香春 蘇葉
2020-05-30 18:47:35
3238文字
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【カウントダウン】

5歳児サンちゃんと血の繋がらないパパのル様。記憶ありのクソでか感情を押し殺していいパパやってるル様とサンちゃんの誕生日の話。

 私は仕事で少し出てくるが、その間グランの言うことをよく聞いていい子にしているんだよ。白いクマのぬいぐるみを抱きしめて、泣きそうな顔で見上げているサンダルフォンにそう言い置いて、午前中にルシフェルが職場へと出かけてから早十数時間。
 グランはキッチンで夕食の準備をしながら、ダイニングの椅子にちょこんと座っているサンダルフォンへとちらりと視線を向けて、苦いものを飲み下したような顔で眉を下げた。いくら要職に就いているとは言え、土曜日の夜に幼子一人をシッターと共に残して出ずっぱりというのもいかがなものだろうか。時刻は午後九時を回る前で、夕方まではアニメや特撮物を観ていたり、グランと共に絵を描いたり玩具で遊んでいたり、寂しさを振り払うように活発に過ごしていたサンダルフォンも、ついに元気がなくなって、先ほどからぬいぐるみを抱きしめて俯くばかりで一言も発さなくなっていた。グランもまた、たった一人の肉親である父親にあまり構ってもらえた記憶がないため、サンダルフォンの気持ちは痛い程理解できた。きっと悲しいだろう、寂しいだろう。父親が何故自分を放っているのかわからなくて、混乱していることだろう。それでもいい子にしているんだよ、と。その一言だけが意識と心に深々と根を張って泣き出すことも、駄々をこねることもできずにいるに違いない。本当に、歳の割には聞き分けのよいいい子だと思う。それが一概にはいいことだと言えないことも、グラン自身、身に染みてわかっていた。
 深めに造られたフライパンの中身を最後に一度、軽く揺らすと、グランは小さくため息をついて、IHヒーターの過熱を切った。あらかじめ用意していた、プラスチックのファンシーな動物がプリントされた小さな皿と、セラミック製の一般的な皿へと、既に茹で上がっていたパスタと出来上がったばかりのミートソースを盛りつけながら、少しの躊躇を抱えてダイニングテーブルのサンダルフォンへと視線を向けて、声をかける。

「サンダルフォン、お腹減ったでしょ。ごはんできたから、食べちゃおう」

……いらない。おれはおなか、へってない」

「ええ~……僕サンダルフォンに食べて欲しいなぁ。だって今日のすごくおいしくできたんだもん」

 顔をちらとも上げないサンダルフォンに、一抹の不安を感じながら、ダイニングに出て行ったグランは、大仰に肩を竦めておどけたようにそう言うと、どこを見るのでもなく、テーブルの上をぼんやりと見つめているその視界の中にわざと入るようにして皿を置いた。

……グラン、かなしくなるのか?」

「うん。だってサンダルフォンのために作ったんだよ。サンダルフォンが食べてくれないと、僕悲しくて泣いちゃうなぁ……

 ようやく上向いた視線へと笑みを向けながらそう言うと、一、二拍程の間をおいてサンダルフォンが小さく頷く。夕方から今までにかけての中で、ようやく反応らしい反応が返ってきて、無意識に緊張していたグランもほっと肩の力を抜いた。彼が座る椅子の反対側へと回り込んで、正面でなく斜め前の椅子に皿と共に腰を下ろしたグランは、そっと両手を合わせていつもよりもやや大きな声でいただきます、と口にする。グランの声に束の間びくっと体を跳ねさせたサンダルフォンは、あ~お腹減ったなぁ、とフォークを手に取ったグランをちらりと上目で見ると、自らの隣の席へ丁寧に白いクマのぬいぐるみを座らせて、ほんの少し口元に笑みを浮かべながら、グランに倣うようにして手を合わせた。

