祭子
2022-07-18 11:15:04
16382文字
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■THE THING WHICH THIS HAND GOT■

∠[ν]-εγλ0009/12
伍番スラムの教会跡地でルーファウスは驚くべき人物と遭遇しました。死んだはずの古代種です。
※サイト掲載テキスト(20200707初出)

■THE THING WHICH THIS HAND GOT■
∠[ν]-εγλ0009/12


 ルーファウスは今、美しい泉のほとりに立っている。対岸を見やりながら、彼にしては珍しく怪訝な顔をしていた。


 ミッドガルがルーファウス神羅の生家だった。すべてが彼のものになるはずだった。しかしそのほとんどが、今、彼の手中にない。
 魔晄都市が壊滅し、神羅カンパニーは瓦解した。二年前のことだ。
 二年という歳月は、彼の決心や実力、それから忍耐の程度を試みるために多くの難題を吹っかけた。そのうちの一つが、星痕症候群だった。
 彼は不自由な環境のもと、できうるかぎりの手を打った。キルミスター医師に資財を提供した治療法開発は、しかし失敗に終わった。副次的に量産できた鎮痛剤を流通させ、自ら服用しながらも彼は諦めなかった。その矢先のことだ。
 死にいたる病は、思いもかけずに完治した。特効薬は突然の雨だった。努力の結果ではないことが不本意ではあったが、雨の情けをルーファウスは生涯忘れないだろう。
 それから数日と経たずして。
 あの日の雨と同様の効果をもたらすという泉の報告を受けたルーファウスは、ただちに調査チームを編成した。
 ミッドガル伍番街スラムの、外縁付近にある教会跡。泉は身廊をうがつようにして湧いている。
 連日のように患者やそのつきそい、野次馬がつめかけている。一縷の望みにすがる人々は、そして奇跡を目の当たりにした彼らの表情は明るい。しかし蓄積された疲労はそう容易く拭えないようで、顔色は悪かった。
 雑踏に紛れるようにして、調査チームはこれが三度目の検分を始めた。今回、初めて同行したルーファウスは、検査員の扮装をした秘書に採水箇所を指示している。
 メテオショック以降、ルーファウスらしい放逸的なふるまいは鳴りをひそめている。今となっては――彼の生体認証などを要する以外の――フィールドワークも自重せざるを得なかった。何せ彼の顔はマスコミュニケーションを通じて、全世界に知れ渡っている。そして神羅グループの総帥であるルーファウスは、人々が行き場のない怨嗟をぶつけるための恰好の的だった。
 だから彼は通常であればこういった勝手をしない。ルーファウスが動くことで、まわりの人間も追随せざるをえないことを知っているからだ。そして現在、身辺警護にさけるほどの潤沢な人材を、ルーファウスは残念ながら雇用できてはいなかった。
 結局、二名のタークスが護衛につくことになった。伍番街スラムでの任務――古代種の監視業務――が多かったタークスは、この近辺では面が割れている。あちらからは見え、こちらからは見えない場所に狙撃態勢で潜伏しているはずだった。
 ルーファウスは体調も万全ではない。長らく病床にあった身体は痩せ、筋力も衰えている。本社ビルから脱出するさいに負った怪我も、適切な治療が受けられないまま日数が経ち、いまだに彼を苛んでいた。車椅子は手放したが、歩行にはまだ杖の介助がいる。
 要するに実地に立つルーファウスは、ただの厄介者だ。そうと分かっていても彼は自身の目で、手で、確かめたかったのだ。
 いのちを奪おうとした黒い水と、いのちを救った透明な水。
 対が意味するところは何か。
 局外者のまま、じっとしてなどいられなかった。
 ルーファウスは遠くへと目を向けながら考える。ふと視界のすみに花やかな色あいが映りこんだ。すぐに見えなくなった。教会の入口から内陣にいたるまで、彼は赤色と桃色を目でさぐる。
「課長、やっぱりその恰好でも浮いちゃってますね」
 ルーファウスはわれに返った。腕組みをといて、足元を見る。青年が屈んでいる。ジャッドだ。ハイロート採水器を引き上げているところだった。
「それは仕方がない。だが私が何者かは分からないだろう」
 ルーファウスは黒縁眼鏡のブリッジを、人差指で持ち上げた。
 イメージの定着とは恐ろしくも滑稽だ。髪を下ろし、眼鏡をかけ、冴えない色をしたレディメードスーツを身につければ、人々は彼を神羅社長とはみなさない。
 それでもルーファウスはいちじるしく人目を引いている。
 視察中の管理職というていらしいが、あまり用をなしていないことに彼も気づいてはいた。すれ違いざまに容貌を褒められた。目があえば、ルーファウスは恐縮しつつもはにかんで見せた。世間の想像のなかには、気弱な神羅社長など存在しないだろうから。
