前回→
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兄さんと交代で眠った数時間後、朝陽と共に再びあてもい旅を再開した。
途中、川で水を補給したが、それ以外は二人で黙々と森の中を歩いていた。軽口を叩くと体力を消費するのがわかっていたから無言が続いていたが、不安になるような沈黙でもないので、隣にいるのが兄さんでよかったと思っていた。
果たしてオリジンでの戦いから何日が経過しているのかもわからなかったが、少なくとも二日は経過しているだろう。水はあったが食糧がなく、こんな状況があと数日も続かないことを祈るばかりだった。生き残ったのに餓死は笑えない。普段であれば何かしら保存食を携帯していたが、今回の戦に必要だとは思えず、何も持って来なかったのがこんな風に響くとは思わなかった。
けれど祈りだか願いだかが通じたのか、日が暮れる前にようやく、小さな集落のようなものを発見した。兄さんには左手を布で隠してもらい、襲われませんように、と願いながら住人へと話しかけてみる。
「××××××?」
ところが、言葉が通じなかった。ぞろぞろと物珍しそうに僕たちを見つめながら、住人たちが何事か早口で捲し立てていることは分かる。一瞬聞いたことがあるような言葉が聞こえた気がしたが、記憶の中に合致しない。
身振り手振りでなんとか地図を見せてもらうか、食糧を分けてもらえないだろうかと困っていると、随分と背の低い老人が人々の間を縫って現れた。傍に僕と同じぐらいの男性を連れている。
「もしカして、『内側』のヒと?」
「
……内側?」
その男性はひどくゆっくりと、そして訛りの強いヴァリスゼア公用語を唐突に口にした。内側、の言葉にピンと来て、僕もゆっくりとここはどこなのかと尋ねた。
いくつか言葉を交わし、ここは外大陸であること、風の大陸に戻るのであれば陸路でとある港町を目指す必要があると言うことがわかった。
彼は名をオーリーと言い、十年ほど前、クリスタル自治領に留学をしていたらしかった。そういうわけで(僕たちにとって)運良く公用語を知っていた。
《地図を見せてもらえませんか?》
そう言えば、と必死に記憶から外大陸公用語を絞り出すと、彼と兄さんが同時に驚いた顔をする。
「お前それ、どこで教わったんだ
……?」
「外大陸の文献が読みたくて、ちょっとだけヴィヴィアンと語り部に教わったんだよ。と言っても、喋る方は今後もあまり期待しないで」
まさか使う日は来ないだろうと思っていたが、こうなるのであればもう少し真剣に学んでおくべきだった。
オーリーは僕の言葉に少し嬉しそうな顔をすると、僕たちを自分の住居へ招き、簡素な地図を広げながら、自分たちの集落から港町への道を教えてくれた。
今夜は是非泊まって行って欲しいと言われ、素直に好意に甘えておくことにする。
「それニしても、遭難デもしたノデすか?」
自分たちの居場所すら知らない僕たちに不思議そうに尋ねた彼に、僕と兄さんは一瞬だけ顔を見合わせた。そう言うことにしておこう、と兄さんが小さな声で言う。
「
——そう言うことだ」
物々しく口を開いた兄さんに、オーリーは気の毒そうな表情を向けてくれる。
まさか空から落ちて(恐らく)、気がついたらここにいた、なんて話しても信じてはもらえないだろう。信じてもらえないだけならまだしも、頭がおかしいと思われるかもしれない。
「そう言えば、ここでは魔法が使えなくなった影響はないんですか?」
調理場で薪を燃やし、鍋を火にかけている彼に我ながら白々しいと思いつつ好奇心を抑えきれずに尋ねると、「こっチではカなり昔かラ魔法はナいんですよ」と彼は微笑んだ。
何十年か前までは一部の人間が魔法を使えたらしいが、クリスタルもなく、魔法が使えないのが一般的になっているらしい。海を隔てているとは言え、同じ世界のはずなのにベアラーが生まれないと言うのは不思議な話だった。
「内側は魔法ガ使えて便利デしたね」
彼が懐かしそうに口にするのに、もう使えないんですよと言うのも野暮な気がして、曖昧に頷くに留めておいた。
