香春 蘇葉
2020-06-27 23:41:00
1979文字
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【熱】

ルシサンワンライ。扇風機/氷

人の体とは、斯くも弱いものだったのか。ルシフェルは扇風機と名付けられたその機械の前でぐったりと横たわり、どこかぼんやりとした視界で出店の天井を見上げながらしみじみと心の中で独りごちた。
事の起こりは一週間ほど前。ルシフェルが人の器に宿り仮の復活を果たす以前のとある夏に、サンダルフォンが出していた喫茶店の屋台が大層好評であったらしく、ぜひ今年も、とシェロカルテ直々の依頼があった。何かと世話になっている彼女からの依頼とあっては、彼女とサンダルフォンの仲介となっていた団長もサンダルフォン自身も無下にはできず、また喫茶店の修行になると本人が乗り気であったために、夏のバカンスの間だけ、あのサメ騒動を退けた面々が開く、伝説の喫茶店屋台の復活と相成ったわけである。と、そうなるとルシフェルも同行しないわけにはいかない。何せ彼の働いているところを一度でいいから実際に見てみたいと願っていて、今回はそれがようやく叶う絶好の機会で。こんなチャンスを逃す手はないと喫茶店出店において自分がいかに有用か売り込みながら手伝いに立候補すれば、渋々と言った体でサンダルフォンも頷いてくれた。半分ほどは団長とルシオの口添えの結果ではあったが。
そうして、真夏の太陽の下、ルシオから渡された彼のものと色違いの水着一式を身につけての喫茶店手伝い一日目。実のところ、ルシフェルはまだ己の器となっているこの体の強度を深くはしらない。故に一度失われる前と同じ感覚で動き回り、ついつい夢中になって水分も食事も取らずにいたところ、ルシオと共に店の宣伝に出かけていたその最中に見事に倒れてしまった。ルシオに背負われて帰った瞬間の、こちらを見たサンダルフォンの表情といったら、もう二度とあんな顔はさせたくないと願ってしまうほどで。ルシフェルのぐったりした様子を目にして慌てたサンダルフォンのは、屋台を午前中だけの営業にして、人の居なくなった店の中に長椅子を引っ張り込んでルシフェルを横たえると、扇風機を起動させてどこぞへと行ってしまった。待てど待てど帰ってこない彼を心配して、お目付役として同じく置いていかれたルシオをぼんやりと振り仰ぐと、すぐに戻ってきますよ、とのんびりとした声で言いながらひんやりとした掌を額に当ててくれる。まるで自分が幼子のようでむず痒い。そう口にすると、実際私は祖父のようなものなのでいいんですよ、と彼が笑った。

「ああ、ですが……こうしてもらえるなら、私よりサンちゃんの方が良かったでしょうか」

……否定はしない」

「ふふ、素直で大変結構です。作業工程的にサンちゃんももう少しで戻ると思うのですが……ああ、戻ってきましたね」

バトンタッチですサンちゃん、とルシオが椅子から腰を上げる。不敬なことをしなかっただろうな。地を這うような声が降ってきたかと思えば、まだ熱でおぼろげな視界の中に、サンダルフォンの姿が映り込む。彼の名前をかすれた声で呼べば、少し困ったような顔をして、グラスコップから突き出したストローの先をサンダルフォンが突き出してくる。遠慮なくそれを口にすれば、視界の中の顔があからさまにほっとしたものになった。

「俺の気が回らず、苦しい思いをさせてしまってすみません……

「人の子の身になってみなければ、この脆さには気がつかないだろう……君が謝ることではないよ」

グラスに入ったやや塩気のある甘い飲み物を、最後にひとつ吸い込むと、水分の浮力を失った氷がグラスの底に落ちて、からんと音をたてた。役割を終えたグラスを、すぐ側のテーブルにおいたサンダルフォンは、そっと身を乗り出すと、ルシフェルの額にそっと唇を押し当てた。彼が触れた端からじわりと冷える感覚がして、熱が篭った体が多少、楽になる。水の元素を使うのが上手くなったね。君の加護を受けているようで嬉しい。そう言って笑うと、少し頬を紅潮させたサンダルフォンが、その顔を隠すようにして明後日の方向を向いた。

「出店があるとは言え、バカンスですから……貴方に早く元気になって貰わないと出店を頑張った甲斐がありません……

「うん。私も、君とこの海を満喫したい」

サンダルフォン、手を伸ばして彼の小指に触れれば、束の間彼がこちらを向いて、かすかに唇を尖らせると、ついで嬉しそうに破顔する。

「かき氷でも、作りましょうか。ルシフェル様、まだ召し上がったことありませんでしたよね」

かたん、と椅子から腰を上げて、彼が調理ブースへと向かっていく。その背を見送ったルシフェルは、いまだ体の芯に残る熱に任せて、そっと目を閉じた。遠くの方で扇風機が回る音と、また少し溶けた氷がからん、と落ちる音がする。
冬の始めに目を覚ましたかと思えば、彼と過ごしているうちに季節はもうすっかり、夏である。