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碧
2023-10-12 19:31:03
5744文字
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青と紫と白蓮雲(その1)
「赤と白とロイヤルブルー」曦澄パロです。身に覚えがないのに藍曦臣に冷遇され無視される江澄。二人が犬猿の仲であるという噂は仙門百家にあまねく知れ渡ります。事態を重く見た藍啓仁先生は一計を講じ、江澄もしぶしぶそれに乗るのですが…
「宗主」
その言葉に含まれた圧に一瞬びくりとする。だが敢えて気づかぬふりし、軽く答える。
「なんだ?」
「分かっておられるでしょうね」
「何が?」
「ほお、しらばっくれますか」
満面の笑みでぬっと視界に入ってきたのは江氏の筆頭、主管である。
この男が自分に仕えて十年と少し経つ。ほんの少し年下の彼は蓮花鵜の再興から現在の興隆に至るまでの陰の立役者であり、文字通りの己の右腕である。
つまり、数少ない「惨劇」の生き残りでもある。
あの頃のこの男は健気で何事にも全力投球で一生懸命で、まだ公子の面影が抜けぬ年若い宗主を必死になって支えてくれた。
"宗主、大丈夫です。明けぬ夜はありません。いつか必ず蓮花鵜を元通り、蓮の咲き乱れる極楽にしてみせましょう"
何から手を付けてよいやらわからぬまま呆然とする刹那、彼はまだ若々しい声を震わせつつそんな事をいっては鼓舞してくれたものだ。
ああ、あのころの彼は本当に
……
「話、聞いてます?」
横腹に肘鉄を食らい、思わず江宗主ー江澄はぐえ、という声を上げた。
「おい、お前、宗主になんつー
……
」
「ぼんやりした上司に喝を入れるのも私の大事なお役目です。
……
それはともかくとして」
ぎ、と黒目勝ちの大きな目が臆することなく此方を睨む。
「今日こそはちゃんと仲良くしてくださいよ。さもなくば
……
」
「あのなあ」
うんざりしきった声で江澄は遮った。
「まるで俺があの御仁を嫌ってるみたいじゃないか」
「現に嫌っておいででしょう?」
「嫌うも嫌わんも」
眉間に皺がぐっ、と寄る。
「どうして俺を避けたり、陰でごそごそ悪口をいう奴を好きにならんといかんのだ?そんな義理は一寸もない」
「義理はなくても、相手は姑蘇藍の宗主様ですよ」
「うちが姑蘇に劣るとでも?同じ四大世家だぞ。年こそ上かもしれんが、いちいち俺が媚を売る必要があるか?そもそも、あの抹香臭い仙家と協同しなくても雲夢は安泰
……
」
「まあまあ、そう言わない」
ぴょこりと現れたぼさぼさ頭は魏無羨だ。江澄の義理の兄にして主管と並び宗主の補佐を勤めている。
「なにも雲夢江のためだけじゃないんだって。四大世家の宗主同士がいがみ合ってたとなれば、他の仙家にも悪い影響を及ぼしかねないし勝手にどちらかの肩を持って勝手に対立しかねない。だからまあここは矛を収めてさ
……
」
「矛を収めるのは普通年長者だろうが。それに最初に喧嘩を売ってきたのは向こうだぞ」
尚もぶつくさと江澄は文句を言う。
「うん。いつもお前そう言うけど、具体的にあの人に何言われたわけ?それ教えてくれないから俺も助言のしようがないんだよ」
「それは
……
」
みるみるうちに鋭い美貌に朱が上る。
「
……
無礼なことだ」
「いや、だからそれが抽象的なんだって」
「まあまあ、原因はなんであれ、ここは宗主が折れてくださいよ」
主管が割って入る。
「確かに癪かもしれませんが、向こうの方が年も格も上です。それに年下の宗主が柔軟な態度を示したとあれば他の仙家の評価も上がりますよ」
「そうそう!ここは江澄が大人になれよ。それで全部うまくいくから」
魏無羨も調子を合わせた。
あいつは自分の納得いかないことはとことんまで突き詰めるくせに、俺のことになれば直ぐに事なかれ主義やらなあなあで済まそうとしやがる。
清談会に参加すべく三毒に乗り雲深不知処に向かいつつ、江澄は苦い顔をしていた。
具体的に何を言われたかって?
