ながひさありか
2023-08-24 01:53:24
4909文字
Public FF16-JC
 

おやすみ、優しい夢を見て

夢と現実のあわい まだ恋じゃない

 足下がふらつくジョシュアに「少し休もう」とクライヴが声をかけたのは、陽が落ちる寸前のことだった。
 平気だ、と青ざめた顔で強がりを口にするジョシュアの、麦畑のような金髪が燃える夕陽に照らされていた。柔らかな金の輪郭の輝きに、クライヴは瞳を細めた。炎が彼の身に宿ったかのように、風に煽られてきらきらと燃えている。眩しさに瞬きをした次の瞬間、ゲホ、と水っぽい音がジョシュアの喉から落ち、びちゃりと嫌な音が続く。
 腰を折り、手のひらで口を覆うジョシュアの指の隙間から血が滴っている。クライヴは慌てて弟に駆け寄り、肩を抱えた。心配そうに走ってきたトルガルが、その場で崩れ落ちそうになったジョシュアのクッションになる。
「ジョシュア!」
 クライヴの呼びかけに、ジョシュアは声を発さない。慌てて口許へ耳を近づけると、ひゅうひゅうと隙間風のような呼気が聞こえた。
 クライヴは気を失っているジョシュアを抱えると、なんとか近くの廃村へと向かう。
 戸の壊れた家を見つけ、申し訳なく思いつつそこを使わせてもらうことにする。埃っぽいベッドに弟を寝かせたくないと思いつつも、贅沢を言っている余裕もない。なんとか弟の体を横たさせると、頬を叩き、ジョシュア、と呼び続けた。
 籠手を外して弟の首筋に直接触れ、脈を確かめる。弱々しいが確かな鼓動に安堵の息を吐きながら、クライヴはジョシュアの服の胸許をくつろげ、ボトムのベルトを外してやる。汚れた口許を拭いてやりながら声をかけていると、うっすらと、ジョシュアが瞼を上げた。
「兄さん……?」
「喋らなくていい。だが薬は飲んでくれ。……飲めるか?」
 背中に手を入れて起こしてやりながらクライヴは尋ねるが、ジョシュアは虚ろな視線の定まらない瞳で「ああ……」と吐息するような声を漏らすばかりだった。
「ジョシュア、頼むから」
 クライヴは己の焦燥感を隠せず、情けない声が出ていることを恥じた。けれど、薬を飲む気力もないのはかなりまずい事態だと幼い頃からの経験でわかっていた。
 ジョシュアは「うん」と小さく掠れた声でつぶやくものの、背中を支えるクライヴに体重を預けて、段々と瞼を下ろしはじめてしまう。なんとか抵抗をしようと何度も何度も瞬きをしている姿を見つめながら、クライヴは小さく息を吐くと、「すまない」と呟いてから、自分の口に薬を含む。
 クライヴは薬瓶を放ると、眠りに落ちそうになっているジョシュアの顎を掴み、そのまま彼の喉奥に薬を流し込むように口付けた。
 びくりとジョシュアの手足が震えたが、それでも唇は離さない。ややあってから、こくりと弟の喉が震えたのがわかった。
 苦い薬だった。眉を顰めつつ、クライヴは唇を離して弟の濡れた唇を拭ってやる。
 血の味がする。ようやくそのことに気がついた。
「兄さん……、」
「ここにいるから、安心して休め」
 どうにか首を巡らそうとしている弟から視線を逸らさずに、クライヴはゆっくりと、再び弟をベッドへ横たえさせた。
 ジョシュアの薄く開かれた唇から小さく呼気が漏れたが、それが言葉になることはなかった。
 薄い灰青色の瞳がうとうとと閉じて、やがて瞼の下に隠されて行った。



