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祭子
2022-07-18 14:04:29
10729文字
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FF7/R×A/TLKG
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■All WE HAVE IS NOW■
∠[ν]-εγλ0010/07
エアリスはセトラの子守歌をねだられます。歌いながら思いだすのは義父の遺品と夫の心痛です。
※pixiv掲載テキスト(20210315初出)
■All WE HAVE IS NOW■
∠[ν]-εγλ0010/07
「歌を歌ってくれ」
荒々しくベッドカバーを剥がしながら、ルーファウスは言った。
手前の小さなシャムをベッドから払い落し、残ったデコラティブピローのなかから、適当なものを頭に宛がう。ルーファウスの長躯がぐったりと横たわった。
途中で脱ぎ捨てられたガウンを拾って、フットベンチにかける。と、エアリスはくすくすと笑った。
「お疲れ様、ルーファウス」
「まったくだ。疲れた」
長時間の運転で身体が凝ったようだ。しかも悪路続きだった。横に座っているだけのエアリスですら、背中と尻がだるいくらいだ。
それ以上に、ルーファウスには気疲れもあるのかもしれない。あれほどまでに神経の高ぶった彼を見たのは、初めてだった。予期しない両親の思い出への動揺もあっただろう。だが、そのほとんどは彼女へとほとばしる愛情だった。あのときエアリスがこらえた
――
すれ違ってしまった父子への憐憫ややり直すことのできない過去への後悔、そんな複雑な涙のうち、ルーファウスから注がれた一途な愛情への
――
嬉し涙が、不意にあふれでようとする。エアリスは慌ててまばたきを繰り返す。湿りだした双眸を乾かしたかった。
「何、歌おうかな。元気でるように、新社長歓迎式典にしよっか」
「静かに眠らせてくれ。あれがいい、お前の母親の」
「どっちのお母さん」
エアリスには子守歌のレパートリーがいくつもあった。実母と養母、二人がたくさん聞かせてくれたからだ。
「イファルナだ。あのわけの分からない歌詞が、今はちょうどいい」
わけの分からないとは、また失礼な言い方だ。だがエアリスも実はそう思っていた。イファルナの歌はセトラに伝わる民謡が多かった。いったいいつの時代の言語なのか。造語の羅列のような音節には、現代の公用語に通じる部分が一つもない。勿論、エアリスはイファルナに聞いた。どういう意味なの、と。イファルナは「星とお話するときに使う言葉よ。もう少し大きくなったら教えてあげる」とだけ言った。
エアリスはふと思いだした。セトラの民謡は、セトラの遺跡を訪れたときに彼女のなかへと直接流れこんで来た、あれに似ていた。言葉とも声とも違う、不可思議な何かだ。
「どうした」
「何でもない。じゃあね、今日はセトラ組曲第二楽章ね」
ベッドが沈まないよう、膝元にそっと腰かける。いたわるように彼のふくらはぎを撫でてから、エアリスは短靴を脱がした。ルーファウスがのろのろと寝返りを打つ。くせのない髪が枕にこすれて、コットンキャンディーのようにふくらんだ。
「何だそれは」
「ほら、イファルナお母さんの歌ね、タイトルないでしょ。だから、それっぽく番号ふってみたの」
エアリスはサンダルを脱ぐ。大きく伸びをしながら言った。お前らしい、と微笑しているルーファウスへと彼女は身を乗りだす。彼の髪を整えるためだ。このまま夜が明ければ、細い髪が絡まってしまうだろう。
