父が亡くなる前に用意していたという兄と揃いの腕輪の完成を待つ間、珍しく兄がわかりやすく嬉しそうな顔をしていたことにジョシュアは気づいていた。と言っても、ジョシュアにとってわかりやすいと言うだけで、兄の表情の変化はずいぶんと僅かなものだと言うことが彼にはわかっていた。そう言うわけで、人前では何も尋ねなかったのだが、完成した腕輪を受け取り、兄と二人で父の墓参りを終え、帰路につくかたわら、ジョシュアはそのことをずっと考えていた。
チョコボの手綱を握り直しながら、自らの腕に通したそれを見つめる。腕輪にはまる赤い石は先ほど兄と討伐したもので、この世に二つしかない揃いの物だった。母の裏切りにより宝物の殆どは売り払われてしまっていたから、正真正銘、二人にとってこれが最後の太公家の宝だった。
「ジョシュア!」
呼び声に顔を上げると、随分と遠くに兄の白チョコボがある。手を振って腹を蹴り、のんびりと追いつくと、待っていた兄が「考え事か?」と穏やかな声で尋ねて来た。
眦を僅かに下げた兄の腕にも同じ腕輪がはまっているのを認め、ジョシュアは微笑み返しながら首を振る。
「考え事と言うより、感慨に耽っていたと言うべきかな」
そう言って腕輪を通した腕を持ち上げると、ああ、とクライヴが納得したように頷いた。
「まさか、父上が俺達に用意してくれていたとはな」
「そうだね。もしかするとお祖父様が早くに亡くなったから、用意しておくに越したことはないと思ったのかもしれない」
お前が成人するまでの仮初の当主だ、と笑って話していた父の顔を懐かしく思い出しながらジョシュアが答えると、そうだな、とクライヴが少しだけ顔を俯かせた。十八年前のあの日のことを思い出すような顔に、話題の振り方を失敗したな、とジョシュアは思う。
あの日、父は元より、弟で主人でもあるジョシュアを守れなかったことを、兄がひどく後悔していることをジョシュアは知っていた。兄に直接謝罪されてもいたし、隠れ家で何人かにちらほらとそんな話をされてもいたからだ。
十八年前はいくら《ナイト》の称号を得たとは言え兄自身も子どもだったのだし、顕現の暴走も仕方のないことだったとジョシュアは理解している。だから、もうそんなこの世の終わりのような顔をしなくてもいいのにと思っていた。
話題を変えるために、「でもさ」とジョシュアは明るい声を出す。
「そのおかげで、また昔みたいに兄さんとお揃いの物が持てて嬉しいよ」
腕を持ち上げて「ね?」と笑うと、じっとクライヴの青い瞳がジョシュアの左耳の辺りに注がれる。兄の口が小さく開かれて、けれども何も言わずに再び閉じた。
「そうだな」
瞼を下ろして呟く兄の表情は随分と穏やかなのに、何故だかジョシュアは反対に胸の内にざわつきを覚えていた。
目を伏せた兄の頬骨に、睫毛の影が落ちるのが見えたからかもしれなかった。
*
夕食の後にタルヤから薬をもらい、書庫でハルポクラテスと雑談をしてから私室へ戻ると、ジョシュアは腰鞄の奥底に大事にしまっていた小さな袋を取り出した。紐を解いて中身を取り出すと、銀色に光るそれを丁寧に布で拭き、また小袋へと戻す。
「あれ、多分誤解されてるんだろうなあ」
昼の兄の顔を思い出して苦笑すると、私室を出て兄の部屋へ向かう。来客がいれば話題にするのは諦めよう、とドアをノックすると、「どうぞ」といつものように静かな声が返される。
兄の耳に心地良い声になんだか嬉しくなりながら入室すると、眠る直前だったのか、薄いシャツとボトムスの軽装に着替えた兄の姿があった。襟口から覗く胸板に視線を取られながら「ちょっと話をしてもいいかな」と尋ねると、「話?」と不思議そうな顔をしつつも、ジョシュアにソファをすすめる。
「酒しかないが、下で何かもらってくるか」
「ううん、僕は大丈夫。兄さんだけどうぞ」
タルヤにバレたらうるさいだろうし、とジョシュアが笑ってソファに腰掛けると、「そうか? じゃあ遠慮なく」とクライヴが微かに笑う。
酒瓶と杯を持ってジョシュアの右隣に腰を下ろすと、「それで、話ってなんだ」と杯に口をつけながら言う。
「その、昼間気にしてるみたいだったから」
「昼間?」
眉を寄せるクライヴに、ジョシュアは手に持っていた小袋を見せる。
「しばらくはつけてたんだけど、サイズがどうにも合わなくなっちゃて」
「それは……」
袋を開き、ジョシュアは手のひらの上に小さなイヤーカフをこぼす。
ロザリア公国の紋章が刻まれた小さな銀色のそれは、幼い頃、兄がジョシュアに、と作らせた物だった。当時のお揃いの品で、尊敬し敬愛する兄と同じデザインのそれをジョシュア自身も気に入っていた。
十八年前の事件の後、不死鳥教団の元でなんとか命を繋いだ後、兄がザンブレクのベアラー兵になっていることを聞き、しばらくはどうにも助けられないと教団の面々に諭され愕然とした。
祝福を授けたジョシュアからは兄を感じることは一応出来はするものの、兄はもしかすると自分が死んだと思っているかもしれないと考えると、胸が張り裂けてしまいそうだった。
