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香春 蘇葉
2020-06-07 00:00:14
2337文字
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ヘルツ
現パロルシサン。ド深夜枠の音楽番組持ってて、休みの日に知り合いのバーで演奏する音楽家のル様と、そんなル様の番組の長年リスナーで、ラジオ好きな青年サンちゃんの話
時代遅れと笑いますか?そう言って笑った彼は、幼い頃からラジオを聴くのが好きだったという。
両親共に働きに出ている上に、兄弟がいるとは言え、ひと回り以上歳が離れた兄が一人だけ。故に保育園では部活が終わった兄が迎えにくるまで独り残っていたし、小学生に上がってからは、兄も大学に上がり一人暮らしを始めたので、帰宅後日付が変わる頃に両親が帰ってくるまでは家に一人だった。
ところで、彼にはいわゆる前世の記憶というものがあった。それはひどく朧げで、記憶があると呼べるようなレベルではなかったのかもしれない。覚えていることと言えば、目を刺すように鮮やかな蒼い空、顔の見えない沢山の仲間たち、そして恐らく自分が最も愛し、尊敬し、大切に想っていた人の柔らかな声。他の要素は時折思い出そうとしても思い出せなかったりしたと言うのに、大切な人の胸が苦しくなるような声はいつだって鮮明に思い出せた。それは、眠りつくその時まで家にひとりでいる彼を慰めるには十分な程に一役も二役も買っていた。どんなに寂しくても、あの人が自分を呼ぶ声を思い出すだけで、不思議と平気になった。
ラジオと出会ったのは、小学校三年生に上がった直後くらいであった。会社の飲み会の景品で当たったから、と父親に渡されたそれの電源を、何も分からずひと度つけてみた瞬間、彼の世界は変わったのだという。知らない異国の話をする声、今日の天気。知らない人の日常の出来事や、行けるはずもない場所の催し物の話。毎日毎日、飽きもせずにラジオをつけて、聴き続けた。中でも彼が心と耳を奪われたのは、高校受験の勉強の真っ最中にであった、深夜枠の音楽番組であった。クラッシックやジャズ専門の、若者からすれば少し退屈な内容のものだったが、音楽全般を好み、専門的知識にも好奇心が向く彼は、その番組をいたく気に入って、今に至るまで毎回欠かさず聴いているという。
一番の理由はそれではないだろう。なんとなく違和感を感じて聞いてみれば、彼はカウンターに寄りかかるようにして頬杖をついて、それから困ったように眉尻を下げて破顔した。
「バレました?実はパーソナリティの人の声が、俺の前世の記憶の中で一番思い出せる人の声にそっくりで」
話し方、間の取り方も奇妙なくらい同じなのだと言う。しかし彼の記憶も、大切な人の記憶以外はたまに思い出せなくなるほどには朧げだったので、いまいち信憑性に欠ける。さらに顔出しを絶対にしないパーソナリティだと言うから、尚更確証が持てなくなって、会いに行くこともメールも出すこともできずにこうして一介の視聴者のまま収まっているのだと。
「そういえば、貴方の声、そのパーソナリティの声にすごく似てますね。ルシフェルさんでしたっけ。綺麗な名前
……
」
ピアノとサックス、最高でした。酔いが回ってとろんとした顔で満面の笑みを浮かべていう彼に、ルシフェルは息を飲んだ。声音が、表情の柔らかさが、時折触れてくる指先が。記憶の中にある彼そのままで、胸が苦しくなる。
いつか自分の安寧に出会えたなら、とメディア露出、ラジオパーソナリティと並べられた選択肢の中で、ラジオパーソナリティを取った。元々目立つ容姿だったので、周囲の反応に疲れていて、メディア露出は避けたかった。もしかしたら、彼は聞いていないのかもしれない。それでも、この広い世界で少しでも彼に出会えるきっかけを得ることができるのなら、と。
ルシフェルは音楽家として活動する傍ら、ラジオパーソナリティをしている。週末には知り合いのバーで気晴らしに演奏をして。そうして繰り返す日々の中、今夜は人生最高の出来事が起こったのだ。演奏を終え、カウンターの端に座り、いつもの飲み物を頼んだそのすぐ横に、記憶の中のそのまま姿をした彼が座っていた。それだけでもう、ルシフェルの気分はふわりと軽く踊って、今なら人の身でありながら空も飛べそうだとさえ思える。
「ラジオなんて、時代遅れと笑いますか?」
「そんな風には思わない。それに、私もラジオはよく聴くよ」
「ふふ、優しいんですね」
ねぇ、と彼が不意に指先でルシフェルの手の甲に触れた。爪の先から順繰りに辿っていけば、飲酒による上気で潤んだ瞳がこちらを見上げているのと視線がかち合う。今日俺、独りなんです。彼が何かを乞うように瞳を揺らした。いつもは地面に打ち付けたかのように頑固なルシフェルの理性も今日はふわりと柔らかで。彼の手を取ることに迷いはなかった。
*
最悪な目覚めだ。ガンガンと痛む頭を押さえながら、サンダルフォンは上体を起こした。素肌をシーツが滑り落ちて、びくりと己の体を見回せばどうやら一糸まとわぬ姿のようで。もっと言えば今いるベッドのある部屋にとんと見覚えがなかった。下半身に決して不快ではない疲れがあるところを見ると、どうやら性懲りもなくまたやらかしてしまったらしい。はぁ、とため息が漏れ出た。最近は寂しさ故かこう言ったことの頻度が高くなってしまっていた。改めなければ、と。サンダルフォンが心中で深々と反省をしていると、不意に部屋のドアが開いた。体を硬直させてじっと見つめる中、上裸にグレーのスウェットパンツを履いた男が頭をタオルで拭きながらペタペタと入ってくる。不意に、彼の蒼い瞳がこちらを見た。あまりにも鮮やかなその色に、またひとつ体を固くしていると、不意に彼が花が咲くように笑った。
「おはよう、よく眠れただろうか」
聞いたことがあるなんてものじゃない。聞き慣れすぎているその声に、サンダルフォンは呆然とする。
その声は、確かにサンダルフォンが長年聴き続けてきたラジオの、パーソナリティの声だった。
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