面と向いて何かを言われたわけではない。
ただ、事実はそれよりも相当に悪い。
あの人ーー藍宗主、藍曦臣と初めて「宗主として」相見えたのはようやく雲夢をなんとか立て直した年のことだった。
それまで彼とは接点らしい接点はなかった。無論、座学で雲深不知処に滞在していた頃は何度もすれ違ったし、藍先生の代行の授業を受けたこともあったがその程度である。
だが、江澄は密かに藍曦臣に憧れの念を抱いてはいた。
いつも穏やかで微笑みを絶やさぬ「澤蕪君」。博識にして公明正大、品行方正、誰にでも好かれる宗主の鑑。
いつの日か自分もあのような宗主となりたいものだと思っていた。
そんな夢が見事に砕かれたのは、初めて宗主として参加した金鱗台での清談会だった。
些か緊張の面持ちで豪奢な廊下を歩いていると、偶然藍曦臣に出会った。
「澤蕪君」
江澄は慌てつつ、できる限り丁寧に拝礼した。
特に何を求めていたわけでもない。
返ってくるのは彼が誰にでも向けている嫋やかな微笑み、そして優美な拝礼であろう。そう予想していた。
だが、その予定調和的な「返答」の代わりに見たのはぐっと顰めた眉、見るからに不快そうな表情、そしてなおざりな拝礼だった。
え?待て、いま俺は何をした?
呆然とする江澄をよそに、澤蕪君はそそくさとその場を離れた。
そして近くにいた金氏の門弟に何かを囁いた。
こちらには聞えぬ心積もりだったであろうが、地獄耳の江澄には聞こえてしまったのである。
"悪いが、今回の清談会の席は彼とはできるだけ離してもらいたい"
ぐら、と三毒が揺らいだので、慌てて江澄は体勢を整えた。
考え事をしながらのーーそれも過去のごく不快な出来事を思い出すという精神衛生上非常によろしくない考え事をしながらの御剣は大変危険である。
とまれ、江澄はそれからというもの藍曦臣を徹底的に避けるようになった。
そもそも、奴が自分を避けようとしているのだ。それならばご要望に応えようではないか。こちらもあの取り澄ました面など見るのは真っ平ごめんだ。
そのようにして気づけば数年の年月が過ぎていたが、最近になってようやく藍と江の宗主が不仲であるらしいという風評が経つようになった。
それは年若く、「三尊」からも外れている江宗主、江澄がここにきてめきめきと実力を発揮し存在感を見せるようになってきたからに他ならない。
また、江澄と藍曦臣以外の宗主、聶宗主・聶明玦と金宗主・金光瑶との関係は至って良好である、という事実も対藍宗主との温度差を際立たせることとなった。
そんなわけで最近では主管からも、また補佐の魏無羨からもやいやいと関係改善を図るべしと詰められるようになってきた。
が、江澄は頑として首を縦に振らない。
何といっても無礼なのは先方なのだ。幾ら若年であるとはいえ、此方にだって面子というものがある。
あの御仁とは以後も断固として口もきかぬし、付き合いもしない。
その決意はあの思い出すのも忌まわしい金鱗台から帰った夜、今は亡き父母、そして姉の位牌に誓ったほど堅固なものだ。
だというのに。
「どうか、甥と和解してもらえぬだろうか」
雲深不知処に着くなりいきなり敬愛する藍啓仁先生の部屋に呼び出され、当の先生からそう請われるとさしもの江澄も項垂れるしかなかった。
「儂は貴殿と甥に何があったかは知らぬし、知りたくもない。だが、貴殿も甥も今や四大世家の宗主同士だ。私怨はさておき、どうか矛を収めて表だけでも仲睦まじくしてはくれまいか。甥には儂からもよく言っておく」