 身分を偽ることは矜持に反すると、ルーファウスは思っている。が、それはさておき変装は面白い。そして別人のように繕うのなら、彼のワードローブにないものにこそ惹かれる。たとえば。
「私もお前と同じでよかったのだが」
 ジャッドの肩口を指差して、ルーファウスは言った。灰色のブルゾンと揃いのスラックス、そしてヘルメットだ。上着の左胸あたりには、丁寧にも実在しない社名の刺繍があった。
「だめです。もっと浮きますよ、これ」
 ジャッドは採水器を拭きながら、眉をひそめた。アッパークラスから滲みでる気格は、布切れで隠せるほど薄くはない。そのような――褒めているようで、そうではない――ことをジャッドは言った。
「そもそも、顔がよすぎるんですよ。テレビで見てたときから思ってましたけど」
「それは私に言われても困る」
「立ち方もお坊ちゃんですし」
「何だそれは」
「まわりを見てください」
 ジャッドは呆れ気味にルーファウスをうかがっている。
「言いたいことがあるのなら、言え。ただし、手短にな」
 ルーファウスは軽く肩を竦めた。ジャケットの肩まわりが窮屈だった。
 まだ物資不足が続くなか、人々の衣服はよれよれだ。ルーファウスのスーツも古着だった。プレッシングされていないとはいえ、しかし仕立てよく見えるのは彼の姿勢がいいからだろう。
「もう少し、猫背にできませんか。レノさんみたいに」
 思い返してみれば、とジャッドが口を開く。洞窟暮らしのころからルーファウスの心象は何一つ変わっていない、と。
 汚い恰好でもみすぼらしくはなく、心身が疲弊しようとおくびにもださない。ルーファウスは常に衆目のある生活に慣れているらしい。そして彼の言動は、いつだって世間の常識からかけ離れていた。平たく言えば、ジャッドにとってルーファウスはきれいな変人だった。そして人は自身にないものを持つ者に、憧憬する。
「だからって、見せ場ってものがあると僕は思うんです」
 褒めているのか、けなしているのか。そのようなことをつらつらと聞かされたルーファウスは、吹きだしそうになるのをこらえなければならなかった。『ルーファウス神羅』にもの怖じしないジャッドこそ、感心に値する。
「しかもその眼鏡」
「眼鏡がどうした」
「あざといです」
 ははっ、とルーファウスは思わず笑み声をもらした。
「くたびれた中間管理職のイメージで、タークスにはオーダーしたんですけどね」
「くたびれるには、さすがに私は若すぎるだろう」
「だからって、雑誌の切り抜きみたいにしちゃってどうするんですか」
 あの人たち変なところにこだわるから、などとジャッドはしきりにぼやいている。帰社したあと、タークスは青年にこってりと絞られることだろう。
「どうせ目立つなら、ひげとか黒髪のかつらとか女装とか、いろいろあったのに」
「いいな、それ」
「冗談です」
 ジャッドはぴしゃりと言い切る。部下は皆、ルーファウスに遠慮がない。
「きれいな顔が役に立つ日が来るまで、ちゃんと隠しておいてくださいね」
「今回だけだ。あまりうるさく言うな」
 ルーファウスは鼻を鳴らした。彼は次々と発生する問題に、目から鼻へ抜けるような対応をする。彼自身が動くこともやぶさかではない。だというのに、いちばん動きたいときに動けないもどかしさを、ルーファウスは何度も経験していた。それでなくてもこの二年、彼には自由がなかった。今では田舎の山小屋に缶詰状態だ。
 ジャッドにはルーファウスの以前の暮らしぶりなど、まるで想像がつかないだろう。だが同年代の同性として、何やら伝わるものはあったようだ。
「そりゃ、息もつまっちゃうでしょう。分からなくもないんで、もう言いませんよ」
 憐憫を含む顔つきになったジャッドを、ルーファウスは見澄ます。
 ジャッドとはそう長いつきあいではない。
 接点など持つすべもなかった二人は、数奇な巡りあわせにより起居をともにした。善良だった青年は、非日常のなかで人を手にかけるにいたった。そして殺人に便宜を与えたルーファウスを、ジャッドは恩人だと言った。
 ルーファウスは青年がキルミスター医師を睨みつけたときの、厳しい眼差を思いだした。初めて手にした銃の重さにおののいたあと、いっさいの情動を消した顔も。あのときすでに片鱗は示されていた。ツォンを前に口を割らなかったことも、ルーファウスが青年を気に入った理由の一つだった。
 ジャッドをカームの一般市民に戻すこともできた。神羅社長と青年の、それぞれに敷かれた道がたった一箇所交わっただけだ。道はまた分かたれて、それぞれに歩んでいく。ジャッドはそのうち誰かに語るのかもしれない。「僕、変な医者に拉致されたことがあるんだ」、「あの神羅社長といっしょにだよ」というようなことを。それもいいだろう。特殊で悲痛な体験を、思い出話に昇華できた証だ。だが青年の道を、ルーファウスは己の行先へとねじ曲げた。
 そうして神羅社長の秘書として正式に雇い入れたが、しかしルーファウスの気が咎めることはなかった。
「毎日が楽しいだろう。お前も馴染んだな」
