豊前江が万屋で支払いの順番を待っていると、会計台の近くに積まれた菓子の山が目に入った。今日はバレンタインデー、恋人や家族など大切な人に贈り物をする日だ。愛を祝う事と菓子に何の繋がりがあるのか未だよく分かっていないけれど、人の子達は本当に面白い事を思いつく。顕現一年目こそ戸惑ったものの、今では年中行事の一つとして受け入れていた。
(……買って帰るか)
折角の年中行事だ。乗っかるのも悪くない。そう思い、豊前は商品を適当に手に取ってぽんと買い物かごに入れた。
「たでーま」
「お帰り。遅かったね」
「思ったより混んでたからな。これ、土産」
本丸に帰ると、豊前は事務作業の部屋を訪れた。部屋の中には男士が数振り。その中には豊前が懇意にしている松井江もいた。豊前が顔を出した事で明らかに松井がそわついたので、今日は手が足りているからと松井は先に部屋に戻された。
変な気を遣われたというか、追い出されたというか。納得のいかない松井の腕を掴むと、豊前はそれじゃ遠慮無くとそのまま松井を自室に招いた。
「ちょこれーと?……なるほど。頭を使った後は糖分が欲しくなるからね」
豊前にそんなつもりは無かったのだが、松井は土産だと言って渡されたチョコレートを“事務仕事後の糖分補給”と受け取った。ちょうど甘いものが欲しかったんだと言いながら、早速食べようとして箱を開けている松井。別に訂正する必要はないので、豊前はそのままにしておく事にした。
箱を開け、銀紙を剥がしてまずは一粒。まろやかに口の中で溶けていく、甘すぎない香りの豊かなチョコレートだ。目を細めた松井に美味しいよありがとうと言われ、豊前も悪い気はしない。気に入ってくれたなら何よりだと、至福の表情を浮かべる松井を見ていた。
あっという間に一箱(といっても、小さいので中身は少ないが)食べきった松井は、どうしようかなと少し躊躇ったあとにおずおずと二つ目の箱に手を伸ばした。さっきのチョコレートと同じブランドの物だが、種類が違うらしい。
「……うん。こっちのも美味しい」
先ほどのチョコレートは野いちごの味がしたが、こちらは柑橘類の味がほのかにする。……豊前も一粒くらいは食べるだろうか。そう顔に書いてちらりとこちらを見遣った松井に、豊前は全部食べていいぞと返した。松井を見ている方が豊前にとっては幸せだし、どうしても食べたくなったら万屋に買いに行けばいい。
よほど気に入ったのか、ぱくぱくと平らげていく松井。その姿を眺めていると、ふと先に食べきったチョコレートの空き箱が目に入った。――この製品は洋酒が入っています。豊前は空き箱を手に取り、まじまじと眺めた。思ったよりも度数が高かった。
意外だと言われるが、この松井は酒に弱い個体だ。一口二口飲めばすぐに酔いが回ってしまう。食前酒一杯も飲みきれないし、朝まで飲んでしまった状態で近寄ろうものなら逃げられる。いくら菓子とはいえ、そんな松井が洋酒の入ったものを食べたらどうなるのか。今すぐ止めなければいけない。
しかし時すでに遅く、しっかり二箱食べきった松井はにこにこと微笑んでいた。松井は酔いが回るとやけに上機嫌になるのだ。
「松井……?」
「なあに?」
「でーじょーぶか?」
「ふふふ。でーじょーぶ、だよ」
あまり大丈夫ではなさそうだ。とりあえず水でも貰ってきて飲ませるかと、豊前は立ち上がった。すると何故か松井も立ち上がった。立ち上がるときにふらついてはいなかったので、そこは安心した。
「水もらってくるけ。ちっと待ってろ」
「わかった」
と、返事だけは良かった松井。豊前が部屋を出ると松井も部屋を出た。頭痛のしてきた豊前に気づいているのかいないのか、松井は微笑んだままだ。可愛いなと思ってしまうのは惚れた欲目なのだろう。
「……」
「ぶぜん?」
「何でもねーよ。台所で水貰うだけっちゃ。ついてくる気なら転ぶなよ」
気持ち歩速を緩めた豊前の後ろを、ひよこやカルガモの親子よろしくついてくる松井。彼のためにも誰かと出くわすことだけは避けたい。そんな豊前の願いは天に通じたのか、幸いな事に廊下でも台所でも誰とも会わなかった。
「――ほれ。水飲め」
「ところで」
松井を引き連れて自室と台所の往復をした豊前は、部屋に戻ると松井に水の入ったコップを差し出した。しかし松井は豊前の話を聞いてない。僕も豊前に渡したい物があるんだと言って、部屋の中をきょろきょろと見回している。……松井が何を渡したいのかわからないが、ここは豊前の部屋だ。どこに置いたっけと必死に思い出そうとしているが、この部屋の中にあるはずがない。
仕方ない。豊前は再び立ち上がると、今度は松井の部屋に向かった。松井も後ろからついてきた。
「……あった。はい。これあげる」
松井が渡したいという物は文机の上に置いてあった。豊前が万屋で買ったチョコレートよりも一回り大きな箱に赤色のリボンが掛けられている。
「あんがと、な……?」
あげると言ったのに、何故か松井は豊前の目の前でリボンを解いて箱を開けた。箱の中にはビー玉くらいの大きさで白い粉砂糖のまぶされたチョコレートが入っていた。
「僕もつくってみたんだ」
昨日、台所は終日甘い匂いが漂っていた。年に一度のすいーつ交換会の準備をしているとは聞いていたが、まさかそこに松井が参加していたとは思わなかった。誰かに誘われたのか自主参加なのか真相は不明だが、松井の手作りには違いない。
「初めてつくってみたけれど、なかなかのものだと思うよ」
松井の指が少々歪な丸い形のチョコレートを摘まむ。あげると言ったのに、自分で食べるつもりなのだろうか。そんなまさかとは思うが、相手は素面じゃない。
「どうぞ、めしあがれ」
ずずっと豊前の目の前に突き出されたチョコレート。手ずから食べさせようとする松井に豊前がうっと詰まる。甘いもの嫌いだったっけ?と聞いてくるが、そういう事ではない。甘いものは嫌いじゃないし、別に恥ずかしがって照れているわけでもない。今は酔いが回っている状態だから気づいていないけれど、我に返ったら恥ずかしくなってしばらく逃げて隠れようとするやつだ。誰が誰から逃げて隠れるのか。当然、松井が豊前からだ。
「……いやだったかな」
豊前が嫌がっていると判断した松井がしゅんとなって肩を落とし、手を引っ込めようとした。……後の事はあとで考えよう。豊前は松井の手首を掴むと、そのままぱくりとチョコレートを口にした。
「ん。美味しいよ」
その言葉にぱっと表情を明るくした松井が、もう一つどうだいと二つ目を食べさせようとする。まだ口の中に残っているから一瞬待てと制止し、豊前は急いで飲み込んだ。本当はきちんと味わいたかったのだが、急かされてしまっては敵わない。ほらと口を開けてやると、松井が楽しげに放り込んだ。
端から見たら餌付けだが今は二振りきりだ。豊前は松井の気が済むまで付き合う事にした。経験上、もう少ししたら松井は眠たくなるはずだ。頭の疲労回復には糖分が効くと言うけれど、睡眠を取るのも良いと思う。
「松井が自分で作ったのはこれだけだよな?」
「うん。ぶぜんにあげる分だけ」
ならいいと、豊前は松井に三つ目のチョコレートを催促した。
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ぶぜまつハッピーバレンタイン!
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