祭子
2022-07-18 15:44:11
14888文字
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■NOTHING ADVANCES IF I DO NOT KNOW IT■

∠[ν]-εγλ0010/09
エヴァンは結婚式に招待されます。神羅社長の依頼を引き受けたところでふとわれに返りました。
※pixiv掲載テキスト(20220505初出)

■NOTHING ADVANCES IF I DO NOT KNOW IT■
∠[ν]-εγλ0010/09


 九月中旬の澄みきった空のもと、エヴァンの心だけが曇っていた。
 ミッドガルエッジ中心地は、丸い。中央一帯は、ロータリーも含めて零ブロックと呼ばれている。記念碑が完成してからというものの、外縁の遊歩道にそって植樹され、木陰にはベンチが並び、すっかり広場らしくなった。
 もうすぐ正午というころあいだ。場所の取りあいを終えたフードトラックが、開店準備で軒並み忙しそうにしている。人気のハンバーガーショップには、すでに人が並び始めていた。香辛料や油のにおいがエヴァンの腹の虫を刺激するものの、依然として彼はベンチから動けないでいる。
 エヴァンの目の前には太く、南へと真直ぐに伸びる大通りがある。伍番アベニューだ。
 零ブロックを起点にして放射状に広がるそれは、北から壱、弐、と始まって八番まである。区画も細かく整備されている。一ブロック、二ブロックと――これもまた北から――時計まわりに一周したところで壱番ストリート、再びブロックを一周して弐番ストリートと、大通りに引けを取らない街路の造設も進んでいる。
 まるで魔晄都市の模倣だと皮肉る連中もいたが、エッジ市民のほとんどがかつてのミッドガル市民だ。太陽の位置よりも、旧都のセクターごとの数字で方角を覚えていた。同じ羅列の新都に馴染むまで、そう時間はかからなかった。何よりも、とエヴァンは思う。独特の数字で表される街並みに、皆、何だかだと言いながらも愛着を捨てきれずにいる。
 小風が吹いて、頭上の枝葉をゆらす。エヴァンはふと振り仰いだ。このあたりで樹木など、夏の日差しで死んでしまうかと思っていたが、うまく根づいたようだ。ヒーリンの木々に比べると樹梢はまだまだ細いものの、葉振りは青々としていた。
 ミッドガルエッジも同じだった。伸びやかに、日に日に大きくなっていく。
「こんな街なかで、どうやって犬一匹探せばいいんだよ」
 エヴァンはほとほとまいっていた。
 一昨日、探偵社へ久々に舞いこんだ依頼は、人探しですらなかった。エヴァンはもっと探偵らしい案件をかかえたいと思っている。それこそ推理小説のような、謎が謎を呼んでこんがらかったそれを解決するタウンゼントファイルをだ。だが依頼人は切実だった。メテオショックをいっしょに生き延びた相棒なのだと、鼻水を垂らしながら訴えられれば、無下にもできなかった。
「犬の行きそうなところって、どこだよ。犬に詳しいやつっていったら、オーナーか犬好きだよな。誰かいたっけかな」
 噂をすれば影がさす。エヴァンの場合、影ではなくコール音だった。
 ポケットの携帯端末を取りだして、おくびをこらえる。何度見ても慣れない、けれど覚えてしまった番号は、神羅社長からだった。山嶺の閑静な邸宅で、ルーファウスも大型犬を飼っている。
「エヴァン。私はエアリスと挙式することにした」
 第一声に、挨拶があったためしがない。相手の都合も聞かない。だがそんなことは気にならなかった。エヴァンは驚きつつも、喜んだ。
 二人が婚姻を世間に公表する気がないことは、最初に念を押されていた。エアリスは結婚式を諦めていたようだが、だからといってあこがれないわけではないだろう。エヴァンは緑樹を見上げる。彼女の眸と同じ色だ。きっと瑞々しくまたたかせながら、花の綻ぶ笑みを夫へと向けたに違いない。
 それからエヴァンはたと青くなる。義姉ならいざ知らず、報告のためだけにこの男が連絡をよこすとは、まず考えられないことだった。
「俺に何をさせる気だ」
 つい口調が非難めいたものになる。ルーファウスの噛み殺した笑みが、エヴァンの耳元でくつくつと響いた。同性でもどきっとする、バリトンの持主だ。エヴァンは思わず送受話部分を遠ざけた。
「お前も分かってきたではないか」
 頼もしいことだな、とルーファウスが言った。何が面白いのだろう。この男の笑いどころは、いまだによく分からない。
