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祭子
2022-07-18 14:10:53
5911文字
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FF7/R×A/TLKG
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■MATURE ELEGANCE■
∠[ν]-εγλ0010/08
ルーファウスはマニキュアリストになります。妻の爪の手入れに御曹司の教養が活かされました。
※pixiv掲載テキスト(20210403初出)
■MATURE ELEGANCE■
∠[ν]-εγλ0010/08
バスルームの洗面カウンターは広く、一枚ものの大きな鏡と二つのボウルがある。右側がルーファウスの定位置だった。彼は歯磨きをしながら、左側のボウルを見ていた。
すでに寝支度を終えたエアリスが、ネイルエナメルの刷毛をすべらせている。珍しく険しい顔をしながら、時折小さな悲鳴を上げながら。白い指先にはみでるビビッドな色は、彼の横目にもとてもよく目立っていた。
ルーファウスは泡を吹きだす前に、口をゆすいだ。
「笑わせるな、エアリス」
「そんなつもり、ないんだけど」
「お前は不器用だな」
口元を拭いながら、ルーファウスは彼女を見下ろす。違うの、と彼女が言訳を始めた。
「あのね、わたし、右利きなの。右の爪、うまく塗れなくて。ほら、左はきれいに塗れてるでしょ」
エアリスは左手の甲をかざす。そっと右手を隠す仕種が、いたいけなかった。ルーファウスは笑って手を差しだした。
「見せてみろ。エアリス、そっちではない、右手だ」
遠慮がちに乗せられた爪先を見て、ルーファウスは首を振る。彼女を抱き上げると、カウンターに座らせた。驚くエアリスを尻目に、彼はカウンターに並べられた爪の手入れ用の化粧品を一瞥する。
「やり直したほうがいいな、これは」
「ルーファウス、塗ってくれるの」
「ああ。まずは、これを落とす。どうすればいい」
エアリスは嬉々として、コットンにリムーバーを含ませた。溶剤の刺激臭が鼻を突く。丁寧にエナメルを拭き取りながら、ルーファウスは思う。女の身支度は思いのほかくさい。
「せっかくだから、右も塗り直して」
「それはかまわないが。寝しなに、急にどうした」
「明日、エヴァンが来るでしょ」
どうやらルーファウスは、ほかの男のために身繕いする妻の手伝いをしているらしい。不機嫌が顔にでたのだろう、エアリスが左手の甲で彼の頬を一撫でした。
「ほら、神羅夫人らしく、たまにはきちっと決めようかなって。明日はお化粧もばっちり、してみるね」
「それこそ、急にどうした」
ルーファウスは怪訝に思う。初手から彼女は薄化粧だった。そのあとも
――
服装はほかに着るものがないので仕方がないとしても
――
エアリスは身なりや化粧に気を遣い、それを楽しみながらも、しかし己を必要以上に飾り立てることを好んではいなかったはずだ。そもそも今になって華美に身繕いしたところで、エヴァンはすでに彼女のかれんな素顔を知っている。
エアリスは少し間を置いてから、小首を傾げる。
「エヴァンにも覚えていてほしいと思って、わたしのこと。どうせなら、ちょっとでもきれいな、わたし」
「あいつに、そんなによく思われたいのか」
「そういう意味じゃなくて。よく思われてほしいのは、ルーファウスのこと。『奥さんまで楽しい人で、お料理上手で、きれいなんて、さすが社長』って」
エアリスがはにかむ。不快が刻む眉間のしわが、ふと消えた。いつからこんなに単純になったのか、ルーファウスは困ったように眉尻を下げる。
「それは私が『楽しい人』前提なのか」
「だって、最近は兄弟でお話、盛り上がってるでしょ。あのエヴァン君が、あなたと二人で、だよ」
「まあ、そうだな」
「あとは女の意地です。『きれいなお兄さんの、奥さん』じゃなくて、『お兄さんの、きれいな奥さん』って、一回くらい、思われたいじゃない」
ルーファウスは返答に窮する。己の容貌も含めて、彼はあらゆるジャンルの美しいものを知っている。エアリスの美々しさは、しかしそのどれにも当て嵌まらなかった。
たとえば、と彼の手の上にある指を見る。エアリスの手は花車なつくりをしている。マニキュアなどしなくても、縦長の爪は仄かに色づいている。彼女に似あいの薄桃色だ。ルーファウスは指先を握る。皮膚は薄く、傷つきやすいというのに、土いじりで汚すことを惜しみもしない。そうして何かをはぐくむことのできる手は勝妙としていた。
そんな陽光の似あう手かと思えば、夜になるとルーファウスに幾度も安らかな眠りを与えた、稀有な手になる。秘密の庭で、みみずを指差して「ここ、いい土だね」と笑う屈託なのないそれとはまた違った、静謐な居住まいで彼を見つめながら。
エアリスの見目は
――
黙っていれば
――