「あなたたちといっしょにいたら、神経図太くもなりますよ。でないと、すぐに焼き切れますから」
 採水器をアタッシュケースに収めながら、ジャッドは言った。ふたを閉めようとして、ふと手を止める。
「すごい水ですよね。相変わらず色度も濁度もゼロです。浮遊物も目視では確認できません」
 ルーファウスは満水の容器を見下ろす。初回のレポートを思いだしながら、頷いた。
 スラムはどこもかしこも、もとはプレート上部の掃きだめだったはずだ。だが地質による影響を受けることなく、下水や工場排水に由来する有機物や金属の沈澱なども含まれていない。あらゆる汚濁は分解されていた。いや、とルーファウスは顎をつまむ。
 いっそ浄化といったほうが正しい。
「完璧な無色透明か」
「はい。きれいですね」
 ジャッドはふたを閉め、スナップ錠を下ろす。立ち上がるさいにふらついた身体を、ルーファウスは支えた。
 水質調査のメンバーを選抜していたときのことを、少し思いだす。リストを差しだしながらジャッドは、「僕も入れてください」とだけ言った。ルーファウスは了承した。青年もまた病み上がりだったが、それは大きな志望を前にした二人にとって些末なことだった。実際、ジャッドはよく働いた。
 体勢を立て直し、礼を言ってからジャッドは泉を見た。なるほどとルーファウスは思う。
 青年の双眸にはこの美しい水溜まりが、うずまく濁流に映っているのではないだろうか。青年の同郷の若者たちをのみこんだ、あのときの黒い水に。
 ルーファウスはその場に居あわせていた。結局、生き残ったのはルーファウスとジャッドだけだった。あと少しだったのに。
「ここまで来れる人はいいけど。でも」
「そのための調査だ」
 言い淀む青年を、ルーファウスは見据える。
 山裾の開拓は進んでいる。製薬工場建設に向けてマスタースケジュールは確定しており、資材の調達段階に入っている。研究員はすでに確保ずみだ。ルーファウスは治療薬の創薬に、一度失敗している。今度こそ軌道に乗せたかった。
「僕は」
「間にあわなかったことにも、何かしらの意味がある」
 ルーファウスは秘書の肩に手を置いた。ジャッドは一瞬すがるようにルーファウスを見上げる。それからしっかりと頷いた。次の沈下ポイントへと向かいながら、青年は耳打ちをした。
「前回の成分分析報告書待ちですけど、これ、この水、やっぱりミディールで採取したあれにそっくりですよ」
 ライフストリームか、という台詞をルーファウスはのみこむ。彼は眉をよせる。あれは大変な暴力をふるうかと思えば、優しく抱擁しようともする。感情の起伏のはげしい人間を相手にしているようで、いやになる。
「ただ、日ごとに湧出量は減ってますね。一時的なものかもしれません」
「そのほうがいいだろうな」
 得体の知れないものは、早々にもとあるべきところへ納まってほしい。それを手にするものが善人とはかぎらない。
 ルーファウスは招集した研究員の履歴を思いだす。ほとんどが神羅傘下の医療機関の創薬研究スタッフだった。今は善心七割で働いているが、ルーファウスはそれが反転しないことを祈るばかりだった。何せ神羅がかかえていた学究の徒は、知的好奇心の追及にとんと弱く、道徳など紙屑のように捨てる。これは社風かもしれないな、とルーファウスは父親と自身の過去をも顧みてから自嘲した。
 容器を回収しながら、二班と合流する。対岸のチームの様子をうかがおうとしたルーファウスは、彼にしては珍しく怪訝な顔をした。
 今度ははっきりと見えた。桃色のワンピースに、赤色のジャケットを羽織った女だ。女と目があった。
「ああ、そうだ。ジャッド」
「何ですか、課長」
「ここに赤いジャケットを着た女はいるか」
「また目の調子が悪いんですか」
 首を振りながら、ジャッドは眉を曇らせた。ジャッドと違い、ルーファウスは星痕症候群のほかにもさまざまな後遺症を患っている。元気な課長に必要のない杖は、今は持っていない。バランスは取りにくいのだが、ルーファウスは背筋を伸ばす。一〇代で社交場へと出入りするようになってからというものの、不調を隠して人前にでるすべは身につけている。
「問題ない、目はな。だがそろそろ潮時だな」
 やはり印象操作にも限界がある。ルーファウスは相変わらず視線を感じている。ルーファウスの容貌は、まず彼に目を向けさせることに役立つ。今は逆効果だ。あまり記憶にとどめられたくはなかった。それ以上に気になるのは。
 ルーファウスはまだ目で女を追っている。女は祭壇横の扉から、聖具室へと続くエリアに消えた。
「引き続き容器の回収をしておけ。私は先に車へ戻る」
「送ります」
「問題ない。タークスが控えている」
「ですけど」
 そう言えばこの青年は、もとより面倒見のいい性分だった。ルーファウスはタークスを安心させるときの顔つきをした。青年にはまだ通用するはずだ。
「私は課長だ。わざわざ業務中の部下の手を止めてまで、はべらせていい身分ではないぞ」
