟な衝動に似たもののように思えた。そしてその未知の感情を、サンダルフォンは近頃どこかで得ていたような気がするのだ。
一度気にしてしまえば、突き止めてしまわねば気になって仕方がない。どこかに手がかりは、とジータに相談したところ、この恋愛小説を渡された、というわけである。結局は自らがどこで、恋の衝動を得たのか、本を読み終わるまでに突き止めることはできなかったが。
さて、借りた本は全て読んでしまった。本は全てジータの部屋の本棚に普段収められているもので、団の共有書棚が隙間なく並べられた図書室に戻すわけにもいかない。今日は彼女も、サンダルフォンと同じく依頼で出かける予定もなく、艇内で過ごしているはずなのだが、本を抱えて探せど探せどあの無駄に溌剌とした姿が見当たらないのだ。どうしたものか。借りたものを用事が終わったというのに持ち続けているのも、なかなか収まりが悪いし、何よりサンダルフォンの質が許さない。

「おや?サンちゃん」

でたな。その声を耳にした途端、サンダルフォンはルリアの部屋のドアをノックしようとした手を止めて、眉間へぎゅっと皺を寄せた。最近、彼と一緒にいることで、いい気分になった試しがない。いつもいつもコアの動きが忙しなくて、とてもではないが落ち着いていられないのだ。

「随分と、沢山本を持っていますね。お手伝いしましょうか」

「いや、いい……大した重さでは、っあ!おい!!」

まぁまぁ、そう意地を張らず。にこにこと笑いながら腕に抱えた数冊の本を引ったくられて、反射的に声を上げ、かなり上にある顔を睨みあげる。文句のひとつやふたつ言ってやろうかと思っていたが、あまりにも視線の先にあった彼の表情が嬉しそうにしていたので、結局コアを締め付けられるような感覚に押し戻されて、言葉を飲み込んでしまった。本当に、この感覚は一体何なのだろうか。

「どんな本を読んでいるのかと思えば、ふふ……サンちゃんも、なかなかロマンチストですね」

「誤解しているところ悪いが、それはジータの本だぞ」

……もし、サンちゃんのお気に入りの話でしたら、近くの島でこの本を題材にした劇をやっているようなので、一緒にどうかと思ったのですが」

そういうことでしたら、残念ですね。ジータがどこにいるのか知っているのか、はたまた宛てもなくか。本を抱えてあらぬ方向に歩き出すので、慌てて小走りに追いかけて、横に並んで歩く。肌に感じる空気が、どこか甘酸っぱくて、くすぐったくて。サンダルフォンは無意識に、先程読み終えたばかりの、小説の一文を頭の中で思い出しながら、何故か楽しそうにしている彼の顔をじとりと睨みあげた。

「ルシオ。誰彼構わずそんな誘いをするのはよした方がいいぞ」

……いえ?別に誰でもいいというわけではないのですが」

「では何だと言うんだ?正直、俺にはキミが何を考えて俺に構うのか理解できん」

「前にもお伝えした通り、ただ、サンちゃんが私のお気に入りというだけです。それだけでは、理由として不足していますか?」

小動物に対するのと同じように?はたまた子どもを愛でるように?どちらにしろ、どこか馬鹿にされているような気がして、サンダルフォンは目を据わらせると、短く息を吐いて、徐にルシオの足を軽く踏みつけた。いた、と大して痛くもなさそうに口にする彼が殊更苛立ちを煽るので、ほんの少しだけ踵に力を入れて、追加で踏みつけておく。

「いたた……あっ、ほらサンちゃん、団長ですよ」

「フン……本を持ってくれたことは感謝する。さっさとそれをこちらに渡せ。ジータに返しに行く」

頬に集まる熱を薄らぼんやりと自覚しながら、ルシオの手から本を奪い返して、逃げるように小走りでジータへ駆け寄っていく。本当に、アイツは何なんだ。秘密を振りかざすのでもなく、ただただ気に入りだ、などと。ちらと肩越しに振り返れば、もう用など何もないだろうに、にこにことこちらを見つめるルシオの顔が目に入る。本当に、何なんだこのコアの締め付けは。

「ルシオに恋してるんじゃない?」

サンダルフォンの数ヶ月に渡る疑問は、しかし、ルシオと随分仲良くなったね、と軽い調子で言いながら本を受け取ったジータへ、必死に言葉を言い募り、弁明を図ったことによってあっさりと解消した。は?これが恋?甘くて、柔らかくて。小説の中で少女が大切に抱いていた衝動とは随分と違う。しかし、これまで自分の持ちうる感情と恋の衝動とを、何度となく答え合わせをするようにして比べてきた中で、ルシオに対する感情が最も恋の衝動が持つ形にぴたりとはまり込むような気がした。最初から目も向けず、試しもしなかったので、気づかなかったわけである。これは、もう一度彼女の好きな小説を読み返す必要があるぞ。口では何と言おうと勤勉そのものであるサンダルフォンは、ジータに手渡しかけていた本を再び腕に抱え直して、いや、もう少し借りる、と噛み締めるように口にすると、そっとその睫毛を伏せた。