サロンで夕食にありつこうとクライヴが顔を出すと、ヨーテが沈んだ様子でスープを口に運んでいるのが目に入った。確か昨日も同じような顔をしていた気がし、クライヴは彼女に声をかける。
「何か心配事でもあるのか」
「クライヴ様。……いえ、お気遣いいただき申し訳ありません」
大したことでは、と首を振った彼女の瞳には確かな迷いが混ざっていた。
「そうか。無理には聞かないが、もし俺にできることがあるならいつでも言ってくれ」
彼女の心配事はジョシュアに関するもののように思われたが、言いたくないのであれば仕方がないか、とその場では大人しく引き下がることにする。
食事を終えたヨーテがクライヴに「失礼します」と目礼するのに頷き見送りながら、後でタルヤにも話を聞いてみよう、と決める。
*
「若様の具合? 勿論、良くはなっていないよ。もう少し大人しく休んでて欲しいものだけど、体が動くうちになんて言われるとどうにもね……。もしかしたら痛みが強くてあまり眠れていないのかもしれない。だから本当にアンタがちゃんと見ててくれないと」
医務室を出てきたタルヤを捕まえて何か弟の具合に思うことはないかと尋ねたクライヴに、タルヤはため息混じりに肩を落とした。ジト目で睨みつつ告げられた言葉がちくちくと刺さるのを感じながら、わかってはいるんだが、とクライヴも言葉を濁す。
ジョシュアにはもっと体を気遣って休んでいて欲しいが、タルヤも言うようにああ言い切られてしまうと「動くな」と言うのが難しいし、「兄さん、心配してくれるのはありがたいけど、やらせて欲しいんだ」とジョシュアに言われてしまうと余計にだった。
「薬は足りてるのか?」
「足りてはいるけど、若様のは特別調合だからね、素材はいくらでもあるに越したことはないよ。ナイジェルにもなにかいいものがあれば教えて欲しいって伝えてある。————そう言えば、モーガンビアードの件は私も助かってる。アンタが採ってきてくれたんだって聞いた」
「薬に関しては俺にはそれくらいしかできないからな」
「素直に受け取っておきなさいよ」
悪い癖、とため息をつくタルヤにハッとして「そうだな」と苦笑したクライヴの肩をバシッと叩き、「とにかく」と続ける。
「一度本人にも話を聞いてみたら? お兄様」
仕事の邪魔だから行った行った、と犬を追い払うように手を振られ、クライヴは「邪魔をした」と答えつつ、たしかに彼女の提案は一理あるな、とジョシュアの元へ向かうことにする。
*
ヨーテがいるだろうか、と控えめにジョシュアの部屋の戸をノックすると、案の定ヨーテが顔を出す。
クライヴの顔を見てハッと驚いた表情を見せてから、室内のジョシュアに入室の許可を尋ねた。
「ジョシュア様は着替えをしておりますので、終わり次第お呼びします」
そう告げて扉が閉められて数分後、「どうぞ」とヨーテが顔を出し、「サロンで待機しておりますので、何かあればお声がけください」とクライヴと入れ替わりに部屋を出ていく。その背に、部屋の中からジョシュアが声をかけた。
「ヨーテ、長くなるかもしれないから、君は先に休んでいていいよ」
わかりました、と去って行くヨーテの背を見送ってから、クライヴは部屋の戸を閉める。
椅子に腰を下ろしながら、クライヴはジョシュアの顔色を観察する。幾許か青白いような気はしたが、いつも通りと言えばいつも通りのような気もした。
「待たせてごめん兄さん。わざわざ尋ねてくるなんて、なにか急ぎの用でもあった?」
「ああいや、急ぎの用と言うわけではないんだが……その」
いざジョシュアの部屋にやってきてから、クライヴはなにをどう切り出すか考えていなかったことに気がついた。
「お前の顔を見ようかと……?」