 ジャッドやほかの作業員も笑った。騙すことに気が引けるような繊細さは、生憎とルーファウスは持ちあわせてはいなかった。そもそも嘘をついてはいない。車へと向かうまでに、少し寄道をする。彼がそれを秘書に伏せただけのことだ。
 ルーファウスはいったんそとへでてから、内陣のほうへとまわりこんだ。瓦礫を乗りこえるのに、ままならない足が邪魔をする。彼の口から、誰にも聞かせたことのない悪態がついてでた。途中でタークスとの通信機を取りだした。
「今から通信を切る。私用だ。一五分間待って通信が戻らなければ、動いていいぞ」
 返事を待つことなく、ルーファウスは聖具室の扉をくぐった。


 教会堂の祭壇裏は壁一枚へだてるだけで、喧騒からずいぶんと遠い。
 三階までが吹貫の中央階段は、左右対称のつくりになっている。通路には化粧柱とステンドグラスが並んでいた。どこもかしこも、果ては天井まで崩落していて、彼の足で上がるには難儀しそうだ。
「でて来い」
 ルーファウスは声を上げる。塵埃の冴えない色を見まわして、ルーファウスは惜しいと思った。かつての荘厳な佇まいは見る影もない。
「そこにいるのだろう」
 再び彼の声だけが響き渡る。ルーファウスは頭のなかから女の名前をさぐりだす。神羅カンパニー旧本社のヘリポートでは、スラムの花売りと名乗っていた。幾度か目を通したレポートには古代種と。そして。
「エアリス・ゲインズブール」
 ルーファウスがその名前を最後に聞いたのは、メテオ消滅より数週間前のことだ。訃報だった。
「降りて来い」
 二階の列柱廊のすみから、女があらわれた。観念したのか、ひどく心許ない顔つきをしている。
「あなた、ルーファウス神羅でしょ。神羅がわたしに、何の用」
「用も何も、それ以前の話だ。お前は死んだのではなかったのか」
 エアリスはくちびるを噛み、俯く。自身を抱き竦めるように両腕を交差した。
「そう、だね」
「どういうことだ」
「ね、わたしのジャケット、何色でしょう」
「赤色だ。ふざけているのか」
「ふざけてなんて、ない。じゃあね、髪留めのリボンは何色でしょう」
「チョーカーに花のモチーフ、茶色のエンジニアブーツだ。ああ、髪も茶色だな。今は下ろしていて、髪留めはしていない」
 エアリスは両手で口元をおおう。と、苦しそうに顔をゆがめた。
「そっち、行っていいかな」
「降りて来いと言っている」
「何もしないよね」
「それはこれから考える」
 少し笑ったあと、しかしエアリスはまた顔を伏せた。ゆるく波打つ髪が彼女のほっそりとしたシルエットを隠す。ルーファウスは動いた。
 メテオショックの混乱のなか、情報は交錯していた。死んだはずの人間が生きていたというのは、ままあることだった。現にルーファウスがそうだった。当時のまわりの慌てぶりを思いだし、こみ上げる笑いをこらえながらルーファウスは考える。
 古代種、あるいはセト、何と言ったか。
 純血の亜人種と現生人類のあいだに生まれた、最後の生き残り。
 仮に彼女が本物の『エアリス・ゲインンズブール』だとすれば、これはとても煩わしいことだ。
 二〇〇〇年前、オリジナルのジェノバを封印したのが古代種なのだという。奇しくも彼女の実父は神羅の科学者で、古代種研究のパイオニアだった。膨大な量のレポートを残している。ルーファウスの父親は『約束の地』へと導く地図だと重宝がっていたものの、彼にとってそれはほとんど紙切れにすぎなかった。生きた『古代種』がいるのだから、利用すればいい。それこそ脅してでも当地までガイドさせるのだ。しかし父親がルーファウスの無理押しをよしとはしなかった。
 ルーファウスがようやくレポートへと関心を示したのは、だからわずか二年前のことだ。この期におよんで古代種の知識をひもとく羽目になったのは、巨大隕石の落下を回避するためだった。が、彼の手では叶わなかった。
 止めたのは、あの女だ。
 そしてこの一二月、ジェノバの残骸が撒き散らした奇病を浄化したのも、エアリスだった。
 ジェノバと古代種。神羅の英雄の姿のまま、消えたらしいジェノバ。死に絶えたはずの古代種。厄災。封印。再来。ルーファウスは『再』の響きに眉をしかめる。
 古代種が再び現れた意味。いやな予感しかない。
 錯雑な情報だ。今は彼一人の腹に納めておくべきだろう。タークスにすら気取られる前に、ルーファウスはこの女を何とかしたかった。
 だが今日のタイトなスケジュールに、彼の体力は限界だった。部下の手前、気を張っていたところもある。最初の踊り場まで上がったところで、ルーファウスはつまずいた。
 久しく動いていない彼の身体は、鈍重だった。体力が気力に追いつかないというのは、とても歯痒い。床に手をつき、肩で息をする彼の耳に、慌ただしい足音が近づいてくる。
「だいじょうぶ」
 くずおれた彼のそばにエアリスが膝をついた。土埃が舞い上る。彼女の手が、ルーファウスの肩にふれる。二人は同時に目を丸くした。
「あなた、あたたかい」
