ながひさありか
2023-09-12 19:43:21
3449文字
Public FF16-JC
 

夢で見た男

現パロ・作家の弟と存在を知らなかった兄

 三ヶ月に一度くらいの頻度で、一つの物語のような夢を見ている。
 黒髪で左頬に大きな傷のある青い目の男が主人公で、僕は彼の人生を時々夢を通して垣間見ている。そんな気分だった。
 彼は大型犬を飼っていて、犬と一緒に釣りへ出かけたり海へ向かったりする。時々は家の中で本を読んでいる姿も見かける。
 仕事はあまり上手くいっていないのか、夢を見るたびに職場が変わっているようだった。理由は殆ど、上司に恵まれないからだった。理不尽な上司に反論してやめさせられたり、後輩や部下を庇ったのを、無愛想を不真面目と言い換えられて首を切られたり、そんなことがしょっちゅうあるようだった。
 僕は夢でそれを見ながら、落ち込む彼を慰める愛犬と同じような気持ちになっている。愛犬を優しく撫でて抱きしめる彼の柔らかい表情と青い瞳に惹かれていた。
 表情や声、立ち振る舞いから彼が優しくていい人間なのは伝わってきていた。
 時々彼の住居が分かりそうな場面が見えるが、決定的に住所がわからない。もしわかれば、ばかばかしいと思いつつも、彼に会いに行って友人から始めたいとさえ最近は思っていた。
 名前も知らないの彼がこれ以上不幸な目に遭わないでほしいと願っていたが、夢を見るたびに僕の願いは叶わなかった。

   *

 出版社での打ち合わせの帰り、母から電話があり、近くにいるのでお茶をできないかと呼び出しを受けた。急すぎる、と思いつつも、母は自分のやりたいようにやる人なので、指定されたカフェへ向かう。
「兄?」
 五十を過ぎても若々しいままの母が重苦しく口を開き、突然、僕には兄がいるのだと口にした。
「養子に出した子で、戸籍上はすでにお前の兄でも私の子でもありません」
 苦々しい顔で吐き捨てるように言う母に戸惑いつつも、「それなら、どうして急にそんな話を?」と尋ねると、母は紅茶のカップを握った手をカタカタと震わせながら、じっと揺らぐ水面を睨む。
「エルウィンが、私に秘密で遺書を残していたのです。私は息子は一人しかいないのだから、全てお前に譲るようあれほど言ったのに、弁護士を通して……
 話が全く見えない。
 五年前に亡くなった父の名前が突然出てきたことにも驚いたが、そもそも遺産を全て僕に譲るつもりだったと言う話も初耳だ。
 幼少期に病弱だった僕は、貿易商を営む家業の激務に耐えられないだろうと言うことで、父が存命の頃から親族会議で叔父に継いでもらうことになっていた。叔父は商才もあるし、仕事も順調だと聞いている。
 僕は僕で父から自由に生きて良いと言われていたので、貿易に関してはからきしだった。僕は今の、作家としての自分の人生を気に入っている。正直なところもし作家業が上手くいかなくなっても、叔父に「金なら心配するな、気にせず帰ってこい」と言われていたので、将来への不安もない。
 母は生前分与でそれなりに土地をもらったはずだし、再婚相手はやり手の経営者だった。僕は挨拶しかしたことはなかったが、母の身なりを見れば特に問題がないこともわかる。きっと今も順風満帆な人生を送っているはずだった。
 それなのに、何をそんなに怒っているのだろう。
「私はお前に全てを譲るつもりです。あんな出来損ないに財産を渡そうだなんて、エルウィンは一体何を考えて……
「あの……母上、すみません。話が良く見えないのですが、父上の遺言にはその、僕の兄ですか? に財産を譲るだとか、そんなことが書いてあったということですか。でも家督はバイロンおじさんに譲りましたし、そもそもおじさんはなんて?」
 僕の疑問に、「そこが問題なのです」という母の怒りのこもった静かな声が返された。
「エルウィンはそもそもあの男と繋がっていて、自分が死んで五年経ったら家に受け入れるよう準備を進めておいたらしいのです。一体誰のおかげでロズフィールドがここまでの家になったと……、あんな男を今更家に戻すなんて信じられない……!」
 ヒートアップする母のヒステリーに引きづられないように、曖昧に相槌を打ちながら聞いているふりをして紅茶を飲む。きっと母からは正しい情報を得られないだろうから、後でおじさんに確認した方がいいだろう。
「つまり、兄が近日中に家に戻ってくるから、顔を見せた方がいいと言う話ですか?」
「お前に兄はいません。ただ、告知義務があるだとかなんだとか、私の口から言えと忌々しいことに記載されているので、伝えに来るしかありませんでした。——ジョシュア、お前に兄はいません。私の息子もお前だけです。だから、お前が兄を認める必要はありません。お前の財産を奪い取ろうだなんて私が許しません。近々バイロンから連絡があるかと思いますが、応じなくていいのです。それを言いにきました」
「分かりました」
 ——と、言っておくしかないことは経験でよくわかっていた。もちろん僕は自分の兄という人がどんな人なのか気になっていたし、父と叔父が家に戻ることを認めているのであれば、きっと悪い人ではなかっただろうと感じていた。
 母は不機嫌そうに深いため息をつき、紅茶に口をつけた。沈黙を誤魔化すために僕もカップに口をつけた。

