祭子
2022-07-18 11:02:09
8215文字
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■BEFORE SUNSET/EPILOGUE■

∠[ν]-εγλ0019/12
プレパラトリー入学を前に神羅父子はヒーリンを訪れます。大事な話は家族揃ってと決めています。
※サイト掲載テキスト(20200628初出)

■BEFORE SUNSET/EPILOGUE■
∠[ν]-εγλ0019/12


 ミッドガルエリアからグラスランドエリアへの幹線道路が整備されて、一〇年近くが経つ。消費都市としては死に体だったヒーリンロッジを救ったのは、ミッドガル伍番街に湧いた泉だった。
 当時、神羅カンパニーは泉を精製し、星痕症候群の治療薬として水剤を完成させていた。同時に泉の成分を分析し、安定性のある製剤材料の発見に成功した。水剤では服用量も多く、品質維持や配送に問題をかかえていたのだ。それを錠剤化することで解決したのだった。勿論、ライフストリームのような中毒性はない。そうして泉が枯れたあとの治療薬供給に貢献した。今では星痕症候群に苦しむ者はいない。
 薬剤パッケージに神羅の名はない。愛される神羅は、まだこの時点では目指していなかった。山のふもとを開拓し、大量生産に向けて製薬会社を設立した神羅は、軌道に乗ったころあいでそれを民間に売却したのだ。雇用が安定すると、人の往来が増える。さらに再開発が進み、移住者が落ち着いた。ヒーリンロッジは今では生産都市として息を吹き返している。
 大方の土地を手放した神羅カンパニーだったが、ひときわ高い岩棚周辺とその上にあったコテージは、今でもルーファウス神羅の私財だった。
 本社移転とともに、神羅家の本邸も社屋付近へと移した。会社と子供の成長にともない、設備や環境に問題が生じたからだ。
 久々に訪れたコテージは、ハウスクリーニングが行き届いていた。二階のリビングを子供が走りまわっているが、埃一つ立たない。
「走るな。転ぶぞ」
 ルーファウスは子供に声をかける。が、七歳になったばかりの子供の興奮を抑えるには、少しばかり声音が柔い。ルーファウスはソファーに座る。子供が落ち着くのを待つことにした。
 ソファーに深くくつろぎながら、彼は足を高く組み上げる。アームレストに置いた手にはウェディングリングが光っている。子供が生まれる前、ルーファウスのとなりには揃いの指輪をはめた彼女がいた。そのころコテージはすでに相当の築年数が経っていた。何せ建てられたのは、ルーファウスが幼少のころだ。さらに経年とともに建物は老朽化したが、いまだ修繕を繰り返している。
 ヒーリンロッジはルーファウスが子供に大事なことを伝えるときに、必要な場所だった。子供の人生の節目には、親子が揃っていたほうがいい。
 ルーファウスは前髪を掻き上げる。今日はやけに感傷的だな、と自嘲した。
「これ、秘密の本なの」
 ぼろぼろの絵本を持って戻ってきた子供が、父親の横に座った。ほら、とめくられたページに、一枚のフォトグラフが挟まっていた。ルーファウスは瞠目した。
「母さんでしょ、この人」
「ああ。少し若いけどな」
「そうなの」
「私と結婚するより、ずいぶん前だ」
 彼女はまだ一〇代後半に見える。物陰から撮影されたようで、彼女とは視線の交わらないアングルだ。写真の出所を考えてから、ルーファウスはくつくつと笑いだした。
「何をやっていたのだか、あいつは」
 当時、セトラ監視業務に当たっていたのは、まだ主任職にすら就く前のタークスだった。足を下ろして、身を起こす。と、ルーファウスは子供に顔を向けた。
「秘密は、誰かとの約束なのだろう。お前が勝手に暴いていいものなのか」
「うん。もういいんだよ。父さんが母さんの写真飾らないから、遠慮しなさいって言われてたんだけど。もういいんだって」
 ルーファウスはペーソスから目を逸らせたくて、写真を持たなかったわけではない。単にそれが必要なかったからだ。
