非番の日のルシフェルの一日はとてものんびりとしている。サンダルフォンの助力が必要となるような依頼がある時以外は、彼と共の非番となるように団長が配慮してくれるので、まずは一回りほど小柄な彼の体をしっかりと抱きこんだ状態での目覚めから始まる。それも、いつもよりたっぷりと遅い時間で。ルシフェル自身も知らなかったのだが、一度寝てしまうと起き出すまでに時間がかかってしまう質らしい。二度寝、三度寝は当たり前のルシフェルの頬にそっと触れて、大層幸せそうな顔で微笑むサンダルフォンの顔。それを寝ぼけ眼の視界の中で眺めることの、なんと幸せなことか。非番の朝が来る度に、ルシフェルはその幸福を噛み締めている。
そうして、ぴょんびょんと寝癖のついた頭を携えて、のそりと起き出せば、今度は彼が小さく笑いながら髪をブラシで梳いてくれるのだ。誤解されないように言っておくが、ルシフェルだって何も自分で身支度を整えることができないわけではない。自分でやると申し出る度に、どうか俺に、と彼が愛おしいものを見るような顔で言うから、何度かそのやりとりを経た後に、好きにさせている。時折、彼が鼻歌など歌うものだから、より一層これから過ごすであろう穏やかな一日を思って笑みが溢れるのだ。
身支度が終わると、すれ違う団員たちに挨拶をしながら、こっそりと小指を繋ぎ食堂まで歩いてゆく。もちろん、二人してたっぷり寝坊しているので、食堂に朝食が残っているわけもない。では、どうするのかというと。
今日の予定を話しながら食堂に入った二人はそのままホールを通り抜けて、奥の喫茶室に向かった。自分の領域に入った瞬間ルシフェルの手を離してカウンターの向こう側に入ったサンダルフォンは、鎧を排した装束の上から手早くエプロンを身につけると、シンクの背面に据え置かれた保存庫の蓋をがぱっと開けて、中に入っているものを確認する。彼が中からいくつか食材を出して調理台に並べ出したのを見計らって、ルシフェルもカウンターの扉を通り抜けて、彼の細腰にそっと抱きつくようにして身を寄せた。くすぐったいですよ。後頭部を胸板に預けて甘やかな声でそう言うサンダルフォンのつむじに唇を落としながら、今日は何を作るのだろうか、とくぐもった声で訊ねれば、上擦った声で笑いながら実はですね、と彼が宝物を見せる前のどこかワクワクとした声で応える。
「今度、喫茶室で新メニューを出そうかと思いまして」
「ふふ、ではさながら私は、味見係ということだろうか」
「もちろん報酬もご用意しますよ」
言うや否や、サンダルフォンは狭いカウンター内のほとんどを占領した棚の中から、珈琲豆の入った袋を出してくると、ルシフェルの鼻先にそれを差し出してきた。軽く鼻を鳴らしてみれば、どこか覚えのある香りが鼻腔を擽る。ああ、そうだ。確かこの間、彼と出掛けた島の市街地で買い求めた、その島最高級の珈琲豆である。これを、私に?と喜色の滲む声音で問えば、こちらを肩越しに見上げる彼の赤い瞳が満足げに弧を描いた。
「交渉成立ですね」
「報酬などなくとも、君の作るものはどれも美味だ。喜んで味見役を拝命しよう」
「ふはっ、大袈裟ですよ……っでも、嬉しいです」
俺ひとりでは何ともわかりにくいので。重ねて言うサンダルフォンの細い指先が、丁寧に何かを包んだ油紙を解く。そうして出てきたタルト台を、彼の側頭に頬を寄せながら覗き込むと、昨日の内に焼いておいたんですよ、と声が得意げに響いた。ついで彼は、調理台の上に並べていたレモンを数個手繰り寄せると、瑞々しい黄色をそっと持ち上げてナイフの刃を滑らせ始めた。一周分皮を剥くと、酸味の効いた華やかな香りが辺りを満たす。初夏のこの時分にふさわしい香りに、そっと目を細めていると、そういえば、と彼が細かく刻んだ皮のひとかけを摘みながらこちらを見上げた。
「人の子は、初めての接吻の味をレモンに例えるそうです」
昨日もらったばかりなので、皮も美味しいですよ、と口元に寄せられるままに唇でレモンの皮を喰み、口内に招き入れる。なるほど、ほろ苦いが、鼻に抜ける風味がよい。外皮と言えど、これは料理に使うのも頷ける。と、納得したように無言で咀嚼していると、焦れたような声でサンダルフォンがそれで、と少し言葉を噛みながら、頬を紅潮させた。
「どうですか?同じ味でしたか?」
そわそわと、好奇心をにじませて。ルシフェルは彼のその顔を束の間きょとりと見下ろして、ついで何かを思いついたように首を傾けると、こちらを見上げる彼の顎を掬ってしっとりと唇を重ねた。ちゅく、と軽く舌をすり合わせてから、唇を離して、横目で窺うように彼を見れば、状況を飲めないでうろたえた瞳と視線がかち合う。それが何とも愛らしくて、ふっと瞳を笑みの形にすれば、我に返った彼の顔が一気に耳まで真っ赤になった。
「私の記憶の中では、君との接吻は珈琲の好ましい風合いを感じられるものだが、君はどうだろう。レモンの味がしたのだろうか?」
「そんなの、コ……ッ!」
言葉に詰まった彼が、ついでため息と共に脱力して、珈琲の味でした、と吐息のように言う。うん、よし。満足げに頷いたルシフェルは、彼の手から流れるようにナイフとレモンを取り上げると、私も手伝おう、とどこか弾んだ声音で口にした。
「それで、今日はどんな品を?」
「……レモンタルトです」
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