ながひさありか
2023-09-02 01:27:47
3391文字
Public FF16-JC
 

ユーフォリアのこちら側3-1

続き

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『お前の体が丈夫でよかった』
 剣術の訓練の後、遠征先から帰還した父は、寝込んでいるジョシュアの部屋の方向を心配そうに見上げながら、クライヴにそうこぼしたことがあった。
『お前が当主となった後もジョシュアを守ってやれ』
 優しく頭を撫でながら笑った父に、「もちろんです父上」と答えた日のことをよく覚えていた。
 ジョシュアにも嗜みとして剣を振らせていたが、鍛錬を一時間もすれば寝込んでしまう。落ち込んでいる姿を見舞っては「お前は無理をしてやらなくてもいいんだぞ」とクライヴは言って聞かせていたが、ジョシュアは「僕だって兄さんみたいになりたい」と熱の出た赤い顔で苦しそうに息を吐きながら、それでも首を振ってクライヴに訴えていた。
 そういう健気な姿が愛おしくて、同時に自分と違って剣を振るうことさえままならない体の弱さが可哀想でならなかった。
 ジョシュアは寒い夜が続けばベッドから起き上がることもできずに咳と高熱を出し、母親が泣きながら医者に縋っている姿を何度も目にしていた。
 月の耀く寒い夜、医者の痛切な表情を思い出しながら、クライヴはジョシュアを連れて行かないで欲しいとメティアへ祈り、寂しがるジョシュアのベッドのそばで何冊も本を読んでやった。
 小さな手をベッドから伸ばしてクライヴの服の裾を掴むジョシュアに、良くなるから安心しろと微笑みかけて手を握ってやると、弟は小さく頷きつつも、ぎゅっとクライヴの手を不安そうに握り返していた。
 おやすみ、とベッドを離れようとすれば泣いてぐずるジョシュアの姿に、後ろ髪を引かれてしまう。そうしてベッドに突っ伏して眠ってしまい、翌朝乳母に叱られることが何度もあった。
『兄さん、僕のせいで怒られてごめんなさい……
 ベッドから起きてきたジョシュアがクライヴにしがみついて、潤んだ瞳で見上げて来るたびに、「お前が気にするようなことじゃない」とクライヴは答えていたが、その言葉に嘘や偽りはなかった。
 可愛い弟に懐かれて嫌な気持ちになる筈もなかった。
 
 ジョシュアがフェニックスのドミナントとして覚醒したその日、クライヴは自身がぼんやりと思い浮かべていた将来が潰されたことよりも、ジョシュアのあの病弱な体で果たして無事に成人を迎えられるのかどうかの不安の方が大きかった。
 何よりジョシュア自身が一番ショックを受けていて、「僕じゃない」と泣きじゃくりながら屋敷の一部を燃やす騒ぎを起こしていた。
 クライヴは慌ててジョシュアの燃える——文字通り——体を抱きしめて落ち着かせながら、火傷で爛れた皮膚の痛みよりも、弟の小さな体にのしかかった重責に心を痛めていた。
 泣きながら謝罪を口にし、癒しの力を行使するジョシュアを優しく慰めて、クライヴは生まれたばかりのジョシュアが小さな小さな手でぎゅっと自身の指を握りしめたその日のことを考えていた。
 ジョシュアを守ってやろう。それだけは、例え家督を継げなくなったとしても変わらない想いだった。

 クライヴの帝王学を担当していた貴族の教師はいつの間にか弟の教師となり、今まで次期当主として領地管理や世界情勢を学んでいた時間がすっかりそのまま空いてしまった。もちろん家庭教師はついていたが、家督を継ぐわけでもない兄に熱心に教える程の熱が、教師側になくなっていた。
 勉学の代わりに父の右腕であるマードック将軍に剣術を習う時間が増え、剣術の腕を見込まれたクライヴは、やがて弟を守るために騎士を目指すようになった。

 誰もが腫れ物に触るようにクライヴによそよそしい時期もあったが、弟がドミナントとして覚醒して一年も経てば、国中の誰もがそれに慣れて、元からジョシュアが次期当主としての運命を背負って生まれたかのように接していた。
 能無しの嫡男、タダ飯ぐらいの第一王子。
 母親さえもクライヴをいないものとして扱うようになり、クライヴはドミナントとして覚醒しなかった自分に、母や臣下や民に望まれた自分にならなかった自分に失望していた。考えてもどうにもならないことだったが、どうしてそうなれなかったのかと落ち込むたびに、ジョシュアが以前と変わらず真っ直ぐに慕ってくれるのが救いだった。