 目を覚ますと、そこはロザリス城の自分の部屋だった。
 けほ、と咳をする自分の体が熱くて不快で、何より不安で淋しくなっていた。だれか、と呟いた自分の声が随分と高い気がしたけれど、どうしてそう思ったのかはわからない。
 ——ジョシュア? 目が覚めたのか。
 天蓋から下がる布を広げながら声をかけてきたのは、ありし日の兄だった。ジョシュアはまばたきをしながらにいさん、と不安そうに口にする。口にした途端、怖くなってぼろぼろと涙が頬を伝う。
 はっ、と兄が息を飲むのが聞こえ、ジョシュアは急に泣いているところを見られたのが恥ずかしくなった。慌てて袖で顔を拭い、ちがうよ、と言い訳にもならない言い訳をする。
 ——苦しいのか? さっきお医者様が来て、今夜が過ぎれば楽になるだろうと言っていたが……、熱いな。
 兄はしゃくりあげるジョシュアの頬を優しく撫で、安心させるよう「大丈夫だから」と口にする。
 兄の右手にはきらきらと輝くクリスタルが握られており、青く光るそれは随分と涼しそうにジョシュアの瞳に映っていた。舐めたら冷たくて気持ちがいいだろうか、と考えていると、ジョシュアの頬に触れていたクライヴの手がだんだんと冷たくなって行き、部屋の温度が下がって来るのが分かった。
 クライヴは一度ジョシュアの頬から手を離すと、ベッドのそばのサイドテーブルに置かれた水桶の中に手を差し入れた。クリスタルを握ったまま、表面が薄く凍るまで魔法を行使すると、手を水の中から引き抜き、クリスタルをしまう。
 布を湿らせると、固く絞ってからジョシュアの首筋や胸許を拭ってやり、もう一度布を冷たい水で洗って、最後にはジョシュアの額へ乗せた。
 そういえば、母上はいつだってヒステリックに心配するだけで、看病は侍女たちの役目だったな、と甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる兄との差を不思議に思いながらじっと見上げると、「楽になったか?」と優しく微笑む兄と目があった。左耳のイヤーカフが部屋の灯りを微かに反射して輝いてるのを見て、ジョシュアは小さく頷きながら、自分の耳にもはまっているお揃いのそれに触れた。
 耳が痛いのか? と尋ねて来る兄に、ジョシュアの口から笑い声が漏れた。心配してくれる兄の姿にさみしさと恐怖が落ち着いて来るのを感じて、ジョシュアはほぅ、と安堵の息を吐いた。
 ——ねぇにいさん、ぼくがもういちどねむるまで、いなくなっちゃいやだよ。
 兄の袖を掴んでわがままを口にすると、クライヴは「安心しろ」と頷いて、冷たい手でジョシュアの頬を撫でて、唇を押し当てて来る。柔らかな唇の感触に驚きつつも、なんだかそれに随分と安心している自分がいた。
 ——早くよくなるといいな。
 優しく髪を撫でて来る兄の柔らかな声と瞳に、ジョシュアは小さく頷きながら、「いつもこんなことしてくれてたっけ?」と微かに、この年齢ではない時の自分が首を傾げたような感覚を覚えていた。