楚々としている。それに内面からあふれだす感情と相俟って、ほかに替えの利かない美になる。そして美は一つきりではなかった。
たとえば、くだんのみみずだ。エアリスはいのちあるものにふれられない。地面をぬたくるそれを、彼女はつまんでじっくりと見られないことを残念がっていた。ルーファウスはぎょっとした。
「あれ、ルーファウス、みみず、さわれないの。もしかして、見たの、初めて」
きょとんとした顔も。
「ちょっと。おかしな人見る目、やめてください。土とみみず、大事なんだから」
むっと突きだしたくちびるも。
「ううん。そういうわけじゃないけど。だけど、やっぱり、さびしいね」
しきりとしばたたく長い睫毛も。
宝石の小片を入れたカレードスコープのように、ころころと変わる表情の数だけ、エアリスはあざやかだった。
ルーファウスのそれと同列で比べられるものではない。そう言って頷くような女であれば苦労をしないのだが、その簡単でないところに惹かれている。
「そんな心配はいらない。思い出は多少美化される。お前のうっかりまで美化できるかは、いささか不安だが」
「その言い方、棘があるなあ」
「冗談だ。お前は私に見劣りなどしない。そのままでいい」
「やだ、ルーファウス。どうしたの、まだ酔っぱらってるの」
空いた手で、彼女はルーファウスの肩を笑ってはたく。寝酒の戯言だと、どうやら彼の本心を汲み取ってはくれなかったようだ。ルーファウスは吐息をつく。せめて気取って着飾ったエアリスをエスコートするのは、彼自身でありたい。
「まあ、いい。面白そうだな。そういうことなら、先に言え。お前がドレスアップするなら、私もつきあおう」
「それじゃあ、意味ない。わたし、あなたの引き立て役じゃない」
エアリスは口先を尖らせる。
「それにね。あなた、エヴァンと会うとき、最近ずっとジーンズだったでしょ。久しぶりのスーツ姿、あの子、緊張しちゃうんじゃないかな」
「いい機会だ、あいつの胆力の成長ぶりを試してみるか。明日はエヴァン・タウンゼントを神羅夫妻が花々しく出迎えてやろう」
もう、と非難する声は小さい。エアリスの好奇は、すでに『神羅夫妻』の装いへと向いているに違いない。彼女は自身を引き立て役などと言うが、それを卑下してやめようとしないところがまた好ましい。ルーファウスはネイルエナメルの小瓶へと目をやる。カラフルなそれらのうち、何色を細い指にまとわせようか。
「どれにする」
「あなたの好きな色」
小瓶のあいだをさまよわせていた視線を、ふと上げる。エアリスのにこやかな顔があった。この女は、いまだによく分からないところがある。爪に色を塗るという、単調で取るに足りない作業だ。これほどまでに喜ばれるなどと、彼は思ってもみなかった。
ルーファウスは、だがエアリスの喜びが彼自身をも満たすことを、すでに知っている。なるほどと思う。こんな風にして、何気ない日常を積み重ねれば、彼女が笑い、ルーファウスも笑うのだろう。幸せへと続く道筋が見えた気がした。
「明日は何を着るつもりだ」
ルーファウスが柔い声で問う。エアリスは、しかし言いづらそうだ。
「深い赤色の、マーメードラインのワンピース、あったでしょ。あれ」
「派手すぎると言って、放っておいたあれか。ようやく着る気になったのか」
「赤色、着てみたくなったの。白色はあなたの色だけど。あの赤色も、ルーファウスの色って感じ、するから」
エアリスは目元を恥じらいの淡い色に染めている。逃げ惑う眸を、ルーファウスは追わずにはいられない。目があうと、彼女はそれをごまかすように口を開いた。
「赤色は、歓迎式典のイメージなの。ほら、旗の色」
「お前はすぐにその話を持ちだす」
首を竦めてから、彼はふと己の名前の由来を思いだす。誰かに話して聞かせたことなどない。だが。
「私の名前にはな、古い言語で『赤』という意味がある」
気づけば、ルーファウスはそうもらしていた。エアリスが目をしばたたかせている。
「それを取り入れたのだろう、企画部は」
「じゃあ、あながち的はずれな色じゃなかったのね。意外にホットなあなたに、ぴったりの名前」
エアリスの指先が、彼の五指に絡まる。二人の視線も同じように。
「すてきな名前、だね。何回でも呼びたくなる」
「好きなだけ、呼べ」
「すごい。上品ね」
「真夏に真赤だ。ゴールドが洒落ていていいとは思うが、やはり仰々しいだろう」
ルーファウスがエアリスの爪に乗せたのは、シャンパーニュゴールドだった。黄味を抑えたそれと、そして爪先を縁どるペールピンクが思いのほかしっくりしている。ルーファウスは満足した。
任されたからには立派な『神羅夫人』へと仕立てあげるべく、ルーファウスはさらに考える。彼女のジュエリーケースを思いだしながら、ついでにコーディネートをすることにした。
「そのぶん、淡い色のネイルとジュエリーでお前らしさを引きだそうか」
