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祭子
2022-07-18 12:47:22
11643文字
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FF7/R×A/TLKG
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■THE WORLD YOU LIVE IN■
∠[ν]-εγλ0010/02
古代種の資料を検めるルーファウスはとある日付に目を留めました。今日がその二月七日です。
※サイト掲載テキスト(20200928初出)
■THE WORLD YOU LIVE IN■
∠[ν]-εγλ0010/02
エグゼクティブフロアに設けられた応接スペース、下座の一人掛ソファーでルーファウスは一区切りついていた。山間部の冬には珍しく、五枚の大窓にはどれも晴天が広がっている。空が高い日の昼下がりは体調が優れていて、気分もいい。
テーブルにはコーヒーと、口取のチョコレートがそえられていた。秘書からバリスタへ転職するのではないかと懸念するほど、ジャッドの淹れたコーヒーは美味い。
「すごくいい香り」
休憩時間を見計らったかのように、エアリスが社長室へ下りてきた。タイトなワンピースがあらわにする曲線へ、長い髪がまとわりついている。背伸びしながら歩いてるみたい、と難色を示していたハイヒールにも慣れたようだ。階段から応接スペースまでの動線を、ふらつくことなくやって来る。主のそばを離れはしないが、ダークスターは尻尾を振って歓迎している。飛びつきたそうにうずうずしている巨躯を、彼女は宥めた。
ルーファウスがカップを掲げると、ありがとう、と言ってから彼女がくちびるをつける。一口含んで感嘆の声を上げた。
「ジャッドには敵わないなあ。同じ豆と道具、使ってるはずなのに」
「紅茶とハーブティーは、お前のほうが美味い」
「本当に。嬉しい」
エアリスはその場に膝をついて、ダークスターの首に抱きついた。犬の尻尾がいよいよ大きくしなる。ルーファウスが苦笑交じりに合図をすると、ダークスターは彼女の頬をべろべろと舐めた。
「なあ、エアリス」
「うん」
「お前から言う気はないのか」
ルーファウスは菓子のプレートを差しだした。チョコレートを頬張って、もごもごとエアリスは口を動かしている。
「何を」
「このままとぼける気らしい」
軽く睨むと、彼女の眸が退路を探してさまよう。逃がすものかとルーファウスは足組みをとく。それから身を乗りだした。
「エアリス。今日はお前の誕生日だろう」
誕生日というものは、彼にとってさして重要な日ではなかった。だが世間一般には特別なイベントだったようだ。イベントをターゲットにして、神羅カンパニーは閑職の部署ですらコンスタントな収益を上げてきた。そんなことを思いだして、ルーファウスは彼女をうかがっていたものの、一向にアクションを起こす様子がなかった。まさか忘れたというわけでもあるまい。
「どうして知ってるの」
エアリスは諦めたようだ。テーブルの脇に座りこむと、髪が床にまで広がった。彼女のそれは尻をおおうほどに伸びているが、ルーファウスはエアリスが髪を結い上げているところをあまり見かけたことはなかった。
「午前中にな、古代種のデータをさらっていた」
彼女が星へ還るために、何か示唆するものがないかと。彼が目をつけたのは古代種母子の私的な情報だった。何度か通覧してきたはずの資料だ。だが研究に影響しない部分にまで着目したのは、実はこれが初めてだった。二月のアイシクルロッジ生まれと知って、納得した。エアリスの肌は雪のようだ。そんなことを思い浮かべたところで、彼は呆れた。ずいぶんと陳腐な所懐だった。
「ヒント、見つかったの」
「いや」
ルーファウスはいったん口を閉じる。ダークスターの背中にある触手のようなものを手慰みにして、エアリスは彼から顔を逸らせている。
