灼かれるようだ、と揺れて滲む視界の中で思った。彼の背中をかき抱くようにしがみついて、あられもない声をあげて、ただただ溺れてしまいそうな程の快楽を与えられて。ふと束の間冷静な思考回路が戻ってきた時、思った。内側から、灼かれるようだ。
サンダルフォンはじんわりと上がっていくその体温の正体を知らない。いや、知らなかったのだ。時折ぽっかり空く心の虚にひたすら詰め込まれて与えられるあの充足感と、ただ優しく降ってくる、あの人と似て非なる声音と、肌と肌とが合わさったその間からとろりと全身を浸す体温とが、長らくサンダルフォンの真っ当な思考を奪っていたから。あるいは心と体を別にしてしまえる彼に、自分も割り切らなければと無意識に思って、厳重に鍵をかけた末に気づくのが遅れてしまったのだろう。
サンダルフォンには初めての変化だった。今まで自分を見てほしい、自分のことを考えてほしい、自分を愛してほしいと心の隅で声高に叫び続けるだけだった己の精神が、凪いだようにまっ平になって、彼はどうだろう、どう考えているのだろう、と考え出す。その、変化が。だからこそ不意に耐えきれなくなった。彼が自分を愛してはいない、その事実が。気持ちも伴っていないというのに、肌を合わせることが。触れた肌の間から、己の感情が伝わってしまうことが、堪らなく嫌だった。
*
「あれ?珍しい面子だね」
甲板と、停留した港のデッキとの間にかけられた足場に、片脚だけをかけたところで、声をかけられて、サンダルフォンはそっと肩越しに声がかかった方を見やった。視線の先には、大きなバスケットに保温ボトルやパン、スープの入った小さな鍋やらを詰め込んだものを抱えて、元々大きな瞳をパチパチさせながらこちらを見るグランの姿があった。足場にかけていた脚を引いて、彼に向き直ったサンダルフォンは、どういう意味だ、と大仰に眉根を寄せる。その顔を見上げてにんまりと笑んだグランは、サンダルフォンの脇をすり抜けると、欄干から乗り出すようにしてデッキの方を見下ろした。
「ローアイン達と、後はイングウェイ?喧しいってあんまりつるんでなかったじゃん。どういう風の吹き回し?」
「一杯飲んで街を彷徨いてくるだけさ。よくあることだろう。別段不思議なことでもなんでもない」
小さくため息をついてそう言うサンダルフォンを、グランは胡乱げな目で見上げた。そういえば、と。先程艇内の廊下ですれ違った珍しい様子の“彼”を思い出す。滅多なことでは己のペースを崩さない癖に、自分に声をかけてきた時にはひどく焦っていて、サンちゃんは知りませんか、と交わす言葉もそこそこに訊ねてきた彼は、もう少ししたら甲板に上がってくるのかもしれない。自分は知らないが、二人の間で何かあったのだろうか。ここ最近の二人は口論もさほどすることなく、持ちつ持たれつ棲み分けができているとばかり思っていたが。気になり始めたら堪らず、グランはサンダルフォンの腰布をそっと引くと、どこかバツが悪そうな彼の顔をじっと見つめて、あのさ、と切り出す。
「ルシオと、何かあった?」
「……どうして、いきなりそうなるんだ」
「だってさっき、ルシオとすれ違ったけど、すごく焦ってる感じでサンちゃんは知りませんかって聞かれたから、」
「サンちゃん!!」
来た。言葉尻を遮る、常ならば絶対聞けないような大音声に、ひりつく耳を押さえながらグランは内心、呟いた。そろそろと視線を向ければ、そこには肩で息をするルシオの姿がある。あんなにも大きな声で呼ばれたと言うのに、サンダルフォンはちっとも振り向こうとはしない。ほら、やっぱり何かあったんじゃないか。バスケットを抱え直しながら、触らぬ神に祟りなしと決め込んだグランは、そろそろとサンダルフォンから距離を置く。いや、この場合は人の恋路をなんとやら、だろうか。
俯いたままのサンダルフォンに、足音荒く近づいてきたルシオが、ぶらんとぶら下がった彼の手首を勢いよく掴む。冷静でない者が聞いたならば8割方聞き逃すような小さな声で、サンダルフォンが痛い、と呟いた。案の定、彼の声を聞き逃したルシオが、そのまま己の両手で彼の手を包み、待ってください、と震える声で言う。
「サンちゃん、待ってください。街に出ないで。私と話をしてください」
「……ら、……にを」
「サンちゃん、どうか、っ」
言い募ろうとしたルシオの手を振り払って、サンダルフォンが勢いよく顔を上げる。露わになったその表情に、見ていたグランはぎょっと目を向いた。泣いている。あの、サンダルフォンが。間に入ることも、声をかけることも出来ずに硬直しているグランの前で、サンダルフォンは目尻に滲んだ涙を散らしながら、握り込んだ拳でルシオの胸当てを叩き始めた。
「今更何を言っている!!俺達は始めから割り切った……っ、割り切った関係だったはずだろう!別に執着する理由もないはずだ……!!何とも思っていないなら、俺のことは放っておいてくれ……頼むから、捨てさせてくれ……」
ガツガツとルシオの胸当てを叩く音が、徐々に間隔を開けていき、そうして完全に止まる。ずるりと力なく胸当てをずり落ちて放り出された手を、黙ってされるがままになっていたルシオがそっと握り込んだ。びくり、とサンダルフォンの体が可哀想なほどに震えて、重たい前髪の隙間から怯えたような赤い瞳がルシオを見上げる。
「サンちゃんは、いつでも自分で決めて、自分で終わらせてしまうんですね」
来てください。話をしましょう。怒っているのか、悲しんでいるのかわからない無表情を浮かべて、ルシオが彼の手をしっかりと握って、甲板を降りて行く背中を、グランは黙って見送った。小さな鍋に入ったスープは、いつの間にか覚めてしまっていた。ああ、これでは見張り番の人たちに渡せやしない。小さくため息をついて、緊張で凝り固まった肩をほぐすようにして動かしたグランは、欄干から身を乗り出すと、大音声が聞こえたのであろう、下でおっかなびっくりこちらを見上げているローアイン達にそっと苦笑を向ける。
「ごめん。サンダルフォン抜きで行って」
あとでスープを温め直した手間賃はもらうぞ。心の中で艇内に消えていった二人に語りかけて、グランは厨房に行くために艇内に降りる階段に爪先を向けた。
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