俺のせいではないです、あちらが理由もなくこちらを嫌うのですと訴えたいのはやまやまだったが、憎い相手とはいえあいつの実の叔父に「チクる」ほど性根は腐ってはいないし、第一このようにとりなしているとはいえこの人は所詮藍曦臣側の人間だ。下手に悪口を言ってこの人まで敵に回してはかなわない。
「
……
はい。お恥ずかしい限りです
……
」
機会があればあの澄ましこんで頭に巻いている抹額であいつの首を絞めてやりたい、と思いつつ、殊勝に江澄は応えた。
やがて清談会が始まった。
主催の藍宗主の席と江宗主の席は離れすぎず近からず、絶妙な位置に配置されていた。
姑蘇藍主催の清談会ではいつも江氏の席はどこの辺境の宗家かと三度見するほどの場所に設定されているので、つまりこれが叔父貴の采配か、と江澄はひとり頷いた。
そしていつもならば存在しないかの如く扱われる議事においても藍曦臣は他の宗主と分け隔てなく江澄に意見を求め、江澄もまた遠慮なく忌憚なき意見を述べた。
もう、これでよいのではないか。
閉会の辞が藍曦臣の澱みない声で読み上げられている最中、江澄はようやく肩の力が抜けていくのを感じていた。
これで十分だ。あれほど自分を嫌っていた藍宗主である、この一見普通の取り扱いにも相当の努力をしたに違いない。
これ以上こちらが藍宗主に積極的に働きかける必要はないだろう。
が、その考えは藍先生の目線を感じた瞬間雲散霧消した。
彼はあろうことか、皆が居並ぶ中でこっそり(でもないが)こちらに向かって片目を瞑ってみせたのだ。
その意味を正しく受け止められない"江宗主"ではない。
"この後の宴会で例の件、頼んだぞ"
うへえ。
江澄は内心げっそりした。
一瞬、朗々と読み上げられる閉会の辞が途切れた。
何事だろうと壇上を見ると、藍曦臣が凍り付いたかのようにある一点を見つめている。
一体何を見ている?
その視線の先に先ほどまでこちらに目配せを送っていた彼の叔父、藍啓仁を認めた時、江澄は天を仰ぎたくなった。
藍先生、駄目ですって。そんなわかりやすい(文字通りの)目配せをしたら。
あなたの甥は怜悧すぎる。きっと、今の合図で江宗主がこの後の宴会で自分のところに媚を売りに来るぞということを悟ったに違いない。
しかし、藍曦臣も藍曦臣だ。衆目の面前でそんなに分かり易く嫌悪感を示すなど、実に宗主らしくもない大人げなさぶりである。
ーーああ、もう、分かった。
江澄は膝の上で握り拳を作った。
はいはい、分かりました。
それでは俺があのちんけな抹額野郎に見せてやろうではないか。大人の宗主の振る舞いってやつを。
「江兄!ちょっとあれ見て!!すごくない?」
宴会場に入るなり、兄のお供でくっついてきたと見える聶懐桑が袖を引いてきた。
「なんだ?」
「ほら、あれあれ!」
見ればそこには茶色い小さな煉瓦のような物体が三角錐状に渦高く積まれている。
「
…
なんだ、あれ」
「なんと、大根餅なんだって!」
楽し気に聶懐桑は叫んだ。
「はあ」
恐らく宴会を景気づけるための飾りつけなのだろう、という推測は働く。
だが、雲夢や金陵の趣向を凝らした宴会料理に慣れている身としてはなんというか、料理の選び方とか色合いとかもう少し工夫はできなかったのだろうかと思う。
そもそもなんで大根餅なんぞを積もうという発想に至ったのか、と料理人を小一時間問い詰めたい気もするが、まあ姑蘇藍の奴の考えることなど理解できる気はしない。