「ごはん食べたら、一緒にお風呂入って遅いから寝ちゃおうね」

……グラン、ルシフェルさまはいつかえってくるんだ?」

「それは……ごめん。僕にもわからない。でもさっき日付が変わるまでには帰るって言ってたから、朝にはちゃんと会えるよ」

 言っても無駄だろうなぁ。グランは心の中で独り言ちて、ミートソーススパゲッティを巻き取ったフォークを豪快に口の中に突っ込みながらそっと目を細めた。自分がサンダルフォンの立場だったら、そんなことを言われたところで納得できるわけがない。泣き出さないといいけど、と控えめに彼を見やれば、彼は皿とセットのプラスチック製フォークを黙々と動かしては、行儀よく口の中へと運んでいる。こんなにいい子じゃななくてもいいのに。そっとため息をつきながら、泣きもわめきもしないサンダルフォンから視線を逸らすと、グランは時計のデジタル画面に時刻と合わせて表示された日付を見とめて眉間にしわを寄せた。そう言えば、明日はサンダルフォンの誕生日である。





 「大人ってずるいよね」

 靴を履いて、玄関のドアへと手をかけたグランが、肩越しに振り返って口にした一言に、ルシフェルはひとつ瞬きをした。時刻は午後二十三時を半ばすぎた頃。サンダルフォンはとっくの昔にベッドで寝息を立てている。ルシフェルは困ったように眉を下げると、睨むように自分を見つめるグランへとそっと小首を傾げて見せた。

「特に、私は……サンダルフォンが聞き分けのいい子であることに甘んじて、我慢ばかりさせてしまっている」

「わかってるなら猶更質が悪いよ。僕はもう父さんが傍にいなくてもいい歳だけど、サンダルフォンはルシフェルがいないとダメなんだからね。記憶戻ってめちゃくちゃ反抗されても知らないから」

むしろされたらいいよ。半目でそう言ったグランにルシフェルは小さく目を浮かべてそうだね、と低い声で返す。

「そうなれば、今度こそ彼の全てを受け止めて、共に幸せになろうと思う」

「前はそれができなかったから言ってるんだよ!」

深夜の高層マンションに配慮する声で最後にそう言い捨ててグランが部屋を後にした。ドアが完全に閉まるまでそれを見送ったルシフェルは、小さくため息をつきながら身を翻すと、とすとすとささやかな足音を立てながらサンダルフォンの部屋の前まで移動する。そっと息と音を殺して扉を開いて、中を覗き込めば、ベッドの上の小さな塊が規則正しく上下していた。ああ、よく寝ているようだ。安堵しながら、扉の隙間から大きな体を滑り込ませて、雲がいくつも浮かぶ青空を模した壁紙に包まれた子供部屋へと入っていく。ぎしり、とサンダルフォンのベッドの縁に腰をかけたルシフェルは、蒼い瞳を眩しいものを見る様に眇めると、健やかな寝息を立てる小さな頬にそっと指先で触れた。暗闇の中でもわかるくらい、彼の目尻は赤くなっていた。グランからサンダルフォンが泣いていたとの話は聞いていなかったので、凡そ寝ついたふりをして、彼が部屋から出て行った後に静かに泣いていたのだろう。そう思うと、胸の奥が苦しくなった。

「君は……記憶が戻れば、私の元から離れていってしまうのだろうか」

仕事で赴いた乳児院で、ひと目彼を見た瞬間に、ルシフェルの中で記憶が奔流のようになって戻ってきた。彼だ、とまだよちよち歩きもできない赤子をつかまえてそう確信した。彼こそ、自分の心の全てを明け渡した魂そのものなのだと。
ふわふわと頬を撫でていると、むずかったように彼がうなりをあげて、仰向けに寝がえりを打った。開け広げられた額にそっと苦笑を零したルシフェルは身を屈めるとしっとりと彼の小さな額へと唇を押し付ける。いつか記憶が戻ったら、自分の元から離れてしまうのかもしれない。そうなるのなら、このまま小さなままでいて欲しい。かちり、と時計の針が動く音がした。肩越しに音の先を見上げると、丁度日付が変わった瞬間を時計が伝えていた。

「誕生日、おめでとう。サンダルフォン……愛しているよ」

ふいに彼の顔が和らいで、小さな口からルシフェルさま、と笑みまじりの声が間接照明の明かりに照らされた部屋にそっと溶け込む。それがあまりにも無垢で、親を慕う子供のそれだったから。自分の感情とのあまりの違いにルシフェルは自嘲の吐息をついた。