古代種研究のパイオニアは、彼女の父親だ。アイシクルロッジに何か残っていないかと考えかけて、首を振る。あの村はセフィロスの思念体の暴悪によって、ほとんどの家屋が火災に見舞われた。復興を支援しているものの、この真冬の空のもとでは思うようにはかどらないとレノがぼやいていたことを思いだす。ファレミス博士の研究施設兼居宅は、そう言えば焼け落ちたのだったか、被害を免れたのだったか。あとで確認しておくことにした。
「いや、まだすべてを見直していない。そんなことより、今日という日がこのまま終わってもいいのか」
ルーファウスはエアリスを見る。生家のことはまだ黙っておいたほうがよさそうだ。それでなくともエアリスは浮かない顔をしている。
しばらく返事を待っていたが、彼女は何も言わなかった。それもそうか。告げる気があれば、真夜中に日づけが変わったそのときに、もしくは今朝の目覚めの挨拶とともに言っただろう。彼女らしく朗らかに「今日、わたし、誕生日なの」と。
「どうした」
「わたし、何歳なんだろう」
「えらく深刻な顔をしていると思えば、何だ、そんなことか」
「そんなことって」
エアリスはようやく顔を上げた。つぶらかな双眸は、今は楕円形にゆがめられている。
「そんなもの気にするな」
ルーファウスは小さく笑った。彼の預かる迷子は、時折いたいけない。慰めることにも慣れてきた。
「年齢は口にはしないのが、女の常ではないのか。そのくせ、記念日には固執する」
「それ、偏見」
ルーファウスが肩をすぼめてみせると、彼女はようやく眉を開いた。テーブルを見、再び彼に視線を戻してから、カカオの香りのする息をほっと吐きだす。
「ほしいものはあるか」
「ほしいものって、誕生日プレゼントってこと。でも」
「もらえるものは、もらっておけ。楽しめることは、今のうちに楽しんでおくことだ」
エアリスは曖昧に頷いた。寄木細工の床は冷たい。ルーファウスは彼女をとなりのソファーに座らせる。そうして彼女の口が開くのを楽しみに待った。この女はいったい何をほしがるのだろう、と。さんざん考えたらしいエアリスの要求は。
「ID」
ルーファウスは面食らった。『Identification』とは、いわゆる世界共通の個人識別番号だ。
姓名、生年月日、性別といった情報をベースにして、個人単位で身分事項を示すもの。出生から死亡までのできごとが継続的に記載されるため、個々に身分行為の追跡が可能だった。エリアによって台帳の媒体や管轄は異なるが、個人識別番号の仕様は自治体間を取り仕切る機構がないこの世界での、数少ない決まりごとのようなものだった。
ミッドガルとジュノン、それからいくつかの地方自治体のIDはすべてデータ化された台帳になっていて、ミッドガル市庁
――
は表向きで、そのほとんどの実務は都市開発部門
――
が一元管理をしていた。
ルーファウスは疑いを挟む。出生した時点で型通りにふられる番号など、それは宝石よりも価値のあるものなのか。ルーファウスは右の肘掛に頬杖をついた。
「そんなものをねだられたのは、初めてだ」
だろうね、とエアリスは苦笑した。すっと背筋を伸ばして、揃えた膝に両手を置く。彼女は窓外を見やった。
「わたし、生きた記録、何も残ってない」
彼女はためらったあと、スラムの街角でモノクルをつけた少年に出会ったことを話した。携帯端末でパーソナルデータを走査されたことがあったのだと。エアリスに該当するデータは何一つ見当たらず、少年はうろたえたらしい。わたしも、とエアリスは呟いた。
「吃驚したよ。神羅からもらってたID、偽物だったんだね」
少年は科学部門所属の研修生だったと、エアリスは言った。ルーファウスは科学部門という言葉に不穏を覚える。研修生にはID台帳へのアクセス権など、無論与えられていない。仮にその子供の行為がクラッキングだったとして、しかし神羅のありとあらゆるデータベースに侵入したところで結果は変わらなかっただろう。エアリスのIDは。ルーファウスの視線が鋭くなる。
「気にしたことなかったけど。電車、普通に乗れたし。スキャニングで引っかかったこともなくて、わたし、善良な一市民だと思ってた」
