香春 蘇葉
2020-06-14 20:53:54
2549文字
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【拝啓、この世の何処かにいる君へ。】

ワンライ【誓いの言葉】
転生ルシサン

二人寄り添ってあの場所から旅立てると、あの時はそう思っていたのだ。

天寿を全うした彼をあの場所で迎え入れて、暫くの間、会えなかった時間を埋めるように二人で睦み合いながら過ごした。命を終えた者が、仮に現世に未練を残していたとしても、この場所に留まり続けることはあまりいいことではない。ルシフェルは彼を待つ間だけと、あの場所に留まっていただけで。目的を果たしたならば、そろそろこの場所を旅立とうか。君と共に向かう輪廻の波ならば、きっと恐ろしいことなど何一つない。そう笑い合って飛び込んだ輪廻の波。彼には体が溶けてしまう前に、最後に告げたい言葉があった。しかし、それを口にする前に、しっかりと握っていたはずの掌が離れて、彼が輪廻の波とも違う不可思議なものに攫われて、目の前から姿を消してしまったのだ。ルシフェルはといえば、一度飛び込んでしまった輪廻の波に抗えるわけもなく、なす術さえも失って、たったひとりで体を溶かされ。そうして魂を洗われて、空の世界の、彼が失われてからまだ余り経っていない時代の子供に生まれた。産声を上げた瞬間に、理解した。彼は彼のままこの世界にいるのだと。すでに天司ですらない鈍い体ではあったが、それだけは間違えるはずがない。この世界にはまだ彼がいる。生まれたばかりのルシフェルにはそれだけが救いだった。
そうして瞬く間に両親に愛され、育まれる時間が過ぎた。小さく、守られる存在として生まれたルシフェルも、今年で十八に。前々から両親と話し合って決めていたのだ。十八になったら、ルシフェルの探し物を求めて旅に出るのだと。

十八になったルシフェルは自らを育んだ家を出て、彼を探す旅に出た。宛てなどない。ただ彼がこの世界にいるという確信だけで、各地を回り己の身を守りながら歩き回った。そうしているうちに、彼を見つけることができないまま、いつしか十ほどの年月が過ぎていた。十八のまだ少年の面影を残していたルシフェルも、幾たびにも潜り抜けたトラブルや生命の危機を乗り越えて、年齢相応の貫禄を湛えた青年に成長した。それでもいまだ、彼は見つからない。人の子であるルシフェルの姿だけは、あの頃と同じものに戻ったというのに、おそらく彼はずっとあの姿のまま世界に留まり続けているのだ。共に、いられるのなら怖いことは何もない。誰がそんな戯言を彼に向かって口にしたのだろうかと、己の至らなさに怒りさえ湧く日もある。しかし、そんな毎日も、ひょんなことで終わりを告げた。
とある島の老舗の喫茶店に入った時だった。ふわりと鼻腔を掠める珈琲の香りが何故か懐かしくて、ふと顔を上げると。

「いらっしゃいませ。お好きな席に……っ!!」

「サン……ダルフォン……?」

口の端から溢れるようにして彼の名前が出た。もう何年も、夢の中でしか口にしなかった名前だった。コーヒーカップを磨いている店主も、ひどく狼狽した風に視線を揺らしてこちらを見つめているところを見ると、間違いなく彼なのだろう。
ルシフェルは夢を見ているかの心地で一歩踏み出した。やけに甲高く、鉄板が入った靴底の音が店内に響く。それを耳にした瞬間、幻に巻かれているような感覚からいち早く我に返ったのは、他でもない、サンダルフォンだった。彼はカウンターを出て店の裏に続くドアを乱暴に開け放つと、ルシフェルの視線から逃れるようにして駆け出した。一拍遅れて我に返ったルシフェルも、背負っていた荷物を投げ出して彼の後を追って走り出す。

「サンダルフォン……!!サンダルフォン、待ってくれ……!!」

街中を抜け外れに出ても、彼は飛ぶこともせずにひたすらルシフェルを引き離して駆けていく。ルシフェルもルシフェルで、人にしては体力がある方で、天司である彼の足に差こそ開けど、見失わない程度に追っていった。追いかけていく中で肩越しにルシフェルを見て、顔を歪めた彼は、郊外の道の脇に建っている教会に脚を縺れさせながら入っていく。荒く息を吐きながら追いかけて入っていくと、元の装束に身を包んだ彼が御神体となる像を背に、ステンドグラスの光の中で佇んでいた。サンダルフォン、と息を整える中で彼を呼ぶと、その顔が泣きながらもほんの少し笑う。

「俺のことは、忘れてください。貴方は人として、幸せに。転生さえも許されないような、罪深い俺には、貴方の隣はふさわしくなかったんです」

だから、忘れて。ふわり、と彼は笑顔を浮かべて、その頬に一筋涙を伝わせた。その様子を目にした瞬間に、ルシフェルの中を言い様のない怒りが暴れ狂う。何を、勝手に。低い声でそう呟きながら、足音荒く彼に近づいていき、無防備な手強い力で取ると、まるで噛みつかんばかりの勢いで彼の唇を喰んだ。慣れた感覚で舌を差し入れ、歯列をなぞり、舌同士をすり合わせて、絡める。そうしているうちに、腰が抜けた彼が座り込もうとするのを足で支えて、尚怒りのままに彼の口内をかき回す。そうして、弱々しい拳が胸板を打つようになった頃、ようやく怒りが溶けてきたルシフェルが唇を離して、小刻みに震える体を見下ろせば、かち合った赤い瞳が泣き出す寸前まで歪んで、どうして?とか細い声が鼓膜を打った。

「私は、君に言えなかったことがある」

あの輪廻の波でついぞ彼に伝えられなかった誓い。生まれてからここまで噛み締めるように大切に抱えてきたそれを自分よりも小さな体を抱きしめながら口にする。

「私は、誓おう。今度こそ、君を離しはしない。何度輪廻を繰り返そうとも、必ず君の隣にいる」

だから、忘れるなど言わないでほしい。願いのように吐き出した言葉に彼の体がぴくりと震えた。わずかに体を離して、顔を覗き込むと、俯くその鼻梁に細かなキスを落としていく。やっと言えた。震える声でそう言うと、彼の赤い瞳がようやくこちらをちらと見て、それから少し笑った。

「ずっと、俺を探してくれていたんですか?」

「うん。私の誓いは、君がいなければ意味をなさないからね」

受け入れてくれるだろうか。重ねて言えば、一息分の沈黙を挟んだ後に、彼の指が控えめにルシフェルの小指に絡んだ。
その日、ルシフェルの長い旅がひとつの誓いと共に終わりを告げた。