「俺さ、今、仕事中なんだけど。大事なところなんだ」
「私はこれからランチだ。エアリスがクレープを用意しているところだ。フィリングはな、内緒らしい。楽しみだ。その前に手っ取り早くすませたい」
 とたん、エヴァンの腹が鳴る。エアリスの焼くクレープ生地はもっちりとしていて歯ざわりがいい。それにチーズとマッシュルーム、粗く挽いたブラックペッパーをあわせるのが最高だと、彼は思っている。ちらっとフードトラックを見やる。舌がクレープを求めていた。
「何だよ、いつものクレープ屋、来てないし。しようがない、ホットドッグにしようかな。犬。犬なあ、どうしよう」
「犬とは、何だ。大事な仕事はどうした」
「それは、その、あれだ。今、悩んでるところ。だけど適宜、休憩は必要だからな」
 また笑われた。むっとしたが、エヴァンは口を閉ざす。今、何か言ったところで墓穴を掘ることになりそうな気がした。
「さて、エヴァン、本題だ。お前を式に招待したい」
 笑みが引くまでにたっぷりと時間をかけたあと、ルーファウスは言った。やきもきしながら待っていたエヴァンは、ぽかんとした。
「え、俺。俺が行っていいの」
「エアリスが喜ぶ。来るか、エヴァン」
 心が躍るというのは、こういうことなのだろう。エヴァンの頬が熱くなる。
 彼はフォーマルな行事とは縁がなかった。慶事どころか、弔事も。母親の埋葬ですら、エヴァンは人任せだった。
 最北の大陸、大峰の氷室で死んだ母親は、結局神羅カンパニーが回収し、アイシクルロッジの共同墓地に葬った。エヴァンはそれをレノから聞いた。ついでだと赤毛は言ったが、ついでで行けるところではない。わざわざ便宜を図ってヘリコプターを飛ばしてくれたレノに感謝しつつ、気になるのは母親が最期まで気にかけた老若男女だ。たずねたところ、タークスの顔で「聞かないほうがいいぞ、と。お前の母ちゃんはあれだ、一人で死んだことにしとけ」と返された。なるほど、とエヴァンは思った。母親のことはどうやら本当についでで、目的は彼らの回収なのだろう。黒ずくめの怪しい一団。神羅の秘密のにおいがぷんぷんする。
 それでもありがたいと思う。エヴァンではとてもではないが母親を迎えにはいけないと、諦めていた。
 アイシクルロッジの再建にも目処がつきそうなのだと、ドイルから報告があったのは最近のことだった。村があるなら、人は集まる。きっと道もある。エヴァンのような一般人が大陸を渡ることはいまだ困難な時世だが、母親に弔意を届けるチャンスは与えられた。必ずのがさない。そうして初めて訪れる墓所で、エヴァンはブラックフォーマルを着ない。息子が明るい色をまとうことを喜んだ母親に会いに行くのだから、小洒落た平服と決めている。
 きらびやかな世界なら、以前テレビで――受賞式や叙勲式、それこそ端末の向こうにいる男のバースデーパーティーを――垣間見たくらいで、それもメテオショック後はすっかり途絶えている。
 仰々しいそれらにおよびはしないものの、エヴァンのまわりでも明るい話を聞くようになった。結婚もその一つだった。とはいえ、このごろになってようやく生活の目処がつきだしたばかりだ。皆、内祝ですませている。式や衣装、まだ体裁を飾るゆとりはなかった。だが大金も含めた余裕は、あるところにはあるものだ。神羅夫妻の婚礼ともなれば、絢爛豪華なのではないか。興味を抑えることができないまま、エヴァンは二つ返事で頷いた。
「それはよかった」
「ああ、でも、俺、スーツなんて持ってないけど。何着ればいいのかな」
「式場まで少し歩くことになるからな、それに適した恰好でいい。私とそう背丈は変わらないだろう。フォーマルは貸してやろう。ああ、そうだ、エヴァン。ついでに、いくつか頼みたいことがあるのだが、引き受けてくれるな」
「勿論だ」
 あれ。いきおいで返事をしてから、エヴァンは首を傾げる。今、とてもまずいことを口走った気がする。
「まず、式の立会人とリングベアラーははずせない。それから花嫁の父親と、司祭と、グルームズマン兼ベストマンだ。ブライズメイドもいるな。ああ、大切なことを忘れるところだった。荷物の運搬だな。相当の量がある」
 前を向いていたエヴァンは空を仰ぎ、そのまま後ろに倒れそうになった。エヴァンは慌てて首を振り、頬を叩き、ベンチに座り直す。ルーファウスが淡々と告げたそれらは、結婚式を取り運ぶかなめとなる人々だった。
「ちょっと待って、社長。ほかに誰が来るんだよ。来るよな。もしかして」
「挙式はな、エアリスとディー、私の家族だけだ。お前に式次の進行を任せる」