「特殊なIDだった。お前はわが社の重要機密だったからな。その子供の名前は」
「それはね、もう、いいの」
「だが」
「いないことに、されてたんだね」
ルーファウスは口角を引き下げる。科学部門では被験者から『個』を剥奪する。人道的に問題があると、はなから分かっているからだ。社内監査で摘発されないようにするには、IDを取り上げて『市民』でなくすれば、さらに言えば『人間』でないものにしてしまえばいい。そもそも彼女の扱いはまた別格で、約束の地計画を推奨していたのは、ほかでもないルーファウスの父親だ。あの男の前では倫理など防壁の役目を果たさない。彼がそんな内々の事情を知ったのは、父親が死んだあとだった。だからといって自身に非がないとは思わない。ルーファウスもまた、そのころは経営権の独占と会社の利益だけを追っていた。利益の養分となって枯れていくものには、目を向けてはこなかったのだ。
ルーファウスは珍しく嫌悪感をあらわにした。
「私が持つ古代種の研究資料が、お前のすべてだ」
「もう、見ないでって言ったのに。恥ずかしい。処分してってば」
エアリスはくちびるを尖らせる。ルーファウスも消せるものならばと切に思った。直後、自身に苛立つ。これは不誠実のかたまりだった。エアリスが特異な血統をもって病を癒したとはいえ、その実はただの女だった。それを蔑ろにするほど零落れたつもりはルーファウスにはなかった。消してはいけないものだ。
さて、どうしたものか。
ダークスターを迎えた日、彼女は諦念を口にはしたものの、その根底にあるものまでは吐露しなかった。ただあれだけの惨況を経て、怒りをいだきこそすれども恨みはないという。エアリスは神羅が世界への負債を返済することには賛同している。だというのに、そのなかに彼女への埋めあわせは含まれていないようだった。ルーファウス個人が彼女への責めを負うことは、望んではいないのだ。
なぜなのか、折にふれて考えてはきたがルーファウスには分からなかった。彼が『神羅社長の大冒険』を終わったことだと笑ったとき、エアリスは不可解な顔つきをした。それとよく似たものなのかもしれない。だがこの世にはただ一つとして同じ『個』がない。己の『個』と比較したところで、意味はなさない気がした。ブラックボックスのようなものだとルーファウスは思った。
ただ、己とは別の『個』として受け入れることはできそうだ。あの教会で出会った日から、いつか
――
それは数時間後かもしれないし、ずっと先のことかもしれない
――
来るだろう別れの日まで、エアリス・ゲインズブールという『個』と向きあうことならば、彼にもできると思った。引張ってもよってこない女には、こちらから近づけばいい。
具体的にどうすればいいのかはまだ模索しているところだ。何せルーファウスが双方のあいだに高下のない関係を築こうとするなど、これが初めてのことだった。つぐないはいらないと言った彼女のために、つぐないとは別のかたちでいろいろ試してみたい。
ルーファウスはエアリスの横顔を見た。人の顔を真横から見る機会には恵まれてこなかった。漠然とそんなことを思った。
「処分すれば、お前の存在を証明するものがなくなる」
彼女は顔だけをルーファウスに向けた。腹の底の見抜けない、わずかな笑みを含んだそれを。
「誰かの思い出以外からはな」
「人の気持ちは、変わるでしょ。大事なものの順番も。思い出は、その人もいなくなったら、どこにも残らない。それに」
エアリスは口ごもった。ルーファウスは続きを促しながら、考える。記憶だけではだめなのか。ほかの誰かや、たとえばルーファウスの記憶に残ることでは満足できないのか、と。強烈な印象を残す彼女のことは生涯忘れない自信が、彼にはあるというのに。
「思い出は、人を苦しめるから」
だから忘れてしまえばいいと、エアリスは言外に滲ませている。ルーファウスは瞠目した。
「わたしみたいに死んじゃった人は、とくにね。まわり、縛りつけてる。そんなの、望んでないよ、わたし」
「思い出は苦手か」