「顔? なにそれ、変なこと言うなあ」
くすくすとおかしそうに笑うジョシュアにつられて「たしかに」と笑うと、「それで本当は?」と続けられる。どう聞いたものか、とやはり数秒悩んでから、素直に聞いてしまうことにした。
「具合が……あまり良くないんじゃないか?」
「具合?」
「ヨーテが暗い顔をしていた。タルヤにも聞いたが、あまり眠れていないんじゃないかと」
クライヴは何もしてやれない自分が情けなくなり、膝の上でぎゅっと拳を握る。ジョシュアが喀血する姿も見るのも一度や二度ではないが、それは体内にアルテマを封印しているせいだと言うこともわかっている。
(これじゃ昔と変わらないじゃないか)
病弱を押して気丈に振る舞おうとするジョシュアの苦しみをせめて代わってやりたいと思っていたはずなのに、結局今も彼を助けてやることができていない。
「俺はお前に助けられてばかりだな」
十八年前もお前に生かされた、と暗い声でこぼすクライヴに、ジョシュアは強めに声をあげる。
「なに言ってるのさ兄さん、そんな風に思う必要なんてない。兄さんはみんなのために一生懸命やってるじゃないか」
「だが……」
「確かにあまり眠れていないのは事実だけど、いつものことだから大丈夫」
自分のことは自分でわかってる、と笑うジョシュアの微笑みには明らかな強がりが含まれていて、クライヴは弟のその姿にやはりなにもできないことへの焦燥が募る。
マーサの使いで教会を訪れた際に、石化の進んだベアラーたちが痛みと苦しみを訴えていた姿が脳裏にフラッシュバックした。ジョシュアももしかするとあんな風に苦しんでいるのかもしれないと考えると胸が痛む。
「俺にできることはないのか?」
「え?」
椅子を立ったクライヴは、ジョシュアのそばに行き、足下に跪くように弟の手を取った。痛ましそうに眉を下げたままジョシュアを見上げて尋ねるクライヴに、ジョシュアは少しだけ面食らったような顔をしてから、「兄さんは優しいなあ」と笑う。
「そんなに言うなら、じゃあ、ちょっとだけわがままを聞いてもらおうかな」
いたずらっぽい顔で言うジョシュアに「なんでも言ってくれ」とぐいっと手を掴んだまま顔を寄せる。
「実はこれはヨーテにはちょっと言えなくて」
「言えない?」
不思議そうに首を傾げたクライヴに、ジョシュアが手を引いてクライヴに立つよう促す。
大人しく立ち上がったクライヴをじっと見てから、ジョシュアも同様に立ち上がると、ぎゅう、とジョシュアが抱きついて来た。
「ジョ、ジョシュア……?」
肩口に顎を乗せてぴったりと密着するようなハグに困惑しながら抱きしめ返してやるクライヴに、ジョシュアはしばらく無言のままだった。じっと、まるで眠ってしまったかのように動かないジョシュアの真意が分からないまま、クライヴは弟の背や腰に手を置く。
「——ああやっぱり」
しばらくそうしてから、ジョシュアが納得したように息を吐いた。すり、と身をすり寄せる様子が動物のようで、クライヴは思わず愛狼を撫でるようにジョシュアの髪を優しく撫でる。
「こうやって抱きしめてもらうと、ちょっとだけ痛みが和らぐんだ」
静かなジョシュアの声に、そうだったのか、と答えながら、クライヴは確かにこれは従者の彼女に言うのは難しいかもしれない、と感じた。
「これぐらいのことなら、いつでも言ってくれていい」
「本当に?」
首筋から顔を上げたジョシュアが、疑うように瞳を細めた。ムッとして「当たり前だろ」と答えてから、「なんならたまに一緒に寝てやってもいい」と意趣返しの嫌がらせのつもりで笑ってやると、
「……いいの?」
ジョシュアが瞳を揺らして、本当に、縋るような表情をクライヴに向けていた。