 また騙された。エヴァンは泣きそうな声で言った。
「またとは何だ。私は頼みごとをしたいと言って、お前は受諾した。それだけのことだろう、エヴァン」
 リビングの大きな一人掛に、ルーファウスは深くもたれている。高く足を組み上げたまま、片肘をつき、薄い口唇を吊り上げているに違いない。エヴァンにはその様子がありありと見える。
 立派な大人として、いい加減おめでとうくらい言わなければならない。ついでに「社長と義姉さんの、せっかくの式だもんな。引き受けたからにはがんばるよ」とか、「神羅ご夫妻の輝かしい門出に立ち会えるなんて光栄です」とか何とか。だというのに、返した言葉は一つきりだった。
「そうだ」
「頼もしいと褒めたとたん、これだ。お前は落ち着かないやつだな」
「あれって褒めてたのかよ。もっと分かりやすく、素直に言ってくれ」
「私の素直は、エアリスのためにある」
「はいはい」
 すっかりタイミングを失ったエヴァンの口は、祝意の代わりに溜息をもらした。
「何で俺なの。ベストマンなんて、そんなのせっかくの結婚式だろう。いくら内緒でもさ、友達くらい呼べばいいのに。社長、ひょっとしていないのか」
 しまった、禁句だったか。息をひそめ、エヴァンは相手の出方を待つ。
「友人は、今となっては皆、部下だからな」
 ルーファウスはさして気にした風でもない。配下とはいえ、この男が友人と認めていたとなれば実力者に違いない。そこそこの地位に就いていてもおかしくはなかった。だが、社長の椅子は一人掛だ。そしてひときわ高いところに据えてある。仮に重役だとしても、神羅社長と同列に椅子を並べることはできないだろう。
 放蕩で派手やかなイメージとともに、昔からルーファウスにつきまとっているそれが、孤高だった。
 昼も、夜すらも、かまうことなく人をはべらせていながら、テレビや雑誌に載っていたルーファウスは、どうしてだかいつも一人きりのように見えた。相反するものを共存させていたこの男が、当時のエヴァンには不思議でたまらなかった。現本社、エグゼクティブフロアに出入りするようになった今なら、少しだけ分かる。ルーファウスの両眼に絶えず映っていたのは、周囲の人々ではない。この男の己のうちだ。『ルーファウス神羅』のアンビションだけだった。
 この男のそば近くに残るには、賢く気を遣えなければならない。公私ともにだ。だが『そば』と『ふところ』は違う。ルーファウスに気を許されたと勘違いし、無遠慮に男のとなりに並び立とうとすれば、すぐさま蔑視を向けられる。それはきっと氷寒よりもなお凍てつくようだったのだろう。そうして逃げるように去った人々のことを、ルーファウスは捨て置く。昼にかしずく辣腕家も、夜を色取る女も、すべて未練なく。
 ルーファウスが周囲に求めるのは、大望を叶えるための部分品であって、親しく口を利く仲間ではなかった。本社内の評判を聞くに、今もなおそのスタンスは変わっていないようだ。なるほど、だとすればルーファウスはこの先も一人だろう。一人きりを、孤高を、神羅社長と呼び変えてもいい。それで何も困っていないところがこの男らしいとも、エヴァンは思う。
 そんなルーファウスが、ただ一人、出会った例外を大切にしている。
 エアリスだ。まわりと一線を画することが常の、ルーファウスのその境界をぐちゃぐちゃにした女だった。
 最初こそ戸惑ったルーファウスの結婚だった。何か意図があるのではないかと、いまだに勘繰りたくなる。それも仕方がない。一人より、二人を選んだのだ、あろうことかこの男が。
 それでも、同じ高さまでかろやかに駆け上がり、ルーファウスによりそうエアリスの存在は、どうしてだかエヴァンを安堵させる。エアリスに頬をよせ、何かを囁くルーファウスが、心なしか派手やかとも孤高とも縁遠く見えたからかもしれない。
 では、何に見えているのだろう。機微の捉えどころのない顔で、しれっと惚気てばかりいるあれはいったい何なのだろう。首を捻りかけたエヴァンは、ルーファウスの声でわれに返った。
「私にはつきあいのある親族がない。エアリスの両親もとうに他界している。式に呼べるような友人は、今は互いにいないな」
 エヴァンは驚いた。携帯端末が手からすべり落ちそうになる。エアリスは自身のことをほとんど話さない。両親のこともエヴァンは初耳だった。どうして、という言葉はのみこむ。当人のいないところで詮索するのは、あまりにも不躾なような気がした。