ルーファウスは容姿の使いどころを正しく理解していた。特にパーティーシーンの彼は、政財界に興味のない人々の関心まで集めるほどだった。ブリリアントカットのダイヤモンドのように、計算されつくしたスタイルはエアリスもテレビや雑誌で知っている。だが近くで見る彼は、普段の手入れにはあまり拘泥していないようだった。粗雑なところがあって、いい加減にヘアブラシをかける。見かねたエアリスがブラシを取り上げたのは、もうずいぶんと前のことだった。当の本人は「傷んだところで、伸びれば切るので問題ない」とあっさりとしたものだ。せっかくのきれいな色をした髪が損なわれないよう、丹念に梳きほぐすことは、今やエアリスのルーチンワークだった。
朝の楽しみに取っておきたい気もしたけれど、ルーファウスの寝ぐせはまるで彼のように頑固だ。明日だけはヘアセットにかける時間を少しでも減らして、ゆっくりと休んでほしかった。
彼女の手を、しかしルーファウスは拒んだ。代わりに腰を掴まれて、エアリスはそのままベッドのなかへと引きずりこまれた。
「ならば、第一楽章はどれだ。最初から歌ってくれ」
「いいけど。ね、ルーファウス、髪の毛、くしゃくしゃだよ。小さな子みたい」
「妻に子守歌を歌わせている時点で、子供だ」
そう言いながら、ルーファウスはランプを消す。彼女を背後から抱き竦めると、ブランケットをかぶった。
エアリスは彼のあくびを聞きながら、歌い始める。ルーファウスの体躯から次第に力が抜けていく。彼女の腰に置かれた、その腕の重さが心地いい。心のなかで、おやすみ、とエアリスは囁いた。
結局、あの別荘から取り急ぎ持ちだしたのは、金庫に入っていた一式と、それからワインルームの酒瓶だった。ワイン以外にも、ブランデーやウィスキー、異国の地酒まで取り揃えてあった。彼の好む銘柄と料理用に選んだもの以外は、社員で分けるようにとルーファウスはタークスに指示していた。今ごろ、社員寮
――
と呼んでいるかつての宿泊用ロッジ
――
では酒盛りが行われているかもしれない。すでに遅い時間だが、山腹の傾斜地には点々と明かりが灯ったままだった。
建物自体も拠点として用立てるようだ。カーム監視網を強化するためだった。近ごろWROの奇妙な動きを気にかけていたところだ。ルーファウスはオフィスに戻るなり、セーフルームに機材を導入する手はずを整えていた。近郊にありながら目立たないあの場所は打ってつけのようで、父親の遺した意外の取得物に彼は満足していた。
別荘はあのまま打ち捨てられ、森にのみこまれてしまうのではないかと、エアリスは心配だった。母親の形見の指輪のように。だが、ルーファウスいわく、「ものに罪はない」らしい。指輪を弔うすべはぞんざいだったが、エアリスは彼のそんな潔い考え方は好きだった。
それからルーファウスは、「葉巻はまったく興味がないが、親父とはどうしてだか酒の趣味はあう」とも言った。睫毛を伏せ、独り言のようにそうもらした彼の顔が、エアリスの心に影を落とす。
年代物のワインの滓を舐めれば、きっとあのときのルーファウスのような顔になるに違いない。エアリスは晩のできごとを思いだした。
酸味のないスティックピクルスが、ルーファウスの魔法にかけられて馳走へと変わった。
ピクルスにブラックオリーブを加えたポテトサラダ。大きめに刻んだ具材を、なめらかに絡ませるのはクリームチーズだ。ディップ用のタルタルソースは、ピクルス液の野菜の旨味と、酸味に足したヨーグルトがよくあっている。メインはアクアパッツァだった。夏野菜のあざやかな色どりは目を、香ばしいガーリックとハーブが鼻を、ほろほろとくずれる白身魚もその蒸し汁も舌を喜ばせる。どれもが格別に素晴らしかった。
彼がオフィスから戻ったのは、すでにいつもの夕食の時間をすぎていた。冷凍食品ですませようとしたところ、しかしルーファウスがピクルスのリメイクを譲らず、キッチンを占領した。エアリスは調理スペースのすみで