「そうじゃないけど、そうなりたくないし、そうなってほしくないから」
エアリスは膝の上の両手を、肘掛にそえた。彼に向き直ろうとしてできなかったらしく、俯く。質の細い髪が頬をおおった。
「記憶じゃなくて、記録。ほしいのは、かたちのかわる曖昧なものじゃなくて、誰かを悲しませるものでもなくて。わたしの、わたしだけの証。皆と同じ、生まれたらもらえる、たった一つの番号」
ルーファウスは暗然とした気分になる。エアリスは生きた証を、事実のみが連なり並ぶ番号で代用しようとしている。大勢に紛れてしまう、そんなもので。星を助け、人々を救った偉人として、史実に彼女自身を刻むこともできるというのにだ。だがエアリスにとって功績はひけらかしたいものではないのだと、すでにルーファウスは理解していた。
「それがいいのか」
頷く彼女に、分かった、とルーファウスは言った。ふと『金かもの』ばかりをばらまいてきた父親のことを考える。今まさに金品で解決できるものを与えようとしていたことに気がついた。自嘲しかけて、やめる。親が親なら子も子だと、そんな風にやりすごしたくはない何かが、胸につかえている。思わずネクタイのノットをゆるめるが、そんなことでどうにかなるようものではなかった。
ルーファウスはコーヒーを飲み干すと、執務用のデスクへ戻った。先にエアリスへのプレゼントを用意することにした。デスクはL字になっていて、内側は勿論ルーファウスだけが立ち入れるスペースだ。彼は手招きをした。
「ID管理は、今や都市開発部門やミッドガル市庁を離れているからな。さて、どうしようか」
エアリスの腰を引きよせると、チェアのアームに座らせた。ルーファウスはキーボードの上で指をすべらせる。ディスプレーには世界再生機構のデータベースが映しだされた。
ここまで難なく侵入できるのは、初回のクラッキングのさいにバックドアを設けておいたからだ。データを悪用する気はないので、クラッカーと呼ばれるにはいささか抵抗はある。単に渡した金の流れを掴んでおきたかっただけだ。これはWROにかぎってのことではない。
ほかに支援する企業や団体にも、同様のプログラムを仕こんでいる。とくに神羅傘下には、彼は厳しい目を向けていた。ゆくゆくは子会社として取りこむに値するか否か、判断の材料にするためだ。先方が愛想笑いをそえて提出する試算表が元帳と見比べられていることなど、相手は知りもしない。おかしな点が続くようであれば、ルーファウスは
――
自身の体力の回復を待って
――
商議の席を設けようと思っている。決裂した場合、あとはタークスの出番になるのかもしれなかった。
「これがID台帳だ」
表示されたデータ量にエアリスが怯んでいる。無理もない。ミッドガル市民が文字となって画面を埋めつくしていた。これは正確には元データのコピーの、さらにコピーだ。彼は副社長時代、人心を掌握するためにありとあらゆるデータを集めていた。そのうちの一つがID台帳で、人口推計には常に着目していた。
ルーファウスがヒーリンロッジに落ち着いて、ライフラインとは別に取り急ぎ手をつけたのが金融と一部の行政業務だった。無論、そのころにはミッドガル市庁は行政機関として機能していなかった。ルーファウスは内々に取っておいたID台帳を利用することにした。エッジに集まる難民は、そのほとんどがミッドガル市民だ。誤差はあれども、ID台帳は人口の年代分布や増減把握に役立つ。それでアパートメントハウスの戸数
――
建材や重機
――
や、配給物資
――
食料品や生活必需品
――
の、おおよその必要数を掴むことができるだろう。
ルーファウスは多額の資金援助とともに、それをリーブ・トゥエスティに託した。金はともかく、ID台帳のことはツォンには内密だ。ばれたら、野良猫に馳走を与えるなと叱られる。
当初、ルーファウスはエッジ建設に軍人くずれの男を使っていた。男は中尉だった。目下の人間を使うことは慣れていたようで、街づくりは順調だった。だがその先のことを考えたとき、自治行政を任せるには値しないと思っていた。いずれあの新しい街へ帰るつもりでいるというのに、無法地帯では困るのだ。それも今となっては杞憂だった。男は幼馴染の恨みを買って殺された。彼に鞭の便利さを教えた男を思いだして、ルーファウスは目笑した。