 白い手が次にふれたのは、ルーファウスの頬だった。輪郭をなぞったあと、それは彼のジャケットのラペルを握り締めている。エアリスは彼の肩先に額を伏せた。そっと。
 ルーファウスが驚いたのは、思いもよらない近しい距離にではない。逃げようとしたはずの神羅のもとへと、咄嗟に駆けつけた彼女の気遣いだ。こういうときにこそ、人の性根というものが現れる。
 自身はどうだろう。小刻みにふるえている彼女を、どのように扱うべきだろう。
 ルーファウスはエアリスの後頭部を引きよせた。嗚咽をもらし、ますます取りすがってくる彼女を、どうしたものかと考えあぐねながら。


 エアリス・ゲインズブールは、いわゆる思念体だった。
 当人はやはりメテオショックより以前に死んでいた。ただ古代種の特性で、彼女たちは望めばライフストリームのなかでも自我を保つことが可能だった。メテオショックのあとも、エアリスは何やら不穏を覚えて、星の内部にとどまることにした。しばらくは変わったことも起こらず、午睡のようにうつらうつらとしていたところ、あのセフィロスの思念体の騒動だ。エアリスは奔走した。そうして思念体の消失を確かめ、仲間の無事を見届けたあと、教会堂の入口からライフストリームに還る。
 そのはずだったんだけどな、とエアリスが吐息をついた。
「帰り道がなくなっていた、と」
「そうなの。教会の扉をでたら、普通に教会のそとだったの。どうしよう」
 ルーファウスは笑った。笑いごとじゃない、とまだ赤い目のままのエアリスがむくれる。それから彼女はルーファウスを見上げた。
「さっきはいきなり抱きついて、ごめんなさい」
 薄らと桃色に染まる頬は、ルーファウスより血色がいい。その様子は生者と区別がつかない。だというのに、彼女は地上のいきものではなかった。
 誰の目にも映らず、声は誰の耳にも届くことなく、誰かにふれることすら叶わない。
 久方ぶりに対面の叶う相手を見つけて、エアリスは気が動転したのだと言った。ルーファウスはにわかに信じがたかった。突然の涙も、何かしらの罠かと警戒したくらいだ。秘書が赤色と桃色を認識できずにいたという事実がなければ、彼は今もエアリスの言うことを疑っていただろう。
「その誰かが、まさかルーファウス神羅だなんて、思いもしなかったけど」
「それは悪いことをした」
 そう言ってから、ルーファウスは首を傾げた。これは私が謝るべきことか、と。エアリスの頬がようやくゆるんだ。
 二人は踊り場に並んで座っていた。尻は塵に汚れたが、すでにスーツは埃まみれだ。気にしても仕方がない。ルーファウスはふとエアリスに一瞥を投げる。あの雨からしばらく経つが、ここに彼女がずっととどまっているのだとすれば。
 ワンピースに新しい汚れ――ルーファウスを助け起こすさいについたものだ――はあるが、衣服はおろか髪や肌も垢染みてはいない。身だしなみを整えられる状況にいるのか、それとも思念体というのはその必要がないのか。
「お前はここに居着いているのか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そんなの聞いて、どうするの」
 彼女は膝を両手でかかえるようにして座り直した。膝に頬を乗せて、いやそうにこたえる。
 エアリスはルーファウスをあたたかいと言ったが、彼女にもまた体温があった。では寒暖を感じるのだろう。だとすれば、今はまだ夜が相当に冷える季節だ。寒気にさらされると、人は発熱の手段として食事で熱源をまかなおうとする。彼女は食事をどうしているのか。ここには暖を取れるような、そして身体を休められるような寝具があるようには見えない。身体に障りはないのだろうか。
 人と思念体の違いは、どこにあるのだろう。
 ほかの思念体と比べても、エアリスの有様にルーファウスは違和感を覚える。
 思念体の具象化は、個体によって違うのだろうか。ルーファウスはセフィロスの思念体を思いだす。銀髪の子供たちはセフィロスとよく似た、しかし別のものだった。そして彼らは誰の前にも顕現していた。
 ルーファウスは踊り場から階下へ、持て余すように伸ばしていた足を組んだ。それから、ふむ、と顎を軽くつまむ。
 最近はルーファウスの理解の範疇に納まらないものが、次から次へと現れる。そのほとんどが彼の父親が残した負の遺産だ。銀髪の子供たちも、もとを正せば神羅の生みだしたばけものだった。それ自体はどうということはない。粛々と片づけるだけだ。ついでにそれらは、ルーファウスを退屈から遠ざけることにも役立っている。
 だが、目の前の彼女は生得の古代種だ。
 星が地上で頼みとする種族ではなかったのか。
 それを星が放りだすなど、いったい何の前兆なのだろう。ルーファウスは古代種に関するレポートを思いだしながら、彼女の出様に注意を払う。
「なあ、お前は」
「わたしの話は、いいの。おしまい。ね、あなたは」
 気さくな調子で、エアリスが彼を拒絶する。ルーファウスは内心で舌を鳴らす。なるほど、彼女はなかなかに手強そうだ。