――
肩身のすぼまる思いをしながら
――
クラッカーの生地をこねていた。だが今朝の失敗を気にしていたのは、彼女だけだ。ルーファウスは終始機嫌がよかった。帰りの車中に考えていたレシピを、早く試したかったらしい。料理の手順は仕事のそれと似ていると言った。調味料のかけあわせや、火を通す加減の計算が適当して、思い通りの仕上がりになるとすっきりするのだという。
「よく分からないけど、すごく美味しい。わたし、朝のうっかりなわたしに感謝しなくちゃ。怪我の功名ってやつね」
「お前はそのあたりを理解しないから、怪我ばかりする」
「怪我しても、ちゃんと治してくれるパートナー、いるから。本当、もう、美味しい。幸せ」
二人は晩酌も兼ねて、ミニバーに食事をセッティングした。エアリスはすでに開き直っている。ルーファウスの皮肉も聞き流せるほどに、目の前の料理に夢中だった。
「お前は美味そうに食う。それがいい」
ルーファウスは堅焼きにしたビスケットを齧っている。せっかく用意したディップソースもつけずに。エアリスがソースを差しだす。ハイスツールごと体躯を彼女に向けて、ルーファウスは首を振る。
「生地ものは、お前のほうが上手だな。クラッカーの塩加減がちょうどいい」
白にあうと言いながら、彼はグラスにお代わりを注いだ。ラベルは、常備しているいつものワインだ。父親の別荘から持ち帰った酒瓶は、ルーファウスが家へ戻ってすぐワインセラーに寝かせていた。彼のそんな動きは見たことがないというほどに、慎重だった。
「ね、お父さんのワイン、開けないの」
「私が選ったワインは、すべてオールドビンテージだ。少し休ませないと、今開けても味がくずれている」
勿体ない、とルーファウスは言った。ワインがくずれる。エアリスは眉をひそめかけたあと、すぐに納得した。これは『お金持ち』の話だ。別段、羨んでいるわけでも、勿論蔑むつもりもない。彼は生まれながらの特権階級だ。格差に驚きはするものの、エアリスの知らない世界のうんちくは面白かった。ルーファウスが
――
ゲインズブールの家に置いた
――
洗濯機の使い方を興味深そうに覚えていたことと、似ていると思った。
エアリスも彼に向き直る。ポテトサラダを食べながら。
「古いワインはな、ストレスに弱い。何せ長いあいだ、身じろぎ一つせずに、己のうちで静かに熟成していくからな。飲むときには、香味はすでに危ういバランスで成り立っている。開栓にすら気を遣う。だというのに、今日はずいぶんと車にゆられてしまった。滓がだいぶ立っていた」
あれはかなり渋そうだ、とルーファウスは口角を下げる。
「繊細なのね」
「まるで私のようだな」
「この口、ですか。そんなでたらめ、平気で言うのは」
ワインでぬれた薄づきなくちびるを、エアリスはつまんだ。ルーファウスに噛みつかれる前に、すぐに放す。彼はかすかに笑った。
「ね、いつになったら、飲めるの」
「一〇日も待てば、落ち着くだろう。開けるときには声をかける。クラッカーを焼いてくれ」
エアリスは頷きながら、考える。深い赤ワインにはフレーバーチーズをあわせることを、ルーファウスは好む。今日と同じプレーンと、ほかにハーブを練りこんだクラッカーを用意するのもいいかもしれない。今なら秘密の庭にチャイブやローズマリーがよく育っている。
「楽しみだね」
ルーファウスはしばらくしてから、グラスを呷る。そうだな、とぼそりと言った。
「親父は、いいワイナリーとつながりがあったようだ。聞いておけばよかった」
グラスのワインが酸化するにはまだ早いだろうに、彼は渋そうに眉をしかめていた。
渋面は、アルバムをめくるたびにひどくなった。写真とは別にいろいろなものが綴じられていたからだ。
