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香春 蘇葉
2020-06-11 10:20:30
2460文字
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ざわめき
お題。現パロルシサン
今思えば、彼への表現しようのない感情を、見なかったことにしていただけかもしれない。
「ルシフェルさん、好きです。お慕いしています。俺と
……
お付き合いしてくれませんか?」
そう言って、顔を上げた彼の目は、今までルシフェルに感情の見返りを求めて、言い寄ってきた人々と同じ目をしていた。
彼とは、彼が隣の家に生まれた時からの付 き合いである。彼の兄はルシフェルと同い年であり、揺り籠に眠る彼を紹介されてから、もうずっと。彼の兄と大切な弟として彼を慈しみ、守ってきた。彼もルシフェルを慕って、よく後ろからついてきていた。故に、彼に関しては知らないことはない、彼が自分に隠していることはないのだと、盲目的に信じていた。それも、あの瞬間に淡く溶け行ってしまったが。
結論から言えば、ルシフェルは彼を振った。すまない。そう言った時に、彼が浮かべた悲壮な表情は筆舌に尽くしがたいほどだった。そして、結果を述べよう。彼のその表情を目にした瞬間に、今までの人生で後悔らしい後悔をしてこなかったルシフェルは、心底後悔した。
ひどく傷ついた顔をして、走り去った彼の背中を思い出せば、夜も眠れなくなってしまったし、そうですよね、ごめんなさい、と鼓膜を叩いた今にも泣き出しそうな声音を思うと、胸を締め付けられた。彼に一度も合わない日々が一か月ほど続くと、その間ずっとルシフェルの頭からは片時も彼の笑顔や体温、触れる指の柔らさが離れなかった。そして同時に、毎朝彼とは顔を合わせられていたのは、彼がタイミングを合わせて家から出てきてくれていたことに他ならないということを痛いほど思い知らされた。自ら会いにいこうとしなければ、あれほど頻繁に会うこともできなかったことに。ルシフェルが好きだという、その感情だけで、彼は毎日そうしてくれていたのだ。ルシフェルはそうして、彼を振ってしまったせいで穏やかで優しい朝までも失ってしまったことを知る。
自分は間違っていたのだろうか。確かに時折、彼に言いようのない感情を覚えることはあったが、それだけだ。ルシフェルは、彼がルシフェルに向けるような感情は持ち合わせていない。その、はずである。
「
……
サンダルフォン」
「ぁ
……
おはようございます。ルシフェルさん」
久しぶりに彼の、サンダルフォンの顔を見たのは、あの日から一か月が過ぎたあたりの、よく晴れた暑い日だった。丁度門扉から出てきたところのサンダルフォンと、自分の家を出て彼の家側に歩いた先にある駅へ向かおうとしたルシフェル。そんなタイミングでの再会である。ルシフェルは何か彼に声をかけようと考えて、それからそっと手を彼の方へと伸ばした。しかしサンダルフォンの肩に、指先が触れようとしたその瞬間に、彼が体をびくつかせて身を捩るようにルシフェルの手から遠ざかる。彼が生まれてから、初めてされた拒絶だった。
「あの、俺急いでますので」
それだけ言って、ルシフェルから逃げるようにして行ってしまった彼に、言いようのない、もやもやとした感情を抱えたのは確かだった。それでも、ルシフェルはその感情の正体をしらない。この胸にぽっかりと穴が開いたような感覚は、きっとサンダルフォンの方がよくわかっているのだろう。今まで人の感情にあまり頓着してこなかったツケが今になってルシフェルの肩に重くのしかかっていた。
「そりゃ、恋じゃないのかい?ルシフェル」
「そんな陳腐な言葉で説明できるのだろうか」
「陳腐も何も世代を超えて脈々と受け継がれてきた沢山の言葉を使って初めて、表現することができるのが、恋だ愛だのの感情さ」
君一人が必死に言葉を並び立てたところで、到底表現できるもんじゃあ、ない。彼と同じ赤い瞳はそう言ってせせら笑った。ルシフェルはと言えば妙に腑に落ちた恋という言葉に、柄にもなく動揺していた。もし、仮にそうならば、自分は彼と共に在れたはずの可能性を自ら手放してしまったのかもしれない。サンダルフォンの兄と居酒屋で別れてから帰路に着く途中、ルシフェルの中には何度も後悔がやってきては折り重なって行った。
仮にこれが恋だと言うのなら、サンダルフォンはどんな思いでこの苦しい感情を抱えてルシフェルの隣にいたのだろう。どれだけ思い返しても、ルシフェルの隣にいた彼はいつも柔らかく微笑んでいた。自分が、彼の愛を自ら拒んだというのなら、ルシフェルに受け取ってもらえなかった感情は一体どこにいくのだろうか。やがて消えて、他の誰かに向けられるのだろうか。
そう考えると、苦しくて、次第に眠りが浅くなっていった。毎夜彼を思うごとに、まるで毒のようなどろどろとした感情に蝕まれて。それがダメだったのだろう。数日後、次に彼と会った時ルシフェルは生まれて初めて、他人を泣かせてしまった。
些細なことだった。先日のようにお互い家から出るところで、かち合って。サンダルフォンの髪に糸くずがついていたので、手を伸ばしたのだ。そうして同じような反応をされて、距離をおかれる。もうダメだった。ルシフェルはもうほとんど、自分を浸すドス黒い感情の名を知っていた。彼からの言葉を受け取らなかったその後に、気がつくなど、どうかしている。
ルシフェルは、あの日のように逃げようとするサンダルフォンの体を追いかけて、その手首を取った。反射的に彼の赤い瞳が肩越しに振り返って、それから歪む。
「俺の事振ったなら、放っておいてください!!こんな
……
、気を持たせるようなことをしないで
……
」
叫んだ瞬間に感情が昂ったのか、彼の瞳から一筋、ほろりと涙がこぼれた。その様を目にしても、ルシフェルは彼の手を離すことが出来ずにいる。彼の涙を目にしたときに、ようやく、漠然とした予感のようなものが確信に変わった。ルシフェルはサンダルフォンのことをもうずっと愛していた。本人が気がつかなかっただけで。だからこそ、目の前でいくら彼に泣かれようとも、この手だけは離せないと、そう強く思ったのだ。
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