「ここで何してるの」
「泉の水質調査だ。どうやらライフストリームに酷似しているようなのだが。お前がいるなら、お前に聞いたほうが確実だな」
「どうかな」
「わが社の負債の返済と、世界の再建の一環に必要だ」
「あなたが言うと、胡散くさい」
 エアリスは小首を傾げる。ルーファウスがいくつか対話を試みるが、エアリスはあれこれと言い抜ける。相手が神羅グループの総帥であろうともの怖じなどしない。これが彼女の処世術か。タークスの苦労が、今更ながらに思いやられる。
 ルーファウスはかすかに笑った。では彼女の本音を探そうか。そこに違和感の一因があるような気がしている。
「星痕の治療薬開発のヒントになる。そうは思わないか」
「神羅がお薬、つくってるの」
「ああ」
「どうして」
「あの日、雨をあびられなかった者や、ここまで来ることのできない者は、どうしたらいい」
「それは」
「人命救助は緊要な課題だ。世界の再建にもっとも必要なものは、人材だからな」
「治して、神羅で雇うの」
「なぜそうなる」
「だって、あなた、神羅の社長でしょ」
「今はSC環境分析株式会社の課長だが」
 ルーファウスは首から提げた身分証を見せた。エアリスはそれを指で弾く。
「SCって、ほら、やっぱり神羅カンパニーじゃない」
「そう言われてみれば、なるほど、そうだな。あいつらめ、妙なところで顕示欲が強くて困る」
 組んでいた足をといて、片足を立てる。膝に肘をつきながら彼は首を振った。
「不思議。何だか、イメージ、ちょっとだけ変わったかも」
「そうか」
「うん。テレビと違う」
 エアリスはルーファウスを見澄ます。どうしてかな、と彼女は呟いた。
 神羅ビルにいた幼少のころが、おそらく物理的にいちばん近くにいたはずだったが、実際に彼らが会ったことはない。少なくともエアリスから彼に接触する機会はなかった。
 スラムで暮らすようになってからは、ルーファウスは文字通り『雲の上の人』だ。テレビで見かけるルーファウスは、父親の後ろに控えるようにして立っていた。大抵のプログラムは、プレジデントの演説が長くて途中でチャンネルを変えてしまうので、そのあとに彼が何を話していたかをエアリスは知らない。
 ルーファウスを近くで見かけるようになったのは、皮肉なことにミッドガルを出奔してからのことだ。エアリスが思い浮かべる彼は、笑んでいるときですら冷ややかな顔つきだった。虹彩の色は美々しかったが、酷薄さを助長していた。
 そのようなことを、エアリスは――いささか幼くすらある――独特の口調で言った。
「あ、でも。イメージ、やっぱり変わってないかも。ほら、さっきね」
「さっき、とは」
「課長さん、お愛想振り撒いてたでしょ。へらへらって、泉の近くで、いっぱい」
「いい顔をしていただろう。どこぞの高慢ちきに笑う社長とは、大違いだ」
「そっか、そういうこと」
 眼鏡ごしの碧眼を、彼女は覗きこんだ。そうかと思えば身を離し、ルーファウスの長躯をしげしげと眺めている。せわしのない女だとルーファウスは思った。
「あなたって、目、前から悪かったの」
「いや、そんなことはない」
「なるほど、なるほど」
 エアリスが一人で頷いている。ルーファウスはわけが分からない。こういうときこそ、彼は相手の出様を待つことにしている。情報を引きだし、それを精査するには、後手にまわることもやぶさかではなかった。
「ね、変装、下手っぴだね」
「何だと」
「それ、眼鏡も。目立ちたくないなら、大失敗だよ」
「どういうことだ」
「教会にね、派手な顔した人いるなって、思ってたの。それにね、立ち方。きれい。あなた、姿勢に育ちのよさがでてる」
 楚々とした笑み顔をつくったところで、以前と同様、さっぱり底が知れない。怪しい。嘘くさい。とてもではないが信用に足るとは思えなかった。そして、彼の洗練された所作はスポットライトの下では映えるのだろうが、ときと場合を考えたらどうか。
「SC環境、何だっけ、会社の宣伝しに来たんなら、よくも悪くも成功かも。だけど」
 ずけずけとそう続けたあと、エアリスはいったん口を噤んだ。憂え顔でルーファウスを見つめている。
「だけどね、そうじゃないんでしょ。だいじょうぶなの。一人で、こんなところに来て」
 ルーファウスは目を瞠りそうになった。このいきものは、何だ。驚きを隠したまま、わざとらしく口端を吊り上げる。
「私は変装に向いていないらしいな。秘書にも言われたぞ」
「ひげ生やすとか。女装くらいしないと」
「そうしたいのはやまやまなのだが、生憎と部下に却下されたばかりだ」
 前髪を掻き上げようと、首を上向けたとたんに眩暈がした。ルーファウスはこめかみを揉んでこらえる。エアリスが手を伸ばしたが、彼はそれを片手でさえぎった。
「でも。辛そうだよ」
「身体はな。だが私は毎日が楽しいぞ」
「お薬の開発が、そんなに」
「それもあるが」
「じゃあ、会社の立て直し」
