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香春 蘇葉
2020-06-22 23:18:30
2234文字
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【雨のち晴れ】
現パロルシサン。朝に喧嘩した二人と帰りに雨に振られたル様の話
人間、生きていれば全く上手くいかない日になんて山ほど出会う。
「
……
しまった」
ルシフェルは駅の構内から出て、バケツをひっくり返したような雨が降っているのを目にした瞬間に、思わずそう呟いた。独り言など口にする質ではない。それでも今日ときたら、始まりから今まであまりにも上手くいかないものだから、独り言のひとつも口にしてしまいたくなってしまった。
今朝起きてきた恋人に、土曜日も仕事が入ってしまった旨を告げた。本来は数ヶ月ぶりに、土曜日の全日が休みとなる日であったので、二人でどこかにでかけようかと話をしていた矢先であった。普段から寂しい思いをさせている彼と少しでも共にいたい。そう考えての提案だったが、それも脆く崩れ去ってしまった。
すまない、と口にしたルシフェルに、彼は何も言わなかった。ただただ、その赤い瞳で悲しそうにルシフェルを見つめるばかりで。思わず一回りほど小さな体をかき抱けば、すぐに胸板を両手で押されて拒否の意を示された。ルシフェルにとってはそれがあまりにもショックで。思わずサンダルフォン、と消え入りそうな声で彼の名前を呼べば、ややあって彼が今にも泣きださんばかりの表情でもういいです、と捻り出すように口にした。もういいです。最初から期待なんてしてませんでしたから。
思えば喧嘩のようなものをしたのは初めてだった。ルシフェルは彼を心の底から愛していて、慈しんでいたし、彼は彼で幼い頃からルシフェルだけを一心に見つめていてくれた。もちろん、一回りほど歳が離れていたのもあったが、幼馴染ながら、一度の喧嘩もなく今まで過ごしてきたのだ。朝ごはんは作ってくれたものの、いつもルシフェルにとって昼時の楽しみであるお弁当が、彼の手から渡されなかった瞬間、ルシフェルはこれが彼との喧嘩であることに初めて思い当たった。
そこからのルシフェルの一日は今までの人生の中でも最悪であったと言っても過言ではなかった。気も漫ろな状態で仕事をするものだから、普段息を吸うようにこなせる業務も、取引先との会議も、全てが滞り、昼も楽しみがないものだから、食事を取る気も起こらない。気分転換に会社の中庭に出てみれば鳩にたかられてぼろぼろになり、重要書類を新人にシュレッダーへ放り込まれ。まさに満身創痍の状態でなんとか会社を出て電車に揺られ、さぁ彼と話をしようと意気込みながら帰路につこうとすれば、この仕打ちである。
このまま濡れて帰ってもいいが、帰る頃には自分のいるところに大きな水溜りができる程度には濡れ鼠になっているに違いない。風邪はおそらく引きはしないだろうが、彼に心配をかけるのは気がひける。さて、どうしたものか。口元に手を当てて考え込むも疲れ切った頭では妙案も浮かばない。加えてこの駅の構内にはコンビニの類は入っていないので傘を調達することもできない。ついには人に聞こえない程度に唸り始めたルシフェルだったが、不意に自らのスーツの布を引っ張る感触を受けて反射的に振り返ったところで、その苦悩は終わりを告げた。
「ゴホン
……
そ、そこのカッコイイお兄さん。もしかして傘をお持ちではない?貴方さえよければ俺と、相合傘でも?」
ルシフェルの視線の先に佇んでいた彼は、耳まで真っ赤にした顔をあらぬ方向に背けながら、上擦った声でそう言うと、大きな紺色の傘を差し出してきた。それは確かに、体の大きなルシフェルにと一回り歳下の恋人が買ってきてくれたもので、差し出されたそれと相変わらず目を合わせようともしない彼とを見回して、ルシフェルはにわかに破顔した。
「是非。ありがたくお誘いに乗らせてもらおう」
差し出された傘を彼の手から受け取って、次いでそれを開いたルシフェルは、雨の中に進み出ながら、彼の手を内側に握り込んで歩き始めた。しばらくの間靴が水を蹴る音と、傘に弾かれた雨粒の音だけが、鼓膜を叩く。そうして無言が続くまま、家への道のりを半分ほど進んだところで。ようやく彼が赤い瞳をちらと上向かせてルシフェルを視線だけで仰いだ。首を傾げて応えると、あの、とやや急いだように彼が声を絞り出す。
「俺、本当に土曜日楽しみにしていて」
うん、と相槌を打つと、彼がルシフェルの手を握る力を強くした。
「でも、ルシフェルさんの仕事が大変なのもしってるから、我慢しなきゃって。そう思ったら苦しくて訳がわからなくなって」
うん。もうひとつ相槌を打つと、彼が寄りかかるようにルシフェルの腕へ頭をすり寄せてくる。真っ赤に染まった目尻が、なにかをねだるようにほんの少しだけ下がった。
「あんなこと言ったけど、本当はそんなこと思ってなかったんです
……
あの、今夜はルシフェルさんが大好きな唐揚げにするので
……
仲直り、してくれませんか?」
あと、今夜は俺に構って欲しいです。腕にかかる体温が熱くて、愛おしくて、ルシフェルは思わず足を止めて身を屈め、傘に姿を隠すようにして彼の唇を束の間食んだ。は、と呼吸を溢して彼を解放すれば、ざわめきのような雨の音にかき消されそうな声で、見られます、と彼がほんのり嬉しそうに言う。
「誰も気が付かないよ」
だって、雨の日は誰もが足速に地を滑る。ルシフェルの、今日一日に不運だって、雨は一瞬のうちで押し流しながすのだ。雲の隙間から夕日の朱が差し降りてきているのが見えた。帰る頃にはきっと、ふたりでベランダに出て、虹を見ることだってできるだろう。
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