ながひさありか
2023-11-19 21:48:41
1459文字
Public FF16-JC
 

そっちが先にいったのに2


「お前、今大事な時期だろ。溜まってるなら俺が相手してやるから、」
 は? と反射的に言わなかっただけ偉いと褒めて欲しい。
 どこの世界にセックスを「した後」に、「溜まってるなら……」なんてさも相手の性欲を咎めるように言い出す奴がいるのだろう。
 ここにいる。先にシャワーを浴びて出てきた僕の兄だ。
 もう今更なんだし一緒に入ればいいじゃないか、と汗を早く流したかった僕の提案をやんわりと拒絶して、一人で先に浴びてきた挙げ句の果てに出てきた言葉だった。流石に、すぐに返事をするのが癪で無言で兄さんの脇を抜け、湯気の籠る換気の悪いシャワールームへ入る。
 大事な時期、と言うのはレポートの発表が間近だからと言う話だろうか。確かに教授が気難しくて大変なんだ、という愚痴はちょっとだけ兄さんにしていたけれど、僕は社会人の兄さんと違ってまだ学生で、別に研究者として名を馳せて行こうとしているわけじゃあない(今のところは)。
「第一、言うならせめて恋人を作れ、だろ……
 自分で言っておいて、かなり嫌な気分だった。ため息をついき、嫌な気分を泡と一緒に排水溝へ流すことにする。
 兄さんと勢いで寝てしまったことに対して罪悪感は少しだけあったが、後悔はしていなかった。
 健康な人間であれば性欲だってあるし、溜まるものは溜まる。恋人だって作ろうと努力はしてみたし、なんとなくそれっぽい関係になった子もいたけれど、結局僕の態度が不誠実を理由に振られていた。それに対してショックを受けていない自分にちょっとだけ落ち込んだ時期もあったが、今は開き直ってしまっている。
 僕が恋人を作れないのは完全に僕のせいだからだ。子どもの頃からの憧れ——や、様々な感情を勘違いしている気がずっとしていたけれど、ここまで来てまでそんな言い訳はしない。
 シャワーを浴びて出てくると、さっさと服を着替えた兄さんがぼんやりとベットに足を投げ出しているのが見えた。仕事を終えた後のように少し疲れた目許が気怠そうで、その理由を知っているだけに、いつもより色っぽく見えてしまう。
 目を伏せてスマートフォンをいじっている兄さんの顔が液晶の光に照らされている。瞼のなだらかな稜線と長い睫毛をじっと見つめながら、「さっきの話って」と声をかけた。兄さんが端末から顔を上げる。
「僕がしたくなったら、また兄さんがセックスしてくれるってこと?」
 一切の誤解も許したくなかったから、わざと明け透けな物言いをした。そうじゃないならここで否定して、今夜のことは若気の至りなり同情なりなんなり、勝手に決めつけて流して欲しいと思っていた。その方がお互いに傷つかないに決まっている。
 兄さんは深い青の瞳で僕を見つめて、暫く考え込むように口を閉ざしていた。
 その閉ざされた唇がさっきまで熱い息を僕の肌に吐いていたことも知っているし、青く慈悲深そうな瞳が、欲に濡れて僕をじっとりと見つめていた瞬間ももう知っている。兄さんの肌がどんな風に熱を持って、どんな風に濡れて行くのかももう知っていた。
 ゆっくりとそばに寄って、ベットのそばに膝をつく。
 シーツの上に手を置き、顔を近づけても兄さんは視線を逸らさない。
 どう言うつもりなんだろう、と訝しみながら、そのまま、瞼も下ろさずにキスをする。
 お互いに見つめあったままキスをしていると、兄さんがまばたきを一つする。唇が離れて、微かに兄さんの吐息が肌に触れる。
……そう言った」
 僕は兄さんのこう言う優しさが、時々嫌いだった。


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