リーブは都市開発部門統括としての実績がある。『お役所仕事』にはうってつけの人材だった。そして統括がそうであるように、リーブの部下もまた良識的だった。彼を慕って、そのほとんどがWROに与している。神羅時代は冷遇されていたが、優秀な部署だったことはルーファウスも認めざるを得ない。それをすべて引き抜かれたことは痛手ではあるが、仕方がない。世界の転換期、ここぞというときに陣頭を取り続けることができなかった己が悪い。
その上、彼らは反神羅を謳っている。そうでもしないと組織内での折りあいがつかないのだろう。中枢は元神羅の人間で占められているが、実際に手足となって動くのは被害をこうむった人々だった。だがWROとはそれなりに良好な関係を築けていると、彼は満足していた。
ルーファウスの誘導とWROの働きもあって、エッジは雑然と建物が乱立する前に区画整理された。すでに都市然として機能している。
ルーファウスはWROのID台帳に侵入する。次いでIDの新規作成を試みるが、しかしビープ音とともに弾きだされた。セキュリティーホールをさぐるが見つからない。ルーファウスは鼻で笑う。リーブは優秀なエンジニアだった。
「あいつ、なかなかにマニアックだな」
ルーファウスの双眸が好戦的にまたたく。かたかた、かたかた。フロアに響くのはタイピングの音だけだ。エアリスは彼の指の速さに目を丸くしていた。
「難しいよね、やっぱり」
「まあ、待て」
いくつかのデータを漁る。既存データの上書きはできそうだった。見知らぬ誰かの人生を乗っ取るかなどと口にしたところ、怖い顔でエアリスに睨まれた。ルーファウスはくつくつと笑う。なるほどお前はそういう女だった、と。
「誰かさんの人生、もらうくらいなら、あなたのを乗っ取っちゃうから」
「私をか」
「何てね、冗談。大変そうだから、遠慮しとくね」
その手があったか、とルーファウスは黙考する。一般データのなかにある秘密の小箱。ルーファウスがリーブに渡した当初のまま手がつけられていない。いや、つけられなかったのだろう。そのファイルに保存されるのは、神羅一族だけだった。
おそらく誰も見ることがないデータだ。ルーファウスと同等のハッキング能力を持ち、何の役にも立たない
――
死に絶えたはずの一家族の
――
データにアクセスしようという奇特な人間以外には。
奇特は私か、と思ったところで彼はおかしくてたまらなくなった。
笑いやまないうちに、ルーファウスは秘密の小箱を開けると、自身の名を検索する。『ルーファウス神羅』はまだミッドガル市で生きていることになっていた。ルーファウスは自身のデータを書き換える。まずは居住地を入力する。クリア。
「これで転居は完了だな。晴れて田舎住まいだ」
「いいの。住所なんて入れちゃって」
「かまわない。わざわざこれを見て私に会いに来るというのなら、いいだろう。盛大に歓迎してやる。なあ、ディー」
主の号令にダークスターが勇ましく唸る。エアリスはやれやれといった風に主従を見た。
「あなたたち、本当、勝気なんだから」
「さて。お前がこの世界にいることを証明するには、ここにお前の名前を入力すればいいわけだが」
ルーファウスはいったんチェアにもたれる。彼女が腰かける肘掛とは反対側に腕を置いて、エアリスを見上げた。案の定、エアリスは口をぽかんと開けていた。彼が指差す先にあるのは『Spouse』欄、いわゆる配偶者だった。
父親の下半身の道楽を間近で見てきたルーファウスは、妻も子供も生涯にただ一人と決めている。
配偶者は折をみて見繕うつもりでいた。一〇代のころから持ちかけられてきた縁談の数に、彼は辟易していた。この先、ルーファウスは必ず表舞台に返り咲く。彼のステータスに群がるやからもまた現れるだろう。既婚者ということにしておくほうが何かと都合がいい。愛はあってもなくても、どちらでもよかった。ただ恋愛にいたるまでは勿論のこと、気のあう相手を悠長に探している時間が惜しかった。そもそも意気投合できるような相手がいるかどうかが怪しい。現に、彼の生きる歩調に息も切らせずつきあえた人間は、今までにいなかった。