 ただ子供やまわりからしてみれば、彼を慮って差し控えるのが道理と考えたのだろう。今更ながらに気がついた。何せルーファウスは寡夫なのだ。だがそれは子供とて同じではないか。それ以上だ。子供には追憶にひたるための、母親との思い出がない。一つもだ。
 母親の面影を写真に求めたとして、いったい誰が責めるというのだろう。ルーファウスは眉をひそめながら、子供の肩に手を置いた。
「これからの励みになるなら、こっそり見なくてもいいんだって。堂々と飾ってやりなさいって」
「持って帰るのか」
「うん。飾ってもいいでしょ」
「かまわないが」
「昨日ね、ほかにもいっぱいもらったから、あっちもこっちも飾れるよ」
「たくさんあるのか。そうか。それはさすがに引くな」
「どうして。あの人、写真上手だよ。母さん、きれいだったよ、全部」
「いや、しかし。もう少しきちんとした写真があればいいのだが」
 ルーファウスは顎をつまんで考える。神羅カンパニーが所持するセトラの資料は多く残存しているが、あまり写りがいいとは言えないものばかりだった。撮影テクニックではなく、被写体の表情の問題だ。何せロケーションは宝条ラボラトリー、白衣の研究員がフォトグラファーなのだから、いい顔ができないのは仕方がない。子供に見せるにはいかがなものかと、ほとんどを秘匿しておいたのだ。
 彼女の傷心ばかりのデータを、しかしルーファウスには捨てることができないでいる。
「生憎と持ちあわせていない」
 あれらに比べれば、盗撮まがいの写真のほうが幾分ましかもしれない。彼女の視線の先には、きっと気心の知れた人物がいたのだろう。養母か、孤児院の子供たちか、それとも懇意にしていたらしいソルジャーか。絵本の上には、ルーファウスの知る穏やかな顔があった。
「写真、父さんも撮ればよかったのに」
「私は撮られる側なのでな。撮るということを失念していた」
 そもそもあの状態の彼女が、写しとられる対象になれたのかは疑問だ。ルーファウスは黙っておく。そんなことよりも、誰もルーファウスに耳の痛い忠告をしなかったので気にもしなかったのだが。
「妻の写真が一枚もないというのは、よくよく考えてみれば不自然か」
 ひどい夫だな、とルーファウスは肩を竦めた。彼の父親ですら、リビングの暖炉の上に家族写真――亡くなった妻と幼少の息子のそれ――をいくつも並べていたというのに。
「ううん。そんなことない」
 子供は父親を見上げて、にこりと笑う。
「父さんは母さんのお話、してくれるから。たくさんしてくれるから、ひどくないよ」
 ルーファウスは息をのむ。一点を見透かすように鋭く、広い角度でおおらかに。子供は眼差一つで人の本質を掴む。
「お前は母さんによく似ている」
 つい口にしてしまった台詞に、彼は空笑う。ルーファウスですら感慨深く思うのだ。彼女をよく知るタークスたちの胸懐はいかほどだっただろう。
 ルーファウスはタークスの当時の困惑ぶりを思いだす。


 DNA型鑑定の結果、皆、それぞれに複雑な顔をした。
 セトラが死んで数年、生まれるはずのない子供だった。不可解な現象に、彼らはまず科学部門の残党を疑った。科学部門は一時、セトラを確保していたことがある。そのさいに採取されたサンプルのなかに、生殖細胞もあったのかもしれない。卵子や胚を使ったのではないかと結論づけたところで、生物学的父親であるルーファウスが生殖細胞どころか、細胞の一片たりとも提供するわけがないと気づいた。その場がいっきに白けた。
 ある時期からコテージに出入りしだしたルーファウスの異母弟にゆさぶりをかけると、明らかにうろたえた。が、曲がりなりにも神羅家の血を引いていたようで、何も喋るまいとする気骨だけは立派だった。勿論、口を割らせる方法など星の数ほど知っているタークスだったが、異母弟は一般人だったので深追いはしなかった。
 秘書にたずねると、女の影はあったが姿を見たことは一度もないという。
