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香春 蘇葉
2020-07-21 21:53:29
2804文字
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【cotton ghost】
幽霊(憑依)でサンちゃんを見守るル様のお話
人型の容れ物には魂が入りやすい。たとえそれが、モデルを過剰に愛らしく、デフォルメしたフェルト製のぬいぐるみであっても。
不意に目が覚めた。天井を見上げて、体ごと視線を動かすと、探していた姿はすぐに見つかる。こちらの小さなフェルトの手を、指先で柔く摘んで、すやすやと健やかな寝息を立てるその様子。うん。今日も君は健やかで、美しいね。一音のみしか発せないので、せめて心の中で己の愛し子に語りかける。鳶色の柔い癖毛に、今は瞼の下に隠れているが、熟した果実のように艶やかな赤い瞳。ルシフェルの愛し子であるサンダルフォンだ。
今のルシフェルは綿である。理由はまだわからない。ただひとつわかることはと言えば、あの場所で一日の終わりに眠りにつき、次に目を覚ました時には魂が彼の作ったぬいぐるみに飛ばされていたということ。そんなのは、手がかりにも何にもならない。
飛ばされてきた当初は、一切体を動かすことができなかった。何せフェルトと綿でしか作られていないので、関節や筋肉に代わるものが入っているはずもない。朝起き出してきた彼が、朝の挨拶をしながら頬擦りをするのを、ただ受けているしかなかった。嫌ではなかった。むしろ役得だと思った。これで一日中彼の生活を一番側で見守っていられるのなら、それはとても素晴らしいことだと思った。実際は、彼が今のルシフェルの体を常に持って歩くようなことはなく、希望は希望のまま終わったが。
持ち歩いてもらえないのならば、自分で動いてついていくしかない。そこでルシフェルは考えた。どうすれば、自ら動くことができるだろうか、と。ちなみに一音のみならば発することができることを夜のうちに彼が寝ている間で確認していた。あとはただ、動くのみなのだ。エーテルを行使しようとしたが、ルシフェルの権能は全て彼に明け渡している。故に空気中のほんのわずかのエーテルさえ、ぴくりとも動かなかった。
考えているうちにそういえば、とルシフェル思い出した。ゴーストと呼ばれる強い力を持つと、徒人相手でも可視化することができる魂。その存在を。憑依したものをその強い思念の力で動かすことができるようになるという。そういえば、この艇には魂のみの存在がいた。もしかしたら、彼女達と同じように振る舞えば、ルシフェルもこの綿の体を自由に操ることが出来るかもしれない。そうと気がついたとき、あの場所から綿の体に飛ばされてから三日ほど経っていた。
綿の体に飛ばされる以前から、サンダルフォンの様子は泉の水面から見守ることができていた。故に、ゴーストたる彼女を目にすることも少なくはなかった。珍しい戦い方をしていたので記憶にもしっかりと残っている。その様子を、頭の中で反芻しながら、まず手に意識を向けた。鉛のように重かったが、なんとか両手とも動く。次に体を折り曲げた。上体とのバランスの取り方が難しかったが、これも難なくクリア。脚をばたつかせると、なんとか立ち上がることができたし、意思力をエーテルの代わりに原動力とすれば、フェルトの小さな羽で飛ぶことができた。こういうことか。ルシフェルは内心納得する。そもそも、体があったときの如く、筋肉や関節を動かすようにして体を操ることこそがそもそもの間違いなのだ。動きの参考にさせてもらった彼女達には、今度何かしらの品を持ってお礼をしに行こう。
さて、準備は整った。あとはいかにして彼に動けるということを伝えるのかということだったが、悩んでいる暇もなく、これ以上にない機会が、綿の体となったルシフェルの前に落ちてきた。
「キミが、動ければよかったんだがな」
それは彼が疲れ果てた顔で帰ってきた日のことだった。部屋に戻って来るなり、ベッドに突っ伏した彼が、枕元に安置していた自分の作ったぬいぐるみに向かって放った一言である。今だ。今しかない。今動かずしていつ動く。ルシフェルはここぞとばかりに魂の持てる力を全力で放った。その結果。
「ぬ」
「そうか
……
キミも慰めて
……
ぬ?」
ぐいぐいと彼の掌に頭を押し付ければ、先程まで疲れきっていた顔が豆鉄砲を喰らったかのように固まった。
「動けるのか?」
「ぬ」
「ルシフェル様
……
じゃないですよね」
「ぬぅ」
もちろん頭の上で輪を作ったところで、短い手では端同士が届きはしないが、それでも彼は何かしら気づくことがあったのだろう。にわかに破顔して、それはそれは大切な宝物を扱うかのように綿の体をシーツから掬い上げると、柔く抱きしめた。
それからのルシフェルは常に綿の体で彼の周りをついて回った。中庭で目にしたことがないような彼の表情や仲間とのやりとり、溌剌と動き回る様を目の前にするたびに、綿の体は喜びと愛おしさで軽やかに跳ねた。彼自身も、そのうち自らの作ったぬいぐるみから感じる妙な気配を自分なりに飲み込んだようで、ぬい様とそれはそれは愛らしい笑顔で呼んでくれるようなった。なんたる幸せ。ルシフェルは綿の体の中で幸せを噛みしめた。
「ふふ、眠たくなってしまいましたか?今日はたくさん活躍されてましたからね。おやすみなさい、いい夢を」
毎日毎日眠る前に愛おしげにおやすみなさい、と呟いて、そっと唇を寄せ、綿のでできた小さな手を握り。眠りにつくその顔を眺めながらルシフェルはいつも思う。願わくば、この時間がいつまでも続きますように、と。例え彼と言葉を交わせずとも生き生きと生活する様間近で見守ることができるだけで、ルシフェルの心は満たされた気分になるのだ。
*
「彼に告げないのか?」
真夜中そっと彼の部屋を抜け出して、喫茶室の窓から外を眺めていると、不意に背後から声がかかる。ふわりと浮くようにして体の向きを変えると、長く伸ばした青い巻き毛の、エルーンの少女がこちらを見ている。ルシフェルはそっと綿の体を傾げると、ついで彼女が言わんとすることに思い当たって、綿の体から魂だけをするりと抜く。
「
……
じきに窮屈になるぞ」
「確かに、そうなるだろう。君のように、実体化できる日は遠くはない」
だとしても、この綿の体でしか見られないサンダルフォンの表情もある。ギリギリまで、この体でいたいのだ。それに、本来ルシフェルは本来、ここにいるべきではない。魂が実体化するまでに力を強くすれば、いずれは臨界点を超え、あの場所に戻るため崩壊が始まるだろう。ぬか喜びさせて、悲しませたくない。月明かりの中で、自分を過剰に愛らしくデフォルメされたぬいぐるみを手にそう言うと、ルシフェルはそっと微笑んだ。
人型の容れ物には魂が入りやすい。それは、人の魂のみならず、星の獣も例外ではない。あの場所で待つだけであったルシフェルは、綿の容れ物を得てしばらく感じ得なかった心躍る感覚を、日々水を染み込ませるようにして綿の体全身で感じている。
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