「っ………………、ここは……?」
 暗闇の中で目を覚まし、ジョシュアは指先に小さく炎を灯した。太ももに違和感を感じて視線を落とす。体を起き上がらせようとしたが、どうにも重くて動けそうになかった。
「トルガル、お前どうしてそんなところで」
 ジョシュアの太ももに前足を置いていたトルガルが炎に気がつき、わふ〜、と小さく吠える。顔のそばへ近寄って来たトルガルの頭を撫でてやりたかったが、腕が重くて持ち上がらない。「兄さんは?」と尋ねつつも、ジョシュアは炎を指先から離して宙へ浮かした。
 トルガルが暗闇の方へ顔を向けるので、そちらへ炎をかざすと、装備を解いていない兄が壁に背を預けて眠っているのが見えた。のっそりとトルガルがジョシュアを離れて、クライヴのもとへ向かう。
 トルガルが小さく吠えると同時にぱちり、と兄が青い瞳を開けて、ハッとしたようにジョシュアへ顔を向けた。
「気がついたか」
「ごめん兄さん、迷惑をかけたね」
 ほっとしたようにそばへ寄ってきたクライヴはギギギ、と重い木の椅子を引き摺りながら持って来ると、それに腰掛けて「全く……」と息を吐いた。
「動けなそうか」
 かろうじて首だけを巡らせているジョシュアに尋ねながら、クライヴはジョシュアの腹にそっと手を置いた。
「もうしばらくは無理かもしれない。……朝になっても無理そうだったら、置いて行って先に戻ってもらっても構わないよ」
 ジョシュアが笑って口にすると、クライヴは微かに傷ついたような顔を見せた。青い瞳はしばらく悲しみに揺れていたが、クライヴが瞬きをすると何事もなかったかのように凪いでいた。
「別に急いで帰る必要もないのに、お前を置いていくわけがないだろう」
 眉を下げて困ったような優しい表情をするクライヴに、ジョシュアは「そうだね、ごめん」と素直に謝罪した。兄の愛情を試すような事を言ってしまった、と後から気がついたからだ。
「そうだ、薬……
 体が重いだけで痛みがないことを少し不思議に思いながらジョシュアが呟くと、腹の上に置かれたクライヴの手が不自然に跳ねた。その理由がわからず、ジョシュアは違和感に「兄さん?」と声を上げた。
「お前が気絶する前に無理やり飲ませたが……、覚えていないか?」
「朦朧としていたのかな」
 ジョシュアは最後の記憶を思い出そうとしたが、そこには燃えるような夕陽を背負った、眩しい兄の姿しか見えなかった。
……思い出せない。自分で出してた?」
「いや、俺が出して、お前に飲ませた」
 兄の声が不自然に掠れていることは分かっていたが、その理由はジョシュアに思い当たらない。
「それは……、ごめんね兄さん。無理をしたつもりはなかったんだけど、ちょっと無理をしていたみたいだ」
「全くだ。次からは気をつけてくれ」
 肩を落として苦笑しながら、クライヴはそっとジョシュアの肩を拳で叩く。主人に呼応するようにトルガルも鋭く吠えたが、甘えたようにクライヴの膝に前足を乗せ、褒めて欲しそうに身を擦り付けた。
「ジョシュアの見張りご苦労様。お前ももう休んでいいんだぞ」
 わしゃわしゃとクライヴがトルガルの頭を撫でてやると、トルガルは満足そうに喉を鳴らした。クライヴの頬をべろりと舐めると、前足を下ろしてベッドの足下の方へ移動し、丸まって大人しく目を閉じた。
「トルガルにも心配かけちゃったね」
「ジョシュア」
 クライヴの声が明確に固くなり、ジョシュアは浮かべていた笑みを消した。叱られる覚悟を決めて天井を見上げながら、さて、どう言い訳しようかな、と考えていた。
「っ、…………兄さん?」
 唐突に、兄の籠手に包まれた冷たい指先で唇に触れられ、ジョシュアは驚いて視線を向けた。
 炎に微かに照らされた兄の暗い顔は悲しみに満ちていて、心臓が掴まれたかのようにぎゅぅっ、と痛む。
「二人きりの時はお前に合わせるし、もちろん俺が支える。だから、もう少し体の状態は早く教えて欲しい。…………まあ、お前は子どもの頃から無理をするやつだったから、そう言われて素直にわかってくれるとも思っていないが」
 段々と棘の生えて来る兄の物言いに「僕はいつも無理なんてしてないけどな」と嘯くと、反省しろ、とクライヴが笑ってジョシュアの額をつついた。
「いたっ。……ごめん、ちょっと水を飲ませてもらってもいいかな。口の中で血と薬の味がするんだ」
「ああ、」
 ジョシュアの言葉にクライヴは頷くと、椅子からベッドへ腰を下ろして、数時間前と同じように弟の背に手を差し込んで身を起こしてやる。自分に体重を預けさせながら革製の水筒を腰から取り出し、ジョシュアに吸い口を持たせようとしたが、腕が上がらないようだった。
 口許へ近づけてやるが、うまく首の傾きが合わず、首筋へと水が溢れてしまう。
……ちょっと我慢しろ」
「何を? って、え?」
 唸るような声を上げた兄に、ジョシュアは不思議そうに視線を巡らせた。彼の目の前でクライヴは水筒に口をつけると、そのままジョシュアの体を抱き寄せて唇を重ねる。
 瞳を見開いたまま、ジョシュアは流れ込んでくる生温い水をこくりと嚥下した。口の中の不快感はいくらか薄れたものの、水分を得たせいか今度は渇きを覚えてしまう。
 意外にも柔らかい感触に、さっき見た夢はもしかして現実のことだったんじゃないだろうか、となぜか確信めいたものを感じた。
………………もう一回」
 これはキスじゃないんだし、と動かない体を言い訳に、ジョシュアはクライヴの青い瞳を見つめて訴えた。
「喉が渇いているんだ」
 ジョシュアの言葉に、クライヴはいかにも神妙そうに頷いた。再び水を口に含むと、さっきよりもしっかりとジョシュアを抱き寄せて唇を重ねた。


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