ながひさありか
2023-08-31 02:02:18
3094文字
Public FF16-JC
 

目視可能な天国

現パロ・双子

 兄さんより先に起きることは少ないのだが、朝でなければ、寝顔を眺めている時間が長いのは僕のほうだろう。
 ソファの上で本を読みながら眠気に襲われてしまったのか、兄さんは普段はかけていない眼鏡をかけたまま、オットマンに足を投げ出して眠っていた。
 左手の指を本の間に挟み、右手はお腹に上に置かれている。
 そっと近づいて左手から本を取ると、栞を挟んで置いてソファの前のテーブルに置く。起きる素振りが見えないことに安心して、鞄を下ろすとキッチンへ向かう。
 棚を確認し、トマト缶とパスタを掴む。冷蔵庫の中身を確認する。ベーコンの切れ端、チーズ、ニンニク、玉ねぎ。これだけあれば十分か、と思いながら、大きな鍋にたっぷりの水を張って、鍋にかけておく。
 お湯が沸くのを待つ間にソースを作ることにしよう。
 冷蔵庫から取り出したベーコンを適当なサイズに、玉ねぎとにんにくは薄くスライスする。途中でお湯が沸いてしまったので、鍋の火を消す。
 スライスを全て終えると、鍋の隣のコンロにフライパンを置に、火をつける。フライパンにオリーブオイルを垂らして熱し、切っておいた食材を炒める。
 ぱちぱちと音を立てながら段々と玉ねぎがしんなり透明になってくるのを確認し、一度火を止める。トマト缶をフライパンにあけて、塩胡椒をふり、コンソメを加えた。
 もう一度火をつけて、ホールトマトを少しずつ潰しながら、しばらく煮ておく。表面がぐつぐつし始めると、トマトとニンニクのいいにおいがしてきたので、少しだけスプーンですくって味見をする。ちょっと味がぼけているような、と思い、少しだけコンソメを加えておく。もう一煮立ち。……今度はよし。
 フライパンの火を止め、鍋に再度火をつける。塩を入れて軽くお湯を混ぜた後、パスタを投入する。早茹で三分、と言うことは二分でいいはずなので、スマフォでタイマーをセットする。この間に兄さんに声をかけておくか悩んだが、まだいいか、とリビングのテーブルに二人分の皿とフォーク、グラスだけを用意しておく。タイマーが鳴る。
 ザルにパスタをあけて、水気を切り、フライパンの上のトマトソースにパスタを投入する。火をつけて、さっと混ぜ合わせた。
 火を消し、フライパンごとテーブルへパスタを運ぶ。チーズをちぎって適当にちらすと、キッチンに戻って調理具を洗っておく。
 冷蔵庫に昨日買って食べきれなかったタコのマリネが
入っていることを思い出したので、それも食卓に並べるようか、と思っていると、背後で小さく兄さんが声を上げるのが聞こえた。
……おかえり?」
 掠れた少し疑問系の声に、「ただいま」と笑って返しつつ、マリネとビールを取り出し、食卓へ置いた。
 ソファへ向かい、眠たそうにあくびをしている兄さんに「夕飯は後にする?」と形ばかり聞いてみると、「まさか」とぱちぱち目を瞬かせて、ふぁ、と伸びをした。
「うまそうなにおいがするな」
「味見した限りは美味しかったよ。——ああそうだ、本はそこに置いておいたからね」
 いそいそと食卓につく兄さんの表情に笑いながら、ソファテーブルを指さす。
「ありがとう」
 一応返事はされたが、すでに兄さんはパスタを皿に移すのに夢中になっているみたいだった。後でもう一回言えばいいか、と思いながら僕も食卓につき、パスタを皿に移す。
「うまい」
 僕がフォークを口に運ぶ前に、兄さんがわざわざそう言ってくれる。まずいなんて言ったことないくせに、と思うけれど、兄さんは言わなくても表情がわかりやすい。にこにこと幸福そうな顔をしているので、今夜はちゃんと美味しかったらしい。
「ならよかった」