子供はできるにこしたことはないのだろうが、実子を持つことを彼は半ば諦めている。だから養子でいいとルーファウスは考えていた。ただ並大抵の人間では神羅社長など務まらないだろうから、手元で一人は育てておきたかった。要するに事業継承できる器がほしいのだ。
エアリスは面白い女だ。彼女の歩調はちぐはぐで、急ぎもすればゆるめることもある。寄道も好きなようだ。歩みを止めるときには、先を急ぐルーファウスを決まって引張る。そうなると彼も足を止めざるを得ない。彼女は往々にしてルーファウスを驚かせ、彼を感心させる。それだけで条件を満たしているような気がした。
では、これが娶るタイミングではないのか。
「私の身分登録の配偶者欄が、空いている。私の妻になるか」
エアリスは小さなくちびるを閉じる。胸の前で手を組んだ。それは彼女のくせなのだろう。自身と向きあい、何かに臨もうとするときに、よく見受けるハンドサインだった。
「それって、結婚するってこと」
「そうだな」
「じゃあ、今のってプロポーズ」
「なるほど。結果としてはそうなるのか」
ふむ、と顎をつまむ彼に、エアリスは眉をひそめた。
「あなたは、それでいいの」
「いやなら、そもそも提案しない」
ルーファウスは自若と頷く。エアリスはくすりと笑った。
「本当、変な人」
「褒めろよ」
「褒めてるよ」
「変人呼ばわりがか」
「奇抜って言ったら、伝わるかな。すごく褒めてるつもりなんだけど。それに、美辞麗句っていうの、聞き飽きたでしょ」
彼女はそうしてまたルーファウスを驚嘆させる。
「先達の言う、結婚とはいきおいだというあれは、実に言い得て妙だな」
「本当だね」
「お前の正式なIDはしばらく待て。あいつ、リーブめ、必ず攻め落としてやる。取り敢えずは、私の妻でがまんしろ」
エアリスはゆっくりと頷いた。ルーファウスは配偶者欄に、婚姻日と彼女の
――
仮というところに不満は残るが
――
IDを入力した。エアリスの姓名を打ちかけて、ふと顔を上げる。
「姓はどうする。神羅か、ゲインズブールか」
「うわ、どうしよう。ね、普通はどっち」
彼女の声が弾む。祈るような手のかたちは、すでにとかれて膝の上にある。腹を括ったらしく、エアリスもまたこの状況を楽しむゆとりができたようだ。
ルーファウスは母親の旧姓を思いだした。それから旧カンパニーや取引先のなかで、彼が名前を認識していた顔ぶれを。姓を連ねていたのはほんの二割程度だ。便宜上、どちらか一つを使う連中もいたので、実際はもっと多いのかもしれない。
「大抵はどちらかに統一するようだが」
「ええ、迷うなあ。ずっとお母さんの子供でいたいけど。でも夫の苗字に変わるっていうのにも、あこがれちゃう」
「ならば決まりだ。両方名乗っておけ」
ルーファウスはキーボードに指を置く。エアリスの姓名を入れて、少し考えてから自身の姓にも配偶者のそれをつけ足した。とても丁寧に。そうして二人は『ほんの二割程度』の仲間入りを果たした。
「わたし、今、人妻なのね。実感、ないんだけど」
「そういうものではないのか。徐々に慣れるだろう」
「ルーファウス、落ち着いてるよね。結婚、したことあるみたい。しかも二、三回くらい」
「まさか、私だって初婚だ。驚いている。言いだしたのは私だとはいえ、妻帯者になるとはな。なあ、エアリス」
何、と彼を覗きこむエアリスの髪が、前身頃を波打つようにおおう。それをルーファウスは後ろに払い除けた。午後の陽光に満ちたフロア、彼女を祝福するタイミングをルーファウスはようやく得た。
「ハッピーバースデー、エアリス・ゲインズブール・神羅」
「何それ、長い」
彼女は言った。くすぐったそうに、だが喜色もあらわに笑うので、つられてルーファウスも微笑した。
「プレゼントが、今日に間にあうものでよかった。だが妻への初めての贈物がクラッキングデータとは、納得しかねるな」