たとえば、チケットの半券。
ルーファウスはそれに覚えがあったようだ。狼狽する様子を隠すこともなく、ゴールドソーサーの入園チケットだと言った。彼のチケットはシリアルナンバーが二、アルバムに残されていたのは一だった。ほかにも小さなルーファウスが描いた
――
どうやら両親らしい
――
へにょへにょな絵、ボーディングスクールへの編入通知書なんてものまでが丁寧に綴じられていた。
エアリスはアルバムを閉じた。まだページのなかほどだというのに、ルーファウスが目を逸らせたからだ。
ルーファウスは今、オールドビンテージワインそのものだった。
繊細だという彼の言分は、あながちでたらめでもなかったらしい。ずっと寝かせておいた父子の確執が、予期せぬ思い出や、初めて知った事実に撹拌されて、彼のなかで散り散りになっている。舞い上がる滓には、父親の母親へ向けた愛慕だけでなく、ルーファウスへと注がれる愛恵があったことに、彼は気づいただろうか。
爽やかな朝の光に起こされる部屋も、母親の死因
――
魔晄中毒
――
が伏せられていたことも、マテリアを彼から遠ざけたことも。紛れもない父親の真心だろう。わが子には憂いなく健康に育ってほしいと。
勿論、それらはエアリスの勝手な憶測だ。人は結局、人の外面からしか内面を想像できない。目に見える部分から、目に見えない部分を想像し、汲み取るしかない。あるいは見たい部分だけを見る。それでもエアリスは父親がルーファウスに注いだ愛情を信じている。あのアルバムには、母親が亡くなってからのルーファウスの成長も残されていた。それを父親は特別の家を用意し、一人で眺め、金庫へと大事にしまっていたのだから。
だが、目前に繰り広げられた父親の真心から、ルーファウスは顔を背けた。
「私にはな、受けた傷をしまっておく場所がある。きちんと鍵はかけてある」
別荘で、ルーファウスはそう言った。今日のことも整理がつかないまま、胸の奥にしまってしまうのだろう。
その扉を開けて、傷を癒すのは彼自身ではない。エアリスでもなかった。彼女ではスペアキーを持てない。ではいったい誰が。そう考えたとき、エアリスは不意に、彼のかたわらに立つ子供が見えた。男の子か女の子か、それは分からない。だがルーファウスと同じ髪色をしていた。
子供と手をつなぐルーファウスは、ときに厳しい顔をし、あるいは穏やかな顔をしている。そしてその小さな手を、彼は決して離そうとはしない。
ああ、そうなのね。垣間見た光景に、エアリスは頷くしかなかった。彼の滓が落ち着くのは、きっとルーファウスが父親と同じ立場になった、そのときなのだろう。
エアリスはルーファウスの未来から、そっと目を逸らす。彼の未来は、エアリスにとって眩しすぎる。そして少しだけ悲しい。彼女は『今』に意識を戻す。ルーファウスは二人の幸せを考えると言った。そうはっきりと告白してくれた彼のためと、エアリス自身の幸せに集中するのだと、あのセーフルームで決めたばかりだ。だから過去は悔やまず、未来を羨まない。
ただ、とエアリスは少しだけ彼のなくした日々を思う。
脳裏に、小さなルーファウスを追いかける母親の、花やかな顔が浮かんだ。あいくるしく逃げる彼と、それからルーファウスによく似た男の人。幸福の具現を、エアリスは確かに見た。
鍵をかけなくてもいい過去があれば、それに続く未来には、ルーファウスが父母と三人でワインを楽しむ日もあったのかもしれない。彼らが交わす杯に注がれるのは、爽やかな香味をしたワインだ。きっと白。ボトルのなかに不要な沈殿物はないに違いなかった。
「どうした」
そう問われて、エアリスは歌声が止まっていたことにようやく気がついた。目尻に浮かぶ涙は、前髪を掻き上げるふりをしながら、拭う。