 もう一つ吃驚したのは、彼女の交友関係だった。ルーファウスはともかく、人当りの柔らかな義姉なら友人も多そうだと思いこんでいた。エアリスは本当にあの広い家で独りぼっちなのか。エヴァンは眉をひそめた。
「義姉さんってさ、やっぱり囚われのお姫様なんだな」
「また、『かわいそう』か」
 ルーファウスは短く言った。それだけでエヴァンは息をつめる。
「いや、あの」
「エアリスの存在は表沙汰にはしない。私に何度も言わせるな。私はあれを傷つけることを、二度としない。それでもこの話を蒸し返したいのなら、お前の好きにすればいい」
 怒りではなかった。だが、エヴァンをふるえ上がらせるには十分だった。
 ルーファウスの公用語は容認発音だ。それだけですでに気後れする。さらにはゆっくりとした話し方と、抑揚をつけない次低音を自在に操る。そうしてこの男は、声音までをも己の武器として使いこなしている。
 今だってそうだ。エヴァンに選択の自由を与えておきながら、男の望むこたえ以外を選ばせない。まったく、ずるい声だ。そうと分かっていても、彼はルーファウスの意のままに口をふさぐほかないのだった。
「分かってるよ、社長。いや、王子様か」
 姫君を幽閉した魔王がルーファウスだと、そんな考えをエヴァンはとうに捨てている。
 辺境の城を訪れるのは、月に二、三回程度だったが、そのたびにエヴァンが目にするのはフェアリーテールのエバーアフターだった。王子は――ほかの物語の王子と比べても、類がない――偏屈だが、姫君には甲斐甲斐しい。その姫君とは何かと電話で話すことも多い。彼女は素直な人だ。さまざまなことに楽しみを見いだし、情愛を注いでいた。勿論、今の住まいにもだ。
「何もないなんて、そんなこと、ないよ。すること、たくさんあるし。わたし、このおうち、大好き。今の時期はね、バルコニーから星雲、見えるの。すごいんだよ」
 近ごろはルーファウスの用意した望遠鏡のおかげで、眼前に大きな星が迫るのだという。レンズから顔を上げれば、満天の星屑だ。ヒーリンロッジは夜の自然も壮観なことを、エヴァンも知っている。エアリスには内緒だが、ふもとのモーテルによく泊まりこんでいるからだ。きっと空に近い山頂付近では、降るような星々が一望できるのだろう。
「ルーファウスとね、お酒飲みながら見るの、最高。そうそう。あなたたちのお父さん、お酒、たくさん残してくれてるんだよ。それもね、すごくレアなのばっかりなんだって。あの人が、驚いてるくらいなんだから。弟君にも、飲む権利、いっぱいあると思います」
 エヴァンに酒の良悪は分からないだろう。それでもあのプレジデント神羅の――いったい何桁ギルなのだろう――逸品を口にできるチャンスだ。のがすのは勿体ない気がした。
「贅沢な星見酒なの。お酒もおつまみも、美味しいし。ルーファウス博士のね、宇宙のうんちく、すごく面白いんだよ。ね、エヴァン、たまにはいっしょにどうかな」
 エアリスの楽しげな調子に誘われるまま、エヴァンはつい頷きそうになる。だが。
「帰り、危ないから、泊まっていってね」
 最後の言葉に、すんでのところで正気づく。ルーファウスといっしょでは、星のきらめきも、銘酒の深みもさっぱり分からなくなるのではないだろうか。それどころか緊張で乾いた咽喉に酒を流しこんで酩酊する様子が、ありありと思い浮かぶ。だからエヴァンが天体観測に加わったことは、いまだにない。理由を正直に言うのは癪なので「二人きりを楽しんで」と返せば、エアリスは恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに笑った。かわいそうな姫君では、あれほど弾んだ声はだせないだろう。王子の居城に、魔王はいなかった。
 魔王とは、ではいったいどこにいるのだろう。
 最初に聞いた通り『神羅への逆風』なのか、それともほかに要因があるのか、エヴァンに推し量ることはできない。ただ、ルーファウスは「私はあれを傷つけることを、二度としない」と言った。王子は、一度すでに魔王に負けているらしい。だとすれば、エヴァンでは到底敵う相手ではないのだろう。近づくつもりはなかった。下手に魔王を詮索し、刺激するようなことがあれば、魔王が姫君を傷つける前に、エヴァンは王子に八つ裂きにされるに違いないからだ。
「王子だと。何のことだ」
「フェアリーテールだよ。社長は、神羅王国の王子様だな。ああいうのって、王子様とお姫様がでてきて、結婚してハッピーエンドっていうのがほとんどだからさ。社長だってそれくらい、知ってるだろ」