 そして子供がセトラの片鱗を示しだしたころ、タークスは考えることをやめた。それ以来、彼らは子供と適切な――と彼らは主張するが、ルーファウスに「お前たちは私たちの親類縁者か」とまで言わせた――距離を保ちながら、任務をまっとうしている。
 最近になって顛末を聞いたルーファウスが、一笑にふしたのは言うまでもない。ルーファウスはチェアの肘掛に頬杖をついた。
「複雑に考えずに、私に聞けばよかったものを」
「聞けないの分かってて、今更そういうこと言うんだもんなあ。社長は子供ができても丸くならないぞ、と」
「やっぱりあの子はお母さん似なんですよ」
「どうだろうな。母親もしたたかな女だったぞ」
 タークスは遠い目をした。ややしばらくしてから、こぞって溜息をつく。思い当たる節がありすぎたようだ。
「それで、落としどころは心得たのだな」
「あなたこそ、どうなのです」
「私か。そうだな」
 ルーファウスは子供の顔を思い浮かべた。七歳にもなると顔立ちがおおよそ定まっている。子供はどちらにも似ていて、角度によっては母親の生き写しだった。
 したがって、子供は祖父とはそこまで似ていない。叔父とも似ていない。
「私と親父とは、女の趣味がずいぶんと違ったようだ。安心した」
 ルーファウスは前髪を掻き上げると、笑った。


 そんな大人たちの機微など知らず、子供はすくすくと育った。
 いつも元気な子供は、今日はとびきり機嫌がいい。父親と二人きり――階下に秘書と護衛が控えてはいるが――の外出など、久しぶりのことだった。
「父さん、今日はゆっくりできるの」
「いや、一四時から会議だ。なかなかにこみ入っている。夕食には間にあいそうもない」
「そっか」 
「だが、お前も忙しくなるぞ。予定は聞いているだろう」
 ルーファウスは立ち上がった。そのまま大窓へと向かう。子供もわずかに遅れてついて来る。窓辺で止まり、ルーファウスは子供に向き直った。子供は父親をまねて、背筋をしゃんと伸ばす。
「お前は明日から、同じ年頃の子供たちより、少し早く大人にならなければならない」
 窓外から、大木が二人を見下ろしている。それに目をやってから、ルーファウスは左手に目を落とす。この世にただ一つ残された、あわれな片割れに。
 婚姻の証は子供の所在が明らかになったときから身につけている。ルーファウスのまわりには再び人が増えた。かつてそうだったように、街灯に集まる羽虫のようなやからにかぎって身内をよこそうとする。彼の子供にではなく、いまだ若いルーファウスにだ。指輪はそれを排除するアイテムとして、彼にとって都合がよかった。
 益のない時間は少しでも省きたい。何せルーファウスは忙しい。
 神羅カンパニーを立て直し、三代目にセトラの血を引く子供を据えようとしている。ルーファウスは生涯をかけた仕事に没入すると同時に、自身に何かあったときに備えてリスクヘッジをとっておきたかった。『世界の再建』と『負債の返済』とは、それほどの大事業だ。そして事業を後任させるにあたり、申し送りは欠かせない。先代から十分な引き継ぎがなくて困ったからな、とルーファウスは心中で皮肉った。
 その一環として、子供にいわゆる帝王学を習得させるための前段階に差しかかっていた。
「お前は私の母校に興味があるのだろう。どうせならプレパラトリースクールから通うといい」
「それも父さんと同じ学校なの」
「いや、私はプレップには行っていない。喜べ、お前だけの経験が得られる。だがな、それも過程の一つだ」
「かてい」
「道の半ばということだ。いずれ修養を積むためにな」
「しゅうよう」
「具体的に言うと、先生が増える。当面は、あと四人ほどな」
 ルーファウスは口角を吊り上げる。子供は目を丸くした。
 子供にはすでに情操と教養の指導に、三人のチューターがついている。それらを基として、新たに全人教育を組みこむのだ。成長にあわせて、フィジカル面のトレーニングも必要だろう。