「ごめん。考えごと。わたしも寝つけなくなっちゃった」
「仕方がない。今日は特別だ。私が歌う」
「嘘」
涙など、すっかり吹き飛んだ。エアリスは彼の腕を押し退けて、寝返りを打つ。驚きのあまり、目も口も真丸に開いた。そんな彼女の顔がおかしかったのだろう、ルーファウスがくつくつと笑っている。
「ルーファウス、歌、歌えるの」
彼は頷くが、にわかに信じられなかった。エアリスは片肘をついて、顔を起こす。と、ルーファウスの眸をいきおいよく覗きこむ。気圧されたらしいルーファウスが、仰向けに転がった。
「ハミングじゃないよ、歌だよ。本当に歌えるの」
「お前の歌をあれだけ聞いていれば、ばかでも覚えるだろう」
「じゃあ、歌ったことは」
「寄宿学校の聖歌隊以来だ。成人してからはないな。喜べ、お前が初めての聴者だ」
「あなた、耳もすごいのね。はい、どうぞ、聞かせて」
そう言うなりエアリスは、彼の胸の平たいところに上半身を乗り上げた。前腕を重ねて、顎を乗せる。今度はルーファウスがぽかんとした。それから頬に散らばった髪を横に流す。
「なら、さっさと私から下りて、目を閉じろ」
「どうして」
「どうしても何も、私が歌うのは子守歌だぞ。目を瞑らなくて、どうやって眠る気だ、お前は」
ぱっちりと目を開けたままの彼女に、ルーファウスは呆れている。子守歌の趣意からはずれているのだとしても、だがエアリスは動かない。
「だって、歌うあなた、見ていたい」
「私はお前を眠らせたい」
ルーファウスは吐息をつく。親指でエアリスの目元を撫でる。何度も、そっと。
「お前が眠れない原因は、私だろう」
「そうだけど」
「正直だな」
ルーファウスの手が彼女の頬を下り、首の横で止まる。エアリスは睫毛を伏せた。
「どうした、エアリス」
「怒らないでね。もしもの話、なの」
変えられるのは、未来だけ。そうと分かっていても人は弱い。後悔はいつも過去からやって来て、人を苛む。『あのとき』のことを考えてしまうが、こればかりはどうしようもない。
小さなルーファウスが思い出に鍵をかけなくてもいいように。もしも彼の父親の願いが叶っていれば。
「ね、ルーファウス」
「何だ」
「約束の地、見つかってたらって、思わないの」
「思わないな」
遠慮がちな小声に、ルーファウスの声がかぶさる。即答だった。エアリスは思わず笑った。
「今となって思うのは、あれは」
ルーファウスが長い、とても長い吐息をつく。
「星もライフストリームも、私には生命循環の機能維持のためのシステムだとしか思えない。約束の地も、結局のところは何かの隠喩か符号だろう」
「うわあ、夢も希望もない」
「そもそも約束の地が何なのか、お前は知っているのか。夢や希望とやらは、そこにあるのか」
エアリスは言い淀む。彼女は何も知らなかった。
一度星に還って、ライフストリームを自由に巡った。そのなかで、彼女は
――
セトラのことも含めた
――
膨大な量の知識を得た気もする。おかげでメテオや星痕症候群を防ぎとめることができたのだろう。あれは確かに人一人の心身に収めることなど、到底不可能なものだった。
星から切り離されたからか、今、エアリスの小さな身体に残されたのは、生前に得た知識と経験、そして
――
彼女が深く関わった
――
星痕症候群のことだけだった。
「親父がほしかったのは、母の健康だ。星は個人の願いを叶えない。セトラは」
ルーファウスは別荘をでてから、古代種という呼称を使わなくなった。神羅がつけた符号だかららしい。それから、「セトラという音の余韻は、いいな」と言った。エアリスはほとんどセトラと呼ばれる機会がなかった。口にしてみると、なるほど古代種よりずっとかろやかだ。何よりもエアリスのルーツを、ほかの誰でもないルーファウスに褒められたことが嬉しかった。
