ねぇ、知ってる?ルシフェル先生ってさ、結婚してるみたいなの。左手の薬指見たことある?たまに指輪してるんだよ。あれは彼女とお揃いとかじゃないね。あの質感、絶対高い指輪だよ。結婚指輪だよ。
女性と言うものは、良くも悪くも情報通である。放課後の教室の片隅。日直日誌をつけながら、教卓に腰掛け黄色い声をあげながら会話をする同級生をちらと見て、サンダルフォンは小さくため息をついた。それに、女子生徒というものは、えてしてイケメン教員というものに敏感である。サンダルフォンの通うこの高校には生憎存在しないが、他の高校には確かにイケメン教員のファンクラブというものが存在しているらしい。昔馴染みのルリアと、ジータが通う隣の女子校の話ではあるのだが。
「でもさ、実際のところ、どうなんだろう」
サンダルフォンが日誌をつけるその正面で、退屈そうに頬杖をついて、窓の外を眺めているグランが、目線を少しも窓から外さずにぽつりと口にした。その口ぶりからは、大した興味は感じられず、ただサンダルフォンが日誌を書き終え、共に下校するまでの、暇つぶしの中の話題だということが、にじみ出ていた。サンダルフォンは小さく鼻で笑うと、書きかけていた日課時限の欄を埋める作業に戻りつつ、不粋な話題だな、と嘲るように返す。
「なんだよ〜気にならないの?あっそういえばサンダルフォン、ルシフェル先生苦手だもんね。名前も聞きたくなかったり?」
「……別に、そういうわけではない。先生のことは苦手ではないし……強いて苦手と言うならば、先生の科目の方か……」
ああ、サンダルフォン、他の科目の点数はめちゃくちゃいいのに、あれだけはダメだもんね。ケラケラと笑うグランをじとりと睨め付けると、そんなに怒らないでよ、と大仰に諸手を挙げて彼が笑う。
「でもあんまり話さないよね。何かあるの?」
授業が終わると、一斉に質問や話などがあるとかで、生徒に囲まれるルシフェルの姿を思い出しているのだろう。確かに、サンダルフォンがその輪に加わったことはない。
「自分が躓いている箇所が明確にわかっているのと、質問するまでもないと思っている。だから話をする機会もあまりないのかもしれん」
ところでグラン。サンダルフォンは日直日誌を閉じて、脇に抱えながら立ち上がると、行儀悪く椅子の背を抱えこむようにして座るグランへと、笑み混じりの視線を落とした。
「伝えるのを忘れていたが、今日は一緒に帰れない。日直ついでに頼みたいことがあると先生に呼ばれているからな」
「ええ〜!!それなら早く言ってよ〜!そしたらどっか寄り道できたかもしれないのに!」
寄り道はするなよ。呆れたように笑いながら日誌の背で頭を軽く叩くと、グランの顔が拗ねたように膨らんだ。梅雨が明け、暑さを増したのと、随分と日が長くなった。傾き始めた夕日が柔らかな橙を纏って教室の窓から差し込み、少しだけ気の早いヒグラシの声が聞こえてきた。もう一時間もすれば、すっかり日も暮れてしまうだろう。教室を見回してみれば、あれだけ賑やかに話していた女子生徒達の姿はいつの間にかなく、残りはグランとサンダルフォンを残すばかりであった。
*
デスクライトの明かりのみがちらつく、薄暗い準備室で唇をそっとすり合わせて、ぁ、とどこか物足りなさを感じながら漏れ出した声音を締めくくりとして、彼の顔が離れていく。なんとも切なくなって、対面で彼の膝に跨るように座った体を必死に寄せてしがみつくと、クスクスと笑う声が耳朶を叩いて、次いで優しい指先がサンダルフォンの癖毛を撫ぜた。
「ふふ、今日は随分と甘えん坊だね」
「教室で、貴方のことを話している女子生徒の声を聞いていたら、なんだか少し、焦ってしまって」
おかしいですよね。そっと微笑みながら彼の方に手をついて、見下ろすようにして体を離すと、顎の下に潜り込むようにして柔らかな銀の髪がすり寄ってきた。まるで大型犬を彷彿とさせるその仕草に、小さな笑い声を零すと、彼が君は、と低い声で口にする。
「いまだに私が、君のものであると信じられないのだろうか」
「まさか。毎日貴方の手ずからこれをつけて貰ってるんです。さすがの俺も、そこまで鈍感ではありませんよ。ルシフェル先生」
眉尻を下げながらそう言うと、サンダルフォンは制服のワイシャツの襟元に指を突き入れて、そこから薄闇の中でも銀色に光る指輪を摘み出してきた。握り込んで引っ張ると、軽い音と共にチェーンが外れて、ルシフェルの方へと差し出した掌に指輪のみが残る。
「ああ、そう言えば」
ルシフェルの指先が指輪をそっと持ち上げて、サンダルフォンの細い薬指へ通したその瞬間に、赤い瞳がいたずらっぽく笑いながら彼が首を傾げる。
「今日のお夕飯、何がいいですか」
「……うん、オムライスが食べたいかな」
またそれですか、好きですね。くすぐったそうに笑いながらサンダルフォンはルシフェルの膝から降りる。そのまま彼は、ルシフェルの手を引きながら、準備室の外側に視線を向けて、じゃあ帰りに卵を買って帰りましょうか、と苦笑した。
うん。ルシフェルは頷いて、デスクライトの電源を落とす。日が暮れて真っ暗になった準備室に二人の影が降りて、しばらくするとがらりと戸を開ける音と共に折り重なるようにして廊下へと消えていった。
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