*
ベッドの上で、後ろから抱きしめて欲しい、と恥ずかしそうに呟くジョシュアに当てられて、クライヴもなんとなく恥ずかしくなりつつも無言で後ろから弟を抱きしめてやった。ジョシュアがほっとしたように息を吐きながら体をゆるりと弛緩させるのを感じ、クライヴは弟の体を抱き寄せる。
薄い寝巻きの上からジョシュアを抱きしめていると、段々と自分の体温がジョシュアに移って行くのがわかる。
ベッドに入る前、随分と青ざめた顔をしながら薬を飲んでいたジョシュアの咳き込む姿に、子どもの頃を思い出した。薬が効くまでに一時間ほどかかると言っていたので、今はまだ痛みが強いはずだった。
「どこが一番痛むんだ」
「わからない……実は全身が痛いんだ」
クライヴの胸に背中をつけながら笑って答えるジョシュアに笑ってる場合じゃないだろ、と答えるのは簡単だったが、笑わずにはいられないぐらい本当に悪いのだと思うと、下手なことを言うのは憚られた。
「そうか……」
ジョシュアの腹の前に手を置いて抱き寄せながら、クライヴはなんとなく首筋に顔を埋める。ぴくりと反応したジョシュアが身じろぐのに気づかないふりをしてうなじに唇を寄せると、「兄さん」と慌てたジョシュアの体が今度こそ跳ねる。
「なんだ」
首筋に唇を寄せたまま尋ねたクライヴに「っ、」とジョシュアが小さく息を吐く。
クライヴの吐息が直接肌に触れて、ぞわぞわするのと同時に、下肢に熱が落ちてくる感覚がする。
わざとやっているのか天然なのか判断がつかず、「変な気分になって来た」とジョシュアが笑って誤魔化しながら身を捩って唇から逃れようとするも、クライヴは「そうか」と言うだけで離れない。
クライヴはジョシュアに足を絡めて体を密着させながら、肩から腕にかけてをゆっくりと撫でた。腕の途中で明らかに硬い感触があり、クライヴが手を止めると、ジョシュアがはっきりと身を硬くする。
ベアラーだけではなく、ドミナントであっても体が徐々に石化して行くのはシドで知っていたはずなのに、いざ、弟もそうなのだとわかるとクライヴの胸中に鋭い痛みが走った。
(何故)
クライヴはため息を吐きたくなるのを堪えて、ぎゅっと強くジョシュアの体を抱きしめた。どうしてこんな目にジョシュアが、と目を瞑ると、やがて全身が石化して砕けるジョシュアの姿が脳裏に浮かび、クライヴの心臓が音を立てて跳ねる。
「ジョシュア」
「……兄さん、泣いてるの?」
「……………泣いてなんか、」
震えの混じった自分の声に、言葉が途切れる。クライヴは押し黙り、ジョシュアを抱きしめたまま体を震わせた。
腕の中のジョシュアが離れたそうにもぞもぞと動くのに慌てて「だめだ」と溢すと、「離して欲しいわけじゃないよ」とジョシュアが優しい声で言う。
ゆっくりと体を反転させたジョシュアは、クライヴの顔に手を伸ばし、目尻に溜まった涙を指先でそっと弾いた。
「そんな悲しそうな顔をしないで兄さん」
背中に置かれた兄の手のひらの温度を心地良く思いながら、ジョシュアはクライヴの頬に手を添え、額をふれ合わせた。
「僕は自分の使命を全うする。そのためにこの体がどうなろうと覚悟はしてる。兄さんだってそうでしょ? ……だから、兄さんはこうやって時々僕を抱きしめてくれればそれでいいんだ」
「……俺に癒しの力はない」
真面目な顔で答えるクライヴに、ジョシュアも「僕は十分癒されてる」と真面目に答え、口許に笑みを浮かべる。顔を離したジョシュアはクライヴの耳許に唇を寄せて、
「難しいことなんか考えずに、ただ僕を抱きしめて」
と小さな声で囁いた。
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