「ゴールはそこではないがな」
 ルーファウスは首の調子を確かめてから、くずれ落ちた屋根を見る。二年前にはあったはずのプレートを、セクターごとの街並みを、ミッドガルの全景を思いだす。
 ミッドガルの中央には城があった。ルーファウスは父親の城に住んでいた。その堅牢な城塞に、父親とずっとともに住むのだと思っていた。いつから城を独り占めしたくなった。そしてようやく手に入れた城は、実際のところ砂の城だったのだ。打ちよせる波は凪ぐことなく、城を削り取っていく。どんどんくずれるそれを止める手立てはなかった。
 残骸を前にしたところで、しかしルーファウスは挫けることを知らなかった。
「私は、私が悪運だけで生き残ったとは思っていない」
 今、ルーファウスはゼロから城を建て直している。まだ礎の段階だ。完成までの道のりは長いに違いない。だから彼は人生を費やすつもりでいる。
「お前はどうだ。自分がなぜ残されたか、考えたことはあるか」
「考えてる。けど、分からない。どうして星に、追いだされちゃったのかな」
 ルーファウスはエアリスを見下ろす。彼女は揃えた膝の上で、指を組んでいる。
「必ず意味はある。わたしが星に還れない、意味」
「まさか、またセフィロスではあるまいな」
「さすがに違うって、言いたい。けど」
 彼が茶化すように言うと、エアリスはわずかに笑った。しかしその笑み顔は潮涸れのように引いた。
「どうかな。分からないの、わたし」
 エアリスは正面にある壁を見つめるている。ルーファウスも同じように。壁の向こうには祭壇があり、内陣から身廊までをのみこむようにして泉が湧いている。
 日が暮れて人々が去ったあと、いつも水面を撫でるのだと彼女は言った。夜の水は、ただ冷たいだけだったと眉尻を下げている。怪訝な顔をするルーファウスに、「つながってるのに、ここ」とエアリスは呟いた。いったい何と。その正体を、ルーファウスはおそらく知っている。ライフストリームだ。
 この古代種を問いつめれば、彼のほっしていた確信が得られるかもしれない。だがルーファウスは口を開けずにいた。エアリスは自身の指先を見つめている。その眸には涙液が薄らと張っていた。
 ふとルーファウスは風のない教会堂を思う。泉は黒い鏡面のようになめらかだろう。星空をそのままに映しこんでいるに違いない。鏡は彼女の指先がふれるたびに割れる。水は古代種に何を伝えるのだろうか。
 ルーファウスは興味深く待つ。しかしエアリスは力なく首を振った。
「前みたいに、声、聞こえないから。何も。知りたいのに。何、してほしいのかなって。教えてくれなきゃ、何もできないのに、今のわたし」
 風も花も土も、だんまりを決めこんでいる。声のない夜は、そうして何日も続いたのだとエアリスは薄く笑った。
「普通の人って、こんな感じなのかな。夜が、ずっと静か。だからね、わたしにかまっても、いいこと、何もないよ」
「私はな、ようやく親離れをしかけて、独り立ちを始めようというところだ。今更、親父の夢の残骸にすがる気はない」
「何だ。また捕まるのかと思った。だって、こういうの好きでしょ、神羅って。変ないきもの」
「死んだと思っていた人間が歩いていれば、気になるだろう。情報提供者なら、何も特異な血筋でなくともいい。心配するな、古代種にはもう頼らない」
「だったら、見なかったふり、してほしかった」
「またその顔か」
 エアリスは苦悶の表情を浮かべている。追われて逃げて、捕まったから怖いという顔ではない。これか、とルーファウスは思った。これが彼女の違和感、その核心だ。
 泉のほとりで目があったとき、エアリスは一度目には嬉しそうに微笑んだ。二度目は違った。今と同じような顔をしたあと、あからさまにルーファウスから顔を背けたのだ。このわずかの時間に、何があったのだろう。そう思ったとたん、ルーファウスは動いていた。
 死んだはずの人間を追いかけた。それは嘘ではない。だがすべてでもない。
 この感覚は、既知だ。洞窟に幽閉されたあたりから、ルーファウスには彼の世界が変遷の只中にあるという自覚があった。異変はもう少し前からあったように思う。
 旧本社ビルがウェポンの襲撃を受けたとき、彼が会社に執着する、その根源にあるものの正体を知った。何ということはない、父親に認められ、父親をこえたいという、実に普遍的な気持ちだった。脱出用シューターから降下中、頭部もしたたかに打ちつけたので、頭のねじの一本か二本、吹き飛んだことも一因かもしれない。
 それまで彼は、ルーファウス神羅以外の何者でもなかった。他者の世界にわざわざ踏みこむ必要はなかった。彼は自身の世界だけを気にしていればよかったのだ。だが、今ではどうだろう。ルーファウスはもう一度、零番街のあったあたりに目を向ける。
 ルーファウスはあのてっぺんから逃げて、世間に交わり、他者の視点というものを初めて知った。悪意だけなら、彼の世界に何ら影響はなかっただろう。しかし地上には善意があった。人の厚意、肉親へ注ぐ人情、人が人に向ける関心。それらはごく普通にありふれていて、あろうことかルーファウスにすら向けられた。