 二人暮らしを始めて一番の難関は食事だった。その日の気分で作ったり作らなかったりは今も、暮らし始めた当初も変わらないけれど、僕も兄さんもそれまで自炊はしたことがなかったので、調理器具も調味料も殆どない状態からのスタートだった。
 電子レンジとトースターだけあれば良いし、あとは全部外食でもいいんじゃないか? なんて言いつつ、お互い、なんとなく気が向いて料理を始めてみたものの、最初は恐ろしく時間がかかるか、レシピ通りのはずなのになんとなく味がパッとしない……代物が出来上がっていた。
 しばらく挑戦して分かったことは、僕はそこそこ料理に興味が持てたけれど、兄さんはそうでもなかったと言うことだ。
 そう言うわけで、食事は僕の気が向いた時に作る、そうでなければ何かを買ってくる、と言うので落ち着いていた。
 兄さんがビールを嚥下する喉の動きにぼんやり視線を送っていると、「食べづらいな……」と兄さんが肩をすくめて笑う。
「そう? 普段の方がもっと見つめている気がするけど」
 反論するより肯定した方が兄さんが恥ずかしがって可愛いなんてことはよく知っていたけれど、食事の席で拗れるのは嫌なので、まるでそんなつもりは一切ないかのような顔をする。
 本当はパスタソースのついた口許を舌で舐めているところだとか、口を開くたびに赤く濡れた口腔内が見えてムラついていたし、咀嚼するたびに動く顎や飲み込む時の喉の動きに視線がすぐに取られそうになっていた。
 恋人がこんなにセクシーで良いんだろうか、と嬉しいのと恥ずかしいのが混ざった妙な気分で俯きがちに皿に視線を落とし、大人しく食べているふりをする。
 実際のところ、と兄さんの顔をまたチラッと見て、すぐに視線を皿へ落とす。
 こんなに長く一緒にいるのに、いまだに兄さんが恋人だと意識すると、ふわふわした幸福感に包まれてしまう。
 目の前のこの人は僕のもので、僕も兄さんのものだと思えるのが幸せだった。
 十六で兄さんに好きだと言ったあの日も、僕はどう言うわけか、自分の想いが報われないとは一切考えていなかった。
 僕と兄さんはそうある——世の中の恋人たちが考えるように、一生そばにいて暮らして行くのだと——のが一番自然だとどこか確信めいたものがあった。
 だから、好きだよと言って、まさか「お前と俺は兄弟なんだから」と断らられるとは思ってもいなかったし、半年間、お互いになんとなく口をきくのも戸惑っていた時期は人生で一番不幸な時間だった。
 それがどうしてこんな風に反転したのかなんて、僕が告白をして半年後、自暴自棄になって健康管理を怠った末、生死の境を彷徨うような入院をする羽目になったからだ。
 意識が戻った後、兄さんに「好きになってくれなきゃ嫌だ」と泣いて縋ったりはしなかった。と言うか、そんな無様な姿を晒したって良いとさえ思っていたはずの僕の覚悟は、兄さんに披露する機会をもらえなかったと言うべきか。
『俺がお前を好きになっても本当にいいのか?』
 無菌室のカーテン越しに小さく問いかけられて、呼吸器を外せない僕は、瞼と首をゆっくり縦に動かす事しかできなかった。
 別に死ぬかもしれないから好きだと言ったわけではなかったのに、なんだかそう言うことになってしまった気がするなぁ、と時々ぼんやり考えてしまうことがある。今夜のように。
「兄さん」
 パスタの最後の一口を運んでいる兄さんを、行儀悪く頬杖をついて見つめた。視線を上げてどうした、と声には出さずに問いながら、兄さんが最後の一口を口の中に収めた。
「ソースすごいよ」
 唇を指差して答えれば、む、と眉を下げながら、兄さんが慌ててティッシュで唇を拭う。
 飢えが満たされると他の欲求が強くなるからだろうか?
 口許を拭っている兄さんの唇に今すぐキスしたくてしょうがない。


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