「ああ、あの与太話か。エアリスが私を寝つかせようと聞かせてくるので、いくつかは知っている。荒唐無稽だな。指摘箇所がありすぎて、とてもではないが眠れない。だが、あれの声は心地がいい。寝しなに聞くなら、私は子守歌にしている」
 エヴァンは想像する。ベッドで、眠りにいざなう優しい声をさえぎって、ルーファウスがいちゃもんをつけている。たとえば、林檎で毒殺される姫君の話だ。「二度も殺されておいて、三度目までまんまと騙されるのか、この姫君は。ばかなのか」、「死体に一目惚れとは、王子はネクロフィリアか。なかなかいい趣味をしているな」、「おい、エアリス。今、なぜキスで生き返った。は、呪い。何だそれは」と。そのうちしびれを切らしたエアリスが、「いちいち揚げ足、取らないで」とふくれるのだろう。ベッドを軋ませるのはつややかな寝物語ではなく、夫妻の口論だ。そうして夜は、さらにふけていくのだろう。
 ちょっと待て、とエヴァンは眉根をよせる。子守歌って何だ。あの『ルーファウス神羅』が妻に寝かしつけられているのか。衝撃のスクープだというのに、きっとこんな記事材料はゴシップ雑誌ですら買わないに違いない。
「フェアリーテールの王子は、大抵役立たずだ。いっしょにするな」
「突っこむのそこかよ。いやいや、突っこみ追いつかないの、社長のほうだからな」
「いいぞ。指摘したいのなら、してみろ」
「いや、別に」
 鼻で笑われた。エヴァンはやはり黙りこむ。清い夜と妻の子守歌なんて、社長は赤ちゃんかよ。ベッドに二人並んで横たわれば、ほかにすることがあるはずだろう。いい加減、がつがつのやり方を思いだしたらどうだ。心のなかだけは野次でいっぱいだった。
「そもそもだ。結婚したからといって、終わりではないだろう。私とエアリスの生活は続いている。だが、そうだな。区切りが必要だ。フェアリーテールで王子と姫君の婚姻といえば、国を挙げて祝意を示すものなのだろう」
 ルーファウスのバリトンに、ふと冷熱が入り混じり始めた。
「エアリスはな、いくつものハッピーエンドを知っている。絵本を開かなくとも、空で語れるほどだ。同じ話でも、聞くたびに途中の展開が変わるところがエアリスらしいが、最後は決まって、めでたしめでたし、だ。あれなりに、あこがれがあるのだろう」
 エヴァンは驚いて耳を澄ます。これはルーファウスがエアリスと話すときの語調だった。
「無理を押しつけていることは、重々承知している。だが、お前のほかに頼める相手がいないのだ」
 ルーファウスが口を開くたび、熱心は冷淡に勝ち、抑揚に柔らかなぬくもりを含んでいく。エヴァンが無性にほっとするのは、思い返してみればこんなときだった。惚気話と同じだ。
 そうか、とエヴァンはぴんと来た。ルーファウスが何に見えていたのか、エヴァンと同じただの男だった。
 ルーファウスの確立された個は、エヴァンの理解の範疇をこえたところにある。たとえば孤高がそうだった。神羅社長の信念や考え方を知ることは、まるで太陽を直視するようだった。いくら目を凝らしても本来のかたちを捉えることができない。だが、男ならどうだ。
「エアリスを祝福してやってくれないか」
 男というのは、名前も地位も何もかもを取り除いたところにある、とてもナイーブな部分のことだ。そんな普遍の輪郭を持ったことで、エヴァンにもようやく『ルーファウス神羅』という為人――のその一端――を察することができそうだ。まさに今、エヴァンの耳が捉えているのは、ただ一人の女を喜ばせたいと願う男の純真だった。
「結婚式って、二人でするものだろ。義姉さんだけでいいのか」
「私のことは気にしなくていい。他者からそんなものを受けようが受けまいが、私の幸福は変わらないからな。エアリスもおそらくそうだろう。分かってはいる。だがな」
 ルーファウスは押し黙った。息遣いすら聞こえない。回線が切れたのかと思ってディスプレーを確かめたが、通話時間のカウントは止まっていない。
 しばらくしてルーファウスは、はっと、溜息というには短すぎる吐息をついた。
「エアリスにははっきりと目に見えるかたちで、突きつけてやりたい。何度も、いくらでもだ。祝福が有用なら、使わない手はないだろう」
 エヴァンは目を見開いた。
 一人より二人でいることは、ルーファウスがずいぶんと前から択一していた関係だ。それにエヴァンがかけていた余計なフィルター――意図だとか、打算だとか――が、みるみる剥がれ落ちていく。ようやく見えたルーファウスの真意は、とてもシンプルだった。
 一人の女を思う、一人の男。
