ナガレ
2023-08-03 20:05:27
2876文字
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夕立デート(ぶぜまつ)

夏の季語といえば夕立ということで、傘を持たずに出掛けた豊前と迎えに行った松井の小ネタ。

湿り気を帯びた、肌に纏わりつくような南風。にわかに空が暗くなり、いつしか蝉時雨も止んていた。ドロドロゴロゴロという雷音にいち早く気づいたのは誰だったか。——これは一雨来るぞ。手の空いている者達は大急ぎで中庭に干した洗濯物を取り込んだ。すぐ乾くとはいえ、夏場は洗濯物の量が多い。これだけの量を再び洗うのは億劫だ。皆の思惑は一致した。
中庭に面した空き部屋に洗濯物を放り込む。中庭は共用の洗濯物の干し場だから、取り込みの際に一緒くたにされたって文句は言えない。
洗濯物を取り込んで、雨に濡れては困るものを玄関や部屋の中、軒下等に引っ込めて。どうにか間に合ったと一息つくかつかないかで、大きな雨粒が空から落ちてきた。バケツをひっくり返したと言わんばかりの強い雨。屋根に落ちる雨粒はバラバラと大きな音を立てている。
事務仕事で本丸にいた松井は、今日の洗濯当番だった篭手切に呼ばれ、洗濯物を空き部屋に放り込む手伝いをした。ついでに畳んでおきましょうかと言っていたので、気の合う何振りかで賑やかに洗濯物を片づけているはずだ。
間に合わんかったぁとずぶ濡れになって畑から戻ってきた同胞には、その状態で部屋に入るなと言って大判のタオルを押し付けた。遠くから聞こえる雷鳴には気づいていたが、あと少しこれだけ終えたらと、あとこれだけを増やしているうちに雨が降り出してしまったらしい。自業自得といえばそれまでだが、何とも彼らしい。
今日やるべき仕事はすべて終えている。篭手切には手伝い不要と言われた。やる事の無い手持ち無沙汰の松井は、部屋で一振りぼんやりと外の雨景色を眺めていた。空は分厚い黒雲に覆われており、雨のやむ気配も無い。

「しばらく降りそうだな……
「そうですね。夜まで降るかと」
「っ、五月雨か。驚かせないでくれ」
「すみません。気配を消すのは得意なので」

無意識に出た独り言に相づちを打たれ、松井は心臓が口から飛び出そうになった。一振りきりだと思っていた部屋には、いつの間にかタオルを押し付けて風呂場の脱衣所に向かわせた同胞とは違う同胞、五月雨江がいた。

「夕立は素敵な季語ですが、足止めを食らっている者もいるでしょうね」

五月雨の言葉に松井は一振りの同胞を思い浮かべた。——豊前江だ。少し前に「ちっと買い物に行ってくる」と言って、彼は万屋街に出掛けていった。ここの審神者は本丸の天候を操作しないので、天気は時の政府の天気予報通りだ。なので、万屋街の天気とも同じである。今頃万屋街も夕立に見舞われているはずだ。

「豊前のことだから、傘なんて持っていないだろうね」
「でしょうね。小雨程度なら走って帰ってくるでしょうから」
「万屋街も広いし、どこの店に行ったのかわかると楽なのだけど」
「この間から新しいぱぁつが欲しいと言っていたので、いつもの店にいるかと」
「ありがとう。迎えに行ってくる」
「場所はわかりますか?」
「大丈夫」
「お気をつけて。たおるが必要でしたら早めに連絡をくださいね」

折角の機会だからと夕立の句を詠み始めた五月雨を部屋に残し、松井は傘を二本手に取って万屋街に向った。


万屋街の一角。豊前のよく行く店は確かこの辺りで、大通りに面していなかった事は覚えている。紺色の雨傘を差した松井は畳んだ雨傘を手にし、豊前に連れられて店を訪れた時の記憶を頼りに歩を進めた。——あった。見覚えのある看板の下、店の出入り口を避けて軒下に誰か立っている。あの立ち姿は豊前江だ。たが、他の本丸にいる豊前の同位体の可能性は否定できない。豊前違いだったら何となく恥ずかしい。松井は人影に近づいた。小脇に袋を抱えた内番着姿で雨空を見上げているその豊前江は、松井のよく知る豊前江だった。

「豊前」
「ん?松井?」
「雨が降ってきたから、傘を持ってきた」

小走りで軒下の豊前に近寄ると、松井は持っていた傘をどうぞと差し出した。

「悪ぃな。ありがとさん」
「どういたしまして。豊前のことだから、走って帰ってくるかと思った」
「これがなけりゃそうしてた」
「何を買ったんだい?」
「新しいぱぁつ。これに変えると乗り心地良くなるんだと。取り替えたら乗せちゃる」

小脇に抱えた袋の中身は五月雨の予想通りだった。袋に入っているとはいえ、手に入れたばかりの部品を濡らすのは避けたかったらしい。
その部品に変える事でどう乗り心地が良くなるのか松井にはさっぱりわからないが、豊前は今度乗せてくれると言ったからその時を楽しみにしていよう。豊前の言う乗り心地の違いがわかるといいのだが。

「少し待てば小雨になると思ったんだけどな」
「おそらく夜までこの調子だろうね」

一向に弱まらない雨脚にぼやく豊前。ここで雨宿りをしていたって、しばらく状況は変わらない。傘はあるから早く帰ろうと松井は言外に豊前を促したが、豊前は動く素振りを見せなかった。何か思うところがあるのか、視線が松井を通り越して対面の店に向けられている。松井のよく行く店は万屋街の違う区画にあるので、この一帯に足を踏み入れる事は少ない。一体何の店があるのだろうかと松井は振り返った。対面の店は見た事のない甘味処だった。

「おやつは本丸に戻れば何かあると思うよ」
「そーいうのじゃなくてだな……。よし、決めた。寄り道してから帰ろうぜ」

“寄り道”は甘味処での一服を指しているのだろう。豊前の提案に松井は戸惑った。彼を見つけたらすぐ戻るつもりたっだから、持ってきたのは傘と電子端末だけだ。どこかに立ち寄るなんて考えは一切なくて、財布を置いてきたから持ち合わせがない。電子端末の機能を使えば給金からの天引きという形で支払う事もできるけれど、松井としてはあまり使いたくなかった。というか、今まで一度も使った事がない。
そんな松井の戸惑いに気づいたのか、豊前が明るく心配すんなと言った。

「俺の奢り。ぱぁつが思ったよりも安くて手持ちが余ったんよ」
「それなら遣わずに貯めたり次に回すべきでは?」
「たまにはいーだろ。ほら、行くぞ」

雨に濡れないように袋をしっかりと抱えた豊前は、松井の渡した傘を差さずに軒下から飛び出した。松井の横を小走りで通り抜け、向かいの甘味処ののれんを潜る。店に入ったきり戻ってこないところを見ると、席は空いていたらしい。

……どうせなら一番高いの頼もうかな」

松井はくすりと笑みを浮かべると、踵を返して己も豊前を追って店に向かった。
冷房の効いた店の中。慣れない横文字に苦戦しながら注文した甘味は大変美味で、見た目も大層華やかだった。これはみんなにも教えてあげよう。そう思い、松井は何枚か写真を取った。どうせならと豊前も一緒に写した。甘いものと色男の組み合わせは実によく映える。
帰ってから松井がその写真を皆に見せると、場所教えて今度連れていってふたりの奢りでと異口同音に訴えられる事になるのだが、初めて見る甘味に舌鼓を打つこの時の二振りは知る由もなかった。

【終】


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