 善意の裏に追従やへつらい、そういったものが透けて見えない世界など。そんなものはまるで知らない世界だと、ルーファウスは驚いたのだ。
「私はとんだ人でなしだったようだ」
 ルーファウスは笑いが止まらない。片手で額を押さえる。整髪料をつけていない髪が、彼の視界をさえぎった。
「私は見たものを、見なかったふりはしない。お前がどのような状態なのかは分からないが、現にここにるだろう」
 ルーファウスは髪を耳横に流しながら、エアリスに向き直る。違和感の正体は厚意を介すると、よく見えた。
 エアリスは彼の知る思念体とは違う。
 銀髪の子供たちはセフィロスの一部分をそれぞれに特化したものだった。個性はただ一つで、まるで人間味がない。エアリスは喜び、恐れ、悲しみ、そういったものが一所に内包している。つまりは『個』が確立しているのだ。彼女はおそらく生前のままでルーファウスの前に現れた。
 ただの途方にくれた女だった。
 かわいそうとは思わない。下手な同情もしない。彼女が困っているなら、根本から解決しなければ意味がないからだ。
 では根本とは、と考えたところで、ルーファウスは合点がいった。
 エアリスは古代種として生まれることを選んだわけではないだろうに、生まれたからにはその出自をきちんと受け入れている。一度は大役を果たした彼女へと、星はまた何らかの使命を課したようだ。エアリスは生来人好きな性質なのだろう。誰にも相手にされず気が弱ってはいたものの、星からの要求に応える覚悟でいるらしい。
 健気なことだと感心した。そしてルーファウスは彼女の生き様に、身に覚えがあった。
 今更、『約束の地』になど拘泥しない。ルーファウスはエアリスの古代種としての能力ではなく、彼女の人生そのものに関心をいだいた。彼女が担った課題をどのように処決するのか、見届けたいと思ったのだ。
 ルーファウスは小さく笑う。要するに似た者同士のシンパシーだ。
「これは面白いことになった」
「何のこと」
「いや」
 ルーファウスははっきりと自覚した。今まさに、彼の視点が変わったのだと。それは世界が一変すると同意義だ。
 縁のなかった世界に一歩踏み入れたのだから、慣れないことをしだしても、それは仕方がないとルーファウスは思う。彼は順応性に自信があった。新しい世界で生きていくには、新しいルールに倣うべきだ。
 関心を。
 厚意を。
 他者に差し伸べる手を、今ならルーファウスは持っている。
「帰り道が分からないなら、今すぐどうこう足掻いても仕方がないだろう。やりたいことをやればいい」
「やりたいこと」
「解決の糸口を探しながらな」
「いつ消えちゃうかだって、分からないのに」
「それも含めて、ただ待つだけでは、勿体ないだろう」
「そうね、うん。そう思う。あるよ、たくさん。したくても、できなかったこと」
「ちょうどいい。生前にできなかったことを叶えるチャンスだと思え」
「それ、ほとんど、神羅のせいなんだけど」
「それはそれは、耳が痛い」
 エアリスは大仰に眉を吊り上げてみせた。彼が肩を竦めるのを見ながら、「半分は冗談だよ」と言った。
「行く当てはあるのか」
「ないよ」
「母親か、友人のところは」
「だって、見えてない。ここ、たくさんの人来るけど、誰も気づかない。さっきね、知ってるタークスがいたから、声かけてみようと思ったけど」
 エアリスは組んだままの指先を見つめている。半分伏せられた長い睫毛と、あるかないか程度の微笑。散る前の花のようだと、ルーファウスは思った。
「本当はね、あなたにも声、かけようかと思ったの。目、あった気がしたから」
 だからか、とルーファウスは思う。最初に目を引いたのは、嬉しそうな顔。そして。
「でもね、気のせいだったらって思うと、わたしの願望なのかなって思ったら、逃げちゃってた。だって、そんなの」
 つらい、という呟きをルーファウスの耳がかろうじて拾う。笑みが、エアリスから今にも消えてしまそうだ。
「誰にも見えない」
「私には見える」
 しっかりとした口調に、エアリスは弾けるように顔を上げた。二対の眸が絡みあう。
「エアリス」
 ルーファウスは彼女の手を一瞥した。まだ膝の上に置かれたままの白いそれは、わずかにふるえている。
 ここへ来て、一五分などとうにすぎている。タークスには時間がすぎれば動いていいとは言ったものの、彼が理由も告げることなく一方的に通信を切ることはない。今日の担当は、昔からルーファウスのプライベートには干渉をしない連中だった。どこかでいい加減やきもきしているだろうタークスを顧みる。
 もう一度、ルーファウスは彼女の双眸を正視した。
「私のところへ来い」
 無線機の電源を入れたその手で、ルーファウスはエアリスの手を掴んだ。


■END■
(この手が掴んだもの)

20200707