 ルーファウスが選んだエアリス。
 エアリスの選んだルーファウス。
 一人で進む調和の道より、二人でさぐる未知の道。
「そうか」
 エアリスの幸せを切に願うルーファウスが、今、エヴァンの携帯端末の先にいる。確かにいるのだ。
 挙式することで、ルーファウスは彼女の幸福が一つ叶うと思っている。エアリスが喜べば、ルーファウスも嬉しいに違いない。それが一人より二人ということだ。
 安堵の正体を、エヴァンはようやく実感した。
 ルーファウスの選択に、知らずとほっとしていたのだ。
 エヴァンにとって一人きりというのは、心細いことだった。たとえば、「AランチとBランチ、どっちにしよう」から、「行方不明だったお兄さんの死亡を、依頼人にどんな言葉で伝えたらいい」まで、大小さまざまな分岐点でエヴァンは立ち止まる。「Cランチ新登場」なんてことになったら、道の先は三叉路だ、さらに頭をかかえなければならない。道に迷ったとき、気安く相談できる誰かが必要だった。
 一人が困るのはエヴァンであって、ルーファウスはきっとそうではない。
 この男なら、きっと自ら選んだ道を行く。三叉路が納得いかない道ばかりなら、四つ目の道をつくりだすのだろう。そうして新たに切り拓いた道の先へと、単身、進めるはずだったに違いない。それでもだ。エアリスと二人でいることを選んだのは、ルーファウスだ。
 言えば、凡庸な考え方だと、失笑されるのだろうか。型に嵌めるなと呆れられるのかもしれない。それでもだ。エヴァンはパートナーや村の友人を思い浮かべる。一人ではないということは、心強く、幸せなことなのだとエヴァンは思っている。
「社長って、真面目に惚気てたんだな。ごめん、冗談かと思ってた。義姉さん、やっぱりすごいよな」
 エヴァンは感嘆の声を上げた。
 ルーファウスの強烈な『個』に、『男』の輪郭を与えたのはエアリスだ。エヴァンでも理解ができるほどの、それははっきりとした線だった。すると、どうだろう。数々の惚気話までもが、映像をともなってリプレイしだそうとする。エヴァンは慌てて頭を振った。
「だめだ。背中が痒い」
「待て。お前は私の話の、いったい何を聞いていた」
「何って、全部だよ」
「聞いていて、なぜそうなる」
「聞いてたからなんだけど」
「まあ、いい。そうだな、エアリスのことは否定しない。あれはすごい女だと、いつも言っているだろう」
 ルーファウスのバリトンが蕩けた。男の輪郭だ。
 今、エヴァンはそれをルーファウスの声で確かめた。そうなると今度は顔を見てみたくなった。ルーファウスは花嫁を前に、どれほど締まりのない姿をさらけるのだろう。怖いもの見たさという好奇が、エヴァンに介添人をさっさと承諾しろと追いこんだ。そのとき。
「なあ、頼む。エヴァン」
 ルーファウスが声の調子を変えた。耳元で、しっとりと言われて、腰がぞくぞくした。
 これはわざとだ。渾身の武器を使ってまでエヴァンを篭絡しようとする『男』が、いっそ健気に思えてくる。木洩れ日を仰いで、エヴァンはこみ上げそうな笑いをがまんした。
 いくら魔王対策とはいえ、ルーファウスほどの人脈を持ちながら、結婚式を取り仕切れる人物が一人もいないということは考えられない。そうと分かっていても、エヴァンはこのまま言いくるめられてもいいかと思った。
「分かったよ。勿論って言ったのは、俺だしな。でさ、いつだよ」
「式日なら、お前の都合にあわせてもいい」
「は」
 頓狂声に、遊歩道を行き交う人々が足を止めた。エヴァンは俯く。小さいが、刺すような声で捲し立てる。
「嘘だろ。結婚式だぞ。ほとんどの人がさ、一生に一回あるかないかの大事な日じゃないのか。あのプレジデント神羅だって、奥さんは一人で結婚式も一回だったんだろ。そんなの、俺の都合にあわせていいのか」
「かわまない」
「かまわないって、社長。少しは悩めよ」
「私たちに大事なのは日にちではない。式を挙げることだ」
 ルーファウスは淡々と続ける。場所を聞いて、エヴァンはさらに驚いた。ミッドガル伍番街だった。零番街にほど近い場所にある教会堂は、エヴァンも遠目で何度も目にしてきた。結婚式には打ってつけだろう。問題は建物自体ではなく、立地だ。ミッドガルの全面封鎖が急ぎ進められた、その理由にある。ライフストリームの漏出だ。