*
翌朝、彼に食糧や旅に必要なものをほとんど失ってしまったので調達したいと尋ねると、集落にある小さな店に連れて行ってくれた。品揃えはあまり良くなかったが、ここから数日歩けば少し大きな町があるだとかで、そこでしっかりしたものを揃えられるらしい。焦ってもどうにもならないことだけはわかっているので、ここでは最低限の食略と装備を揃えることにする。
ギルで支払おうとすると、店主は小さく首を振った。
「ギルは使えないのか」
「そうみたいだね。
……《宝石と交換は?》」
腰に下げた短剣を止めている飾り紐の青い宝石を示すと、店主はしばらく難しい顔をしてから、首を縦に振る。
「いいのか?」
兄さんが僕の行動に眉を下げて申し訳なさそうな表情をしたが、「こう言う時のために持ち歩いてたんだ」と笑っておく。これは嘘じゃない。ヨーテと旅をしている間、資金は各地の教団員からヨーテに渡されていたが、何かあった時のために換金用の宝石や宝飾品をいくつか持っていた。
火打石や保存食をいくつか、それからランプだの蝋燭だのを購入し、地図を写させてもらって、オーリーに聞いた通りに次の町へ向かう。
「どこかで馬が手に入ればいいが
……」
「そうだね。でもまあ、お互い旅には慣れているから、のんびり行こうよ」
楽観的に聞こえるよう口にしたが、時々足を引きずっている様子のある兄さんが心配で仕方がなかった。だけど、兄さんに視線を向けるとなんでもないような顔をされてしまう。
もしかして僕と旅をしていたヨーテはいつもこんな気持ちだったのだろうか、と今更感じていた。彼女に「旅をやめて体調を整えられては
……」と何度も訴えられたことを思い出し、少しだけ申し訳なくなった。
砂漠でないだけましか、と延々と続く森の中を歩む。こう言う時にトルガルがいてくれたらよかったのかもしれない。
そう考えて、少しだけ胸が痛んだ。トルガルは賢い子だから、兄さんの言いつけを守ってきっとジルや皆を隠れ家で守って待っているのだろう。だけどトルガルだって本当は兄さんと一緒に来たかったはずだった。
「どうした、痛むのか
……?」
足を止め、無意識に胸を押さえていたらしい。心配そうに僕を覗き込む兄さんと視線が合い、「なんでもないよ」と慌てて笑っておいた。
夜になり、火を起こして簡易な食事を終える。長い間アルテマを追って旅を続けて冷たく味気ない食事に慣れていたはずだったのに、どう言うわけか隠れ家でのあたたかい食事が懐かしかった。多分、外大陸の干し肉が少し食べ慣れない味をしていることもあるのだろう。
「不味そうに食うな」
「兄さんだってそう思ってるんじゃないの」
苦笑する兄さんに言い返すと、兄さんは「俺はあまり拘りがないからな」と少し遠くを見るような目をして言った。
「最悪、食べられるならなんだっていいさ」
完璧な失言だった。ザンブレクにいた頃の兄さんの生活を想像しようとしたが、少し考えただけで嫌な気持ちになってしまう。ザンブレクのベアラー兵の扱いは鉄王国よりはマシだと聞いていたが、父上が存命の頃のロザリス公国の扱いが破格だったことを考えると、話したくもない生活に決まっている。
「別にお前が気にすることじゃない」
もそもそと妙な味の肉をなんとか飲み込もうと、顔を顰めながら押し黙った僕に、兄さんは優しく微笑みを浮かべながら背中を軽く叩いてくる。
ごめんというのも変な気がして、首肯しながら肉を飲み込む。さっきまで自分の失言のことを考えていたはずなのに、今は背中に触れる手のひらのあたたかさの方に神経を取られていた。
昼のうちは地図を確認したり、知らない土地で神経を尖らせているから余計なことを考えている暇がなかったのだが、こうして夜になって休むと、途端に気が緩んでしまう。
隣にいる兄さんの熱を感じるたびにたまらない気持ちになるし、「生前」、報われるつもりはないのだと遠慮して好きだと言わなかったことを、目が覚めてからずっと後悔していた。
もしかしてこの先もずっと、どうしようもなく好きだという気持ちを抱えて生きていかなくちゃいけないのか?