 どれもルーファウスの父親が彼のために組んだカリキュラムだった。そのプロセスをルーファウスが実子になぞらえることになるとは、数年前なら夢にも思わなかった。今は感謝せざるをえない。頭脳と身体を鍛えられたおかげで悪世を生き延び、ルーファウスは今、人生を楽しんでいる。そしてこれからも楽しみで仕方がない。
「なぜだか、分かるか」
 子供は子供なりに、大きな決意をもって頷く。口を結んだ顔は、ルーファウスによく似ていた。
「そうだ、お前がいつか社長になるためだ。なれるかどうかは、明日からのお前のやりようによるがな」
「父さんも手伝ってくれるの」
 子供は素直に聞いた。なるほど、とルーファウスは認めた。ここがルーファウスと子供の、決定的に違うところだ。
 ルーファウスは自身の血を分けた子供の言動に、いまだ驚かされてばかりいる。方々から愛情をもらい受けた子供は、助けを乞うことが上手だ。これは父親から継いだものでも、母親――彼女もまわりに頼らない性分だった――から授けられたものとも違う、子供が短い人生のなかで得た独自性だった。
 ルーファウスは自身には与えられなかった環境も含めて、彼が用意できうるすべての外界を、子供に提示した。たとえばチューターなら、優しい人、口のうまい人、遊んでくれる人、厳しい人、いろいろな人。そのなかから子供が選び、身につけたもので子供は勝負していく。勿論、勝負をしない人生を択一することがあってもいい。何せ神羅の名は重い。
 子供の取捨選択が吉とでるか凶とでるかは、子供次第だ。だが。
「かまわないが、私は厳しいぞ」
 子供が父親に教えを請いたいというのならば、手を差し伸べることにやぶさかではない。負い方一つで重荷も軽い。そうするすべを、ルーファウスは子供の母親から学んだ。だから二人の子供に教えることができる。
 それとは別に、ルーファウスには必ず背負わなければならない、子供の荷がある。
 セトラの血筋だ。
 金色の髪と緑色の眸をした子供は、ルーファウスと彼女がようやく得た未来の象徴だった。
 そうして子供の命運は、受精とともに確定した。いや、とルーファウスは首を振る。それより以前から分かっていたことだった。生まれる子供が純血のセトラであるのだと。
 神羅の名からのがれることはできても、セトラの宿命に看過されることはない。きっと子供は悩み、迷い、そして――この星でただ一人きりのいきものだという――孤独にあえぐのだろう。現にルーファウスは、己の血筋に翻弄される母親を見てきた。セトラの妻を支えた。本当は最初から支えたかった。
 加えて、神羅カンパニー最大の負債――ジェノバ――が、いまだこの星のどこかでうごめいている。ルーファウスはそれをどうしても排除しければならない。たとえ子供が神羅姓を捨てたとしても、ルーファウスはわが子の血筋に頼るだろう。セトラにはジェノバを封印するすべがある。
 無論、一人で陣頭に立たせる気など微塵もない。そのときが来れば、持ち得るすべてを総動員してバックアップをする。わが子のとなりに並び立つのは、ルーファウス自身なのだと決めている。
 ルーファウスは小さな右手を取った。爪のかたちが母親と同じだ。彼の口元がおのずとゆるむ。血筋の選択に、子供にはいっさいの自由がないことを知りながら、それでも二人はほしかったのだ。
 いのちのあとにも続く、目に見えるこの愛のかたちが。
 次こそは最初から最後まで。ルーファウスからセトラを手放すことは、決してない。
「そろそろ、お前も一度見ておかなければならないな。母さんが祈りを捧げた場所をだ」
「祈り」
 子供がゆっくりと首を巡らす。
「セトラの都のことかな。あそこ、ちょっと遠いね」
 翠眼がじっと見つめているのは、あろうことか北の最果てだった。ルーファウスは空いた手で口元をおおう。そんなことまで、まだ丸い頬をした子供には。
「分かるのか」
 子供はさも何でもないことのように頷いた。ふと耳を澄ましている。年齢にそぐわない横顔がルーファウスに突きつけるのは、父親としての無力だ。だからといって目を逸らすことは、諦めることは、それはルーファウスが自身に許していないことだった。