「面白いよねえ」
趣味をよく解する懐桑もくすくすと笑っている。
「いや、まあ
…
なあ
……
」
余りに唐突、かつ堂々とツボを外しまくっているボケは却ってつっこみにくいものだ。
さてこのところ、ここお堅い藍氏の牙城、雲深不知処でも宴会となれば酒を出すようになっている。
勿論、用意されているのは姑蘇の銘酒、天子笑だ。
この山奥のいけ好かない、味気もない精進料理など食べる気もない江澄は酒甕の前に陣取ってひたすら杯を呷った。
それは勿論、これから行う「義務」のためである。あんな義務、とても素面ではやってられるものではない。
杯を片手に話しかける機会を見図るべく、「標的」の姿を目で追う。
目指す獲物はすぐに見つかった。
獲物ー藍曦臣が金光瑤や聶明玦と談笑する様子はまこと嫋やかで美しい。
この光り輝かんばかりの善性に満ち溢れた御仁に蛇蝎の如く嫌う人間が存在するとはとてもではないが思えない。
ーーだがいるんだな。それが。
一人にやりと江澄は笑った。
どうやら、いい感じに酒も回ってきたようだ。
藍曦臣が一人になったところを見計らい、ゆらりと立ち上がる。
そして少々千鳥足で彼の方へ向かった。
江澄の姿を認めた彼は途端に笑顔を引っ込め、眉間に皺を寄せる。
あーあー、麗しの君が台無しだ。
しかし江澄は意に介することなくそのままずんずんと近寄り、満面の笑みを浮かべ拝礼した。
「澤蕪君、本日は大儀であられました。毎回ながらの見事なご采配ぶり、感服しております」
そしてすかさず小声で囁く。
「叔父上からのお達し、聞いておられましょう?」
ちっ、と微かな音が響く。
その美しい御口から舌打ちを聞くのは修真界広しといえども自分くらいのものだろう、と江澄は密かに悦に入った。
「ええ」
「それは重畳。それでは、せいぜいこの場で我ら二人、皆にいかにも仲良きよう見せねばならないことも重々ご承知ですね」
やおら、江澄は藍曦臣の肩に手を回した。
背丈は大して変わらぬはずなのにずいぶんと厚みのある身体だ、と思った。
その身体が気の毒なくらい強張っているので、江澄はうっかり大声を上げて笑い出しそうになった。
ーーああ、なんと気の毒な澤蕪君。蛇蝎に肩を抱かれるなんて。
「やめてください」
藍曦臣は切実な、しかし周りを気遣う小さな声で訴える。
「何をですか?」
しかし江澄は知らんぷりをし、逆に陽気な大声を上げた。
宴会場にいる仙師、皆が皆驚愕の表情でこちらを見ている。
そりゃそうだろう、長年犬猿の仲と噂されていた藍宗主と江宗主がなんと肩を組んでいるのだ。
「こんなに気持ちの良い夜はないですね、澤蕪君」
ますます愉快になってきた江澄は更に大きな声で語り掛ける。
「お互い遠方に住む友と友が久闊を叙する。人生にこれほど心に染み入る愉悦はありましょうや」
「いい加減にしてください」
小声で牽制しつつ、流石に衆目が集まっていることに気づいた藍曦臣は満面の笑みを浮かべた。
「何を言ってるんですか。これこそあなたの叔父上が望んだことですよ。っと」
少し聞し召し過ぎたらしく足元がふらつく。
咄嗟に藍曦臣は江澄の身体を支えた。
だが江澄はそれが気に食わず、これまた反射的に彼を押しのけようとした。
刹那、二人の体勢が揺らぐ。
そしてその背後に聳え立っていたのはー
三角錐の大根餅であった。
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