……そう考えるたびに、それでいいと覚悟を決めていたはずだったのに、息をするのも苦しいほど体が痛むような気がした。
「ジョシュア、」
肩を掴まれ、心配そうな顔をする兄さんの表情が視界に映る。
「どこか痛むのか?」
籠手を外し、額に手を当ててくる兄さんになんとか笑いながら、大丈夫、と返した。
「僕は本当にもうなんともないから心配しないで。それより、兄さんこそ足を引きずっていたみたいだから、無理はしないで欲しい」
兄さんは僕の言葉が信用できないのか、「熱はないか
……」と額から頬に手のひらを移動させながら、まるで独り言のように呟いた。
心配してくれるのは嬉しかったが、体は本当に信じられないほど軽く、咳をしすぎて常に肋骨が痛いのが普通だったのに、今は何も感じていなかった。胸が痛いのは身体的な問題ではないのは明らかで、もしかすると言ってしまった方が楽になるのだろうかとここ二日ほどずっと考えていた。
隠れ家で過ごした何ヶ月かはあれほど自分を押さえられていたはずなのに、何故たったの数日も我慢できなくなっているのだろう。
「兄さん」
頬から首筋に手を滑らせてくる兄さんと手を掴み、「大丈夫だから」と苦笑するふりをして、そっと手を体から遠ざけた。さっきから心臓が跳ねてうるさいし、目の奥が熱くなっていた。
体温が上がれば、兄さんは今度こそ熱があると勘違いしてしまうだろう。
座り直すふりをして少しだけ距離を取ると、「もう休もうか」と口にして、火を小さくした。
*
「
……………………」
眠っている兄さんを見下ろしながら、困ったな、とため息をついた。
眠りにつく前、兄さんが何か言いたそうな顔をしていたことに気づいていたけれど、気づかないふりをした。
寝顔に手を伸ばし、そっと髪を撫でた。僕とは全く色の違う黒髪にところどころ白髪が混ざっているのが見えて、十八年の歳月と苦労を嫌でも感じてしまう。
顎に触れ、指先で髭の感触を確かめながらじっと見下ろしていると、もっと兄さんに触れたくてしょうがなくなっていた。
眠っている時にこんなことをするなんてよくないことはわかっているのに、どうしても我慢ができなかった。
「
…………ん、」
兄さんが身じろいで小さく声を上げるのに、ぴくりと指先と心臓が跳ねた。
起こしてしまっただろうか、と一瞬ヒヤリとしたが、兄さんは少し体勢を変えただけで、再び寝息が聞こえてくる。ほっとしながら、今度こそ指を引っ込めて、髪と肌を撫でた感触を噛み締めた。
手をぎゅっと握り込み、膝を抱えながらため息をつく。もう、何も考えずに兄さんに好きだと言ってしまいたかった。だけど、どう考えても言わない方がいいに決まっていた。見知らぬ土地で兄さんと気まずくなるのは
——それで済めばいいけれど
——避けたかったからだ。
地図を見る限り、どんなに上手くいっても隠れ家に戻るまで数ヶ月はかかりそうだった。売るものが尽きればどこかで資金を調達する必要があるから、仕事も探さなくてはいけないだろう。ただでさえ先行きが不安なのだから、僕の個人的な感情を優先すべきでないことは明白で、せめて風の大陸行きの船を見つけるところまではこのまま我慢をするべきだった。
「
……無理だろ」
自分に言い聞かせておいて、思わず乾いた笑いが出た。今でさえこんなに苦しいのに、後何ヶ月も何も想っていないふりをして隣にいることを考えると、あのまま死んでしまった方がマシだとしか思えなかった。
勿論こんなことを兄さんに言えるわけもない。たかが恋くらいで思い詰めるなんて、あまりにばかばかしいことだった。
わかっているのに、唐突にそばにいるのが嫌になって、物音を立てないように立ち上がると、火を消して少しだけ離れることにした。