明日が楽しみだ。むやみと飾り立てるのではなく、エアリスに似あいの色取りをそえる。それだけのことで花やかさが活きるのだと、ルーファウスに劣るところはないのだと、鏡がきっと彼女に教えるだろう。
興が乗ったルーファウスは、彼女の親指に細筆をすべらせる。筆先が描く花びらに、エアリスが感嘆の声を上げた。やがて爪先に一輪の花が咲く。
「ね、ルーファウス、マニキュアしたこと、本当はあるでしょ」
「あるわけないだろう」
「怒らないから。ね、誰の爪、塗ったの。白状して」
「やっていない。それにお前が怒らないと言って、怒らなかったためしなど、今までなかっただろう」
そうだけど、とエアリスがむくれた。ルーファウスは小さく笑う。これ以上話を長引かせると、また彼女が在りもしない女に嫉妬をする。
まだ花の咲いていない左手を掴み上げる。己の手のひらにすっぽりと収まるそれに、彼は視線を落とした。
「お前だけだ」
「でも、絵、上手」
「絵画は習っていた。鑑賞の仕方と、無論描写の技巧もだ。塗り方など、要領は同じだろう」
「同じじゃないよ。そういうこと、本当、簡単そうに言うよね」
エアリスは仕上がったばかりの右手を、いろいろな角度から眺めている。小さなくちびるから、満ち足りた吐息がこぼれた。
「ね、ほかには」
「楽器をいくつか」
「ピアノは」
筆を動かしながら頷くルーファウスに、「すごい」をエアリスは繰り返した。彼の教養に、エアリスはいつもきちんと耳を傾けている。好奇にまたたく眸にせがまれると、ルーファウスはたわいない話を止められない。
「さすが大富豪のお坊ちゃま、だね」
「また坊ちゃん呼ばわりか」
「だから、変な意味じゃないってば。ルーファウスのこと見てると、すごいって思うの。お坊ちゃまって、それも一つの経験でしょ。あのね、お金持ち、がんばったらなれるかもしれないけど。お金持ちの家に生まれるのって、それって誰にでも許されることじゃないんだから」
ルーファウスは筆を止めた。思わずエアリスを見上げる。
「お金で買える経験もね、高価なほどそう。食べものも、着るものも。習いごとなんて、スラム、楽器を教えてくれる先生なんて、いなかったよ」
経験は能力を豊かにするとエアリスは続けた。談話の豊富な題材も、そのうちの一つらしい。なるほどその通りだった。金の有無にかかわらず、エアリスの経験は彼女のなかで活きている。それらは広くものごとを知っているルーファウスをも驚かせ、そして気難しい彼を楽しませる。
無論、金があればあるほど経験の幅は広がり、その質も上等なものになることも確かだ。ルーファウスは自身の出自が、ヒエラルヒーのてっぺんなのだと今更ながらに実感する。
「あなた、たくさんのこと知ってるから。話していて、聞いてるだけでも、すごく楽しい」
彼女が飽きない話を聞かせてやれるのであれば、金で経験を買いあさっておいてよかった。そんなことを、ルーファウスは思った。
「玉の輿に乗れて、よかったな」
「だね。ブルジョアのマダム、悪くないよ」
彼がにやりと口角を吊り上げると、エアリスもまた悪戯っぽく笑った。
ルーファウスの冗談口に乗ってくるのは、彼女くらいのものだ。たとえば今の彼の表情や台詞も、相手方には冷笑と皮肉と捉えられるのだとルーファウスは知っていた。そうなると相手は委縮し、会話は続かない。面白くない人間ばかりだった。だがエアリスは違う。
「ご飯、たまに冷食だけど」
「代わりに多忙な夫が、手ずから馳走をふるまっているだろう。何せマダムは料理の腕が、可もなく不可もなしだからな」
「そうなの。普通なのよね、わたし。だからね」
これもエアリスの経験の賜物なのだろうか。ルーファウスを前にして、彼女は初見から臆することはなかった。今となってはこの気心の知れたやり取りも、テンポがぴったりとあっていて気持ちがいい。
「わたし、尊敬してる、あなたのこと。九〇パーセントくらい」
「あとの一〇パーセントが気になるところだが、まあ、いい」
ルーファウスが軽く睨む。エアリスはまたかれんに笑んだ。
「ね、ルーファウス、聞かせて」
怪訝な顔の彼に、エアリスがリビングを指差す。
「窓ぎわにあるでしょ。立派なピアノ。お金持ちの象徴」
あれか、とルーファウスは呟く。黒くつややかな平型の存在を、彼はすっかり忘れていた。たまに弾くのもいいかもしれない。幸い聴衆はいる。
「ブルジョアの奥様のティータイムに、すてきな曲、聞かせて。そしたら、そうね、あと二パーセントくらい、上がるかもしれないよ」
尊敬度、と言いながら、彼女は期待の眼差を向ける。バスルームの
――
太陽光線に似せた人工的な
――
光の下でも、新緑の双眸はあざやかだった。
「やれやれ。わがままなマダムだ」
ルーファウスは筆にエナメル液を足す。大仰に溜息をつきながらも、ピアノの調律師を手配しなければなどと、彼はすでにそんなことを考えていた。
■END■
(円熟した優雅)
20210403
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