寂しくてどうしようもなくて、会いたくて仕方がなかった。けれども、左耳にはまったままのこれに触れると、あの夜のクライヴの声が脳裏に蘇ったのだ。
『俺は使命を果たす。だからお前も指名を果たせ』
泣き喚きたくなるのを抑えて、いつか兄と再会する日が来るはずだと左耳のイヤーカフに触れると、不思議と心が落ち着いた。だから、ジョシュアにとってこの小さなイヤーカフは、たとえ身につけることができなくなっても、お守りがわりの大事な物だった。
「本当はなんとかつけ続けたかったんだけど、小さすぎて難しいって言われちゃって。あと、《出自》がバレるからやめて欲しいって教団のみんなに懇願されちゃってさ」
指の間にイヤーカフを摘み、耳に当てながらジョシュアが笑うと「そうか……」とクライヴがやはりほっとしたような顔で微笑んでから、瞬間的に自虐的な表情を見せた。
ザンブレクのベアラー兵をやっていた十三年、兄は一度もイヤーカフを外そうとはしなかったのだろうか。調べたところによれば、兄は紋章入りのイヤーカフを身につけたまま、名を奪われるのをよしともせずに度々「俺には俺の名がある」と言って、ロザリア公国の元王子であることを隠そうとはしていないらしかった。
この世界では、ベアラーには基本的に名は与えられない。兄は軍で《ワイバーン》と呼ばれていたようだが、それは作戦行動上、なければないで不都合だったからだろう。
兄の十三年の不遇を考えて胸が悪くなりながら、ジョシュアは俯いてしまった兄の肩に手を置き、顔を上げさせる。
「捨てるわけないじゃないか。だって兄さんにもらった大事な物だ」
「疑って悪かった。……持っていてくれて嬉しいよ」
笑って杯を傾ける兄にやれやれ、とわざとため息をつきながら、ジョシュアは再び大事そうにイヤーカフを袋へしまう。
「兄さんは、ずっとつけてるんだね」
そっと兄の耳に触れると、「おい」と狼狽したクライヴがすっと身を引く。かぷり、と杯の中の酒が揺れる音が室内に響いた。
その態度がなんとなく気に入らず、ぐいっと身を寄せると、「ジョシュア、」とまるで嗜めるかのような声を兄が上げた。
特に制止される謂れもないのでそのまま詰め寄ると、再びジョシュアは兄の耳に指先で触れる。
「……こら、」
囁くような兄の笑い声に、ジョシュアは鼓動が跳ねるのを感じた。
「………………」
唇を結び、兄へ無言でしがみつく。おっと、と兄が杯から酒を溢しそうになるのが見える。
「なんだよ急に」
クライヴは腕を伸ばして杯を床に置くと、突然甘えて来た弟の背中を優しく撫でた。
昔は腕の中にすっぽりおさまったのになぁ、とクライヴは予想外に大きな弟の背中や腕に触れながら、昔を思い出していた。
小さな手でぎゅっとクライヴの手を掴んでいたナイト叙任式の日のこと。兄さん、と小さな足でついて回っては咳き込んで乳母に叱られる姿。僕も兄さんと一緒に訓練する! と意気込んでは途中で倒れて熱を出し、どうしてジョシュアを連れ出したのかと母に叱られたこともあった。
愛らしく可愛らしい、まるでこの世の優しい光と善だけを集めたような命だと思っていた。ドミナントとして覚醒したばかりに、体の弱さを押して幼い頃から公務に出なければならないのを見て、何度、せめて体の苦しみだけでも代わってやれたらと思ったことだろう。
「お前が生きてくれていて嬉しい」
弟の体を抱く腕に力を込めると、「僕も、兄さんとこうして過ごせることが嬉しいよ」とジョシュアが腕の中で笑う。
身じろいだジョシュアに腕の力をやや緩めてやると、片手を肩に置きながら、ジョシュアがゆっくりとクライヴの左頬を撫でる。
「……………、」
弟の青い瞳に、ちかりと星のような瞬きが見えた気がした。クライヴは瞳を逸らさずに、弟の人形のような美貌を見つめ返す。
先日の続きを求められているのかもしれない。言葉もなくそう感じて、クライヴは目を閉じる。
衣擦れの音が響き、少しだけ体重が自分に寄せられる。
何度かジョシュアの口付けを受けてから、先日と同じく「どうして欲しいんだ」と穏やかな声でクライヴは尋ねた。
瞼を上げて、睫毛が触れ合うほどの距離でジョシュアと見つめあっていると、ジョシュアが「なにも」、と呟いて首を振る。
「本当に?」
する、とジョシュアの腰を撫でると、ちょっと! と慌てたジョシュアに腕を掴まれて、「意外と即物的なんだね」と呆れたような声が返される。
「……そうか、お前はあまりこう言うのが好きじゃないんだな。ザンブレクにいた頃は——……、」
——今、何を言おうとしていた?
ピタリ、と不自然に固まった兄の姿に、ジョシュアは表情を変えずに「僕だってそういう気分の日もあるよ。今夜は違っただけ」と諭すように口にした。
「兄さん。……クライヴ、クラーイヴ」
「っ、あ、な、なんだ?」
青ざめた顔をする兄の頬を再び撫でて、「そんなことは思い出さなくていい。忘れるべきだ」
と強い声で告げると、兄の左頬に残る傷跡、鼻頭、額へとジョシュアはゆっくり口付けた。
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