 ミッドガルの中心に近いところは――防災チャンネルを聞かなくても――ライフストリーム濃度が、依然として危険レベルをマークしているはずだった。『ライフストリーム濃度予報』というのは、地殻熱流量からライフストリームの回流を計測し、風向風速の観測情報と併せて、噴出地点と拡散範囲を予測したものだ。風向き次第ではミッドガルの外縁にいたるまで数値が高くなる。ラジオから朝夕と流れる予報は、市民のいのちの綱の一つだった。
 なぜ、こんなことになったのか。
 神羅プレスルームの正式発表があったのは、メテオショックからしばらくしたころだった。エヴァンは一日たりとも忘れていない。
 魔晄炉はとうに機能を停止している。が、テロリストの破壊工作でもとより修繕の追いついていない壱番と、メテオショックで破壊された八番の二基がいまだライフストリームを垂れ流している。不運なことに、破損の著しい箇所というのが、魔晄エネルギーの燃料を汲み上げていた管の、その安全弁だった。技術者や機材不足が相俟って、すぐさま閉じるすべがないのだ。そのあいだもライフストリームは弁を伝って流出し、魔晄エネルギー配送用のパイプから各セクターにもれだしているのだという。
 被害がひどいのは、炉からいちばん遠いはずの零番街だった。巨大ビルの機能維持には、一セクターを賄う以上の莫大なエネルギーが欠かせない。配送パイプもまるで血管のようにビル全体に張り巡らされていて、それが仇となったのだ。社屋内はどこもかしこもライフストリームが満ちている。一歩踏みこめば、魔晄中毒に陥ることは確実だった。
 現状は今も好転していないことを、神羅社長が知らないはずはない。
 エヴァンがプレスの発表をなぞれば、ルーファウスは少しのあいだ沈黙したあと、ああ、と珍しく間の抜けた声をだした。
「そんなものもあったな。気にするな、エヴァン。私がミッドガルを訪れる日は、どこもいたって濃度が〇パーセントになると決まっている」
 エヴァンはいやな予感がした。携帯端末の向こうで、この男がにやりと口端を吊り上げている気配がした。
「だって、予報は」
「予報は私を妨げない」
「それって、まさか。おい、嘘だろ。なあ、社長。ライフストリーム濃度ってさ、もしかして」
「おやおや、ばれてしまったな。だがな、エヴァン。それ以上は口にしないほうがいい」
 二の句が継げないでいるエヴァンを、ルーファウスは鼻で笑った。
 ライフストリームはきっとすでに漏出していないのだ。エヴァンはかねてから実家の整理をしたいと考えていた。プレート上部がクリーンならそれも叶うかもしれないと喜びかけて、はたと思い留まる。遠まわしに「近づけば魔晄中毒になるぞ」と毎日脅しながら、神羅は、ルーファウスはミッドガルで何をやっているのだろう。人払いをした廃都に何があるのだろう。
 そもそもだ。防災チャンネルはどこまで本当のことなのか。
「じゃあ、モンスター注意報は」
「それは信じておけ。いのちが惜しければな」
 エヴァンは渋々頷く。弐番火力炉に従事しているという依頼人から聞いたことがある。エッジ市から現場まで、外縁に敷設された単軌鉄道で行き来するのだと。炉からミッドガル市街への出入口はすべて封鎖されている。ミッドガルを斜断できれば早いのだが、ゲートを開けてライフストリームが流れこんできたら困る。それでなくとも、時折聞こえる不気味な唸り声に、いまだチャレンジした猛者はいないらしい。
 まだ聞きたいことがあるのか、と問われて、エヴァンは慌てて口を噤んだ。ほかにどのような情報に規制がかかっているのか。せめて『モンスター注意報』の信憑性くらいは確かめたかったのだが、残念なことにエヴァンの口が開くことはなかった。
「壱番アベニューにホテルが建ったのを知っているだろう。クロークにトラベルケースを預けておく。二つだ。式に欠かすことのできないものが入っている」
「分かったよ。俺が荷物を受け取って、待ちあわせ場所に集合でいいんだよな。で、全部内緒だ」
「お前も分かってきたな」
 ルーファウスが満足そうに言った。その後ろで、エアリスの夫を呼ぶ声がする。ランチができ上ったようだ。
「もう切る。都合のいい日が決まったら、連絡をよこせ。ところで、エヴァン。犬がどうかしたのか」
 エヴァンは虚を衝かれた。彼の振る話題で、この男の関心を引いたことは数えるほどしかない。ついぽろりともらした『犬』は、エヴァン自身の話よりも気になるらしい。何だか面白くはないものの、だからと言ってルーファウスからかけられた声を無視する度胸はない。エヴァンはかいつまんで話した。
「それは大事だな。エヴァン、今、お前はどこにいる」
 エヴァンは大通りを眺めながら、現在地を言った。道はどんどん南へと伸びていくというのに、彼はまだその起点に座ったままだ。