「いろいろ教えてあげるからおいで、だって」
 ルーファウスは好機だと思った。子供とともにセトラを学ぶことができる。久々に神羅の拍動が騒ぎだす。嬉々としながら、ルーファウスは口を開いた。
「私が連れて行く」
「お仕事、何日もお休みしなきゃだよ」
「かまわない。私が連れて行くと言っている」
「やった。旅行みたいだね。ね、父さん、スノーボードもやってみたい。教えてね」
「勉強をしに行くのではなかったのか」
「ご褒美あると、やる気、もっとでるよ」
 静謐の顔立ちがいっきに笑いくずれた。ルーファウスはぽかんとしたあと、くつくつと咽喉を鳴らした。
「まったく。お前は気楽なやつだな」
「そういうとこ、父さんに似てるって、言われるよ」
 すぐにスケジュール調整をすると続ければ、子供は父親の手を振りほどき、万歳をした。飛び跳ねる姿は、まるで長老の木に集う栗鼠だ。こうなれば、興奮は収まらない。やれやれと、ルーファウスはややしばらく歓声に耳を傾けていた。
「お前はどんな大人になるのだろうな」
 ルーファウスは思わずそうもらした。子供は彼の腿のあたりを掴んだ。
「もう父さんといっしょに寝たら、いけないのかな」
「なぜ」
「大人にならないとだめなんでしょ」
「今すぐ大人になれとは言っていない。難しいことだからな。それに夜はまだ親子の時間だ」
 子供は精いっぱいの背伸びをする。それから父親の腰にいきおいよく飛びついた。ルーファウスは薄く笑いながら、子供の肩をあやした。
「じゃあね、今日は父さんの部屋で寝てもいいでしょ」
 ルーファウスは頷く。子供とヒーリンロッジを訪れた日は、決まってそうしている。
「父さんが帰ってくるまで、待ってる」
「起きていられるのか」
「がんばる」
「もしもお前が先に眠っていたら、私がお前のベッドにしのびこもう。鍵は開けておけ」
 子供は破顔した。そのときだった。大木が風もないのにざわめいた。子供はふと顔を上げて、それを見つめている。父親からふらふらと離れて、窓に手をつく。しなる枝葉にこたえるようにして何度か頷いていた。ルーファウスはその様子を見守っている。
「長老は何と」
「父さんのいびきに気をつけて、だって」
「私はいびきをかいていたのか」
 困惑気味の父親に、子供が振り返った。幼い輪郭が逆光にぼやける。
「ううん、冗談だって。本当はよかったねって」
「長老は、いつも私に意地悪だ」
「そんなことない。長老は父さんのこと、好きだよ」
「どうだろうな。長老はそうやって私の機嫌を取りたがる。やましいことでもあるのではないか」
 ルーファウスは滅多としない苦笑いを浮かべる。大木と対話する子供を見ていると、まんまと星の采配にはめられた気がするのだ。もとより承知の上で、二人で望んだ子供だというのに。それでも。
「母さんも、父さんのこと好きだって」
 時折、意想外なことを言う子供に、ルーファウスは困ったことに何も言い返せなくなるのだ。
「父さんは、どうなの。母さんのこと」
 こましゃくれたことを、と思いながらも彼の胸はときめく。ルーファウスは自身と同じ色の頭に片手を置いた。プライベートフロアを見まわす。簡素な調度は当時のまま、配置すら変わっていない。その一つ一つに彼女の笑顔が、泣き声が、肩を怒らせる姿が焼きついている。映像や光画、そんなものに頼らなくても記憶はいまだに生々しい。ルーファウスは片手で口元をおおう。長い睫毛がふるえた。
 ふれたら終わる。何もかもくずれる。だから今はまだ気づかせないでくれ。居心地のいいこの距離を保たせてほしい。そう思いながら彼女とすごした、あの日々は。
 ルーファウスは膝をつく。子供の肩に額を伏せた。子供は父親の頭ごと首に抱きついてくる。いとおしい彼女が残したぬくもりを、ルーファウスは両腕でつつみこむ。
「ああ、そうか。そうだな」
 あれは確かに初恋だった。


 エアリス・ゲインズブール・神羅。
 今もまだ、お前に恋をしている。


■END■
(エピローグ)

20200628