『ねぇ兄さん、フェニックスは自分のナイトに《祝福》を与えることができるんでしょう?』
 鍛錬の休憩中、クライヴのそばへ馳け寄ってきたジョシュアが、頬を紅潮させながらそう尋ねて来た。
 クライヴは興奮するジョシュアを宥めつつも首肯し、「それが?」と尋ね返した。
『だったら、僕のナイトは兄さんしかいないよね? お願い兄さん! 僕のナイトになって!』
 兄さん以外を《祝福》するなんてあり得ないよ、と捲し立てるジョシュアの純真さにクライヴがどれほど救われたのか、きっとジョシュアは今となっても知らないだろう。
 誰からも望まれなくなったクライヴ・ロズフィールドを真っ先に必死で望んでくれたのは、弟のジョシュアだけだった。

   *

 ジョシュアが時々思い詰めたような顔をして、何かクライヴへ言いたそうに唇を開いては諦めているのを、本当はずっと知っていた。
 言いたくないのであれば聞かずにいるべきか、と考えていたが、まさか本当に最期まで口にしてもらえないとは思ってもみなかった。
 腕の中でだんだんと冷たくなって行き、今や完全に命の火の消えたジョシュアの硬い体を抱きしめながら、果たしてジョシュアは何を隠していたのだろうかと呆然と考えていた。
 敬愛してくれているのであればなんでも教えて欲しかったなんて傲慢なことを言いたくはなかったが、あれほど思い詰めた顔をするのであれば、いつかは話してもらえると思っていたのも事実だった。
 隠れ家での弟との会話、再会した瞬間、五年前の後ろ姿、十八年前の炎の夜、その少し前のナイト就任式。弟がドミナントに覚醒した日。お揃いのイヤーカフをやっとつけられるようになって、つけてやった日のジョシュアの眩しい笑顔。
 ベビーベッドに横たわる弟に箱を見せて、お前にプレゼントがあるんだと笑うと、まだ会話のできない弟が声を上げて笑いながら手足をバタバタさせていたあの日。生まれたばかりのジョシュアの小さな手。それの意外なほどの力強さと熱。
 ひとつひとつを思い出しながら、この身に宿った力について、クライヴはふと気がついた。
 ジョシュアの《火》を取り戻せるのかどうかは、血だらけで、爪先で叩けばコツコツと音がするはずの硬い体に手をかざし、傷が消えて行くのを見てもまだわからなかった。この魔法が《フェニックス》でしかないのであれば、傷が治るだけで、それ以上の事は起きるはずがないことも知っていた。
 それでも、もしかしたらと縋らずにはいられなかった。
 ずっとそばで守りたかったもの、終ぞ守れなかった、守らせてはくれなかったゆいいつの主人。
 子どもの頃からずっと、病弱な弟はいつ死んでもおかしくはないと医者に言われていて、覚悟をしていたはずだった。けれども、愛する家族を喪う覚悟なんてできるはずもなかったのだ。いくらジョシュアが血を吐き苦しんでいる姿を間近に見ても、そんな事はあり得ないと愚かに信じていた。
 ジョシュアがずっと前から死ぬ覚悟を真実決めていたことに気付いたのは、彼が腕の中で自分に力を移しはじめたその瞬間だった。
 覚悟がないのはもうずっと、自分の方だったのだ。
 ジョシュアが手を差し伸べ、名前を呼んでくれなければアルテマの精神世界で心が折れそうになるほど依存していたくせに、夢や幻覚の中でさえジョシュアが自身を罵る姿を想像できないくらい盲目的に愛していたくせに、ジョシュアの「正直もう保たないかもしれない」という言葉を、信じたくないあまりにずっと信じてこなかった。
 もし、ジョシュアをもう一度この手に取り戻すことができるのであれば、今度こそ本当に、《何》からも弟を守って、彼の望みを叶えてやるつもりだった。
 そもそも自分たちは元々がひとつであるのが正しい姿で、分かたれてはならないのだ。——であれば、ジョシュアの望みは自分の望みも同然だった。
「俺は、お前がいないとだめなんだ」


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