「伍番アベニュー側にいるのなら、ちょうどいい。壱番ストリートぞいにハンドラーのオフィスがある。ディーを訓練した男で、腕はなかなかにいい。会う気はあるか」
 ルーファウスは何でもないことのように言った。
 エヴァンは逡巡する。ルーファウスの「なかなか」は、エヴァンの相当に値する。犬の生態知識は並等ではないに違いない。今、いちばんにほしい知識が、目前のロータリーの一ブロック先にある。エヴァンは、しかし素直に頷けない。ルーファウスに借りをつくるのはいやなのだ。それに、と足先に視線を落とす。補石舗装された遊歩道が、洒落ている。歩きやすいだけでなく、いずれ緑樹がすくすくと育てば、広場は美しい景観に仕上がるだろう。この男の力を見るたびに、エヴァンは自身の矮小さを思い知ることになる。半分は同じ血が流れているというのにだ。
 だが、ここで「自分で何とかする」と言えないほどに、エヴァンは行きづまっていた。せめてルーファウスが紹介料でも吹っかけてくれれば、あるいは。「いくら払えばいい」と聞きかけたところで、エヴァンは青ざめる。ギルの桁に見当がつかない。
 たちまちエヴァンにできることといえば、神羅夫妻の結婚式を手伝うことだ。一人七役をしっかりこなせば、ハンドラーの紹介料くらいにはなるだろうか。エヴァンは迷いながらも、会う、とだけ言った。
 ちっぽけなプライドで、依頼人の涙を拭うことはできない。まずは他者の手を借りてでも力をつけ、成功を重ねていけば、いつか本当の矜持に変わるのだろうか。
「社長。結婚式いつでもいいよ。準備だってあるだろ。俺があわせる。決まったらさ、教えてくれよ」
「分かった。ハンドラーの件は秘書に伝えておく。お前はそのまま、ジャッドから折り返しの連絡を待て」
 相槌を打った矢先に、エヴァンの耳元をまた低い笑み声にくすぐられた。
「ホットドッグとやらでも食いながらな。適宜、休憩は必要だ」
 エヴァンの反応を待たずに、通話は切れた。挨拶なんてものは、やはりない。携帯端末を耳に当てたまま、ややしばらくぽかんとしていた彼は、ふと南の空を見上げた。
「社長、自由すぎるだろ」
 高層建築のはるか向こうに山が連なっている。釈然としないまま、エヴァンは薄い色の峰を睨む。
 そろそろルーファウスがソファーから立ち上がったころだろうか。まだ笑いやまないまま、ダイニングルームへと向かうルーファウスに、エアリスが「何、にやにやして。いいこと、あったの」とよりそうのだろう。ルーファウスはいったい何とこたえるのか。たとえば「式当日の雑用係を確保したぞ」だとか、「いつでもいいと言っていたが、あいつの探偵社とやらはまだ閑古鳥の巣なのか」だとか、大方そんなところだろう。嫌味ったらしいルーファウスをたしなめながらも、エアリスは喜んでいる。ルーファウスが式に他者を招いたことにも、エヴァンがそれに応えたことにもだ。
 眼下にエアリスの笑み顔が花開いたところで、ルーファウスはきっと。
 エヴァンの口元が、とたんにだらしなくゆるむ。大勢のなかにいながら己だけを見据える『個』と、『個』以外の誰か――唯一の例外――と真摯に向きあう『男』。今のルーファウスを占めるのは、断然後者だ。
 男の顔で、男の声で。めろめろに蕩けながら。
 クレープ生地に練りこんだ焦がしバターのにおいが漂うなか、ルーファウスもまた、エアリスに笑い返しているところに違いない。
「やばいな。あのルーファウス神羅がめろめろって、いったいどんな顔だよ」
 式当日は、それを実際に確かめるチャンスだった。たとえ雑用係としてこき使われるのだとしても、世にも稀有なものを見られるのだ。少しだけ溜飲が下がる思いがした。
 遠くを見ながらにやけているエヴァンに、通りがかった二人連れがぎょっとしている。危うく落としそうになったホットドッグをかかえて、そそくさと立ち去った。スチームパンの甘い香りをエヴァンの鼻腔に残して。
「腹拵え、しとかなきゃな」
 フードトラックには、いつの間にか贔屓のクレープ店が並んでいる。だが、今日のランチはホットドッグだ。マスタードに、少し奮発してレリッシュを多めにトッピングしようとエヴァンは決めた。午後からまた歩きまわることになるのだから、エネルギーが必要だった。
「待ってろよ、犬」
 エヴァンはすっくと立ち上がる。と、一度だけ大きく伸びをした。そよ吹く風が彼の心にかかる雲霞を、少しだけ晴らした。


■END■
(知らなければ何も進まない)

20220505