「お前たちだってそうだ。そんな万能で、都合のいい力を持った種族ではないだろう」
「期待してたのにね。皆、そう」
エアリスはわずかに眉をよせる。彼女がセトラらしくあったのは、少しの治癒能力と、星や精神エネルギーのざわめきに耳を傾けることだけ。神羅やその科学者、テロリストが渇望するような、富や利益を生みだすすべなど持たない。
そんなたいそうな要求でなくとも、どこでうわさを聞きつけたのか、『亡くなった大切な人』と話したいという人もちらほらと現れた。エアリスに分かるのは、人のいのちが精神エネルギーへと取って代わる、ほんの一瞬の感覚的なことだ。会話などという高度なことはできない。そう言うと、落胆された。そしていざ感覚的なことを
――
星に還る前の、最後の会話に間にあえばいいと願って
――
伝えると、皆、いちように気味悪がるのだ。何せ彼女が感知できたのは、結局のところ、誰かの大切な人の『死』そのものなのだから。
彼らの一方的な希求を疎ましく思うこともあった。だが、それでも他者に失望の顔を向けられるというのは、彼女には心苦しいことだった。力を貸したい、けれどそれに足る力はない。だから、いつの間にやらエアリスはセトラの能力を隠すようになった。
「わたし、何もできなかった。皆、当てにしてくれてたのにね」
「そうだな。期待していた。昔な、少女だったセトラに『軍をだせ。銃を向けて脅せばいい』と言ったばかな男が、神羅にいた」
「何それ、ひどい。怖い人」
「当時の副社長らしいぞ」
ルーファウスはにやりと笑う。エアリスは睨んだ。どこをつねってやろうか。起こしかけた彼女の両肩を、ルーファウスは掴んで止めた。
「よかった。怖い人、止めてくれる優しい人、神羅にもいたのね。ひょっとして」
「まあ、そうだな。私を止められるのは親父くらいのものだ。だが、あれは優しさとは言わない。お前の機嫌を伺って、手をこまぬいていただけだ」
「でも、脅されるより、まし」
「ただ待つだけでは、効率が悪いだろう」
「あなたって、本当にどうしようもない人だったのね」
「リアリストと言え。何度も言うが、時間は有限だ」
エアリスが首を振る。長い髪が彼の胸の上に一筋こぼれ落ちる。
「親父のやり方には苛立ちもしたが、こればかりは当時のあいつらに感謝する。やらなくて、本当によかった」
ふざけた笑みを消して、彼は言った。
「誰も彼も、勝手に期待して、勝手に失望していただけだ。お前が気に病むことはない」
エアリスはどきりとした。ふと胸のつかえが取れた感覚がして、気づく。本当はこんな風に肯定してほしかったのかもしれないのだと。彼女の生い立ちを、血筋に悩むエアリスを、それらを知る誰かに。
ルーファウスの抑揚は、いつもと変わらない。おそらくエアリスを力づけるといった意図はないのだろう。それでもよかった。なぜなら。
「少なくとも、私にはお前はただの女だ」
「ルーファウス」
「いや、違うな。度をすぎたうっかりな女か。お前にできることなど、かぎられている。だからお前は私の願いだけ、叶える努力をしていろ」
最後の一句まで、ルーファウスは淡然としている。そして偉ぶっても見えた。だが彼が羅列する事実は、どれも彼女のほしい言葉だった。意図せずとも慰めるものだったし、エアリスを肯定するものだった。すべてが臆面もない、エアリスへの恋慕だった。
エアリスはまたルーファウスの胸を枕にする。彼女の重みを受け止めてもなお、広い胸部は規則正しく上下している。
「何すればいいの、わたし」
「取り敢えずは、明日はきちんとしたピクルスをだせ」
彼はそう
――
聞きようによっては冷ややかにも取れる声音で
――
言うが、エアリスは破顔した。嬉しいのに、嬉しいから、涙がでる。
