香春 蘇葉
2020-05-13 00:03:16
2235文字
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帰り道

リハビリ1周年記念ルシサン

 今日は雲ひとつない晴天で、夜もよく晴れると誰かが言っていた。立ち寄った町で作物を植える前に豊穣を願う祭りがあるということで、この日はグランやルリアを始めとして殆どの団員たちが浮き足立っていた。中には自ら進んで町の人々に混じり、祭りの準備を手伝う者もいたと言う。かく言うサンダルフォンも、夕方辺りから団長に連れ出されて高い場所での作業等に駆り出されていた。まだ再顕現して日も浅く、人の子と比べても体が弱いルシフェルは、遠くの方でちょこんと腰掛け、人々の喧騒に巻かれながら作業をするサンダルフォンを嬉しそうにずっと眺めていた。飽きませんか?そうサンダルフォンが訊ねると、ルシフェルはゆるゆると首を横に振ってから、サンダルフォンにしかわからない程度に口元を緩めて、楽しいよ、と噛み締めるように口にした。気を使って言っているようには思えなかったので、そっとしておいて、随分と長い間サンダルフォンは作業に没頭していたのだが。
 気がつけば木箱を積み重ねた上に座っていたルシフェルの姿は見えなくなっていた。再顕現を果たしてからこちら、役割の重さからも解き放たれた彼は、以前よりも好奇心が赴くままに行動する傾向が強くなっていた。大凡、サンダルフォンが作業をしている間に、何やら興味を引くものを見つけて追いかけていったに違いない。作業は粗方終わっていたので、町の人間に抜ける旨を伝えてから、サンダルフォンは一度ぐうるりと辺りを見回した。辺りにはもちろん、ルシフェルの目立つ姿はない。薄暗く闇がかかり始めて、夜が近づいてきていた。
 にわかに華やぎ始めた町のメインストリートを抜けて、町外れに出る。てっきり途中で見つかるものと思っていたルシフェルの姿を、どの露店の前にも見つけることができずに、胸の底の方でさわりと焦燥が波打った。そうこうしている内に、気がつけば町全体を見渡せるような高台まで足を向けていて、初夏の温んだ風と草の匂いが鼻腔を打つ。風に輪郭をなぞられるままに、ふわりと浮いた毛先を追いかけて空を振り仰げば、誰かが言っていた通りに雲ひとつかかっていない満天の星空が広がっていた。空気が澄んでいるのか、はたまた今日がたまたまそう言った日だったのか。星空にあまり造詣が深くないサンダルフォンにはわからなかったが、とにかく心地のよい夜である。小さな明かりがさんざめく町を背後にすると、吸い込まれそうに深い闇色を湛えた泉がある。何の気なしにそちらへ目をやったサンダルフォンは、たった一点、月明かりがスポットライトのように降り注いだ泉の淵に、見覚えのある背中を見つけて、ひとつ瞬きをした。羽がある背中しか見てきたことがないせいか、最近目にする彼の背は心なしか小さく感じる。あの方の背中に何を不敬なことを考えているのだか。サンダルフォンは己の下らない感傷にそっと苦笑を浮かべて、足音を潜めながら彼の背後へと立った。

「隣に、座っても?」

ぽつりと声をかけると、素晴らしい反応速度で背中越しに蒼い瞳がこちらを振り仰いだ。弱体化して尚、これだけの反応速度を保てるならば、気配を感知するその精度にも気を向けてはくれないだろうか。こちらを見る整ったかんばせが、ぱっと華やいで、自分の名前を呼ぶのを耳朶で受けながら、どこか呆れたように遠い目をして、サンダルフォンは促されるままに彼の隣へ腰を下ろす。ついで記憶より薄くなった彼の肩へと、こてんと頭を預ければ、束の間くすぐったそうに笑って指先で丁寧に癖毛を梳かれた。

「ルシフェル様、人の子の営みは見なくてもいいんですか?」

「うん。日中ずっと眺めていたからね。少し、息をつきたくて、静かな場所を探して歩いていたら、ここにたどり着いてしまった」

でも、ここも星々の話し声が賑やかだね。重ねて緩やかに鼓膜を揺らす穏やかな声音に、サンダルフォンはそっと目を細めた。
 不意に地面に放り投げていた手をルシフェルがそっと握り込んだ。驚いて、預けていた頭を起こせば、緩やかに弧を描いた蒼がこちらを慈しむように見ている。

「それに、私の姿が見えなくなれば、君が探しにきてくれるだろうと確信していた」

「心配したんですからね」

「ふふ、君と二人になりたかった。許して欲しい」

嬉しそうに、くすぐったそうにくすりと笑ったルシフェルが、首を傾けて顔を寄せてくる。彼が乞うことを正しく察したサンダルフォンは、ほんのりと頬が熱くなるのを自覚しながら、伸び上がると、ルシフェルの唇にそっと己のそれを重ねて、一度僅かにすり合わせてから、離した。
 にわかに手を握る力が強くなった。徐々に上がる体温に温んだ目元で、上目にルシフェルを見やれば、うっそりと笑んだ目のその涙袋に、毛ぶるまつ毛が影を落として、その合間に蒼い燐光が揺れていた。まるで水底みたいだ。息をするのも忘れて見惚れていると、不意にルシフェルがさて、と腰を上げる。

「今宵、特異点達は帰らない。静かな部屋で早く君に触れたい、と言ったら、君は許してくれるだろうか」

見下ろすルシフェルの背後で、溢れそうな星が瞬いた。ああ、なんと幸せなことだろう。そこにいてくれるだけで、もう胸がいっぱいだというのに。
言葉が告げずサンダルフォンは慌ててこくこくとうなずいた。ルシフェルに引かれるようにして腰を上げて、帰路へと爪先を向ける。そんな二人の背中を、満天にさんざめく星々だけが見送っていた。


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