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香春 蘇葉
2020-05-08 00:54:46
2268文字
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君と朝日が見てみたい。
ルシサン
【本の虫は蒼い空の夢を見るか。】
旅行?そう彼の言葉を繰り返すように呟けば、資料を書棚に戻したそのままの姿勢で、蒼い瞳が柔らかく笑んでこちらを見た。
「来週からの長期休みに、一緒にどうかと思ってね」
先日、近所の商店街でくじを引いた時に、幸運にも有名温泉地のペア招待券を当てたという。と、いうかこの人、商店街で買い物するのか。あんな高級高層マンションに住んでいるというのに、存外庶民的なところもあるんだな。心の内で独りごちて、俺お金ないですよ、と渋い顔をして言えば、君が案ずることはないよ、と彼が薄く笑った。何となく、彼が口にするのにしっくりする言葉だな、と見惚れるようにぼうっと感じ入っていると、不意に視界が彼の着ているカーディガンの編み目でいっぱいになって、するりと彼の綺麗な指先が、優しく目の下を撫ぜた。
「体調でも悪いのだろうか。近頃は寒暖差が激しい。調子を悪くしているというのなら、今日は喫茶店に行くのをやめて、君の家に送ろう」
「へ
……
?あ、いや!体調が悪いというわけではないです!!ただ少し考え事をしていただけで」
はは、と茶を濁すように乾いた笑い声を唇の端から漏らして、彼の指先からそっと逃げれば、ほんの少しムッとしたような顔をして、彼の大きな掌が追いかけてくる。頭を撫でようとするそれを、絶妙なタイミングで避ければ、更に躍起になったようでじりじりと近づいてくる両手の指先が大人気なくサンダルフォンの脇腹を擽った。
「あは、あははははっ、ちょっと
……
もう、やめてくださいよ
……
くっ、ふふ、ナンセンスだなぁ」
「君が私から逃げるのが悪い」
親しい人間にしかわからない程度に彼の唇が尖っていた。普段は落ち着いていているのに、こういう時に子どものような表情を見せるのだから、ずるい。
「それは失礼しました。では、俺は何をすれば貴方の機嫌を直せますか?ルシフェル教授」
「ゴールデンウィークの三日間を、私に」
「
……
友達として?」
伺うような視線を向けながら、ルシフェルの手の甲を悪戯混じりにそっと撫でる。彼の体がぴくりと揺れて、ついで凄絶な微笑みを向けながらこちらを向く様に、サンダルフォンは知らず背筋を震わせながら続きの言葉を待った。
「まだ、友達として、だね。故に安心して欲しい」
手を出すつもりはないよ。ルシフェルの瞳が、春の終わりに差し掛かった柔い日の光の中で淡く光を弾いた。お返しだと言わんばかりに小指を握る掌の体温と、こちらに向けられる眼差しの温度に、束の間心音が速くなる。いっそ恋人から始めてくれたらよかったのに。彼との友人関係が心地良くて。でもこの距離がもどかしくて。最近思い悩むことが増えたサンダルフォンは、この旅行が少しは打開の役に立てばいいな、と。こちらを見下ろす大凡友達に向けるものとは思えない温度の瞳を、悪戯っぽく笑いながら見上げた。
*
「手を出さないって!言ったじゃないですか!」
宿に着いて荷物を下ろし、真っ先に温泉に入りに行きあとは部屋で山ほど持ってきた本で読書でも。そうして夕飯時にようやく重たい腰を上げて、二人で旅館の食事会場へ行き、満腹で戻ってきてみれば、部屋で出迎えたのはぴったりとくっつけられた二人分の布団。
これは普通夫婦やカップルにする対応なのでは。と瞬間的に勘違いをして声を上げたサンダルフォンを前に、おろおろとしながらルシフェルが言葉を重ねた。
「誓って、そのような意図はない」
「じゃあ何故あの招待券がカップル向けペアチケットだと俺に言わなかったんだ
……
!」
「それはあわよくば君と
……
」
あわよくば?やけにすんなりと出た言葉に、サンダルフォンは微かに肩を揺らした。そろそろと視線を上向かせた先ではまるで生娘のように頬を染めたルシフェルが、手に持っていた希少本で口元を隠しながら、君と、と再度消え入りそうな声で言う。その先を、聞いてしまったら何かが変わってしまうかもしれない。ルシフェルは最初から交際を前提に友人関係を申し出てくれていたのに、そんな彼の優しさに甘えて今日もずるずる心地いい曖昧さの海に浸っている自分に、踏ん切りをつけさせるための転機なのかもしれない。
サンダルフォンは硬く息を飲んだ。その目の前でルシフェルはあいも変わらず頬を染めながら、柔らかな無表情で、蒼い瞳をこちらに向ける。不意にそっと、彼が手にしていた希少本が差し出された。数週間前に二人で出掛けた時に、読みたいという意見が一致して一日中歩き回り、日が暮れる頃にようやく街の片隅にある古本屋で見つけたものだ。
「君と、枕をくっつけて、夜が明けるまで希少本を読みたいと考えていた」
君が、私と同じ布団が嫌でなければ。束の間、サンダルフォンの動きが止まった。忘れていたのだ。自分もそうだが、ルシフェルだって超がつくほどの本の虫だということに。自分はなんだってこんなにも構えていたのだろう。にわかに恥ずかしくなってバツが悪そうに頬を掻いたサンダルフォンは、おずおずとルシフェルが差し出した希少本を手に取ると、小さく苦笑を浮かべて頷いた。
そして、翌朝。見事に二人して寝落ちたその結果、思いの他寝相の悪かったルシフェルが、ほぼ浴衣を脱いだ状態になっていて、素肌の逞しい腕でサンダルフォンをしっかり抱きすくめていた。刺激の強い朝に情けない悲鳴を上げたサンダルフォンは、その後ずっとルシフェルから二、三メートルほど距離を置いてやりとりをしていたという。
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