「あのなあ、エアリス。私はお前を寝かしつけたいのであって、泣かせるつもりは毛頭ないのだが」
「分かってるけど」
ルーファウスや彼の両親のことを考えたとき、当の本人を差し置いて泣くわけにはいかない。ただでさえ近ごろは少し涙もろくなった気がする。だから今日一日、ずっとこらえてきた。が、それも限界だった。
彼はどうにも愛されることに不慣れなようだった。目の前にある父親のそれから、ついと顔を逸らせてしまうほどに。だが愛情を注ぐことは、とても上手な人だ。そうでなければ、二人の幸せを考えるなどと、あんなに愛の満ちた言葉は浮かばない。
いつかきっと、ルーファウスは自ら閉ざした思い出の扉を、戸惑いながらも開ける日が来るだろう。
そのために、今、エアリスにできることは彼を懸命に愛し、愛されることに慣れてもらうことだ。それは今の二人の幸せにも通づることだし、未来の彼のためにもなる。いざ扉の鍵を開けたとき、あふれだす父親の情愛にルーファウスが吃驚しないように。エアリスの捧げる最愛が取りかかりになればいい。
エアリスは目元を人差指で拭う。それからゆっくりと微笑んだ。
「嬉し涙だから、いいの」
「そんなものもあるのか」
「あるよ。だけど、だめだね、わたし。こんな泣き虫になっちゃって」
「私の涙腺が強情なぶん、ちょうどいいバランスだ」
「どうかなあ。ゼロと一〇〇なんて、それって、すごく偏ってると思うんだけど」
鼻を啜りながら、エアリスは考える。彼の悲しい涙は見たくはないが、せめて生のオニオンくらいになら泣かされてほしい。明るい青色の眸が潤む様子は、きっときれいだろうから。そんな無理を言えば、どのような顔をするのだろう、この優しい人は。
「涙だけじゃないよね、偏ってるの。あなた、わたしの悲しいことも、いやなことも、何でも半分持ってくれるから」
一瞬、彼の双眸が大きく開かれた。息をつめて、エアリスをまじまじと見つめている。
「ね、ルーファウス。荷物、半分になったから、すごく軽い」
「それはどうだろうな」
ルーファウスは吐息をつくと、首を振った。髪がこすれて、またコットンキャンディーがふくらむ。
「お前のその持論でいくと、お前は私の荷物を半分持っていることにもなる。だとすれば、プラスマイナス、ゼロだ。重さは変わらない」
下手すると私の荷物のほうが重いかもな、とルーファウスは困ったように言った。今度はエアリスが驚くばんだった。
「わたし、ルーファウスの荷物、ちゃんと持ててるかな」
「今日はお前を連れて行って、よかった。助かった、エアリス」
エアリスは腕をほどくと、胸板に頬を擦りよせた。涙が彼のパジャマに染みこんでいく。大きな手がゆっくりと彼女の肩をさする。
「ぐずる妻を宥めるには、何を歌えばいい。セトラ組曲第一楽章とやらでいいのか」
ルーファウスが低い声で囁く。確かな心音も心地いい。彼の寝香水がブランケットのなかであたためられて、エアリスをつつみこむ。
「新社長歓迎式典」
「だから、それは勘弁しろ」
二人は笑みを交わす。やがて生母の子守歌をルーファウスが歌いだした。母親がくれた同じ安らぎと、それとは別の熱っぽい声を、エアリスは全身で受け止める。
目を瞑りたくはないのに、世にも稀な歌声を聞いていたいのに。とんとんと、背中をあやす手の動きを感じていたいのに。ルーファウスがいざなう眠りの深淵へと、エアリスはいつの間にやら追いやられる。
「お前は、重いな」
ルーファウスは声をひそめて笑っている。失礼ね、と今度こそつねってやりたかったが、深淵へと落ちていくスピードに彼女はもう抗えなかった。
■END■
(わたしたちにあるのは今だけ)
20210315
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