「ジョシュア。体に気をつけなさい。それから、作家なんてさっさとやめてバイロンの仕事を覚えなさい。いいですね」
 別れる直前、家を出る前も散々喧嘩になった話をまだ蒸し返す母に苦笑し、「作家が気に入っていますから」とお決まりの言葉を返す。母が僕の将来を心配してのことだとはわかっていたが、どうにも受け入れ難い愛情だった。
 母が迎えの車に乗るのを見送って、おじさんへ電話をかける。母に兄の話を聞いて、と口にすると、「週末に顔を出すよう言ってあるから、お前さんも帰ってこい」と朗らかな言葉が返ってくる。
 話が早くて助かるなと思いつつ、「おじさんは兄さんのことをよく知ってるんですか?」と尋ねた。
 おじさんは重苦しい沈黙の後、「アナベラの手前秘密にしておったが……」と、実は父もおじさんも、兄が大学を卒業するまでは秘密裏に支援していたことを教えてくれる。ついでのように、いいやつだとか、頭が良くて優しいやつだとか、そんな話を。
 それから、母がずっと兄の人生がうまくいかないよう手を回していることも。
 正直な話、苛烈な人だとは思っていたけれど、自分の子どもに対してそんな恐ろしいことをする人だとまでは思っていなかったので、兄がいることよりもよほど衝撃を受けてしまった。おじさんの言葉を信じるのであれば兄に過失はないらしい。
『突然兄がいると言われて複雑だとは思うが、クライヴはいい子なんだ。できればお前さんは仲良くしてやってくれ……
 懇願するような言葉に、「困惑はしていますが……」と正直に返した。好きか嫌いか判断する材料はもちろんまだないので、なるべくフラットに再会したいところではあるが……
 おじさんは今回の騒動について僕に謝罪したが、最後まで、どうして僕の記憶に残らないうちに養子に出したのかと言う話は教えてくれなかった。
 本人に聞いていい話だとは思えないので、もしかすると本当に知らない方がいい話なのかもしれない。

   *

 週末、実家へ向かって車を走らせながら、僕は異様な緊張感に包まれていた。
 兄について知ることは少なかったが、おじさんに聞いたいくつかの情報のうち二つが、僕の頭の片隅に引っかかっていた。
 どちらかと言えば父に似ていること、僕より五つ年上だと言うこと、——十年ほど前に怪我をして左頬に大きな傷があること、父から贈られた大型犬を飼っていること。
 夢の中の彼との奇妙な一致だった。まさかそんなことがあるはずもないとわかっているが、妙な予感というべきか、胸騒ぎというべきか、ともかく「そうなんじゃないか?」という不思議な確信があった。
 家の門をくぐり、車の鍵をお手伝いさんに預ける。屋敷の扉が開く。
 目の前に、おじさんと、誰かが話している姿が映る。
……………………、」
 おじさんが僕に気がつき、にこやかな笑顔を向けて声を上げる。おじさんの隣の誰か——彼も、僕に気がついて顔を向けた。

 夢の中で見たあの優しい青い瞳が僕をとらえて、ちかりと光が瞬くのが見えた。
 彼の——兄の唇が動いて、ジョシュア、と確かめるように声が落ちる。
 その音が耳に届いた瞬間、心臓が跳ねたのがわかった。


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