ながひさありか
2023-11-27 22:40:15
1751文字
Public FF16-JC
 

そっちが先にいったのに4


 まずそうに手のひらに吐き出した兄さんから逃げ出し、リビングからティッシュ箱を引っ掴んで投げる。
「いきなりどういうつもり?」
 怒った僕に不思議そうな顔をしながら汚れた手と口許を拭う兄さんを見下ろし、酔うと意外と面倒臭い人だったのか、と新たな発見に驚いていた。それはそれとして、酒に強いはずの兄さんが、こんな風に酔うまで飲むような関係の相手がいることには複雑な感情を抱いていた。もしかすると同僚かただの友人か、あるいは職場の上司の可能性もなくはないけれど、これこそ多分僕の願望だろう。
「飲みすぎだよ」
 呆れてため息をつきながらリビングへ戻り、冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出す。廊下で濡れた後頭部を壁につけたままぼんやりしている兄さんに「ほら」とぶっきらぼうな声を出して渡す。キャップを開けて無言で飲むのを確認してからドライヤーを引っ張り出し、自力で乾かす気が微塵もなさそうな兄さんの髪に熱風を当てる。
 時々、兄さんが手入れを怠ってそのまま自然乾燥に任せようとするのを嫌がって僕が乾かしていたから、勝手はわかっているし、兄さんも特に反応を返さない。それはそれで、意識されていないってことか、とも思うので、複雑だ。
 この間までの僕であれば、兄さんの髪に触れるのは少なからず緊張する瞬間だったけれど、いい意味で幻想が壊れたのか、そこまででもなくなっていた。
「もういいのか?」
………………
 何が、とは聞かなかった。兄さんが何を聞いているのかはわかっていたし、僕はそれに対する答えを迷っていた。
 あのまま流されて二度目のセックスをしてしまっても多分よかったんだろうけど、そもそも兄さんがどういうつもりなのかわからないし、お酒の勢いでしてしまうのも気に入らない。
「それ、僕が誰で、ここがどこなのかわかって言ってるんだよね?」
 酔ってたから相手を間違えた、なんて後で言われでもしたら最悪だ。
 僕の問いかけに、大人しく髪を乾かされている兄さんが不思議そうに首を傾げる。
「どこって、自宅だろう。……俺がお前を見間違えると思うか?」
 心外だ、とでも言いたそうに眉を寄せる兄さんに、僕もむっとしてしまう。髪に指を通しながら乾いたことを確かめて、スイッチを切る。
「お前がしたそうな顔をしていたから、」
「してない」
…………………
 兄さんの言葉尻を捉えてぴしゃりと言い放つと、なんとなく気まずい沈黙が落ちる。
 もしかすると本当に兄さんの言うとおり、僕はして欲しそうな顔をしていたのかもしれなかったが、そうかも、と素直には言いたくなかった。
「遊ぶのは構わないけど——
 苛々と感情が逆立ったまま口にして、いや、と慌てて口を閉ざした。
 続きをなんとか飲み込むと、はぁ、と溜息を吐く。
「『構わない』が?」
……なんでもない。『分別のある大人』の兄さんに言うことじゃない」
 遊ぶのは構わないけど、したりないからって僕を使うおうとしないで。
 最後まで口にしなかったのは、もしそれが事実なら、兄さんが好色であることにショックを受けて言った僕の方が傷つくのがわかっていたからだ。真実でなければ兄さんが傷つくのもわかっているし、喧嘩になってしまうかもしれない。
 別に兄さんと喧嘩をしたいわけでも険悪になりたいわけでもないし、ましてや傷つけたいわけでもない。
「兄さんは……、」
 床に落ちていたタオルを拾って、ドライヤーを片付けるついでに洗濯カゴの中に放り込む。そうする内に、尋ねようと思っていたことは、やはり聞くべきではないだろう、と自分の中で結論が出る。
「なんでもない。僕も二度寝するから、おやすみ」
 兄さんを廊下に置いて、先に部屋へと戻る。どうせ隣のベッドに兄さんが入ってくるんだから、諦めてベッドにまで押し込めばいいのに、今はそうしたくない気分だった。
 ベッドに入って布団を被ると、はぁ〜、と盛大なため息が出る。兄さんがドアを開ける気配はまだない。もしかするとソファで眠ってしまうかもしれないと脳裏にそんな可能性が浮かんだが、あえて考えないことにした。
『もしかして兄さんって、僕のことが好きなの?』
 お酒で酔った人に、そんな博打は打ちたくなかった。


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