「どうして。お店じゃ買えない、レアものだよ」
「お前は、そうだな、たとえば宝飾品や服飾品に興味はないのか」
「勿論、興味あるよ。あるに決まってる。でもね、今、もらってる服だけでも十分だから」
こんなの買えない、と言いながらエアリスは立ち上がった。L字デスクの短辺側によりかかって、両手を広げる。彼女のために用意した普段着は、物流倉庫に眠っていたブランド品だ。化粧品と同じで、これも二年前の流行だった。
「それにお洒落しても、見せるの、ルーファウスとディーだけだし」
愛称を呼ばれたダークスターが、二人の様子を代わる代わる見ている。犬と同等かと、ルーファウスは鼻白んだ。チェアごと彼女に向き直って、足を高く組み上げる。
「着飾れよ。夫の目を喜ばせろ」
「夫なら、そのままの妻をきれいだって、褒めてください」
二人は牽制しあう。それからどちらともなく吹きだした。
「でも、意外。そういうとこ、ちゃんと見るんだ」
「まあな。おかしいか」
「だってルーファウス、思ってたより大雑把、間違えた、大らかなんだもの。人の恰好なんて、気にしなさそう」
「気にはしないが、きちんとコーディネートされたものを見るのは気持ちがいいだろう」
彼は審美眼には自信があった。建造、建築、美術、装飾、そして人。ありとあらゆる整ったものを目にしてきたからだ。顔の美醜は気にしない。持って生まれたものは、どうしようもない。体型も問わない。衆目を集めることや職務をまっとうするに必要な体つきというものは勿論あるが、結局はそれも『個』だ。ただし、どのような人間でもごてごてと美々しいもので固めればいいというわけではなかった。
ルーファウスはジャッジの目を向ける。エアリスはおのずと身構えた。
身のまわりの必需品は、秘書に揃えさせている。用意された服は、ハイブランド特有の突飛なデザインがほとんどだ。そのなかでも半数がタイトで露出過多なものだった。秘書の好みではなく、ジャッドの頭のなかにいる『ルーファウス神羅という華美な男』の趣味なのだろう。残念だがはずれている。彼は均衡を重視している。
花車な身体つきを強調する輪郭線は、セックスアピールよりむしろ庇護欲を掻きたてるのに役立つだろう。だが過度な露出は彼女の
――
黙っていれば
――
しとやかな部分を台なしにしている。今日の濃色のワンピースはちょうどいいバランスだとルーファウスは思った。鎖骨まわりが大きく刳られていて、つやのある肌が際立っている。髪をアップスタイルにすれば、いっそう眩しく見えるだろう。あとは。
「色味が足りないな。深い色あいのローズのルージュと、胸元にアクセントがほしいところだ」
エアリスのデコルテは、早朝の新雪だ。ありきたりだと呆れはしたが、たとえるならやはりそれ以外にないと彼は思った。どのような色の宝石でも映えるだろう。ただ意匠は涙のようにはかない一粒がいい。
「ネックレスを、改めて贈ろう」
彼女への贈物を考えたとたん、また胸がつかえた気がした。早々に正体を見極めなければ、わずかなつかえは取り除くことのできないしこりになる。そんな気がして、ルーファウスは微苦笑する。エアリスは彼に次から次へと難題を課していく。だがそれに挑み、ときほぐす価値はあるように思えた。
「ネックレスはね、いいの」
エアリスは首を振る。
「無欲だな」
エアリスはもう一度首を振った。
「違うの。もっとほしいもの、見つかっちゃったから」
エアリスは彼に近づく。上体をわずかに屈めて指を伸ばす。ゆるんだままのネクタイの結び目を、不慣れな手つきで直している。ルーファウスはされるがままだ。彼女の伏し目を静かに見ている。できた、と言ってエアリスは彼の胸元を軽くはたいた。
「結婚指輪」
彼の妻は左手の甲を差しつける。目があうと、恥ずかしそうに微笑んだ。
「指輪、買ってね。お揃いの」
何度かまばたきしたあと、ルーファウスは、いいぞ、と言った。
■END■
(お前がいる世界に)
20200928
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