枯れ枝を踏まなように、なんて夜の森の中ではあまりに難しかったから、結局、途中でなるべく音を立てないように足早にその場を離れてしまった。
自分勝手な行動で兄さんを危険に晒すかもしれないのに(だけどきっと、兄さんは一人でもどうにかしてしまうだろうと言う確信もあった)、あのままそばにいたらどうにかなってしまいそうで大人しくしていることができなかった。
あてもなく歩き続けているうちに、少しだけ頭が冷えてきていた。空を見上げて暗い夜を眺めていると、自分の衝動的な行動が恥ずかしく思えてしょうがなかった。
「何やってるんだか
……」
こんなはずじゃなかったのに。
そう考えながら、なんとか来た道をふらふらと戻っていると、兄さんが僕を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
慌てて声の方へ向かいながら「兄さん」と声を上げると、暗闇で剣を抜いた兄さんが影から現れた。反射的に僕も剣を抜きそうになったが、なんとか堪えて「どうしたの?」と白々しく声を上げる。
「どうしたって、お前、勝手に、こんな夜にどこかへ行くんじゃない」
肩で息をしながら、兄さんは僕を睨みつけるような表情で叱った。そんなに必死に僕を探していたのだろうか、と良くない感動で胸が熱くなるのを感じ、勝手に口角が上がりそうになる。慌てて手で口を隠しながら「ごめん」ともう一度口にするが、震えた声で笑っているのがバレて、お前な、と肩を拳で叩かれる。
「子どもじゃないんだから、逆に何かあったのかと思うだろ」
苛々した口調で僕を睨みつけてから、兄さんは剣を背中におさめてほっとしたように息を吐いた。
額の汗を拭って「二度としないでくれ」と苦々しい顔で言う。そう言う顔が見られるのならまたしてしまいそうだ、と悪いことを考えつつも、大人しく頷いておく。
「ごめんね兄さん。ちょっと考え事をしていて、気づいたら足が動いていたんだ」
「
……………………」
はぁ、と兄さんが呆れたように大袈裟なため息を吐いて、僕の手を握る。
「っ、」
びくっ、と握られた手を反射的に引きかけた僕に、兄さんがすっと瞳を細める。
唇をかすかに歪ませて眉を寄せながら、「言いたいことがあるなら言ってくれないか?」と握った僕の手をぐいって強く引く。
怒っているのかと恐る恐る表情を伺い、予想が外れたことに目を見開いてしまう。
青い瞳を揺らして、哀しそうな、淋しそうな表情を浮かべている兄さんに、ぐらりと視界が歪んだような錯覚がした。
握られている手を起点に、身体中を熱が駆けて行く。
息が勝手に切れて、心臓が痛いほど打っていた。
目の奥が熱くて痛い。
上手く言い訳を紡ごうとした喉がわなないて、どんどんカラカラに渇いて行く。
足が地面に縫い止められたかのように動けず、兄さんが焦れたようにもう一度手を引いたのを支えられず、体のバランスを崩した。
わ、と声を上げた僕を兄さんが抱き止めて、左腕が背中に回って来る。
それに気を取られていると、頬に兄さんの肌が触れて、髭の感触がかすかに表面を擦って行く。
ざわざわと髪が総毛立つような感覚がして、目の前がちかちかと明滅していた。体から力が抜けそうになるが、兄さんに抱き止められいるのでそうはならない。
兄さんの呼気が肌に触れて、一気に体温が上がる。体の中でどくどくと心臓の音がうるさく鳴り響いていた。
握られていた左手を解かずに、顔を上げる。
「兄さん、
…………この旅の間だけでいいから、わがままを聞いて欲しいんだ」
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